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百合の葯
ブライズルーム -2-
しおりを挟むふいに、コンコン、とドアがノックされる。
はーい、と文乃が応じると、
「俺だけど、入っていい?」
低い男の声が返ってきた。
「亮介さんっ、どうぞ」
そう言った文乃の声はとても嬉しそうで、亮介が彼女の夫であることはすぐに分かった。それにとても大切な存在だということも伝わってきた。
今の文乃の様子を見るかぎり、彼女が花音に未練がないことは明らかだ。
──でも……
咲はチラリと花音の様子を窺った。
──花音さんはまだ文乃さんに未練があるのだ。
五年もの間、独り身を貫くほど、彼女のことを忘れられないのだ。
胸の奥に、花音を心配する気持ちと一緒に、モヤモヤとしたものが湧き上がる。
「なに、咲ちゃん?」
咲の視線を感じた花音が、不思議そうに首を傾げた。
「あ、いいえ……」
咲は慌てて視線を逸らした。
「あれ、お客さん?」
そこへ目隠し用の壁の端から、ひょこりと白のタキシード姿の男が現れた。
花音よりは少し背が低いがっしりとした体格の男だった。何かのスポーツでも嗜んでいるのか、均整のとれた筋肉が全身を覆う。
太い眉とつり上がり気味の目は意志の強さを感じさせ、薄い唇に浮かぶ笑みはどこか子供っぽくもある。
花音とは真逆の印象の男だった。
「お、武雄っ。来てたのか」
花音の顔を捉えるなり、亮介は目尻を下げ、ハグしようと両手を広げ近づく。少し近寄りがたい見た目だが、意外と人懐っこい性格のようだ。
「亮介、本日はご結婚おめでとうございます」
それを片手で制止し、花音は祝福の言葉を述べた。
「おお、ありがとうな」
せっかくのセットした前髪を無造作に掻き上げ、亮介は礼を述べる。
それから咲に気づき、「えーと、彼女は?」と尋ねた。
「彼女は僕のお手伝いで、田邊咲さんです。結婚式にも出席させていただきます」
「田邊咲です。よろしくお願いします」
咲は慌てて頭を下げた。
「ああ、君が」
亮介はそう言って目を細め、咲を値踏みするように眺めた。
「ふーん、なかなか可愛い子じゃん」とニヤニヤと笑いながら花音に視線を移す。
「……亮介。失礼な目で咲ちゃんを見るのはやめてもらえますか?」
花音が冷ややかな声で嗜めた。
「なんだ、失礼な目って」
亮介は不服そうに口を曲げ、
「お前のほうが、よっぽど不純な目で見てるんじゃないのか?」と反論する。
「亮介っ」
それに花音が大きな声を上げ、慌てて亮介の口を塞いだ。
──花音さんがこんなに取り乱すなんて珍しい……
咲は唖然として、そのやりとりを眺めた。
ポカーンとしている咲に、亮介は口を塞ぐ花音の手を力任せに外し、
「悪いな、咲ちゃん。びっくりさせた?」
楽しそうに尋ねる。
「え、いえ、大丈夫です……」
咲は笑顔を取り繕い、答えた。
「武雄とはいつもこんな感じなんだ。こいつ、揶揄うと面白いから」
親指で背後の花音を指差し、片目を瞑る。咲は花音に視線を移し、パチパチと目を瞬かせた。
咲からしてみれば、花音を揶揄うなんて発想はどこからも湧いてこない。
──だって、花音さんはいつも落ち着いていて、大人で、どんなときでも助けてくれるから。
「そう、なんですか……」
咲は驚きを隠せないまま、頷いた。花音はバツが悪そうに顔を顰める。
「ああ、そうだ。挨拶が遅くなったけど、俺は武雄の元同僚で、柏木亮介。よろしく」
そう言って右手を差し出す。どうやら握手を求められているようだ。
その手を花音が握り、「もういい加減にしてください、亮介っ」と咲を守るように亮介との間に割って入った。
「なんだよ、握手くらい……」
亮介が口を尖らせ、ぼやく。それに文乃がクスクスと笑い声を上げ、
「もういい加減、武雄くんを揶揄うのはやめてあげたら?」
亮介に苦言を呈した。
「なんだよ、文乃まで」
亮介は拗ねた顔をする。
花音は威嚇するように亮介を睨んでいるし、亮介は叱られてしゅんとしている子供のようだ。
なんだかちょっとカオスめいた状況に、咲は可笑しくなって、フフッと笑い声を上げた。それにつられて文乃も笑い出す。
「……ほんとに、男の人っていつまでも子供なんだから」
「ね、咲さん」と同意を求め、文乃は片目を瞑ってみせた。
本当に文乃はふとした表情や仕草が愛らしく、魅力的だ。
──愛され女子ってこんな人のことをいうのだろうな。
咲はまたまた見惚れ、ぼーっと文乃を眺めた。
「ねぇ、咲さん」
ふいに文乃の視線が真っ直ぐに咲を捉えた。
「は、はいっ」
咲は慌てて姿勢を正し、文乃を見つめ返す。
「──こんな武雄くんだけど、根気よく付き合ってあげてね」
真剣な眼差しで、文乃が告げる。
「ああ、そうだな」と亮介もそれに大きく頷いた。
「──咲ちゃん、武雄をよろしく頼むよ」
真顔に戻り、深々と頭を下げた。
「そ、そんな。こちらこそ花音さんにはお世話になってばかりで……」
咲が慌てて手を振ると、
「なんですか、二人とも。まるで僕の親みたいなことを言って……」
花音が呆れたように言う。
「今となっては、俺たち立派な『親』だよな」
「そうよね」
亮介と文乃は顔を見合わせて笑った。
「そのくらい、お前には心配かけさせられたからな」
やれやれというように肩を竦めた。
「……その節はお世話になりました。結婚を機に、もう親は卒業してもらって結構です」
そう言った花音は少しむくれているが、どこか嬉しそうにも見えた。
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