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忘れ時の
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河井壮夫が市長になってから、私は河井を見かけることが多くなった。河井は様々な市の行事に登場するからである。私の勤務する学校にさえ来たこともあった。
私は河井の姿を見ると、顔をそむけた。
河井が市長になってから2年目の春だった。
4月末、私は校長室に呼ばれ、そして告げられた。
「困ったことになってね。市の研究所から君を研究員に指名してきたんだよ。確か聞いていると思うけど、今度、市で「我が郷土」という社会科副読本を改訂することになってね。その歴史の部分を担当してほしいということなんだ。研究員については、普通は、事前に校長の私に打診があるんだが、今回は決定だって言うんだ。太田先生は、1年の学年主任という責任ある立場にある、どうにかならないかと言ったんだがね。はっきり言わなかったが、どうも、市長の指名のようなんだ。これでは、所長も断れないよ。君は河井市長の同級生だそうじゃないか。まあ、ここは光栄だと思って、頼むよ」
「河井市長のご指名」と言うところで、校長は意味ありげな表情になった。
郷土史を扱う副読本を改訂すること自体は社会科部会の要望でもあった。だが、誰もが担当することについては及び腰だった。社会科教員の殆(ほとん)どが市外の出身者だったからだ。断ることは困難だった。私は同意した。
5月に初会合が開かれた。歴史担当は3人いて、私は古代から中世までの担当になった。
幸田村九人衆に関して、改訂版で初めて採り入れることになった。私がその子孫であることを皆知っていた。私が中世までを担当することは決まっているようなものだった。
私は気乗りしなかった。当然、太田家系譜が資料として取り上げられる。しかし、市史には太田家系譜に疑問符が示されていたからである。
市史の刊行は、本家に市史の担当者がやってきてから12年が経過した、1982年に始まった。
最初に資料編が二冊出た。
三冊目に「市史 第一巻 通史 古代 中世」が出た。1987年のことだ。
母は、その三冊目を持って、我が家にやってきた。
私の分も貰ったって裕一がくれたけど、私が持っていても仕方が無いので、お前が持っていておくれよ、と母は言った。私は黙って受け取った。用事が済むと、母は少し笑顔になり、じゃあと言って帰っていった。
誘っても母が玄関から上がることはなかった。理由を聞いても言わなかった。
我が家が子どものことで母に頼む以外は母がここに来ることは無かった。この日は、孫の顔も見ないで帰っていった。雪子は買い物から帰ると、お母さんと会ったわ、何しに来たの、と言った。
その夜、私は居間のソファに座りながら、分厚い市史を開いた。膝には6歳になる息子が乗っていて、尻を左右に揺らしながらテレビを見ていた。4歳の息子は床に座って静かに見ている。長男は甘えるが、次男はその傾向は薄かった。それは大きくなっても変わらなかった。
「市史 第一巻 通史 古代 中世 第二編 3章 戦国時代 第3節 市域の郷村と伝承」の中に、「太田家系譜」の記述があった。
叔父が貰った大学の先生の手紙に書かれたものと同じだが、系譜の最後に(幸田=太田 裕一氏蔵)と書かれていた。
叔父もこれを読んだだろうか。叔父の嬉(うれ)しそうな、私がよくテレビ目当てに出かけた子どもの頃に、本家の広間で見た笑顔が蘇った。
しかし、実際は違っていただろう。叔父にはもう市史への期待は失せていたに違いない。叔父家族の経済状態は悪化の一途を辿(たど)っていたからだ。そののち、呉服屋をたたみ、誰にも知らせず千葉に転居して行った。突然の出来事だった。数日の後、本家はブルドーザーで解体され、そこはマンションとなった……。
系譜が示された後に、資料についての分析が書かれていた。それは、私を大いに落胆させた。
この資料は、太田家5代とその一族についての記録である。作成されたのはおそらく十七世紀中ごろの五代当主忠盛の時代と思われるが、戦国時代から江戸時代初頭にかけての太田一族の系譜を知ることができる点で興味深い資料である。しかし、当時のものとしては、文言や字体及び紙質等に疑問なしとせず、厳密な資料批判を要する資料である。また、明らかな誤謬もある。三代目忠勝に関する記述で、永禄六年甲斐国兵乱出とあるが、当事甲斐とは同盟関係にあり、実態が不明である。
資料はこれだけではなかった。「相定候一札之事」という、広川家が所蔵する資料も掲載されていた。そこにも、太田家のことが書かれていた。
相定候一札之事
一 我等此ノ度河井肥前守永正元年此所来リ、太田出雲守同四年紀州熊野ヨリ来リ、広川弾正同十六年相州藤沢ヨリ来リ、近藤民部・小林大悟同十七年甲州ヨリ来リ、山本刑部之助・古市兵部大永元年甲州ヨリ来リ、川瀬治部之兵衛・大野主税同二年甲州ヨリ来リ、以上九人之者 相談ヲ以テ東西南北之境定メル者也、
火事御座候共早速欠付相可志事、
一 其村置手之事、河井肥前守・太田出雲守両人之儀者此所草切ニ候得ハ何ニ而茂被仰出候儀相背申間敷事、肥前守、出雲守、弾正、此時福田村ニ名付、誠ニ家々子孫迄相守可申者也、仍而一札如件、
大永四年十一月四日
広川弾正
近藤民部
山本刑部之助
古市兵部
川瀬治部之兵衛
大野主税
小林大悟
河井肥前守殿
太田出雲守殿
河井の「カワイケとオオタケがこの村のクサワケだ」という言葉が浮かんだ。
この時、この市史が再び私と河井を結びつけることになるとは、思いもしなかった。
市史に書かれた太田家系譜に対する疑問符は反論の余地すらないものだ。だから、私は副読本にこのことを載せることに気乗りしなかった。
河井の、私を指名した意図は明白だった。
幸田村のことを載せろということなのだろう。
市史にも載っているわけだから、副読本で取り上げても問題はない。幸田村はY市の南部の一地区に過ぎない。河井は副読本作成を河井以外に任せたら無視されることは必定と思ったのだろう。
市史では軽く扱われている。そのうえ、「史料価値」そのものに疑問が投げかけられている。無視される可能性は高いと思ったのだろう。だから、私を指名した。そうとしか考えられなかった。
私は河井の姿を見ると、顔をそむけた。
河井が市長になってから2年目の春だった。
4月末、私は校長室に呼ばれ、そして告げられた。
「困ったことになってね。市の研究所から君を研究員に指名してきたんだよ。確か聞いていると思うけど、今度、市で「我が郷土」という社会科副読本を改訂することになってね。その歴史の部分を担当してほしいということなんだ。研究員については、普通は、事前に校長の私に打診があるんだが、今回は決定だって言うんだ。太田先生は、1年の学年主任という責任ある立場にある、どうにかならないかと言ったんだがね。はっきり言わなかったが、どうも、市長の指名のようなんだ。これでは、所長も断れないよ。君は河井市長の同級生だそうじゃないか。まあ、ここは光栄だと思って、頼むよ」
「河井市長のご指名」と言うところで、校長は意味ありげな表情になった。
郷土史を扱う副読本を改訂すること自体は社会科部会の要望でもあった。だが、誰もが担当することについては及び腰だった。社会科教員の殆(ほとん)どが市外の出身者だったからだ。断ることは困難だった。私は同意した。
5月に初会合が開かれた。歴史担当は3人いて、私は古代から中世までの担当になった。
幸田村九人衆に関して、改訂版で初めて採り入れることになった。私がその子孫であることを皆知っていた。私が中世までを担当することは決まっているようなものだった。
私は気乗りしなかった。当然、太田家系譜が資料として取り上げられる。しかし、市史には太田家系譜に疑問符が示されていたからである。
市史の刊行は、本家に市史の担当者がやってきてから12年が経過した、1982年に始まった。
最初に資料編が二冊出た。
三冊目に「市史 第一巻 通史 古代 中世」が出た。1987年のことだ。
母は、その三冊目を持って、我が家にやってきた。
私の分も貰ったって裕一がくれたけど、私が持っていても仕方が無いので、お前が持っていておくれよ、と母は言った。私は黙って受け取った。用事が済むと、母は少し笑顔になり、じゃあと言って帰っていった。
誘っても母が玄関から上がることはなかった。理由を聞いても言わなかった。
我が家が子どものことで母に頼む以外は母がここに来ることは無かった。この日は、孫の顔も見ないで帰っていった。雪子は買い物から帰ると、お母さんと会ったわ、何しに来たの、と言った。
その夜、私は居間のソファに座りながら、分厚い市史を開いた。膝には6歳になる息子が乗っていて、尻を左右に揺らしながらテレビを見ていた。4歳の息子は床に座って静かに見ている。長男は甘えるが、次男はその傾向は薄かった。それは大きくなっても変わらなかった。
「市史 第一巻 通史 古代 中世 第二編 3章 戦国時代 第3節 市域の郷村と伝承」の中に、「太田家系譜」の記述があった。
叔父が貰った大学の先生の手紙に書かれたものと同じだが、系譜の最後に(幸田=太田 裕一氏蔵)と書かれていた。
叔父もこれを読んだだろうか。叔父の嬉(うれ)しそうな、私がよくテレビ目当てに出かけた子どもの頃に、本家の広間で見た笑顔が蘇った。
しかし、実際は違っていただろう。叔父にはもう市史への期待は失せていたに違いない。叔父家族の経済状態は悪化の一途を辿(たど)っていたからだ。そののち、呉服屋をたたみ、誰にも知らせず千葉に転居して行った。突然の出来事だった。数日の後、本家はブルドーザーで解体され、そこはマンションとなった……。
系譜が示された後に、資料についての分析が書かれていた。それは、私を大いに落胆させた。
この資料は、太田家5代とその一族についての記録である。作成されたのはおそらく十七世紀中ごろの五代当主忠盛の時代と思われるが、戦国時代から江戸時代初頭にかけての太田一族の系譜を知ることができる点で興味深い資料である。しかし、当時のものとしては、文言や字体及び紙質等に疑問なしとせず、厳密な資料批判を要する資料である。また、明らかな誤謬もある。三代目忠勝に関する記述で、永禄六年甲斐国兵乱出とあるが、当事甲斐とは同盟関係にあり、実態が不明である。
資料はこれだけではなかった。「相定候一札之事」という、広川家が所蔵する資料も掲載されていた。そこにも、太田家のことが書かれていた。
相定候一札之事
一 我等此ノ度河井肥前守永正元年此所来リ、太田出雲守同四年紀州熊野ヨリ来リ、広川弾正同十六年相州藤沢ヨリ来リ、近藤民部・小林大悟同十七年甲州ヨリ来リ、山本刑部之助・古市兵部大永元年甲州ヨリ来リ、川瀬治部之兵衛・大野主税同二年甲州ヨリ来リ、以上九人之者 相談ヲ以テ東西南北之境定メル者也、
火事御座候共早速欠付相可志事、
一 其村置手之事、河井肥前守・太田出雲守両人之儀者此所草切ニ候得ハ何ニ而茂被仰出候儀相背申間敷事、肥前守、出雲守、弾正、此時福田村ニ名付、誠ニ家々子孫迄相守可申者也、仍而一札如件、
大永四年十一月四日
広川弾正
近藤民部
山本刑部之助
古市兵部
川瀬治部之兵衛
大野主税
小林大悟
河井肥前守殿
太田出雲守殿
河井の「カワイケとオオタケがこの村のクサワケだ」という言葉が浮かんだ。
この時、この市史が再び私と河井を結びつけることになるとは、思いもしなかった。
市史に書かれた太田家系譜に対する疑問符は反論の余地すらないものだ。だから、私は副読本にこのことを載せることに気乗りしなかった。
河井の、私を指名した意図は明白だった。
幸田村のことを載せろということなのだろう。
市史にも載っているわけだから、副読本で取り上げても問題はない。幸田村はY市の南部の一地区に過ぎない。河井は副読本作成を河井以外に任せたら無視されることは必定と思ったのだろう。
市史では軽く扱われている。そのうえ、「史料価値」そのものに疑問が投げかけられている。無視される可能性は高いと思ったのだろう。だから、私を指名した。そうとしか考えられなかった。
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