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第六章 第四節
6 違和感
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「それでは何もかも順調ということですね」
「はい」
キリエはいつものように美しい主に報告を済ませると、いつものように正式に礼をした。
「交代まであと18日ですね」
「はい」
「その日まで、つつがなく日を過ごせるように祈っています」
「はい」
キリエはいつものように主の部屋を辞する。
何も変わることはない。八年前のようにシャンタルのお気持ちを開かせるように必死になることもない。交代の翌日にシャンタルがお隠れになる準備をすることも。
ただ、今回は交代の前日にマユリアと国王陛下の婚姻の儀がある。
「大丈夫です。何も変わることはありません。ただ、婚姻の儀を挙げるだけ。その後はいつもと同じ、いつも変わらぬ交代をした後、わたくしは希望通りに両親にお会いできる、その日を楽しみにしています」
マユリアは晴れやかな笑顔でそう言っていらっしゃるが、本当にそうなるのだろうか。
もしも、マユリアがおっしゃるように普通の交代だとすると、当代がマユリアにおなりになり、次代様がシャンタルにおなりになる。では先代はどうなるのだ。
今のままでは先代はシャンタルの輪からはじき出された者になってしまう。それでシャンタルの継承はつつがなく完了したということになるのだろうか。
キリエは侍女頭である。心の中がどうであろうとも、一番に考えなくてはいけないのは宮のこと、主たちのことだ。そのためにはいかに大切に思い、今では自分の子や孫のように思っているとしても、その者たちのことも切り捨てなければいけない。たとえそれが先代であったとしても、今はいない者とされているあの方のこともないこととしなければならないのだ。
決してたやすいことではないが、八年前、先代が湖に沈むことも受け入れる決意をしたキリエにとっては、それと同じく当然受け入れるべきことであった。
今までと何も変わることはない。そう、この二千年の間粛々と引き継がれてきたシャンタルの糸を次に引き継ぐだけ。自分はそのためだけに存在している、この宮を平穏に運営するためだけに。
そのためには気持ちは無用なものなのだ。どのような痛みも苦しみも、自分には必要がない。あってはいけない。
だが実際にはキリエには心があり、感情もある。その仮面のように心まで、感情まで、鋼鉄でできているわけではないのだ。
同時にマユリアもそうであるとキリエは知っている。あのようにいつもと変わらぬ笑顔を見せてはいらっしゃるが、この先の未来でシャンタルを失うであろう民たちのことを思って神官長の提案を受け入れる決意をなさったことを、どれほどの重荷を背負っていらっしゃるかを。
そしてその後は、その願いの通りに市井の人としてご両親との時を静かにお過ごしにはなれないだろう。その覚悟もなさっているはずだ。
そのせいだろうか。最近、少しマユリアが変わられたとキリエは感じていた。
正確には変わったのとは少し違う。お変わりにはなっていらっしゃらないと思う。そのお優しさも慈悲深さも温かさも、そして強さも。
では何が違うのだろうか。キリエは考えてみたがどうにも説明ができなかった。
あえて言うならば違和感を感じる、それだけだ。
だが、どこからどう見てもマユリアはお変わりではいらっしゃらない。これはどういうことなのか。いくら考えても答えは出なかった。
キリエはマユリアがご誕生になられてからずっと、28年の間見守り続けてきた。生まれたその瞬間から、産婆が思わず涙を流すほどお美しかったマユリア、「歴代でもっとも美しいシャンタル」と呼ばれるマユリア。キリエはその外から見たお美しさだけではなく、その内面もよく存じ上げている。中身もいかに純粋でお美しく、気高くいらっしゃるか、素晴らしいお方かを。
マユリアの両親は庶民の家具職人夫婦だが、どの貴族より王族より気高く尊くいらっしゃる。まさに女神と呼ぶにふさわしいお方、そう思っている。
そう思う気持ちに変わりはない。やはり主はその通りのお方だ。それなのに何が一体違うのだろうか。
キリエは侍女頭の執務室に戻ってからもそのことが気にかかる。
執務机の椅子に腰をかけ、じっくりと考えてみる。一体いつから感じるようになったのだろう、この違和感を。
思い返すに、国王との婚姻の儀をお受けになる、そうおっしゃった頃からではないかと思った。
あの時、決意なさったようにそうおっしゃったマユリアの言葉にキリエは自分の無力さを感じた。そのように望まぬことをしていただきたくはない、そう思って精一杯のことをしたつもりだったがだめだった。民のため、主はその道を選び、決心をなさった。
微妙な違和感も、覚悟を決められたお方の人としての変化ではないかと思ってもみた。もしかすると、自分の勝手な願望のせいかも知れないとも。
人に戻られた後はご両親と共に、家族と共に過ごしたい。ご両親に孝行を尽くしたい。そのお気持ちに応えてさしあげられなかった、そのことが残念でならない。そう思う気持ちからお変わりになられたように感じるだけかも知れない。
キリエは色々な可能性を考えてみたが、どれを取ってもしっくりこない。違和感が消えることがない。
「はい」
キリエはいつものように美しい主に報告を済ませると、いつものように正式に礼をした。
「交代まであと18日ですね」
「はい」
「その日まで、つつがなく日を過ごせるように祈っています」
「はい」
キリエはいつものように主の部屋を辞する。
何も変わることはない。八年前のようにシャンタルのお気持ちを開かせるように必死になることもない。交代の翌日にシャンタルがお隠れになる準備をすることも。
ただ、今回は交代の前日にマユリアと国王陛下の婚姻の儀がある。
「大丈夫です。何も変わることはありません。ただ、婚姻の儀を挙げるだけ。その後はいつもと同じ、いつも変わらぬ交代をした後、わたくしは希望通りに両親にお会いできる、その日を楽しみにしています」
マユリアは晴れやかな笑顔でそう言っていらっしゃるが、本当にそうなるのだろうか。
もしも、マユリアがおっしゃるように普通の交代だとすると、当代がマユリアにおなりになり、次代様がシャンタルにおなりになる。では先代はどうなるのだ。
今のままでは先代はシャンタルの輪からはじき出された者になってしまう。それでシャンタルの継承はつつがなく完了したということになるのだろうか。
キリエは侍女頭である。心の中がどうであろうとも、一番に考えなくてはいけないのは宮のこと、主たちのことだ。そのためにはいかに大切に思い、今では自分の子や孫のように思っているとしても、その者たちのことも切り捨てなければいけない。たとえそれが先代であったとしても、今はいない者とされているあの方のこともないこととしなければならないのだ。
決してたやすいことではないが、八年前、先代が湖に沈むことも受け入れる決意をしたキリエにとっては、それと同じく当然受け入れるべきことであった。
今までと何も変わることはない。そう、この二千年の間粛々と引き継がれてきたシャンタルの糸を次に引き継ぐだけ。自分はそのためだけに存在している、この宮を平穏に運営するためだけに。
そのためには気持ちは無用なものなのだ。どのような痛みも苦しみも、自分には必要がない。あってはいけない。
だが実際にはキリエには心があり、感情もある。その仮面のように心まで、感情まで、鋼鉄でできているわけではないのだ。
同時にマユリアもそうであるとキリエは知っている。あのようにいつもと変わらぬ笑顔を見せてはいらっしゃるが、この先の未来でシャンタルを失うであろう民たちのことを思って神官長の提案を受け入れる決意をなさったことを、どれほどの重荷を背負っていらっしゃるかを。
そしてその後は、その願いの通りに市井の人としてご両親との時を静かにお過ごしにはなれないだろう。その覚悟もなさっているはずだ。
そのせいだろうか。最近、少しマユリアが変わられたとキリエは感じていた。
正確には変わったのとは少し違う。お変わりにはなっていらっしゃらないと思う。そのお優しさも慈悲深さも温かさも、そして強さも。
では何が違うのだろうか。キリエは考えてみたがどうにも説明ができなかった。
あえて言うならば違和感を感じる、それだけだ。
だが、どこからどう見てもマユリアはお変わりではいらっしゃらない。これはどういうことなのか。いくら考えても答えは出なかった。
キリエはマユリアがご誕生になられてからずっと、28年の間見守り続けてきた。生まれたその瞬間から、産婆が思わず涙を流すほどお美しかったマユリア、「歴代でもっとも美しいシャンタル」と呼ばれるマユリア。キリエはその外から見たお美しさだけではなく、その内面もよく存じ上げている。中身もいかに純粋でお美しく、気高くいらっしゃるか、素晴らしいお方かを。
マユリアの両親は庶民の家具職人夫婦だが、どの貴族より王族より気高く尊くいらっしゃる。まさに女神と呼ぶにふさわしいお方、そう思っている。
そう思う気持ちに変わりはない。やはり主はその通りのお方だ。それなのに何が一体違うのだろうか。
キリエは侍女頭の執務室に戻ってからもそのことが気にかかる。
執務机の椅子に腰をかけ、じっくりと考えてみる。一体いつから感じるようになったのだろう、この違和感を。
思い返すに、国王との婚姻の儀をお受けになる、そうおっしゃった頃からではないかと思った。
あの時、決意なさったようにそうおっしゃったマユリアの言葉にキリエは自分の無力さを感じた。そのように望まぬことをしていただきたくはない、そう思って精一杯のことをしたつもりだったがだめだった。民のため、主はその道を選び、決心をなさった。
微妙な違和感も、覚悟を決められたお方の人としての変化ではないかと思ってもみた。もしかすると、自分の勝手な願望のせいかも知れないとも。
人に戻られた後はご両親と共に、家族と共に過ごしたい。ご両親に孝行を尽くしたい。そのお気持ちに応えてさしあげられなかった、そのことが残念でならない。そう思う気持ちからお変わりになられたように感じるだけかも知れない。
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