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ちん道中
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市の方へ一旦戻り、山の方へ続く道を歩く。
まっすぐ伸びた石畳を進むと、ものの数分で立派な赤い門が見えてきた。
ライは駆け足で赤い門へと向かう。
「ここが石護の宿舎かあ~!」
旅の道中、フーコから聞いていた建物が、今、まさに目の前にある。
興奮のあまり声を出してしまった。
周囲に他の者がいないかキョロキョロと確認して、ホッとするのも束の間。
「そう。ここが石護の宿舎だよ」聞き慣れた声が落ちてきた。
突然の出来事に、ライの尻尾は、ブワリと膨れ上がる。
「いいね。跳ねて転ばなくなった。修行の成果かな?」
フーコは大きな虎族にも関わらず、気配を消すのが大変上手い。
修行と称し、ライを度々驚かせてくるのであった。
「大切な荷物が台無しにならないよう、気を配っただけです。
決して修行の成果じゃありませんっ」
ツンと言い放つ。
動揺しないための修行……。
素直に受け入れていたのは5回目までだ。
何度も驚かされているうちに、ただ、揶揄われて遊ばれているだけ。
ライは、そう思うようになってしまった。
「お使い、ありがとうね。荷物重かったでしょう。持つよ」
気遣ってくれるのは嬉しいが、その気遣いを別のところに回して欲しい。
「けっこうです。お部屋に届けるまでがお使いですから」
「そう?じゃあ私はお部屋まで、ご案内をしようかな」
悪びれることのないフーコ。
ライは尻尾と頬を膨らませながら後を着いて行く。
赤い門の先は、日当たりの良い中庭が広がっていた。
中央に安置された、白く、透き通った大きな石。
陽の光を淡く反射し、周囲を煌めかせている。
淡い光がライを包み、モヤモヤとした気分を祓ってくれる。
夢のような心地に、ライは呆然と立ち尽くす。
「この大きな守護石は、大守護石って呼ばれているんだよ。
なんの捻りもないから覚えやすいでしょう。
麦穂のように大勢が一ヶ所に集まった地域は、市中に大守護石を配置して邪鬼を祓うんだよ」
前を歩いていたフーコは、ライの隣にやってきて説明をしてくれた。
けれど、何か腑に落ちない。
「フーコさんが村に置いてくれたモノと、色も、形も、全然違う……」
「ニャコ村の守護石は、元々君たちの住む山から採掘されたモノだからね。
置いて行った、というよりも……あるべき場所にお還したというのが正しいかな」
この大守護石も、山を切り崩し加工したモノなのだろうか。
異なる風景から切り取ってきた光……。
ライは光を避け、そっと、木陰に身を寄せた。
「ライくん。道中でも説明したけれど、今、私たちが使っている守護石は
ここの大守護石を含めてすべて造られたモノだよ。
造られたモノだからこそ管理が必要なんだ」
目の前の大守護石は切り取られたものではなく技術の結晶。
「守護石は造れるって、みんなに伝えることができたら……。
山を崩す必要も、奪い合いも、きっと無くなりますよねっ」
「……そうだね」
立派な管理者になって、石を造る技術を広めることができれば、
山を切り崩されてしまうことも、奪われた苦しみから邪気を発生させてしまうことも、無くなるはずだ。
造られた守護石の優しい光を、ライはまっすぐ見つめる。
「先、行っちゃうよー」
すぐ側にいたフーコが、いつの間にやら中庭の奥へと進んでいた。
「まってくださいっ」
中庭の奥にある、石の門をくぐり抜けると、白壁の長屋が奥へ伸びるように連なっていた。
「ここが今晩お世話になる部屋だよ」
フーコは門のすぐ側の木扉を開けた。
窓のない、のっぺりとした白壁。
まるで倉庫のような外観だ。
(倉庫の雑貨屋さんみたいに、薄暗かったらどうしよう……)
ライは恐る恐る中を覗き込む。
玄関先の棚には一輪挿しの花が飾られ、大きな窓からは陽の光が溢れている。
想像よりもずっと、明るい。
「見てまわってもいいですかっ」
「荷物を置いてからね」
ライは2人がけのテーブルに背負っていた荷物をそっと置き、パタパタと小さな部屋を駆け回る。
タンス!かわや!お風呂!鏡台!ベッド!
あるドアを片っ端から開け、印象深い物の名称を声に出し、
あらかた済むと、2つ並んだベッドの一床に飛び込だ。
ベッドは小さなライの体を、ポンと軽く跳ね返す。
藁布団には無い、弾性。
雲の上で眠る想像が叶ったような心地がする。
無防備に置かれた白くて、大きな枕。蒸したてのおまんじゅうのようだ。
ライは一心不乱に、枕をふみふみと揉み込む。
枕を揉む行為は、いつだってライに安寧をもたらしてくれる。
(管理者の拠点でお泊りなんて、夢みたい!ちゃんとお行儀良くしないと!)
そのためにはまず、冷静さを取り戻さねば。
息を切らしながら、ライは枕を揉む。
ふみ、ふみ。
何処からともなく沸きたつ興奮は、枕を揉み込むうちに、鳴りを顰めた。
(よし、荷物の片付けを手伝うぞっ)
テーブルの方を見やると、フーコが俯きながら、小刻みに震えていた。
「あっ……。うるさくして、ごめんなさい……」
「ふぷ、ふ。ごほっ。……今はお昼を食べに、みんな出払っているけれど。
ここは休む場所だからね。あまり騒がしくしてはいけないよ」
「はい……」
ライはフーコの向かい側の席に座り、買ってきた日用品を、旅用の背負い箪笥に入れていく。
荷物の中から出てきた領収証を見てフーコは首を傾げた。
買った物をカバンの奥へ隠したところで、
後先を考えず、欲望のまま、買い物をしたという事実は変わらない。
(フーコさんに頼まれたものは、ちゃんと値段を見て、計算できたのに。
本は続きが読みたいって以外、何にも考えられなかった)
ライの耳と尻尾は、己の浅はかさを嘆くように、下へと垂れていく。
「ご褒美、好きなもの買ってきてよかったんだよ?」
「へ……」
ライは机に置かれた領収書をさりげなく見る。本に関する記載はなかった。
購入した日用品と、その値段だけが書かれている。
「……何を、買っていいか、迷っちゃって」
「そういうことか」
どういうことだ?
本は確かに買ったのに、値段がついていない?
ライは困惑の中、荷物の整理を手伝う。
「これで、よしっと。ちょっと遅くなったけど、お昼を食べに行こうか」
悩んでいても、お腹は空く。
2匹は再び昼夜市にやってきた。
「あの……行きたいお店があるんです」
「おっ。どこかな?」
お使い中に目星をつけていた店に、フーコを連れて行く。
「いらっしゃ~い。甘いあんこがたっぷり入ったおまんじゅう~。蒸し立てですよ~」
屋台に並べられた塔のようなセイロから、ほかほかと甘い香りが漂う。
ライは旅立つ時に村長から渡された、赤い小さな財布を取り出した。
「ライくん。師匠っていうのは親代りでもあるんだ。
食事のことで君に負担をかけるつもりはないし、遠慮することもないんだよ」
諭すフーコにライは首を振る。
「ボクがおまんじゅうを買って、フーコさんと一緒に、はんぶんこして食べたいんです」
本心であった。
が、『特別な本』を隠れて買ってしまった後ろめたさもあった。
「そ、う。うーん……。次のお店からは私が全部、出すからね」
顔が隠れてしまうほど大きなおまんじゅうを1つ買って、屋台側に設置された木のベンチに座る。
おまんじゅうを半分に割ろうと両手でもつ。
「あっ、あっつっ!お、ああ~……」
蒸し立ておまんじゅうの想像を絶する熱さに、ライの柔らかな肉球は翻弄された。
かろうじて半分にできたが、ふにゃふにゃに潰れてしまった。
少しでもマシな方を選んで、フーコにおずおずと手渡した。
「ふふ、本当だ。あつあつだね」
隣に座るフーコは、ふにゃふにゃのおまんじゅうを、とても美味しそうに食べている。
ある程度冷ましてから食べようと思ったが、つられて、かぶりついた。
半分に割ったことで、あんこの危険な熱さが、やわらいでいた。
温かい甘さが口いっぱいに広がる。
「よぉ。元気そうじゃねえか」
おまんじゅうを食べ終えて、次に行く屋台を探している途中。
突然、黒猫男性に話しかけられた。
(だ、だれなの。この猫……)
ギラリとした金色の目。ライは合わせないように俯く。
「スミ!久しぶりじゃないかっ。宿舎にいないと思ったら、市で油を売ってたのか?」
フーコの聞いたことのない明るい声色に、ライは瞬きした。
どうやら黒猫と顔見知りのようだ。
「猫聞きの悪い。散歩がてら見回りしてたんだよ。んで、その子が噂のお弟子さんか」
黒猫男性は、興味津々でライに視線を合わせて来る。
ライは思わずフーコの足元に隠れた。
「初めましてだな。俺はスミ。石護宿舎の管理者してるんだ。
今日、宿舎に泊まるんだろ?適当にくつろいでくれな」
「……。ら、ライです。今晩、お世話になります」
顔を少しだけ出して挨拶すると、黒猫は懐っこく笑った。
「市であったのも何かの縁。良い屋台があるんだ。案内するぜ」
「ふうん。私たちを油売りの口実に使うわけだ?」
「せっかく麦穂に来たんだから、仕事前に楽しんでって欲しいだけさ」
砕けた口調で楽しげに会話するフーコとスミを見ていると、
お腹の辺りがソワソワ落ち着かない。
ライはフーコの足元にひっついたまま、市を巡る。
甘辛だれの魚串、パリパリの果実飴、もちもちの団子入りの甘いお茶。
スミの勧める屋台料理は、見たことのないものばかりで、とびきり美味しい。
「ライくんは食べさせがいがあるな~」
気さくなスミと会話をしていくうちに、ライは、伏せた視線を少しずつ上げた。
ふと、視線を上げた先に、フーコの尻尾が目に入る。
綺麗な橙色に、くっきりした虎模様。
毛柄なんて今まで気にしたことがなかった。
どうしてこんなに気になるんだろう。
ライは『誇り高き女剣士 不破猛虎』の存在を思い出してしまった。
すっかり忘れていた、カバンの奥にしまった『特別な本』……。
スミと昼夜市で別れ、石護の宿舎に戻る頃。
あたりはすっかり夕闇に染まっていた。
部屋に着くとフーコは背負い箪笥の方に向かい、星屑ランタンを取り出した。
ランタンに入れられた小さな守護石のカケラは、みるみるうちに輝き出し、
空に浮かぶ満月のように、煌々と室内を照らす。
フーコのランタンでも、区切られた水場までは照らせない。
ライは予備の星屑ランタンを取り出し、集中しながら灯す。
「あ、あれ……?」
本来ならば一色に灯るはずが、橙、桃、青、様々な色で淡く灯り出した。
1度灯すと朝まで光り続けてしまう。室内に置くには、ちょっと騒がしい。
「……ライくん。途中、話し込んじゃってごめん。退屈させちゃったよね」
「いえっ。いろんなお話を聞けて楽しかったです」
旧友同士の会話の途中も、ライに退屈している暇はなかった。
『特別な本』をひっそり読む方法について、真剣に考えていたのだ。
フーコに怪しまれる事なく一匹の時間を確保するには、どうすれば良いのだろう。
一緒に過ごすコトばかりを考えていたライにとって、難題であった
1つだけ、思いついた。
「沢山美味しいものを食べて、ボク、今、すっごくお腹いっぱいで……。
だから、その。フーコさん、お風呂、お先にどうぞ」
フーコは不安な面持ちで、ライを見る。
「一緒に入らなくて大丈夫なの?」
「……う」
ライは1匹でお風呂に入ることを、恐れていた。
頭を洗う時、顔を洗う時。
水中に、背後に、何者かがいる気がして、怖いのだ。
村にいるときは、姉たちと一緒に入っていた。
旅をしている今、ライはフーコと一緒に水浴びや湯浴みをしている。
背中の流し合いっこは、毎日やっても飽きない。
今日もきっと楽しい時間になる。
だが、お風呂は違和感なく一匹になれる時間でもある。
読書時間を確保するか。
一緒にお風呂に入るか。
天秤にかけた苦肉の策。
「1匹で、入れ、ます」
「……。そっか」
フーコは寂しそうに微笑んで、ライの頭をひと撫でする。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ランタン、貸してもらうね」
ライの灯したランタンを持ち、フーコはそのまま風呂場へと消えていった。
ライの心の奥がチクリとざわめく。
(ボクは言い訳までして、読書の時間をとった……)
ざばあ。
風呂場から、湯をかける音が聞こえる。
傾けた天秤はもう、戻らない。
読書するなら今しかない。
ライは神妙な面持ちで、カバンの奥から目当ての本を取り出す。
2つ並んだ大きなベッドの、飛び込んだ側にいそいそと陣取る。
意を決し、見たかった続きの頁をめくる。
可憐な不破猛虎が大きな剣を操り、戦う姿が視界に飛び込んできた。
短いスカートをひるがえし下着は丸見えだ。
本を一旦閉じ、深呼吸をする。
そして再び、開く。
『今日も私の「勝ち」ですわねっ!』力強く宣言するキリッとした顔立ち。
(どんな姿でも不破猛虎はかっこいいなあ)
次の頁。
凛々しく戦っていた不破猛虎は、邪鬼にあっさり負けていた。
『絶対に近づいちゃダメだよ』と村の猫たちに言い聞かせられた、
近づいちゃダメおじさんにそっくりな風貌の邪鬼。
『ッヒュ~!良い眺めだぜ!』
英雄は負けるし、邪鬼は喋るし、この絵本は、未知の情報に溢れている。
『くっ……!ころしなさいっ』
たとえ創作物であっても、憧れの存在が負け、自身を早くころせと口走る。
ライは大きなショックを受けた。
一方で、敗者であるにも関わらず勝者に『ころせ』と命じ、
意地汚く自身を貫こうとする不破猛虎の姿に感銘を受けた。
「負けても強いんだ……」
負けた強さの先に、何があるのだろう。
ライはドキドキと頁をめくった。
だが、その頁を機に、紙面は白で埋め尽くされた。
何が起きているか、わからない。
(ずうっと見てたら、白の、奥が……見えないかなあ)
ライは取り憑かれたように、描かれているはずの紙を凝視する。
股座が痛み出したのは、その時であった。
いたい。
痛い…。
花と葉っぱ、石鹸。
痛みだけの中に、穏やかな香りが漂う。
なんだかいい心地がする。ふわふわで、もこもこ。
よく知った感覚に、ライはゆっくり瞼を開ける。
目だけであたりを見渡すと、傍にフーコが座っていた。
「ライくん。大丈夫?」
死すら感じた痛みが、嘘のように消えている。
ライはこくんと頷く。
痛みが消え失せた代わりに、全力で駆けっこした後みたいな、
心地の良い疲労感が押し寄せる。
まどろんで、重い瞼が落ちていく。
ふと、優しく頬をつままれた。
「ふふ、くすぐったい」
朝寝坊した時も、フーコはこうしてつまんでくる。
ライはゆっくり起き上がり、枕元を見る。
「あ、れ……」
確かに置いたはずなのに。
布団の中、ナイトテーブルの上。ベットの下。
特別な『危険な本』が見当たらない。
「どうしたんだい」
「……本を、見かけませんでしたか」
もはや恥じている場合ではない。
被害が広がってしまう前に見つけなければ。
「このくらいで、薄くて。とても危険な本なんです。それを、枕元のあたりに置いてしまって……」
身振り手振りを加えて必死に説明したが
「はて。なんのことやら」フーコは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「ライくん。今日は初めてのことでいっぱいだったよね。
いつの間にか眠ってしまう程に疲れていると混乱するものさ」
「けど、」
ヒヤリ……。股座のあたりに突然の、違和感。
うずくまっていた時には感じなかったが、まさか。咄嗟にしたを向く。
ズボンまで、いってはいない。ベッドも濡れている様子はないが……。
フーコに知られてしまう前に、対処しなければ。
「お風呂、入ってきます……」
ライは急いで風呂場に向かった。
まっすぐ伸びた石畳を進むと、ものの数分で立派な赤い門が見えてきた。
ライは駆け足で赤い門へと向かう。
「ここが石護の宿舎かあ~!」
旅の道中、フーコから聞いていた建物が、今、まさに目の前にある。
興奮のあまり声を出してしまった。
周囲に他の者がいないかキョロキョロと確認して、ホッとするのも束の間。
「そう。ここが石護の宿舎だよ」聞き慣れた声が落ちてきた。
突然の出来事に、ライの尻尾は、ブワリと膨れ上がる。
「いいね。跳ねて転ばなくなった。修行の成果かな?」
フーコは大きな虎族にも関わらず、気配を消すのが大変上手い。
修行と称し、ライを度々驚かせてくるのであった。
「大切な荷物が台無しにならないよう、気を配っただけです。
決して修行の成果じゃありませんっ」
ツンと言い放つ。
動揺しないための修行……。
素直に受け入れていたのは5回目までだ。
何度も驚かされているうちに、ただ、揶揄われて遊ばれているだけ。
ライは、そう思うようになってしまった。
「お使い、ありがとうね。荷物重かったでしょう。持つよ」
気遣ってくれるのは嬉しいが、その気遣いを別のところに回して欲しい。
「けっこうです。お部屋に届けるまでがお使いですから」
「そう?じゃあ私はお部屋まで、ご案内をしようかな」
悪びれることのないフーコ。
ライは尻尾と頬を膨らませながら後を着いて行く。
赤い門の先は、日当たりの良い中庭が広がっていた。
中央に安置された、白く、透き通った大きな石。
陽の光を淡く反射し、周囲を煌めかせている。
淡い光がライを包み、モヤモヤとした気分を祓ってくれる。
夢のような心地に、ライは呆然と立ち尽くす。
「この大きな守護石は、大守護石って呼ばれているんだよ。
なんの捻りもないから覚えやすいでしょう。
麦穂のように大勢が一ヶ所に集まった地域は、市中に大守護石を配置して邪鬼を祓うんだよ」
前を歩いていたフーコは、ライの隣にやってきて説明をしてくれた。
けれど、何か腑に落ちない。
「フーコさんが村に置いてくれたモノと、色も、形も、全然違う……」
「ニャコ村の守護石は、元々君たちの住む山から採掘されたモノだからね。
置いて行った、というよりも……あるべき場所にお還したというのが正しいかな」
この大守護石も、山を切り崩し加工したモノなのだろうか。
異なる風景から切り取ってきた光……。
ライは光を避け、そっと、木陰に身を寄せた。
「ライくん。道中でも説明したけれど、今、私たちが使っている守護石は
ここの大守護石を含めてすべて造られたモノだよ。
造られたモノだからこそ管理が必要なんだ」
目の前の大守護石は切り取られたものではなく技術の結晶。
「守護石は造れるって、みんなに伝えることができたら……。
山を崩す必要も、奪い合いも、きっと無くなりますよねっ」
「……そうだね」
立派な管理者になって、石を造る技術を広めることができれば、
山を切り崩されてしまうことも、奪われた苦しみから邪気を発生させてしまうことも、無くなるはずだ。
造られた守護石の優しい光を、ライはまっすぐ見つめる。
「先、行っちゃうよー」
すぐ側にいたフーコが、いつの間にやら中庭の奥へと進んでいた。
「まってくださいっ」
中庭の奥にある、石の門をくぐり抜けると、白壁の長屋が奥へ伸びるように連なっていた。
「ここが今晩お世話になる部屋だよ」
フーコは門のすぐ側の木扉を開けた。
窓のない、のっぺりとした白壁。
まるで倉庫のような外観だ。
(倉庫の雑貨屋さんみたいに、薄暗かったらどうしよう……)
ライは恐る恐る中を覗き込む。
玄関先の棚には一輪挿しの花が飾られ、大きな窓からは陽の光が溢れている。
想像よりもずっと、明るい。
「見てまわってもいいですかっ」
「荷物を置いてからね」
ライは2人がけのテーブルに背負っていた荷物をそっと置き、パタパタと小さな部屋を駆け回る。
タンス!かわや!お風呂!鏡台!ベッド!
あるドアを片っ端から開け、印象深い物の名称を声に出し、
あらかた済むと、2つ並んだベッドの一床に飛び込だ。
ベッドは小さなライの体を、ポンと軽く跳ね返す。
藁布団には無い、弾性。
雲の上で眠る想像が叶ったような心地がする。
無防備に置かれた白くて、大きな枕。蒸したてのおまんじゅうのようだ。
ライは一心不乱に、枕をふみふみと揉み込む。
枕を揉む行為は、いつだってライに安寧をもたらしてくれる。
(管理者の拠点でお泊りなんて、夢みたい!ちゃんとお行儀良くしないと!)
そのためにはまず、冷静さを取り戻さねば。
息を切らしながら、ライは枕を揉む。
ふみ、ふみ。
何処からともなく沸きたつ興奮は、枕を揉み込むうちに、鳴りを顰めた。
(よし、荷物の片付けを手伝うぞっ)
テーブルの方を見やると、フーコが俯きながら、小刻みに震えていた。
「あっ……。うるさくして、ごめんなさい……」
「ふぷ、ふ。ごほっ。……今はお昼を食べに、みんな出払っているけれど。
ここは休む場所だからね。あまり騒がしくしてはいけないよ」
「はい……」
ライはフーコの向かい側の席に座り、買ってきた日用品を、旅用の背負い箪笥に入れていく。
荷物の中から出てきた領収証を見てフーコは首を傾げた。
買った物をカバンの奥へ隠したところで、
後先を考えず、欲望のまま、買い物をしたという事実は変わらない。
(フーコさんに頼まれたものは、ちゃんと値段を見て、計算できたのに。
本は続きが読みたいって以外、何にも考えられなかった)
ライの耳と尻尾は、己の浅はかさを嘆くように、下へと垂れていく。
「ご褒美、好きなもの買ってきてよかったんだよ?」
「へ……」
ライは机に置かれた領収書をさりげなく見る。本に関する記載はなかった。
購入した日用品と、その値段だけが書かれている。
「……何を、買っていいか、迷っちゃって」
「そういうことか」
どういうことだ?
本は確かに買ったのに、値段がついていない?
ライは困惑の中、荷物の整理を手伝う。
「これで、よしっと。ちょっと遅くなったけど、お昼を食べに行こうか」
悩んでいても、お腹は空く。
2匹は再び昼夜市にやってきた。
「あの……行きたいお店があるんです」
「おっ。どこかな?」
お使い中に目星をつけていた店に、フーコを連れて行く。
「いらっしゃ~い。甘いあんこがたっぷり入ったおまんじゅう~。蒸し立てですよ~」
屋台に並べられた塔のようなセイロから、ほかほかと甘い香りが漂う。
ライは旅立つ時に村長から渡された、赤い小さな財布を取り出した。
「ライくん。師匠っていうのは親代りでもあるんだ。
食事のことで君に負担をかけるつもりはないし、遠慮することもないんだよ」
諭すフーコにライは首を振る。
「ボクがおまんじゅうを買って、フーコさんと一緒に、はんぶんこして食べたいんです」
本心であった。
が、『特別な本』を隠れて買ってしまった後ろめたさもあった。
「そ、う。うーん……。次のお店からは私が全部、出すからね」
顔が隠れてしまうほど大きなおまんじゅうを1つ買って、屋台側に設置された木のベンチに座る。
おまんじゅうを半分に割ろうと両手でもつ。
「あっ、あっつっ!お、ああ~……」
蒸し立ておまんじゅうの想像を絶する熱さに、ライの柔らかな肉球は翻弄された。
かろうじて半分にできたが、ふにゃふにゃに潰れてしまった。
少しでもマシな方を選んで、フーコにおずおずと手渡した。
「ふふ、本当だ。あつあつだね」
隣に座るフーコは、ふにゃふにゃのおまんじゅうを、とても美味しそうに食べている。
ある程度冷ましてから食べようと思ったが、つられて、かぶりついた。
半分に割ったことで、あんこの危険な熱さが、やわらいでいた。
温かい甘さが口いっぱいに広がる。
「よぉ。元気そうじゃねえか」
おまんじゅうを食べ終えて、次に行く屋台を探している途中。
突然、黒猫男性に話しかけられた。
(だ、だれなの。この猫……)
ギラリとした金色の目。ライは合わせないように俯く。
「スミ!久しぶりじゃないかっ。宿舎にいないと思ったら、市で油を売ってたのか?」
フーコの聞いたことのない明るい声色に、ライは瞬きした。
どうやら黒猫と顔見知りのようだ。
「猫聞きの悪い。散歩がてら見回りしてたんだよ。んで、その子が噂のお弟子さんか」
黒猫男性は、興味津々でライに視線を合わせて来る。
ライは思わずフーコの足元に隠れた。
「初めましてだな。俺はスミ。石護宿舎の管理者してるんだ。
今日、宿舎に泊まるんだろ?適当にくつろいでくれな」
「……。ら、ライです。今晩、お世話になります」
顔を少しだけ出して挨拶すると、黒猫は懐っこく笑った。
「市であったのも何かの縁。良い屋台があるんだ。案内するぜ」
「ふうん。私たちを油売りの口実に使うわけだ?」
「せっかく麦穂に来たんだから、仕事前に楽しんでって欲しいだけさ」
砕けた口調で楽しげに会話するフーコとスミを見ていると、
お腹の辺りがソワソワ落ち着かない。
ライはフーコの足元にひっついたまま、市を巡る。
甘辛だれの魚串、パリパリの果実飴、もちもちの団子入りの甘いお茶。
スミの勧める屋台料理は、見たことのないものばかりで、とびきり美味しい。
「ライくんは食べさせがいがあるな~」
気さくなスミと会話をしていくうちに、ライは、伏せた視線を少しずつ上げた。
ふと、視線を上げた先に、フーコの尻尾が目に入る。
綺麗な橙色に、くっきりした虎模様。
毛柄なんて今まで気にしたことがなかった。
どうしてこんなに気になるんだろう。
ライは『誇り高き女剣士 不破猛虎』の存在を思い出してしまった。
すっかり忘れていた、カバンの奥にしまった『特別な本』……。
スミと昼夜市で別れ、石護の宿舎に戻る頃。
あたりはすっかり夕闇に染まっていた。
部屋に着くとフーコは背負い箪笥の方に向かい、星屑ランタンを取り出した。
ランタンに入れられた小さな守護石のカケラは、みるみるうちに輝き出し、
空に浮かぶ満月のように、煌々と室内を照らす。
フーコのランタンでも、区切られた水場までは照らせない。
ライは予備の星屑ランタンを取り出し、集中しながら灯す。
「あ、あれ……?」
本来ならば一色に灯るはずが、橙、桃、青、様々な色で淡く灯り出した。
1度灯すと朝まで光り続けてしまう。室内に置くには、ちょっと騒がしい。
「……ライくん。途中、話し込んじゃってごめん。退屈させちゃったよね」
「いえっ。いろんなお話を聞けて楽しかったです」
旧友同士の会話の途中も、ライに退屈している暇はなかった。
『特別な本』をひっそり読む方法について、真剣に考えていたのだ。
フーコに怪しまれる事なく一匹の時間を確保するには、どうすれば良いのだろう。
一緒に過ごすコトばかりを考えていたライにとって、難題であった
1つだけ、思いついた。
「沢山美味しいものを食べて、ボク、今、すっごくお腹いっぱいで……。
だから、その。フーコさん、お風呂、お先にどうぞ」
フーコは不安な面持ちで、ライを見る。
「一緒に入らなくて大丈夫なの?」
「……う」
ライは1匹でお風呂に入ることを、恐れていた。
頭を洗う時、顔を洗う時。
水中に、背後に、何者かがいる気がして、怖いのだ。
村にいるときは、姉たちと一緒に入っていた。
旅をしている今、ライはフーコと一緒に水浴びや湯浴みをしている。
背中の流し合いっこは、毎日やっても飽きない。
今日もきっと楽しい時間になる。
だが、お風呂は違和感なく一匹になれる時間でもある。
読書時間を確保するか。
一緒にお風呂に入るか。
天秤にかけた苦肉の策。
「1匹で、入れ、ます」
「……。そっか」
フーコは寂しそうに微笑んで、ライの頭をひと撫でする。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ランタン、貸してもらうね」
ライの灯したランタンを持ち、フーコはそのまま風呂場へと消えていった。
ライの心の奥がチクリとざわめく。
(ボクは言い訳までして、読書の時間をとった……)
ざばあ。
風呂場から、湯をかける音が聞こえる。
傾けた天秤はもう、戻らない。
読書するなら今しかない。
ライは神妙な面持ちで、カバンの奥から目当ての本を取り出す。
2つ並んだ大きなベッドの、飛び込んだ側にいそいそと陣取る。
意を決し、見たかった続きの頁をめくる。
可憐な不破猛虎が大きな剣を操り、戦う姿が視界に飛び込んできた。
短いスカートをひるがえし下着は丸見えだ。
本を一旦閉じ、深呼吸をする。
そして再び、開く。
『今日も私の「勝ち」ですわねっ!』力強く宣言するキリッとした顔立ち。
(どんな姿でも不破猛虎はかっこいいなあ)
次の頁。
凛々しく戦っていた不破猛虎は、邪鬼にあっさり負けていた。
『絶対に近づいちゃダメだよ』と村の猫たちに言い聞かせられた、
近づいちゃダメおじさんにそっくりな風貌の邪鬼。
『ッヒュ~!良い眺めだぜ!』
英雄は負けるし、邪鬼は喋るし、この絵本は、未知の情報に溢れている。
『くっ……!ころしなさいっ』
たとえ創作物であっても、憧れの存在が負け、自身を早くころせと口走る。
ライは大きなショックを受けた。
一方で、敗者であるにも関わらず勝者に『ころせ』と命じ、
意地汚く自身を貫こうとする不破猛虎の姿に感銘を受けた。
「負けても強いんだ……」
負けた強さの先に、何があるのだろう。
ライはドキドキと頁をめくった。
だが、その頁を機に、紙面は白で埋め尽くされた。
何が起きているか、わからない。
(ずうっと見てたら、白の、奥が……見えないかなあ)
ライは取り憑かれたように、描かれているはずの紙を凝視する。
股座が痛み出したのは、その時であった。
いたい。
痛い…。
花と葉っぱ、石鹸。
痛みだけの中に、穏やかな香りが漂う。
なんだかいい心地がする。ふわふわで、もこもこ。
よく知った感覚に、ライはゆっくり瞼を開ける。
目だけであたりを見渡すと、傍にフーコが座っていた。
「ライくん。大丈夫?」
死すら感じた痛みが、嘘のように消えている。
ライはこくんと頷く。
痛みが消え失せた代わりに、全力で駆けっこした後みたいな、
心地の良い疲労感が押し寄せる。
まどろんで、重い瞼が落ちていく。
ふと、優しく頬をつままれた。
「ふふ、くすぐったい」
朝寝坊した時も、フーコはこうしてつまんでくる。
ライはゆっくり起き上がり、枕元を見る。
「あ、れ……」
確かに置いたはずなのに。
布団の中、ナイトテーブルの上。ベットの下。
特別な『危険な本』が見当たらない。
「どうしたんだい」
「……本を、見かけませんでしたか」
もはや恥じている場合ではない。
被害が広がってしまう前に見つけなければ。
「このくらいで、薄くて。とても危険な本なんです。それを、枕元のあたりに置いてしまって……」
身振り手振りを加えて必死に説明したが
「はて。なんのことやら」フーコは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「ライくん。今日は初めてのことでいっぱいだったよね。
いつの間にか眠ってしまう程に疲れていると混乱するものさ」
「けど、」
ヒヤリ……。股座のあたりに突然の、違和感。
うずくまっていた時には感じなかったが、まさか。咄嗟にしたを向く。
ズボンまで、いってはいない。ベッドも濡れている様子はないが……。
フーコに知られてしまう前に、対処しなければ。
「お風呂、入ってきます……」
ライは急いで風呂場に向かった。
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