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第221話 水子(後編)
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本当はネットカフェにでも逃げ込みたいところだったけど、お金がなかった。
もちろん、泊めてくれる友人や恋人もいやしない。
とにかく、横になりたかった。
下腹部からの出血が止まらず、下着は真っ赤。
座席を汚すので、地下鉄やバスにも乗れなかった。
仕方なく、歩いて実家に帰ることにした。
あたしの実家は工場の立ち並ぶ下町の外れにあるボロボロの一軒家だ。
もとは長屋だったのが、他の住人たちが死ぬか出ていくかして、今はうちの一家しか残っていない。
一家といってもあたしと血のつながりのあるのは母だけで、男のほうはたびたび変わる。
母はそうやってとっかえひっかえ男をボロ家に連れ込んでは、なけなしの生活費を稼いでいるというわけだ。
きょうもそうだった。
建付けの悪い引き戸をこじ開けると、手前の一間で下着姿の母が後ろから全裸の男に抱きすくめられていた。
「サエじゃないの」
バックから責められながら私を見て母が言った。
「珍しいじゃん、半年ぶり?」
気持ちいいのか、上機嫌である。
「娘がいたのか?」
行為を中断して男が訊いた。
「そんな話、聞いてねえぞ」
「なかなかべっぴんでしょ。私に似て」
素早く体勢を変えると今度は男の前に跪き、目の前にそそり立つ醜悪なアレをしゃぶり始める母。
「ウウッ」
眉間に縦皺を寄せ、男が母の髪の毛をつかんで乱暴に毛むくじゃらの股間に押し付けた。
「一晩泊めて」
あたしはそれだけ言い残すと、以前使っていた左手奥の四畳半に引っ込んだ。
押し入れからかび臭い煎餅布団を引っ張り出し、日焼けした畳の上に敷く。
崩れるように倒れ込むと、海で溺れた時みたいにどっと暗闇がやってきて、いつのまにかあたしは気絶していた。
どれほどそうして眠っていたのだろう。
目を覚ますと、あたりは真っ暗闇だった。
耳を澄ましてみたけれど、母と男が起きている気配はない。
あたしは半身を起こし、周囲を見回した。
空腹と喉の渇きを覚えたからだ。
台所まで行って、何か口に入れるものを探したい。
できればそのあとシャワーも使いたいところだが、寝ているふたりを起こさずそれができるだろうか。
とにかく、なんとか身体を動かせるまで、体力は回復したようだ。
布団から出ようとした時、ふいに襖の向こうでガサリという音がした。
ひやりとした。
嫌な思い出が蘇る。
母が引き込んだ男たちの中には、たまにあたしにまで手を出す下衆野郎がいた。
深夜、母が眠ったのを見計らい、あたしの部屋に夜這いをかけてくるのだ。
今度もそれ?
昼間見た、角刈りのいかつい男のイチモツを思い出す。
赤ん坊を堕ろしたばかりのこの身体で、あれの相手をする気にはなれなかった。
下手をすれば、また出血して、それこそ出血多量で死んでしまう。
逃げよう。
けど、そのためには、襖を開けて、男の横をすり抜け、玄関まで突っ切る必要がある。
やるしかなかった。
まずは男を油断させ、隙を見つけて脱出する。
それしかない。
隣は母が使っている八畳の和室である。
男もたぶん、そこにいるに違いない。
壁に貼りつき、襖をそうっと開けていく。
とたんに、変な匂いが鼻をついた。
つい最近嗅いだばかりのような、鉄錆に似たこれって…?
と。
雲が途切れたのか、カーテンの隙間から月光が差し込んできた。
暗かった部屋の中が、ぼんやりと明るくなる。
そのミルク色の微光の中に浮かび上がった光景をひと目見るなり、身も凍る恐怖で喉がひっと鳴った。
敷かれた布団の上。
全裸の男女が血まみれになって死んでいる。
ふたりとも腹を割かれ、内臓を詰め込んだ鳥籠のような肋骨が剥き出しだ。
クチャクチャクチャ…。
咀嚼音が響き、惨殺死体の向こうから、ほの白い何かが鎌首をもたげ、あたしを見た。
手足のない、半透明の芋虫状の身体の上で揺れているのは、あの赤ん坊の顔だ。
ふぎゃあっ。
ぎっしりと尖った歯の並んだ丸い口を開け、母鳥を見つけた雛のように、あたしの産んだ子がひと声鳴いた。
もちろん、泊めてくれる友人や恋人もいやしない。
とにかく、横になりたかった。
下腹部からの出血が止まらず、下着は真っ赤。
座席を汚すので、地下鉄やバスにも乗れなかった。
仕方なく、歩いて実家に帰ることにした。
あたしの実家は工場の立ち並ぶ下町の外れにあるボロボロの一軒家だ。
もとは長屋だったのが、他の住人たちが死ぬか出ていくかして、今はうちの一家しか残っていない。
一家といってもあたしと血のつながりのあるのは母だけで、男のほうはたびたび変わる。
母はそうやってとっかえひっかえ男をボロ家に連れ込んでは、なけなしの生活費を稼いでいるというわけだ。
きょうもそうだった。
建付けの悪い引き戸をこじ開けると、手前の一間で下着姿の母が後ろから全裸の男に抱きすくめられていた。
「サエじゃないの」
バックから責められながら私を見て母が言った。
「珍しいじゃん、半年ぶり?」
気持ちいいのか、上機嫌である。
「娘がいたのか?」
行為を中断して男が訊いた。
「そんな話、聞いてねえぞ」
「なかなかべっぴんでしょ。私に似て」
素早く体勢を変えると今度は男の前に跪き、目の前にそそり立つ醜悪なアレをしゃぶり始める母。
「ウウッ」
眉間に縦皺を寄せ、男が母の髪の毛をつかんで乱暴に毛むくじゃらの股間に押し付けた。
「一晩泊めて」
あたしはそれだけ言い残すと、以前使っていた左手奥の四畳半に引っ込んだ。
押し入れからかび臭い煎餅布団を引っ張り出し、日焼けした畳の上に敷く。
崩れるように倒れ込むと、海で溺れた時みたいにどっと暗闇がやってきて、いつのまにかあたしは気絶していた。
どれほどそうして眠っていたのだろう。
目を覚ますと、あたりは真っ暗闇だった。
耳を澄ましてみたけれど、母と男が起きている気配はない。
あたしは半身を起こし、周囲を見回した。
空腹と喉の渇きを覚えたからだ。
台所まで行って、何か口に入れるものを探したい。
できればそのあとシャワーも使いたいところだが、寝ているふたりを起こさずそれができるだろうか。
とにかく、なんとか身体を動かせるまで、体力は回復したようだ。
布団から出ようとした時、ふいに襖の向こうでガサリという音がした。
ひやりとした。
嫌な思い出が蘇る。
母が引き込んだ男たちの中には、たまにあたしにまで手を出す下衆野郎がいた。
深夜、母が眠ったのを見計らい、あたしの部屋に夜這いをかけてくるのだ。
今度もそれ?
昼間見た、角刈りのいかつい男のイチモツを思い出す。
赤ん坊を堕ろしたばかりのこの身体で、あれの相手をする気にはなれなかった。
下手をすれば、また出血して、それこそ出血多量で死んでしまう。
逃げよう。
けど、そのためには、襖を開けて、男の横をすり抜け、玄関まで突っ切る必要がある。
やるしかなかった。
まずは男を油断させ、隙を見つけて脱出する。
それしかない。
隣は母が使っている八畳の和室である。
男もたぶん、そこにいるに違いない。
壁に貼りつき、襖をそうっと開けていく。
とたんに、変な匂いが鼻をついた。
つい最近嗅いだばかりのような、鉄錆に似たこれって…?
と。
雲が途切れたのか、カーテンの隙間から月光が差し込んできた。
暗かった部屋の中が、ぼんやりと明るくなる。
そのミルク色の微光の中に浮かび上がった光景をひと目見るなり、身も凍る恐怖で喉がひっと鳴った。
敷かれた布団の上。
全裸の男女が血まみれになって死んでいる。
ふたりとも腹を割かれ、内臓を詰め込んだ鳥籠のような肋骨が剥き出しだ。
クチャクチャクチャ…。
咀嚼音が響き、惨殺死体の向こうから、ほの白い何かが鎌首をもたげ、あたしを見た。
手足のない、半透明の芋虫状の身体の上で揺れているのは、あの赤ん坊の顔だ。
ふぎゃあっ。
ぎっしりと尖った歯の並んだ丸い口を開け、母鳥を見つけた雛のように、あたしの産んだ子がひと声鳴いた。
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