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不器用な嫉妬

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 これ以上、渚を裏切るようなことはしたくない。でもひょっとすると、この碧は『碧兄ちゃん』と繋がっている可能性がある。きゅっと胸を引き絞られ、迷った挙げ句、波音は頷いた。

「一回、だけなら……」

 いずれにしても、ファーストキスは既にこの男に奪われたのだ。取り返しがつかないなら、二回目も三回目も同じ。もしそれで、碧が何かを思い出せるのなら――そうやって、もっともらしい理由をつけて、波音は彼の願いを聞き入れる決断をした。

「……どうした? やけに素直だな?」
「た、頼んだのはそっちですよ?」
「まあ、そうだが。ふっ……じゃあ、遠慮なく」

 親指で唇をひと撫でされた後、波音が目を閉じてすぐ、碧の唇が重なった。今度は一方的で乱暴なものではなくて、慈しむような触れ方だ。そこに碧の気遣いを感じて、波音はほんの少しだけ嬉しくなってしまった。

 ちゅ、ちゅと触れ合うところから音が鳴る。そのくすぐったさに波音が身体を震わせていると、碧が笑う気配がした。

「酒、くさ……」
「……あ。ビール、飲んだんでした」
「それを先に言えよ」
「キスしたいって言ったのはそっちですからね!?」

 碧は満足したのか、波音を解放した。離れていく温もりに、一瞬名残惜しさを感じた波音だったが、それではだめだと、強制的に気持ちを入れ替える。

「それよりも、何か思い出しましたか?」
「……いや。全然」
「え!? 一つもですか!?」
「仕方がないだろう。思い出したくてもできないんだから」

 波音の勇み足は無駄骨になってしまった。だが、悲しいかな、二回目のキスにドキドキしている。波音はそれを必死に隠していた。

「波音」
「は、はい……」

 碧に初めて名前を呼ばれた。昨日出会ってから今までずっと、「おい」とか「お前」だったにも関わらず、だ。不意打ちに、波音の鼓動が加速する。

「おかしなことを聞くが……俺は昔、お前に会ったことがあるか?」
「……いいえ。ありません」
「本当に、ないのか?」
「ありません。昨日初めて会いました。その、私のよく知る人と名前が同じだから、初めて会った気がしない感じはしますけど……」

 今なら、『碧兄ちゃん』はもういないのだと、伝えてみてもいいだろうか。波音が詳しく話をすれば、碧は『この世界の出来事ではない何か』を思い出すかもしれない。そうなった場合、波音の仮説が実証される。

 だが、まだ心の準備ができていない。波音は黙っておく方を選んだ。

「お前の顔と名前……なんか、引っ掛かる」
「た、他人の空似そらにじゃないですか?」
「……そう、かもしれない」

 碧は、「悪かったな」と一言残し、波音の頭をぽんぽんと撫でて、風呂場へと消えていった。過去を思い出せないことが悔しいのか、肩を落としている。

(もしも、碧さんが『碧兄ちゃん』の記憶を持っている人だったら……)

 あり得ない、そうであるはずがないと思う一方で、そうであってほしいとも思う。波音の気持ちはぐちゃぐちゃだ。なぜこんなにも、心をかき乱されるのだろう。

(会いたいな。碧兄ちゃん……)

 未だ残る碧の温もりを確かめるように自分の唇に触れ、波音は立ち尽くしていた。
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