つよふわもこ

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ちん道中

ちん道中 1

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いたい。
内側から隆起する、経験したことのない痛み。
ニャコ族の少年ライは、ベッドの上で一匹、悶絶した。
痛みに慄きながら、わずかな気力を振り絞り、枕元に手を伸ばす。
全ての原因である『特別な本』を処分しなければ。
ベッドから少し離れた鏡台の上に、宿のマッチと灰皿が置かれている。
(この本は燃やした方が良い)
けれど、下手に動いて痛みが増してしまったら。
そう思うと動けなかった。
せめて猫目につかぬように…特別な本を柔らかな枕の下に隠した。
これで一先ずは安心だ。
星屑ランタンの暖かな光に照らされた枕元に、ライは息を整えた。
危険とは程遠い穏やかな日常の光景。
(隠すだけじゃ、ダメだ…!)
もしフーコさんが特別な本を開いて苦しむことになったら。
(特別な本に描かれていた不破猛虎だって、意地汚く悪足掻きをしていたのに。
ボクは、まだ足掻いてもいない)
勇気を振り、枕の下の特別な本を掴んでライは、起きあがった。
瞬間、布が股座に擦れ雷が落ちたような痛みが走った。
『死』という一文字が、ライの脳裏に浮かぶ。
再び、ベッドの上にうずくまる。
ライは痛みに屈した。
尻尾を足の間に挟み、怯えることしかできない。
「フーコさん……」
不甲斐ない弟子で、ごめんなさい。
もう旅を続けられそうにないです。
村のみんな、ごめんね。
立派になった姿、見せられそうにないよ…。
後悔に浸る間も無く、痛みの波はライを襲う。
少しでも抑えつけようと、太ももの内側にグッと力を入れる。
途端に、一際大きな波が押し寄せ、ライの目の前は真っ暗闇に染まった。



師匠のフーコに連れられて、麦穂街にたどり着いたのは昼下がりのことであった。
さまざまな種族が行き交う、大きな通り。
道沿いに屋台や露店が所狭しと並び、活気に満ち溢れている。
「お祭りですかね?」
ライはキョロキョロ辺りを見渡しながら、隣を歩くフーコに尋ねる。
「麦穂名物、昼夜市だよ。名前の通り昼夜問わず、開いてるんだ。
時間帯で店が変わるから、そこだけは注意しないとね」
市の賑わいに思わずため息がもれる。
山奥の村で生まれ育ったライにとって、お店は週に1度、外からやってくるものであった。
あちらには色鮮やかな香辛料、こちらには刺繍が見事な布。
露店の横では子供たちが和気藹々と、おまんじゅうを食べている。
楽し気な雰囲気にライの尻尾は、自然と上がっていった。

(いけない、いけない。遊びに来てるんじゃないのに。
フーコさんから守護石の扱いを学ぶために、無理を言って弟子にしてもらったんだから)
師匠を1番に思い、行動する。
それが弟子としての矜持だ。
ふと、隣を歩くフーコが突然、通りから逸れ、停止した。ライは慌てて駆け寄る。
「どうしましたか、フーコさんっ」
大勢の集まる都会では、その場にいるだけでも疲弊し体調を崩すことがある。
村を出る前に村長たちから聞いた話が過ぎる。
「うーん、しまったなあ」いつもの調子でフーコはボヤいた。
「宿舎に泊まりの連絡、入れ忘れちゃってた」
「なあんだ、大丈夫ですよっ。今から準備すれば野宿には十分間に合いますっ」
ライはカバンから地図を取り出し、野宿に適した場所を探し始める。
「まってライくん。宿舎にはちゃんと泊まれる。
こういう時のために必ず1つ空きが出来るようになっているんだ」
「そう、なんですか?」
「ただし手続きに時間がかかってね。その間に、お使いを頼みたいんだ。良いかな?」
フーコはライの持つ地図上に指をそっと置く。
「この市場をまっすぐ行った先に、蔦の絡まった倉庫があってね。
一見わかりにくいんだけど倉庫を改装した雑貨屋なんだ」
雑貨屋に行き、フーコが注文した商品を受け取る。
ついでに足りなくなった日用品を買って、石護の宿舎で合流。
「まかせてください!」
ささやかなお使いであったが、ライは心底意気込んだ。
旅の師匠であるフーコが、弟子である自身を頼ってくれている。
見知らぬ土地を一匹で歩くのも、買い物をするのも初めてだけれど、
このお使い、絶対に成功させてみせる。

フーコから注文票、買い物メモ、お財布を受け取り、斜めがけのカバンにしっかりしまう。
「ご褒美に1つ、好きなものを買って来て良いからね」
「えっ」
ごほうび!?やったあっ。
出かけた歓喜をライ慌てて飲み込んだ。
『褒美をすぐに受け取ってはならない』
村長達から伝えられた、愛玩部族ニャコの教え。
『1度、丁寧に断り、出方を見なさい。その者の主人としての質がわかる…』
(断って尚、与えたいと食い下がるモノは、甲斐性有り。
答えを鵜呑みにするのは考え無しの甲斐性無し、だっけ…)
フーコに甲斐性があろうとなかろうと、ライは、ついていく覚悟だ。
しかし、試したい気持ちも、存在する。
「ごほうびだなんて、おそれおおくて受け取れません。
弟子として師匠のお願いを聞くのは、当然のことですから」
備えていた言葉をキリリと述べる。
「弟子を労うのも師匠として当然さ」
フーコの淀みのない返答に、ライの頬は緩んだ。
たとえ部族の教えであろうと、弟子が師匠を試すような真似、決してあってはならない。
そう思う傍で、フーコの応えや考えに触れるたび、何故だか無性に嬉しくなって、
事あるごとに教えを実践してしまう。
「ただし。ご褒美を買いに行くのは雑貨屋でお使いが終わってからだよ?」
「はいっ」
ライはウキウキと倉庫のお店を目指して出発した。

あちこちから立ち込める、食欲をそそる芳しい香り。
「まんじゅう~。麦穂名物、熟成小麦を使った特製まんじゅうだよ~。
蒸し立てほかほか、いかがですか~」
魅力的な呼び込みに思わず足が止まる。
ライの顔より大きな、真っ白なおまんじゅう。
(あれならフーコさんと半分こできるかな。
……いやいや、まずは、お使いに集中しないと)
香りを振り切るように、ライは市場を早足で進む。
奥へ行く毎に、市の賑わいは鳴りをひそめ、静かな路地に入った。
果たして、この道であっているのか。不安が頭をよぎった頃。
青々とした蔦の絡まった、煉瓦造りの大きな倉庫が、通せんぼするようにライの目の前に立ちはだかった。
シャッター脇の古びた鉄ドアに『雑貨』と書かれた小さな木札が斜めにかかっている。
ドキドキと店のドアを開けた。
店内は昼間にも関わらず、薄暗い。

っひ。
ライは小さな悲鳴をあげた。
正面奥、何かが、きらり、と怪しく光る。
目をこらすと、大きな狐が1匹、小さなスツールに座っていた。
難しそうな表情を浮かべ、刺さりそうな鋭い目で、本を読んでいる。
「あの…」恐る恐る声をかけると、狐は耳と尻尾をピンっと尖らせ、素早くレジ台に身を寄せた。
「おや、いらっしゃい。おつかいかな?」
鋭い目をさらに細めて笑う、狐の店員。
「注文していた荷物を、受け取りに、来ました…」
ライは恐怖を押し込めて、カバンにしまっていた注文票を取り出し、狐の店員に手渡す。
「ああ……じゃあ君がフーコの一番弟子か」
自身がフーコにとって初めての弟子。
意識したことはなかったが、ライは誇らしい気持ちでいっぱいになった。
「そうです。ボクがフーコさんの一番の弟子です」
「はっはっは。そうかそうか。
おじさんちょっと荷物、出してくるから
他にいるモノがあったらレジ台に置いといて~」
返答する間もなく、狐の店員はレジ奥にサッと消えていった。
ライはメモを確認しながら、頼まれたものをレジ台へ持って行く。
しばらく待ってみたが、狐の店員が奥から出てくる気配はない。
ライは店内をゆっくり見て回ることにした。

市場の様子が描かれたオシャレな絵ハガキ。小瓶に入った色とりどりの香油。
油揚げの形をしたお皿、水着姿の狐族女性の置物。
素敵なものがたくさん並んでいる。
中でもライの目を釘付けにしたのは、レジ台横に置かれた『英雄本』と殴り書きされた半開きの箱。
民を襲う邪鬼を退けた、救国の英雄たち。
彼らの残した、邪鬼祓いの守護石は、今尚、民たちを守り続けている…。
彼らの物語が大好きなライは、半開きになった箱を意気揚々と開けた。
「あ、れ?」
表紙に絵が描かれた、たくさんの薄い本。
絵本だ。
しかし、どの表紙にも英雄の姿は見当たらない。
その代わり英雄たちと同様、様々な種族の可愛い少女たちが描かれていた。
(なんじゃこりゃ)
―『なんじゃこりゃ』そう、切り捨てて仕舞えれば良かったのに。

(この絵本。どこかでみた事があるぞ)
ライは目を細めて、表紙をじぃっと観察する。
(特別な本に似てるんだ!)
村の書庫、日陰の本棚の、1番上。
左端の、奥の方にあった特別な本。
アレも表紙に可愛い女の子が描かれていた。
『これは成猫のみが閲覧を許された特別な本。
子猫のうちは触れるべき物ではない』
『えー!なんで、なんで?どうして、どうして?』
『ライ、落ち着いて、よく聞きなさい。過ぎたる好奇心は猫をも殺すのだ』
『え…なんで……こわい…』
村長に諭されて以来、本棚に、近づく事はしなかった。
特別と云われる程の内容とは一体…。
1番短いタイトルで、1番憧れている英雄、不破猛虎の本を手に持つ。
(表紙がツルツルで気持ち良い。なんだかすごくいい紙を使っているぞ)
開いてみると、表紙と同様、愛らしい少女が描かれていた。
きらきらの瞳、さらさらの髪。
しなやかな尻尾。
くっきりとした縞模様…。
屈強な虎族男性として伝えられている不破猛虎。
華奢な虎族の少女の絵の横の四角い枠に、『不破猛虎』と名打ってある。
理解が追いつかない。
(この本の不破猛虎は、こういう不破猛虎…)
ライは、一旦飲み込むことにした。
『なんで、どうして?』の向こう側に、素晴らしい予感がした。
予感と好奇に身を委ね、次の頁を開こうとした、その時。
「お待たせしちゃったね」
奥から狐の店員が腕いっぱいの小箱を器用に抱えてやってきた。

ライは、急いで本を閉じる。だが、手に持ったままだ。
見てはいけないと言われていたものを、手に取り、見た。
「ご、ごめんなさい…」
湧き上がる罪悪に、ライは、ただ謝ることしかできない。
狐の店員は、レジ台に小箱を静かに置くと、ライをまっすぐ見た。
ああ、怒られる…。
「ご入用ですか」
予期した怒りの声は聞こえず、それどころか、
まるで成猫に話しかけるような落ち着いた口調。
ライはごくりと唾を飲み込み『誇り高き女剣士 不破猛虎』をレジ台にそっと置く。
静かに進んでいくお会計。
本当は怒っているのかも知れない。
(オトナが本当に怒っている時は、静かなんだよって、お姉ちゃんたちが言ってた……)
悪い予感がバクバクと胸を打つ中、お会計が終わる。
狐の店員は、背負えるようにと、風呂敷で購入品をひとまとめにしてくれた。
ただ1冊。
本だけが、レジ台の上に取り残されている。
狐の店員と本を交互に見て、ライはおずおずと本を手に取る。
試されている。
そう感じながら、自身の斜めがけカバンの奥の方へいれた。
狐の店員は、大きく、頷き「1匹の時にヒッソリとお読みください」そう、告げた。
何故…?疑問が頭に浮かんだ。
けれど先ほどの出来事を思い返す。
確かにこの本は、静かに、ひっそり読みたい。
ライは狐の店員に深々とお辞儀をして店を後にした。

店を出ると、やけに外が眩しく感じた。
目を細めながら地図を広げ、フーコの待つ石護の宿舎を探す。
(よかった。ここからそんなに遠くないっ)
石護の宿舎は、守護石を管理する者たちの拠り所であり、民たちの信仰の場。
村を出てからまだ数週間。
ライは守護石や管理者に関する初歩的なことをフーコから教わっている真っ最中だ。
お話の中でしか聞いたことのない石護の宿舎。一体どんなものなんだろう。

ライはウキウキと大通りから逸れた石畳を歩く。
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