【BL】星座に愛された秘蔵の捨てられた王子様は、求愛されやすいらしい

かぎのえみずる

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最終章 いかないで

第十話 世界一幸せだった夜空色(完)

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 木で出来た小屋。最初に受けた印象はそんなものだった。
 だけどその小屋に入れば愛情や幸せが感じられて、大きな屋敷でなくとも、人は幸福に生きることができるのだと思い知る、金の死に神。
 否――柘榴。
 柘榴は、部屋に飾ってある、昔撮った皆との写真を見つけると、嬉しそうにそれを眺める――、それから後ろからの気配に、苦笑した。

「やぁ、久しぶり、鴉のにーさん。数十年ぶり?」
「もう、そんなになりますか――私はあの人が老いていく姿しか見てないから、気付きませんでした」

 そうは言っても、鴉座の雰囲気は以前よりは落ち着いていて、何処かシニカルさも似合う小粋な大人に見える。
 今の服装であるシャツ姿も、本来は地味な安物な筈なのに、彼が着ると上品な良品物に見えるから驚きだ。

「ねぇ、柘榴様、信じられまして? 陽炎は、箸が持てなくなりました、剣も持てなくなりました、あの陽炎が鉄扇すらも持てないのですよ――」
「……それが、老いってことだよ」
「そうですね。でも代わりに、彼は毎日私に笑いかけてくれるんですよ――昔話を楽しそうにするんですよ」

 不老不死である己等と違う陽炎。
 まだ見ぬ彼。
 想像もできない、どんな老人になっているかも――。
 陽炎が死にそうだと聞いたのは、つい先日だ。鴉座が、やってきて、己に告げた。
 星座のあの時作られていた誰もが行きたがっていたが、皆を代表して柘榴が行くこととなった。
 未だに実感が湧かない、柘榴の中でこの数十年は一瞬であるから。
 それなのに、親友が死にそうなのだ――どうにも現実味が湧かない。
 白雪でさえ、最近城にやってきて陽炎のことを話したかと思えば、哀しげに落ち込んでいた。あの白雪が己に落ち込む姿を見せたのだ。
 
「来てください、私の可愛い人が、待ってます」
「う、うん」
 
 柘榴は鴉座に連れられて、小屋の近くにある湖畔を眺めて、車いすに座っている老人のもとに来た。
 老人は此方を見たりしないが、気配で柘榴だと気付いたようで。

「――来てくれたんだね、柘榴。久しぶり。手厚く迎えられなくて、ごめんな」

 一声で泣いてしまうかと思った。数十年をこの声に感じてしまい。この姿に感じてしまい。
 姿も声も弱々しいものとなった、老いとは残酷なのだと思った。だが、陽炎にとっては老いは残酷ではなく、優しいものなのだと、ふと柘榴は思ったので、何も言わなかった。

「鴉座、少し寒いから、膝掛けを持ってきて――頼んだよ」
「ええ、判りました。待っていてくださいね」
「……うん」

 陽炎の声は穏やかで、それでいて上品で。上品さだけは、中身は粗野なのに変わらなかったかと、柘榴は笑いたくなった。

「柘榴、皆は元気?」
「――うん、元気」
「そう。俺はいつも、思う。あの時、蒼たちを死なせてしまったことを――自分で解決できなかった若さが、悔しいよ」
「んまー、かげ君ってば、そんな本気でもないこと言っちゃって。若かった頃がよかったんじゃないのー?」
「――ふふ、どうかな。ただ近頃は、何故か無性に皆を思い出してね。ああ、大犬座はよく遊びに来てくれるんだけれどね。新しい星座を連れて。誰だったかな、あの金色の仔は……牡牛座だったかな」
「ああ、ゴミちゃんか」

 大犬座が面倒を見ている星座のことは知っている。あれから解放されても一人だけ引きこもっていた星座がいたから、大犬座が引っ張り出し、牡牛座を連れ回してるという。
 牡牛座は大犬座に懐き、最早彼女なしではいられないほど、見てれば判るが溺愛していた。
 知らぬは本人達ばかり。

「大犬座はあの星座のお嫁さんになるのかな――見れなくて残念だ」
「見られるよ――まだ、見られるよ。大丈夫だよ」

 気休めにすぎない言葉だ。判っていた。陽炎の周りには死の気配しか漂っていない。
 だからこそ、鴉座は先ほど「待ってて」と、己がいない間に死なぬよう告げたのだ。
 柘榴は、陽炎に笑いかけ、――力が抜き、徐々に涙が溢れてきた。

「柘榴、鴉座のこと頼むよ――ずっと愛することができた人なんだ」
「……一緒に死にたいとは思わないの?」
「……鴉座に任せるよ、そのことは。ねぇ、柘榴、こっちに来てくれないか。この湖綺麗だろう、……だけど、寒いんだ。冬が近いからね」
「……――冬まで、まだあと一つ季節があるよ。まだ秋だよ、温暖化してるよ、最近」
「ああ、じゃあ俺が寒がりなのか……ねえ、俺さ。寂しかったんだずっとずっと、若い頃は。でも、鴉座が生涯かけてそばにいてくれて幸せになれたんだよ」
「今更言わなくてもしってるよ、みんな、みんなしってるよ」
「――ん、ふふそうか。柘榴、でも鴉座に謝っておいて」
「何を?」
「――少し、寝る。眠たいや、待ってられない、かも……ありがとうも、言っておいて。ほんとうに、ほんとうに。満たされたんだ……一人じゃない……もう一人きりじゃないよ……」
 
 そう言って、手首がぶらんとぶら下がった。
 陽炎から生命力を感じられなくなり、死に神達が一瞬で消え去ったので、嗚呼彼は死んだのだと理解できた。
 いっぱい話したいことはあったのに。それなのに、聞かずに死んでしまうなんて、酷い親友だ、なんて思いながら、柘榴は己の上着を陽炎にかけてやる。
 丁度その頃に、鴉座がやってきて、己に微笑んだ。
 
「――逝ってしまわれましたか」
「うん。――少し寝るだなんて、嘘つきだよね」
「待っててと言ったのに、いつもこの人は私との約束を破るんですから」
「……――鴉のにーさん、あんたはどうしたい? この人と一緒に死にたい?」
「いえ、貴方の従者として雇ってください。私はこの人の墓を作り、永久に墓守になりたい。この土地を誰にも穢れさせたくはないんです――お願いします」

 鴉座は決して泣くことなく、微笑んで柘榴にお願いした。
 哀しくないわけではないだろう。哀しくはないが、泣くのには飽きたという表情であった。今まで、彼が死にそうになるたびに、泣き続けてきたのだろうな、と感じさせた。
 柘榴は、一声妖術を唱えると、鴉座を従者にし、陽炎の顔を見やる。
 陽炎は、穏やかな死に顔であった――とてもとても穏和なおじいさんで、彼が昔、世界一と呼ばれたなんて信じられないくらいに。
 
 
 
 今まで幾つもの時を越えてきただろう。
 今まで幾つもの人と出会ってきただろう。
 今まで幾つもの出来事があっただろう。
 最初は彼が引き起こしてるのかと思うくらい、不幸な出来事が起きていて――どんどんと事件は落ち着いて、ふと判る。
 彼が引き起こしたのではなく、皆が彼に招かれて、助かりたがっていたのだと。
 皆は救いを求めていたのだと判った――だからこそ、あの時、己は救われた。鴉座の昔だって、救われていたのだ。
 
 
「鴉のにーさん、今だから言うけど、おいら、実は最初ライバルだったんだよん」
「……知っていましたよ。貴方の優しい目は、恋を諦めた者の目でしたから」
「あはは。ああ、でも今は魚座のねーさんと恋人なんで、安心してね」
「……ええ、そうします。ねぇ、少し一人にしてください。招いておいて、なんなのですが」
「……――いいよ、おいらは帰る。皆に葬式の準備でも話してくるよ。最後に、かげ君と会えてよかったよ」
「……私も、吾が主人の望みを果たせてよかったと思います」
「かげ君が、ありがとうって。言ってたよ。一人きりじゃなかった、幸せだった、って」
 
 柘榴は歩きで、その場を離れて、遠い何処かで消え去った。
 鴉座は死に絶え、車いすで眠るように死んでいる陽炎に優しく毛布をかけてやり、にこりと微笑む。
 
「最近ね、色々思い出してきたんですよ――元は、毛布一枚が始まりですよね、貴方には。毛布一枚を争うような場所から、私が貴方を連れ出したと思い出せてきました」

 鴉座は、湖畔の周りを散歩させてやろうと、車いすを手押しし、周りを眺めやる。

「貴方が星座を集めた理由は、寂しかったからでした――今はどうでした? 私一人しか貴方の側にいませんでしたが、寂しくなかったですか? 貴方との暮らしで、私は貴方を不安にさせたりしませんでしたか? ……その答えを、柘榴に与えるなんて本当に貴方は意地っ張りだ」

 吹雪く風が冷たく、木枯らしが吹く。びゅうっと枯葉が舞い散りながら、鳥の鳴き声がして、鴉座は、涙を堪える。
 
「いつだったか、貴方は私を解放しようとしましたね――老いていく自分が耐えられなくて、出て行けと。出て行かなかったのですが、それでよかったですか? 私は、貴方を苦しめてませんか? 私は……いつまでも、……ずっと……ず、と…」
 
 夜が明け、朝がやってくる。
 夜明けはいつもどうして寂しいのだろう。それはきっと、昨日という日がまるでなかったかのように、それでもまだ続いてるような感覚があるからだ。
 変わり映えのしない日々でも、何かが違って何かが変化している日々。
 それを感じさせるのが夜明けだからかもしれない。
 
「ずっと、愛してますよ、陽炎――……私だけの、可愛い人」
 
 夜明けが嫌な人は、涙するだろう。
 この陽炎が消えるという「夜明け」を厭う星座たちは、この日を一生哀しく思うだろう。
 だが、それでも、この日は陽炎にとっては幸せな日であった。
 
 最後に親友と出会え、こうして死んでも尚、思いやって散歩させてくれるまで世話してくれる恋人がいたからだ。
 
 夜明けはそして――誰かにとっての、朝。
 
 朝は、始まりであって、終わりではない。
 夜を名残惜しんでばかりはいられないのだ――ああ、また、また。
 
「――大好きな叔父さん、さようなら」
 
 朝が、始まる――。
 
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