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第十五話 詠臣の部屋
しおりを挟む「なぜ、うちで?」
詠臣は疑問を口にした。
同じ部隊に所属する、岡前と飯島に最新の海岸防衛システムの論文について議論しようと誘われ、二つ返事で了承したが、なぜか場所を自分の家でと言われた。
論文は機密文章ではない為に、規則としては問題ないが、いつもは会議室などを借用する事が多い。
「いけませんか?」
飯島がグッと一歩前に進み出てきた。
二人きりではないが、家に女性を招くことに抵抗があるが、詠臣は思い出した。
この二人が寧々と行ったコスモス畑でデートをしていたことを。
家に招くのが、恋人同士ならば、問題ないだろうかと思考する。
「おい、飯島、迷惑だろう。やめておけ」
岡前が飯島の肩に手を置いた。
「じゃあ、うちにしますか?」
飯島が言った。
「いや、良い。うちで」
「ありがとうございます!」
「……良いのか、平?」
「ああ。この論文は、凄く気になっていた。このキエトという研究者、あのSDIの現地軍の軍人なのに、推し進められている要塞堤防建設に真っ向から対峙する内容で興味深い。此方の方が初期投資もランニングコストも桁違いだし、上手く行けば……海岸線での海竜被害が大幅に低減される」
「だよな、この研究者の他の論文も探してみるわ」
「私も、手伝います」
詠臣の家へ行く方法を模索しながら、もんもんとした数日を過ごした寧々に、朝から詠臣からメッセージが何件が届いた。
タイ語の翻訳に関してだった。
恐らく、軍事関係か恐竜関係の何かを読んでいるのだろう。
これはどういう意味ですか?と写真に撮られて送られてくる。初めて詠臣の役に立てている気がして、寧々は凄く嬉しかった。
(今こそ、お家に行けるチャンスなのでは?)
翻訳のお手伝いという大義名分を翳すことによって、詠臣の家に向かうハードルが下がった。でも、行きますと言ったら、きっと自分の方が出向きますと言われてしまうと思い、聞いていた住所に突撃することにした。
(ここが詠臣さんが住んでいる所かぁ)
電車に乗って、最寄りの駅に着いた。
つい楽しくてキョロキョロと見回してしまう。
そして地図が上手く読めないので、スマホをクルクル回しながら案内に従い歩いた。
古くもなく、新しくもない普通のマンションの前で案内が終了した。
「ここなんだ……」
マンションは単身者向けで、一戸あたりの面積が小さい。駅から近く、基地から程よい場所にある。寧々の家からも車なら、そう遠くない。
オートロックの前で何号室だったかとスマホで確かめようとしていると、中から誰かが出てきた。
「あんた!」
出てきた女性に大きな声で話しかけられ、寧々の体がビクッと震え上がった。
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
「はっ……はい」
寧々は、自分が不審者と間違えられたのだろうかと焦った。
女性は、黒髪のベリーショートが良く似合う、健康的な印象の美人だった。
「まさか、平せん……詠臣の部屋に行くつもり?」
見知らぬ女性から詠臣の名前が出てきて、寧々は言葉を失った。
(詠臣さんは、男四人兄弟だから、妹でも姉でもないし……ましてやお母様ではない。だ……だれ? まさか、まさか……本当に……彼女?)
先ほどの驚きと、嫌な妄想に寧々は血の気が引いた。
手足が強ばる。
「あの……えっと」
「今日は私と用があるから、迷惑だから帰って」
目の前の女性は、腕を組んで顎を上げて寧々を見下ろした。
「……貴方は……」
詠臣さんの何なのですかとは聞けなかった。
恐る恐る盗み見るように、相手の顔を見た。
「私は、詠臣の」
彼女が何かを言いかけたとき、後ろから人がやって来た。
「飯島?」
「飯島なにしてんだ?」
エレベーターが混んでいた為、階段で下りてきた詠臣と岡前が飯島に追いついた。
朝から開かれていた勉強会が終わり、今し方お開きとなった。
二人を見送る為、詠臣もやってきた。
「寧々!」
「……詠臣さん」
やっと寧々が視界に入った詠臣は、驚いて寧々に駆け寄った。
顔色が悪く、いつもと違う様子の寧々に詠臣の心配が募り、肩を抱いて覗き込んだ。
「寧々……」
「おい、飯島。俺達邪魔そうだし、帰るぞ」
詠臣に目配せで帰ってくれと言われた岡前が、飯島の背中を押した。
「えっ! ちょと……まっ……先輩! ちょっ」
岡前に押し出されるように、飯島がマンションから出されていく。
二人の姿が見えなくなった頃、気が抜けて寧々の目の前が真っ白になった。
あっ……と思ったけれど、声も出ずに脚の力が抜けた。
「寧々⁉」
崩れ落ちそうになった寧々を詠臣が抱き留める。
「大丈夫ですか!」
ゆっくりと体勢を低くした詠臣の膝の上に乗り上げるようにもたれ掛かる。
「すいません……大丈夫です……今は、只の脳貧血……です」
「少し、動かします」
詠臣は、寧々の体に負担が掛からないように肩の後ろに右腕を回し寧々の体を倒すと、左腕を膝の下にまわし、体をすくい上げた。詠臣は、簡単に抱き上げてしまえる寧々の軽さに心配になった。
「移動しても?」
詠臣の問いに、寧々は彼の腕の中で小さく頷いた。
(ひさびさに……目の前が、まっしろ……やってしまった……私……すごく、面倒くさい……)
エレベーターの前で、コレに乗ったら寧々が気持ち悪いかと少し悩み、階段を上り始めた。
本人は大丈夫だと言っているが、明らかに真っ青になって、具合が悪そうな寧々の顔を見ると、心臓が凍えるようだった。
部屋まで辿りつき、ドアを脚で押し開ける。
寧々をベッドに寝かせて靴を脱がせ、布団を掛けた。
何も出来ない自分を歯がゆく思いながら、詠臣はベッドの横に座り寧々の小さな細い手を握った。
寧々の瞼が開いて、詠臣を見つめる。
「すいませんでした……」
先ほどよりも顔色がよくなった寧々が、申し訳なさそうに謝った。
「何がですか」
「……勝手にお家まで来て、迷惑をかけて」
寧々の言葉に詠臣は、優しく微笑んで寧々の前髪の隙間から覗いているおでこを撫でた。
「迷惑だとは思いません」
(詠臣さんが、優しくて……眩しい……)
寧々は、恥ずかしくなって布団を引き上げて顔を隠そうとしたけれど、詠臣の手にそれを止められた。詠臣が腰を上げて、寧々に顔を寄せた。
キスをされるのかと、寧々が目を瞑ったけれど、いつまでたっても唇が触れあうことがなく、瞼を開くと「顔色が良くなってきましたね」と目前で囁かれた。
「詠臣さん……今のはキスされるのかと思います」
寧々が不満を漏らすと、詠臣が少し意地悪そうに口角を上げた。
「寧々が、良くなったら」
「もう、大丈夫です」
「……」
詠臣が寧々を見つめ、少し思案した後で、触れるだけの口づけをして離れた。
(ドキドキする……詠臣さんの部屋で、詠臣さんのベッドでキス……刺激が強い! あっ……そういえば、お部屋に秘密はなかった……でも……)
先ほど会った飯島を思い出し、寧々の浮かれた気分が急降下した。
(自分とは正反対な、優秀そうで健康的な美人な女性だった……そう、匠さんの時もそうだった……選ばれるのは、ああいう、輝かしい人……)
コンプレックスを刺激されて、胸が痛い。
(あの女性……絶対に詠臣さんの事が好きだよね……聞きたい、けど……聞いて火に油を注ぐような事態は嫌……でも、気になるよ)
「家に何もないので、買ってきます。寧々は休んでいて」
詠臣が財布とスマホを手に立ち上がった。
(まさか、あの人を追いかけたりとか……ああ! 詠臣さんはそんな人じゃないのに……嫉妬が醜い……)
詠臣が部屋を出てから、起き上がり頭を抱えた。
醜い感情だと分かりながら、つい立ち上がってキョロキョロと見回し彼女の痕跡を探してしまう。
でも、あるのはダイニングテーブルのカップくらいで……。
「……あ」
テーブルに置かれた論文を見つけて、手に取った。
海竜に対する海岸防衛の話だ。
つい、読みふけってしまう。
(……これって……)
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