黒のシャンタル 第三話 シャンタリオの動乱

小椋夏己

文字の大きさ
上 下
475 / 488
第六章 第四節

 2 表と裏

しおりを挟む
「それで、『あの方』は一体どうしておられるのでしょうか」

 神官長が聞いてもいいのかどうか、そう考えるように探り探り聞くと、マユリアはにこやかに微笑んだ。

「何も。特に変わることはありません。これまでと同じです。ただ……」

 マユリアはさらに一層華やかに笑うとこう言った。

「表に出ているのがわたくしに変わっただけ、ただそれだけのこと」

 その笑顔、見る者誰もが目を離せなくなる美しく気品のある笑顔、トーヤがこの国にいた八年前から変わることのないその笑顔。
 だが、今微笑んでいるのは、本当にあの時に知っていたのと同じ女神なのだろうか。

「同じなのです」

 マユリアは誰かの不安を消すかのように、にこやかにそう言う。

「わたくしが望むのはこの国の平和、民たちの安寧、いえ、この世界が永遠に平穏であるように、これまでの二千年と同じく、この先もずっとこの国を守り続けたい。それだけなのです。その思いは『あの者』とも同じです。それは互いに認めること。ですが……」

 マユリアの美しい眉が少しひそめられた。

「どこから変わってしまったのでしょうね。やはり八年前の出来事、そこからのように思います。わたくしは目覚め、決意をしました。やはりわたくしがこの国を、民を、守らなくてはいけないと」

 マユリアは一瞬、さらにさびしそうな顔になったが、すぐに晴れやかな顔になるとこう続けた。

「ですが、やがて『あの者』も理解してくれるでしょう。わたくしたちが作る新しい世界、それがどれほど人の世界を幸福にするかを。ですから、今のこの感情に押し流されてはなりません」
「はい」

 神官長が感じ入ったようにまた深く深く頭を下げる。

「なんといってもあなた様こそが真のマユリア。その尊いお方と真実一緒になれる。『あの方』も、人のマユリアもご理解くださいましょう」

 トーヤたちの推測は当たっていた。

「マユリアの中のマユリア」

 ベルがふと口にしたその言葉の通り、それは女神マユリアであった。

 代々、その現し身に神を宿してきた人としてのマユリア、その当代、先代「黒のシャンタル」の出奔から引き続き、二度目の任期を務めていた当代マユリアのその身を、内なる神であった女神マユリアの意識が今は支配していた。

 当代マユリアのその身は女神シャンタルが神である自分の身を与えたもの。その体に代々受け継いだ女神シャンタルを「黒のシャンタル」に引き継いた後、ラーラ様から引き継いだ女神マユリアが宿っていた。
 その内なる女神がどうしたことか、今では外に出て、人のマユリアの意識はその内側に取り込まれているらしい。

 これまでの表と裏が入れ替わった形だ。

 八年前、先代「黒のシャンタル」の棺を聖なる湖に沈めた後、トーヤとルギが黒い棺を沈め直すところを見てしまった神官長は、混乱からか高熱を出して生死の境をさまよった。
 一命をとりとめた後、自分が見てしまったこと、知ってしまったこと、その重みにつぶされそうになり、神殿の御祭神に血を吐く思いをぶつけた。

 だが、神は何も答えてはくれなかった。

 神官長は絶望した。だが、絶望したからといって、何もできることもない。いっそ、もうこの命を終えてしまおうか、そう考えた瞬間もあった。だが、苦しんで命を取り留めたこともあり、自ら命を絶つ勇気もなかった。

 そうして、今まで以上に生気のない日々を送っていたが、その心とは裏腹に、神殿の宮での役割は増えていく。侍女頭のキリエから、神官の力を貸してほしい、そう言われることが増えたのだ。

 神官長はただ言われるまま、宮からの要請があれば神官を送り、頼まれごとは引き受け、流れるように動くしかできなかった。

 多少神官長が生気がなく静かであったとしても、誰もその変化には気がつかなかった。元々がそれほど明るい人間ではなかった上に、つい先日あのような思わぬ出来事、「シャンタルの死」というありえぬことがあったばかり。そしてその後、高熱で長い期間寝付いた後、やっと床上げをしたばかり。誰もがその影響であろうと思うだけだった。 
 それに、もしも何かがおかしいと思っていたとしても何かを言ってくれるほど親しい仲の人間もいなかった。誰にも気に留められないだろうと、神官長本人すら思っていたほどだ。

 その上さらに皇太子から学問を教えてほしいと言われ、断りたいが断る気力もない。そんなギリギリの状態の時、それは起こった。

「随分と気苦労をかけますね。すぐに答えてあげられなかったこと、すまなかったと思っています」

 マユリアにあることの報告に伺った時、それまではいつもと同じく、お優しく、丁寧ではあるが、特に親しくお話になられることもなかったマユリアの口から、突然そんな言葉を聞いた。

「え?」

 一体何のことをおっしゃっているのだろう。神官長は戸惑うしかできなかった。すると美しい女神は続けてこうおっしゃったのだ。

「わたくしは女神マユリアです。おまえが今見ている人のマユリアの中にいる者。代々のマユリアの中からずっとこの国を見守ってきた者です。正殿でのおまえの深い嘆き、聞いておりました」

 にわかには信じられないこと。
 神官長はただその場で震えるしかできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

弟に裏切られ、王女に婚約破棄され、父に追放され、親友に殺されかけたけど、大賢者スキルと幼馴染のお陰で幸せ。

克全
ファンタジー
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

処理中です...