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第六章 第四節
2 表と裏
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「それで、『あの方』は一体どうしておられるのでしょうか」
神官長が聞いてもいいのかどうか、そう考えるように探り探り聞くと、マユリアはにこやかに微笑んだ。
「何も。特に変わることはありません。これまでと同じです。ただ……」
マユリアはさらに一層華やかに笑うとこう言った。
「表に出ているのがわたくしに変わっただけ、ただそれだけのこと」
その笑顔、見る者誰もが目を離せなくなる美しく気品のある笑顔、トーヤがこの国にいた八年前から変わることのないその笑顔。
だが、今微笑んでいるのは、本当にあの時に知っていたのと同じ女神なのだろうか。
「同じなのです」
マユリアは誰かの不安を消すかのように、にこやかにそう言う。
「わたくしが望むのはこの国の平和、民たちの安寧、いえ、この世界が永遠に平穏であるように、これまでの二千年と同じく、この先もずっとこの国を守り続けたい。それだけなのです。その思いは『あの者』とも同じです。それは互いに認めること。ですが……」
マユリアの美しい眉が少しひそめられた。
「どこから変わってしまったのでしょうね。やはり八年前の出来事、そこからのように思います。わたくしは目覚め、決意をしました。やはりわたくしがこの国を、民を、守らなくてはいけないと」
マユリアは一瞬、さらにさびしそうな顔になったが、すぐに晴れやかな顔になるとこう続けた。
「ですが、やがて『あの者』も理解してくれるでしょう。わたくしたちが作る新しい世界、それがどれほど人の世界を幸福にするかを。ですから、今のこの感情に押し流されてはなりません」
「はい」
神官長が感じ入ったようにまた深く深く頭を下げる。
「なんといってもあなた様こそが真のマユリア。その尊いお方と真実一緒になれる。『あの方』も、人のマユリアもご理解くださいましょう」
トーヤたちの推測は当たっていた。
「マユリアの中のマユリア」
ベルがふと口にしたその言葉の通り、それは女神マユリアであった。
代々、その現し身に神を宿してきた人としてのマユリア、その当代、先代「黒のシャンタル」の出奔から引き続き、二度目の任期を務めていた当代マユリアのその身を、内なる神であった女神マユリアの意識が今は支配していた。
当代マユリアのその身は女神シャンタルが神である自分の身を与えたもの。その体に代々受け継いだ女神シャンタルを「黒のシャンタル」に引き継いた後、ラーラ様から引き継いだ女神マユリアが宿っていた。
その内なる女神がどうしたことか、今では外に出て、人のマユリアの意識はその内側に取り込まれているらしい。
これまでの表と裏が入れ替わった形だ。
八年前、先代「黒のシャンタル」の棺を聖なる湖に沈めた後、トーヤとルギが黒い棺を沈め直すところを見てしまった神官長は、混乱からか高熱を出して生死の境をさまよった。
一命をとりとめた後、自分が見てしまったこと、知ってしまったこと、その重みにつぶされそうになり、神殿の御祭神に血を吐く思いをぶつけた。
だが、神は何も答えてはくれなかった。
神官長は絶望した。だが、絶望したからといって、何もできることもない。いっそ、もうこの命を終えてしまおうか、そう考えた瞬間もあった。だが、苦しんで命を取り留めたこともあり、自ら命を絶つ勇気もなかった。
そうして、今まで以上に生気のない日々を送っていたが、その心とは裏腹に、神殿の宮での役割は増えていく。侍女頭のキリエから、神官の力を貸してほしい、そう言われることが増えたのだ。
神官長はただ言われるまま、宮からの要請があれば神官を送り、頼まれごとは引き受け、流れるように動くしかできなかった。
多少神官長が生気がなく静かであったとしても、誰もその変化には気がつかなかった。元々がそれほど明るい人間ではなかった上に、つい先日あのような思わぬ出来事、「シャンタルの死」というありえぬことがあったばかり。そしてその後、高熱で長い期間寝付いた後、やっと床上げをしたばかり。誰もがその影響であろうと思うだけだった。
それに、もしも何かがおかしいと思っていたとしても何かを言ってくれるほど親しい仲の人間もいなかった。誰にも気に留められないだろうと、神官長本人すら思っていたほどだ。
その上さらに皇太子から学問を教えてほしいと言われ、断りたいが断る気力もない。そんなギリギリの状態の時、それは起こった。
「随分と気苦労をかけますね。すぐに答えてあげられなかったこと、すまなかったと思っています」
マユリアにあることの報告に伺った時、それまではいつもと同じく、お優しく、丁寧ではあるが、特に親しくお話になられることもなかったマユリアの口から、突然そんな言葉を聞いた。
「え?」
一体何のことをおっしゃっているのだろう。神官長は戸惑うしかできなかった。すると美しい女神は続けてこうおっしゃったのだ。
「わたくしは女神マユリアです。おまえが今見ている人のマユリアの中にいる者。代々のマユリアの中からずっとこの国を見守ってきた者です。正殿でのおまえの深い嘆き、聞いておりました」
にわかには信じられないこと。
神官長はただその場で震えるしかできなかった。
神官長が聞いてもいいのかどうか、そう考えるように探り探り聞くと、マユリアはにこやかに微笑んだ。
「何も。特に変わることはありません。これまでと同じです。ただ……」
マユリアはさらに一層華やかに笑うとこう言った。
「表に出ているのがわたくしに変わっただけ、ただそれだけのこと」
その笑顔、見る者誰もが目を離せなくなる美しく気品のある笑顔、トーヤがこの国にいた八年前から変わることのないその笑顔。
だが、今微笑んでいるのは、本当にあの時に知っていたのと同じ女神なのだろうか。
「同じなのです」
マユリアは誰かの不安を消すかのように、にこやかにそう言う。
「わたくしが望むのはこの国の平和、民たちの安寧、いえ、この世界が永遠に平穏であるように、これまでの二千年と同じく、この先もずっとこの国を守り続けたい。それだけなのです。その思いは『あの者』とも同じです。それは互いに認めること。ですが……」
マユリアの美しい眉が少しひそめられた。
「どこから変わってしまったのでしょうね。やはり八年前の出来事、そこからのように思います。わたくしは目覚め、決意をしました。やはりわたくしがこの国を、民を、守らなくてはいけないと」
マユリアは一瞬、さらにさびしそうな顔になったが、すぐに晴れやかな顔になるとこう続けた。
「ですが、やがて『あの者』も理解してくれるでしょう。わたくしたちが作る新しい世界、それがどれほど人の世界を幸福にするかを。ですから、今のこの感情に押し流されてはなりません」
「はい」
神官長が感じ入ったようにまた深く深く頭を下げる。
「なんといってもあなた様こそが真のマユリア。その尊いお方と真実一緒になれる。『あの方』も、人のマユリアもご理解くださいましょう」
トーヤたちの推測は当たっていた。
「マユリアの中のマユリア」
ベルがふと口にしたその言葉の通り、それは女神マユリアであった。
代々、その現し身に神を宿してきた人としてのマユリア、その当代、先代「黒のシャンタル」の出奔から引き続き、二度目の任期を務めていた当代マユリアのその身を、内なる神であった女神マユリアの意識が今は支配していた。
当代マユリアのその身は女神シャンタルが神である自分の身を与えたもの。その体に代々受け継いだ女神シャンタルを「黒のシャンタル」に引き継いた後、ラーラ様から引き継いだ女神マユリアが宿っていた。
その内なる女神がどうしたことか、今では外に出て、人のマユリアの意識はその内側に取り込まれているらしい。
これまでの表と裏が入れ替わった形だ。
八年前、先代「黒のシャンタル」の棺を聖なる湖に沈めた後、トーヤとルギが黒い棺を沈め直すところを見てしまった神官長は、混乱からか高熱を出して生死の境をさまよった。
一命をとりとめた後、自分が見てしまったこと、知ってしまったこと、その重みにつぶされそうになり、神殿の御祭神に血を吐く思いをぶつけた。
だが、神は何も答えてはくれなかった。
神官長は絶望した。だが、絶望したからといって、何もできることもない。いっそ、もうこの命を終えてしまおうか、そう考えた瞬間もあった。だが、苦しんで命を取り留めたこともあり、自ら命を絶つ勇気もなかった。
そうして、今まで以上に生気のない日々を送っていたが、その心とは裏腹に、神殿の宮での役割は増えていく。侍女頭のキリエから、神官の力を貸してほしい、そう言われることが増えたのだ。
神官長はただ言われるまま、宮からの要請があれば神官を送り、頼まれごとは引き受け、流れるように動くしかできなかった。
多少神官長が生気がなく静かであったとしても、誰もその変化には気がつかなかった。元々がそれほど明るい人間ではなかった上に、つい先日あのような思わぬ出来事、「シャンタルの死」というありえぬことがあったばかり。そしてその後、高熱で長い期間寝付いた後、やっと床上げをしたばかり。誰もがその影響であろうと思うだけだった。
それに、もしも何かがおかしいと思っていたとしても何かを言ってくれるほど親しい仲の人間もいなかった。誰にも気に留められないだろうと、神官長本人すら思っていたほどだ。
その上さらに皇太子から学問を教えてほしいと言われ、断りたいが断る気力もない。そんなギリギリの状態の時、それは起こった。
「随分と気苦労をかけますね。すぐに答えてあげられなかったこと、すまなかったと思っています」
マユリアにあることの報告に伺った時、それまではいつもと同じく、お優しく、丁寧ではあるが、特に親しくお話になられることもなかったマユリアの口から、突然そんな言葉を聞いた。
「え?」
一体何のことをおっしゃっているのだろう。神官長は戸惑うしかできなかった。すると美しい女神は続けてこうおっしゃったのだ。
「わたくしは女神マユリアです。おまえが今見ている人のマユリアの中にいる者。代々のマユリアの中からずっとこの国を見守ってきた者です。正殿でのおまえの深い嘆き、聞いておりました」
にわかには信じられないこと。
神官長はただその場で震えるしかできなかった。
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