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第十六話 武士の理性とパーティー

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「……寧々?」
 買い物袋を手に戻ってきた詠臣が、集中して論文を読む寧々に声を掛けたけれど、寧々の目は文字から離れない。
寧々は普段から、真剣に何かに取り組んでいると、声を掛けても気がつかない事がある。
 詠臣はダイニングテーブルに近づいて、寧々の視界に入りそうな所を、指でトントンと叩いた。
「あっ、お帰りなさい。すいません勝手に……」
 気がついた寧々が、顔を上げ髪を耳にかけた。
「いいえ。一般に公開されているものなので問題ありません」
 詠臣は、買ってきた飲み物とサンドイッチをテーブルに並べた。そして不要になったビニールを手早く畳み、テーブルの下にゴミ箱を寄せた。
「詠臣さん、あの……この論文、名前は載っていないのですが、共同研究者に日本人がいたりしますか?」
「無いと思いますが……何か気になる事が?」
「……何でも無いです」
 首を振って、論文のページを揃え、詠臣に差し出した。
 詠臣は、受け取ったソレをファイルに挟み込み、本棚の開いているスペースに差し込んだ。すると、他のファイルが滑り落ちた。
 さっと小気味よく広がった書類を見て、一瞬動きを止めた詠臣は、素早く拾い集め、再び本棚に戻した。
「……」
 耳がほんのりと紅い詠臣は、動きを止めて本棚の方を向いたまま振り返らない。
(……い、今のって……前に、お爺様の部屋で見た……お見合いの履歴書……何枚も、何回も書き直したの? ど……どうしよう……詠臣さんが……か、かわいい! 胸がぎゅーって苦しい!)

 寧々は立ち上がり、こちらを見ようとしない詠臣の後ろへと近づき、その大きな背中に、そっと抱きついた。

「……寧々」
 ビシッと姿勢を正した詠臣が、首を回して寧々を振り返った。寧々の腕が詠臣のウエスト辺りで遠慮がちに巻き付いている。
「私は……詠臣さんが、好きです。とっても、好きです」
 寧々は、詠臣の背中に頬を寄せて、目を閉じて微笑んでいる。

「……やめて下さい……」
「っ!」
 詠臣の拒絶の言葉に、ビクッと震えて抱きついた腕を離すと、詠臣が寧々に向き合った。
「あまり愛らしい事をしないでください……此処は男の家ですよ」
詠臣は、寧々の肩を掴み、天を仰いで眉を下げて微笑んだ。
「でも、好きな人のお家です」
 寧々が詠臣のシャツをギュッと掴み、ね、問題ありますか? とばかりに詠臣を見つめた。
 目を見張った詠臣が、素早く顔を寄せると、かすめ取るように寧々にキスをして離れた。驚いた寧々は、キスされた唇を、はっと押さえて……えへへと、はにかんで笑った。
「……」
 寧々の笑顔を見て、無言で首を振って、降参したように両手を挙げた詠臣は、ため息をついてしゃがみ込んだ。

「詠臣さん⁉」
 驚いた寧々もしゃがみ込むと、怒ったような顔で寧々を見据えた詠臣が、寧々の頭を引き寄せた。
「……んっ……あ……」
 いつもより乱暴に、噛みつくようにキスをされた。
 優しくない口づけに、興奮する。
 髪をからめ、頭を捕らえる手が……逃げることを許さない。
 呼吸すら、食べられてしまう。
 寧々は今、目の前に居る人が、海竜と戦うことに、少なからず高揚感を覚える、雄だと知った。

「……あっ……ん……」
 このまま、全部食べられてしまいたい。
 目の前の、美しく恐ろしい男に。

 詠臣の腕が、寧々の頭を支えながら、自らの体を重なり合わせるように、寧々を横たえた。

 詠臣は、寧々を床に押し倒し、潤んだ瞳で見上げられ……昂ぶってくる衝動に、息を呑んだ。

「ちょっと、出てきます……家から出ずに、ここに、居て下さい」
「えっ……あっ、詠臣さん!?」
 スッと立ち上がった詠臣は、寧々を見ることなく逃げるように部屋から出て行った。

「……」
 触れあっていた体温が離れ、肌寒く感じる。心地よくフワフワとしていた気持ちが、一気に冷えて……凍えそうだった。
 置き去りにされた寧々は、怒って昼食を全部食べてしまおうと思ったけれど……無理だった。


 年が明け、祖父が友人を呼びなさい、と言いだした。
 そして、恐る恐るやって来た美怜は、会うなり厚みのあるお年玉を渡され、恐縮することもなく素直に歓声を上げるとニコニコと受け取りお礼を言った。
 しばし、寧々は学校ではどうなのかと色々聴取され、解放された。

「あんたのおじいちゃん、渋すぎん? 格好よすぎん? 鍛え上げられた渋い軍人とか……枯れ線だったらやばかったわ……よかった最近のブームが年下で」
 寧々の部屋に入るなり飛び出した、美怜の感想に寧々が笑って聞いている。美怜にとって、すっかり第二の自室となりつつあるこの部屋で、のびのびと長い手足を伸ばし、ベッドで寝転んでいる。
「それにしても、据え膳も喰わぬとは……流石、武士。新年の挨拶とか来たの? なんか、そういうのしそう」
 涅槃のポーズをとった美怜が、うんうんと頷いている。
「うん、元旦に」
「あれ? 美怜ちゃーん、なんとかしてぇってやんないの?」
 美怜が寧々に向かって両手を広げた。

「悲しみが深くて、まだ立ち直ってないの……」
 寧々は、自らの女としての魅力の無さに絶望していた。
(確かに……美怜ちゃんみたいな、セクシーな魅力は無いけど……でも、でも……飛び出して居なくなるなんて……そんなに嫌だったのかなぁ……)
「寧々ちゃーん、よしよし。それは仕方ないよ。だって、さっき倒れた女をヤル方が嫌だわ。武士の正解だわ」
 上半身を起こした美怜が、ベッドサイドに座る寧々に抱きついて頭を撫でた。

「でも……それもそうだけど、家に女性が来てたの。同じ部隊に所属する素敵な女性だった……私と正反対な感じの……詠臣さんの事絶対好きなの……」
 太股の上でギュッと手を握りしめた寧々は、ガックリと頷いた。
「はぁ? ふたりっきり?」
「ううん、同期の男性が一人居たけど……」
「まぁ、じゃあセーフだわ。自分の事好きな女ってのはイラっとするけど」
 美怜が両手を広げて、セーフアクションをしてから、アウトっと叫んだ。

「美怜ちゃーん」
「出た。まぁ、いい。奴はソロソロ我慢の限界が来るはずだ。そのまま、素直に好き好き言ってれば良い。その女のことは、選ばれたのは自分だと自信を持って忘れろ。それよりも、一年の汚れは去年のウチに落として、彼氏と別れたから、プリーズ、新しい風、武士の後輩とか紹介して」
 美怜が綺麗な顔に似合わないゲスい笑いを浮かべている。彼女は、黙っていれば美人の代表のような女性だ。

「あっ、そういば。二月にアジアの軍事関係の企業が主催するパーティーがあって、色んな国の人が来るから、通訳のアルバイトがあるってお爺様が言ってた。美怜ちゃん、エントリーする? 交友関係は広がるかも?」
「なにそれ、俄然燃える! この美怜様の語学力と美しさとを余すことなく披露できちゃうじゃない。良いわよ……そろそろ日本の男に飽きてたところよ! 卒業するまで遠距離……燃える」
「そ……そういうパーティーじゃないけど……まぁ、そういう事もあるのかな?」
 寧々は若干不安になりつつも、この賢い友人ならば大丈夫かと微笑んだ。
「じゃあ、一ヶ月でチェックにパスできるくらい、軍事用語をインプットしないとね」
「……」
 寧々の言葉に美怜が固まった。
「助けて、寧々ちゃーん!」
「うん、まかせて!」
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