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【2‐3】天秤
変われる勇気
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ファンタジーにしては現実的で、しかしその一方でどこか現実離れもしている。
魔法が存在する時点で異世界なのだろうが、回復の治癒魔法は存在しないに等しい。
あるにはあるが、現代には擦り傷や切り傷と言った簡単なものを治療する程度。生命の倫理に大きく背く魔法はそれだけのハイリスクがあり、犠牲魔法と言ってもいい。
現場で医者が活躍するファンタジーがどこにあろうか?
該当の一人、竜次は道具の買い足しを試みていた。
荷物を増やすということは、素早い行動が取りづらくなる。それを仲間のキッドが指摘した。
「先生、そんなに買ったらまたカバンが重くなりますよ?」
竜次が持っているカゴの中に液体が多い。塗り薬、精製水も入っていた。細々と買い足しては、古いものや封を切っているものは廃棄してしまう。常に買い物をしているイメージだが、生傷が絶えない旅なのだから消費サイクルは早い。
「しばらく買い出しをしていませんでしたからね。フィラノスは品揃えがいいので、これは買っておいて損はないです」
あれ程注意していた、無駄遣いではないと竜次は主張した。籠の中に包帯やガーゼの買い足しも見られた。彼のカバンはいつも重いが、その中身は実用品しか入っていない。
すでに会計を終え、店の外で賑やかにしている者もいた。
サキに買い物を終えていたのはサキだ。ジェフリーとやり取りをしている。
「ジェフリーさん。これ、使っちゃった分も含めて少し多めに入っています」
サキは買ったものの中から、『お徳セット』とシールが貼ってある巾着袋を渡す。袋の中には、魔石がたくさん入っている。
ジェフリーは首を傾げた。
「俺、魔法使いじゃないからこんなに持っててもしょうがないんだけどな」
何でもないやり取りだ。ジェフリーは剣を使う。魔法学校に通っていたこともあったが、事実上は中退となるのだろうか。魔導士狩りで剣士に転身した。基礎は身についているが、魔法は得意ではない。
それでもサキはジェフリーを認めていた。人並み以上であることは間違いない。
「素質があるんですから。いざってときは頼りにしますよ? 昨日みたいに……」
サキは買ったものを分配してカバンにしまおうとする。カバンの中に昨日の晩に地下で拾った数枚の紙と床に散らばっていた怪しい薬がある。まだ出していなかったのを思い出した。これを渡す人は、サキの中で決まっている。
「あ、ローズさん、ちょっといいですか?」
ローズは手に持っていたタブレット端末を胸ポケットにしまって向き直った。
「ほい?」
「ローズさんなら見てわかるかもしれないと思って。あの、これ」
黄ばんだ紙と使い古しの巾着袋を渡した。
巾着袋の中身の錠剤やカプセルを見て、ローズが顔をしかめる。何事かとジェフリーも覗き込んだが、彼は把握していた。
「あの研究所の床に散らばってた怪しい薬か。よく拾おうと思ったな。生きてるんだか死んでるんだかわからない生きモノがいたってのに……」
「僕もあそこから出るのを優先したので、拾おうとは思いませんでした。けど、あんな場所にこんなのが落ちてるなんておかしいじゃないですか」
ローズがやり取りを聞きながら渡された紙に目を通したが、よくないものなのはすぐにわかった。彼女のルージュを引いた唇が噛み締められた。
圭馬がカバンからローズを見上げる。
「ローズちゃん、学者さんの顔をしているねぇ」
ローズは真剣な眼差しで一通り目を通し終えると、深くため息をついた。
「コレ、人間を少しずつ壊す薬だと思います。カプセルは精神、錠剤は体。その壊す式と作用の比率が実験のレポートとして書かれてあります」
ふざけた語尾がない。ローズがそれだけ真剣になっているとわかる。
さすがに笑えないとジェフリーとサキは顔を見合わせる。
「そんなにまずい物だったのか、これ……」
「残念ながら何の助けにもならなさそうですね。でも、それでよかったのかもしれません。ローズさんから適当に処分してもらえると助かります」
サキはこの適切な処理を知らない。拾って持ち帰った薬は劇薬と言ってもいい。そんなものをそこらのごみ箱に適当に捨てるわけにはいかないだろう。
ローズは紙を観察している。触って指に異常はない。
「しかし妙デス。字は新しいのに、紙が変質しすぎているというか……ネ?」
ローズは紙の端を擦ったり、引っかいたりしている。紙が破れることもなく、形を留めている。あまりにも真剣に観察するものだから、ローズは周りが見えなくなっていた。
そのローズの背後から、買い物を終えた竜次が顔を覗かせる。
「その様子だと、薬品にでも浸かったんじゃないですか?」
竜次たちが店から出て来た。買い物を終えた女性陣三人も一緒だ。仲間が揃った。
皆が揃ったのを確認し、ローズは我に返った。
「フーム、それはあり得ますネ」
ローズは難しい表情を解いた。劣化しているのではない点を不審には思う。
サキはこれを拾ったときの状況を思い出した。
「薬品……」
心当たりがないか思い起こしてみるが、液体に浸かった標本のようなものが並ぶ棚を思い出し気分を悪くした。前屈みになり、胸を押さえた。
ジェフリーはサキの背中をさすった。彼も何を見たのか知っている。
「気持ちはわかるが、胃に突っ込んだから、堪えろ」
ジェフリーが代わりに何を見たのかを説明した。思えばこのことはまだきちんと話していない。
「生き物が液体に浸かったガラスのケースがあった。サキはそこにいたんだ。気が狂いそうになっていたが、その気持ちは俺にもわかる。見て気分のいいものじゃなかった」
一応医者の竜次は、聞いて気分が悪くなったようだ。嫌悪感を露にする。
「あぁ、私が嫌いなものですね。二人がいなくなってから皆さんで何となくの話はしていたのですけれど、やはりあの場所は地下に種の研究所があったのですね?」
竜次もサキを落ち着かせようと顔を覗いた。
「深く考えちゃいけません。あなたは今を生きているのですから……ね?」
サキは怯えながら深く頷いた。気落ちしそうだったが、何とか持ち堪えてくれたようだ。
どちらにしろ、もうフィラノスの地下は立ち入りを制限している。調査するのなら、相応の者が派遣されるか、ギルドで依頼がかかるだろう。
コーディが違う視点の意見を言う。
「ローズ、私も種の研究所に監禁されていたから予想なんだけど、フィラノスが『壊す』なら、フィリップスの地下にあったのは『創る』なのかもしれないよ」
コーディの言葉にローズが反応する。
「フムム、だからフィリップスの研究所には邪神龍の繭があった、と……」
話し込んでしまったが、『種の研究所』の意図が見えて来たかもしれない。
コーディは小難しい表情をしている。この表情がどうも見た目と一致していなくてギャップを感じる。
「フィリップスの研究所も『壊す』ところだったら、私はここにいないかもしれないね」
ローズは薬の入った巾着と紙を白衣のポケットにしまい込んだ。あまり外で広げていいものではないだろう。
「いずれ、フィリップスの研究所はもう一度行かなくてはいけませんデス。『壊す』を撒いた可能性がありマス……」
ローズは自分なりの考えと可能性を述べ、この場での話は区切った。
買い物を終えて戻ろうという流れだが、ミティアが手を組んで何か言いたそうにしている。タイミングを見計らっているのか、それともお得意のおとぼけが飛び出すのかと思ったが、本当に真剣な話らしい。
キッドはそれを悟ったようだ。声をかけて背中を押すような発言をする。
「どうしたの? ミティアには関係ない話だと思ったけど?」
「んー、そうかもしれないけど……」
キッドが気を利かせ、ミティアを後押しする。ミティアはもじもじとしていて落ち着きがない。
「何て言ったらいいのかわからないけど、あのメルシィって子、もしかしたらサキもわたしたちも何をしていたのか、細かく話してくれたんじゃない? だから、魔法学校から認められたのかなって」
あまりいい話ではなかった。蒸し返すようになり、険悪な空気になる。
「さっきのおじいさんって校長先生なのかな? 秘密を暴く形になったのに、何で感謝されたんだろうって」
ミティアは、言ってから悪い考えかと、眉を下げて情けない顔をしている。
コーディは何か気がついたらしい。
「あっ……」
吐いてしまったのだから、言わないといけないと思いつつも、皆の顔色をうかがっている。
ジェフリーは呆れながら、言うように催促をした。
「何かあるなら、言っちまえ」
コーディは特にサキの顔色をうかがいつつ、観念して言う。
「憶測でものを言うのはどうかと思ったんだけど、魔法学校も地下研究所を知っていて国からかなりの圧力でもかかっていたなら、あの感謝状の意味ってそうなのかなって思っただけ。むしろ、開放してくれてありがとう、みたいな」
言ってからコーディはトランクをぶんぶんと振って慌てている。
「ご、ごめん。変な自覚はあるから忘れて!」
変ではない。憶測とはいえ、その線はかなり有力だ。今までずっとそうだったなら、これから魔法学校はそんなものに怯えないで済む。なぜなら、悪事の一部が暴かれ、明るみになったことで魔法学校は一つの膿を出したのかもしれない。
微妙な空気になってしまった。サキが気を落としている。
「もしそうだったら、僕はメルに悪いことをしたかもしれない……」
正直そこまでの意味を考えていなかった。再び暗くなってしまいそうなサキを、竜次がフォローする。
「今度会ったら、ちゃんと話してあげなさい。それでいいじゃないですか」
それでもサキは落ち込んだままだった。
それを見たミティアまで落ち込んでしまった。
「や、やっぱりわたし、余計なことを言っちゃったかな……」
確かにミティアがこの流れを作った。だが、気づかされたものもあった。ときどき彼女は冴えたことを言うのだが、もう少しはっきりと自信を持って発言しないと、説得力がない。
何かが足りないのが、今のミティアであり、それも魅力なのかもしれないが。
宿の大部屋に戻るなり、皆して荷物をまとめはじめた。かなり急な行動だ。ゆっくりとフィラノスで過ごすことも可能なはずなのに予定が変わった。
なぜなら、竜次とコーディがギルドで入手した情報に『天然温泉』があると報告したからだ。
少し暗い影を落としていたサキも天然温泉に入った経験がないらしく、修学旅行でも行くかのようにはしゃいでいる。厳密には、ノックスで人の手が加わった、調整された温泉なら入った。あれで気持ちよかったのだ。天然など機運が高まる。
情報に一番乗り気だったのは竜次だ。
「やりながらでかまわないので、これからの予定を手短にまとめますよー!」
カバンの中身を一度全部取り出し、整理をしている竜次が皆に呼びかける。これでは本当に引率の先生みたいだ。
「まず、レストの街を今日これからと明日の拠点にします。明後日のお昼にはフィラノスに戻る予定です。皆さんいいですね?」
まず、日程を強調した。明後日はフィラノスに戻る。これが意味するのは、そこまでに試験を受けるかを考える猶予がある。
始めに日程を聞くことで、サキは意識が高まった。
温泉だけが目的ではない。竜次は主な目的を打ち出した。
「残りの材料、オリハルコンはミグミ火山で採取。これには半日、行って帰って来る時間を考えています。幸いにも、さっき地図が買えましたので、そう手こずることはないでしょう。問題は火山という点です」
ミティアの腕輪を再び作る。その計画は一行の中では優先度が高い。その材料の一つが火山にあるという情報は掴んでいる。この世界に火山は限られている。だた、今も入山することができる火山はレストの街の近く、ミグミ火山だ。
火山を歩くなど、当然ながら誰も経験がない。手探りだが、頻発する地震にさえ気をつければ助け合って何とかなると誰もが考えていた。
だが、自然の話となってはキッドが黙っていない。
「歩くの暑いと思うけど、厚手のマントとかコートを羽織っていた方がいいかもしれないわ。できればフードつきの。前に、悪天候でひどい目に遭ってるし……」
以前、自然を甘く見るな、などの苦言を申したキッドだ。加えて彼女もあの山道を抜けた経験がある。人一倍警戒していた。
買い物の話でコーディが首を傾げる。
「マントとかは行きがけにフィラノスで買った方がいいかな。レストの街ってあんまり賑わってなかったような気がするし。さっき買ってもよかったけど、あの時点では行くと決まってなかったからね」
コーディがトランクのロックをかけ、身支度を完了させた。どうせ彼女のトランクの中は整頓されていない。
皆が身支度を整えたところで、なぜかジェフリーが包囲される。まるで悪者だ。
「な、何だよ?」
特に視線が厳しいのは、昨日大図書館に向かった者だ。実はジェフリーはその話をまだ知らない。
竜次がずいずいとジェフリーに迫った。
「で、ジェフにもちゃんと言っておきませんとね」
突然の囲みにジェフリーが困惑する。なぜかというと、心当たりがないから。
何かやらかしたのだろうか? それにしては皆、どこか呆れているようにも諦めているようにも見える。
ミティアだけは、申し訳なさそうにもじもじとしながら上目遣いをしている。内容を知っているようだ。
サキが思い出したように話を切り出した。やはりどこか腑に落ちないようだが、納得しようとはしている。
「大図書館で得た情報の中に天空の民がどうやって延命しているのか、こと細かに記したものがありましたね……」
コーディもため息混じりに、いよいよあの話をするのかと恨めしい顔をしている。
「命懸けで大図書館に挑んだのに、これとはねー……」
大図書館で調べた情報を知らないのはジェフリーだけだ。大図書館から持ち帰った情報は共有されていた。
コーディの横では、キッドが蔑む視線を浴びせてていた。
何もしていないのに、この悪者にされる包囲網。慣れたが、今回は少し殺気も感じ、温厚ではない。ジェフリーは気分が悪かった。
「な、何かしたか、俺……?」
一同は、なぜか呆れているようにも見える。竜次が決め台詞を言うようにビシッと人差し指を立てた。
「仕方がないとはいえ、私も解せませんが心得てください」
解せませんと言いつつ、その意見はサキも同じのようだ。サキの表情も渋い。
「お幸せに……」
サキに冷めた眼差しがキッドよりも強烈に思える。漫画のように言うと、ジト目だ。しかも感情なく、棒読みのようだ。
友だちと信じていたサキにまでこの対応をされるのは心外だ。ジェフリーは噛みつくように言う。誰か説明してほしい。
「だから、何なんだよ!?」
さすがに苛立ちが隠せない。理由がわからないので、いつもの包囲網より悪質だ。
ローズがヒントを提示した。
「ジェフ君、ミティアちゃんのママンに言われていませんデス?」
「博士まで、なぞなぞを出すようになったのか?」
本当に何が言いたいのかわからない。ジェフリーのそんな態度に、サキがようやく説明を施した。
「天空の民はこの世界ではかなり特殊な人種です。天空都市には獣人と女性しかいないと、ここまでは覚えていますね?」
「それがどうした? ミティアと何の関係がある?」
「鈍いのもいい加減にしてもらえますか?」
「はぁ?」
あのサキに突然悪態をつかれ、ジェフリーが気の抜けた声を発している。
「アホくさ。先に行くわよ。温泉温泉っと……」
「売店にコートかマントないかなー?」
キッドとコーディが先に出て行った。
「えっちな行為をするなら、ボクが超絶テクニックを教えて……わーん、お兄ちゃん先生ぇ!!」
お得意の下ネタを言い出した圭馬を、竜次が摘まみ上げて一緒に出て行った。圭馬はじたばたともがいているが、もしかしたらこのエロウサギが一番わかりやすかったかもしれない。
この場に残ったのは、ジェフリー、サキ、ローズ、ミティアだ。
混乱の中でヒントをくれるのはいつもローズだ。
「天空の民は人一倍『感情』に対して敏感なようデス。ときめいたり、幸せを感じたり。詳細なデータを残した変態がいたみたいデスケド」
「まさかそれって……」
ローズが差し出したメモ書きに身体的な特徴が書かれてあった。基本的には質素な生活をしているため、味覚音痴。刺激的なものが好き。天空都市には男性が存在しないため、少し優しくした程度でもときめいてしまう夢見がちな気質。
極めつけは著者。ケーシス・レイヴィノ・セーノルズとあって脱力した。こんな情報でも、一生懸命メモしてくれたのかと思うと、申し訳ない気持ちだ。
感情に対して敏感という点から、禁忌の魔法の発動条件である『絶望』というキーワードがここでつながった。今さら知っても、もう遅いが。
サキも自分でメモとして残していたようだ。ローズの続きになるが、調べたものを述べる。
「天空都市とそこに暮らしていた人の素性は聞き取りですが、埋もれていた情報としてありました。質素な生活だったので、そんなに長生きではないです。ですがそれは、天空都市で『普通に暮らしていれば』の話です。寿命は地上の人間よりは長め。天空の民は特殊なので。それでも、ときめきとか幸せとか多く感じられたら、人間だって長生きしますよね?」
ふざけているのかと思ったが、サキは真剣だった。
「ミティアさんは器とされ、負荷をかけられています。かけられてしまった負荷によって、魔力は増大し、人並み以上の力をお持ちでした。禁忌の魔法を使えるようになるほどです。体はそれで適合してしまった。ですが、もうミティアさんはその力を持っていない。腕輪を再び作ろうとしているのだって、ミティアさんが必要以上に魔力を消費して体に負担をかけないようにし、衰退のスピードを遅くする作用のためです。魂さえ戻れば、ざっと計算すると普通の人間くらいの寿命は望めると思います」
サキは長々とした説明を終えて一息ついた。
ミティアが茶色い巾着袋をポーチから取り出した。
「これ、クディフさんが採って来てくれたの。サキから聞いたって言ってました」
黄金のバネ草、コガネスプリングの花粉だ。
「もう少しでミティアちゃんが普通の女の子になれるデス。腕輪ができれば、これ以上寿命が縮まることはないかと思われますネ」
ローズも両手を組んで背伸びをしながら部屋を出て行った。彼女も陰ながら支えてくれている大切な仲間だ。
ローズが行ったのを確認して気まずくなった。
ミティアがジェフリーの腕を掴む。
サキにとっては見せつけられている気分だ。それを見て含みのある笑みを浮かべる。
「ジェフリーさんは大切な仲間です。僕の大切な友だちでもあり親友です。そしてライバルでもあります。忘れていないですよね?」
挑戦状でも叩きつけているのだろうか。サキは高圧的だ。ジェフリーはライバルとして今話すのかと警戒した。
「いつからライバルになったんだ……」
「ぼ、僕の方がミティアさんとの出会いはラブコメ要素たっぷりでした!! 告白したのだって僕が先なのに……」
「そういう意味ならライバルかもな……」
「えへへ……」
サキは一段といい性格になったかもしれない。しかも、ミティアもいるのにライバルと公言している。
忘れ物の確認をして部屋を出た。難なく合流かと思ったが、外では言い合いが発生していた。
ぶつかっているのはキッドと竜次だが、その理由が至極くだらない。
「どうしてコーディちゃんに子どもサイズなんて買ったんですか!」
「だって、女性Sサイズでも長いでしょう? 可哀そうじゃないですか、歩けなくなってしまいます」
「こういうときは子ども扱いするんですか!? コーディちゃんは立派なレディですよ」
あまりにくだらない言い合いだ。渦中のコーディですら唖然としている。
先ほど話したフードのついたコートを買った。人数分。だが、問題は買ったサイズ。
コーディ本人はどっちでもいいらしい。まだ、パッケージを開いていないが、大きかったら切るか飛ぶかで調整は利くだろう。
皆で些細なぶつかり合いを仲裁して、フィラノスの外に出た。本当にこの二人は仲がいいのか悪いのかわからない。
キッドはジェフリーともぶつかるのだから、竜次とぶつかってもおかしくはない。だが、ここまでくだらない言い合いをしているのは珍しい。
竜次とキッドの関係には進展がない。現状維持といったところだ。
一行はフィラノスからレストへ向かう。平原を南下すればいいだけ。途中に川がある。
日は傾き、夕暮れだ。街の外は危険を覚悟していたが、さっそくだった。先頭を歩く竜次は、すっかり引率の先生だ。だが、ギルドで請けた依頼も忘れていない。
ざっくりとした説明はしてあった。
「さーて、ちょっと予定と違いますが、頑張っちゃいますよ」
外の世界となると、途端に剣術の腕が光る。竜次が柄に手をかけた。『予定とは違う』と言ったが、具体的な内容を知るコーディが不満の声を上げる。
「お兄ちゃん先生、依頼ってワニの大群じゃないっけ?」
「小手調べってところでしょうか。ワニよりも厄介な気がしますけどね」
ライオンの群れだ。いつからフィラノス近辺は、サバンナになったのだろうか。夕暮れで助かったかもしれない。夜だったら厄介な動物だ。
コーディと竜次の会話を聞いて、ジェフリーが前に出ようとする。
「金稼ぎなら、俺も参加したい」
ジェフリーの横を疾風が駆け抜けた。正体を確かめる前に、一匹の頭に矢が突き刺さっている。一行の中で矢を使うのはキッドしかいない。
「はっ? キッドお前……」
「動いたらあんたをぶち抜くわよ」
「俺を盾にするな!」
ジェフリーを盾にしている件に触れず、キッドはしゃがんで低く弓を構えた。獲物を射止める態勢だ。
内輪もめをしている二人の背後から青白い光の矢が放たれた。放たれた矢がライオンの群れを抜ける。サキの魔法だ。
「フロステッド・アロー!」
放たれたのは二本。矢が青白く光る尾を引く。やけに綺麗だが、通ったところが冷気を帯びる。広範囲に凍りつき、ライオンを含めて凍りつき、軋む音を立てる。荒れかけの草原を抜け、川の一部にまで差しかかっていた。
見事な氷づけに、皆が武器を構えようにも、サキが総取りしてしまった。
キッドが構えを解いて呆れている。
「あ、あのさぁ……?」
武力行使のジェフリーも竜次もいいところがない。
サキは片手にフェアリーライトを持って笑っていた。
「僕は早く天然温泉に入りたいだけです!!」
手柄の取り合いみたいになって笑うに笑えない。だが、早く温泉に入りたいには揃って同意する。
ローズが川沿いに何か影が見えると指摘した。
「おっ、あれはコーディが言っていた本番じゃないですかネ?」
ローズは特に前線に立つ様子はない。アドバイスが主な戦力なのだから立ち位置はそうかもしれない。
ローズの横ではミティアがおろおろとしている。彼女は人数分のコートが入ったカバンを、地面に置いて援護しようか迷っていた。
「わ、わたしも頑張った方がいいかな?」
ミティアは自分の足元に何かいるとに気がつき、悲鳴を上げた。
「きゃあぁっ!!」
ミティアの悲鳴に一段と俊敏な反応を見せるのがジェフリーだ。俊足で駆けつけ、足元を確認すると、まだ子どもだが蛇がうろついていたので首を掴んだ。だらしなく口が開かれるが牙も小さい。
「毒はない奴か」
小ぶりな上、襲ってきたところで大した害はないが、ミティアを襲ったのは少々困った。いつまでも掴んでいても仕方ないので、川の方に向かって投げる。
ザバンッ!!
川の水が大きく跳ねた。辺りに緊張が走る。
川から大きなワニが上がって来た。大きな口には先ほど投げた蛇の尻尾が見える。竜次が再び構えた。
「前に見たものよりずっと大きいですね。いったい何人食べたのやら……」
その背後のサキが凍りついた道の果てを指さす。
「ま、前にもいます!」
やはり川から大きな影が上がって来た。
キッドが大声で気迫をかける。
「さっさと片付けて温泉よ、温泉っ!!」
仲間の士気が上昇した。温泉という単語に過剰な反応を示す一同。今の原動力だ。
レストの街に到着した。夜になったばかりだった。深夜にいたることもなく、手こずることもなかった。それだけ個々の自力と一同のチームワークが上昇している証だ。
この街は簡略な柵に囲まれている。だが荒らされた様子はない。この環境を整理すると、火山を含めた外が充実しているせいで街に襲撃はないようだ。
以前より街中に明かりが多い気がする。
コーディは街を見渡している。
「私、この街は通りかかっただけでちゃんと来たことないんだよね」
とある看板を見て、ミティアが驚きの声を上げる。
「本当だぁ、温泉出ました! って書いてありますよ、先生!」
ミティアが話を振った先生は落ち込んでいた。そう、先生とは竜次を指す。その竜次は全身ずぶ濡れである。
ジェフリーがまず目的を述べた。
「兄貴のためにも早く宿を取ろう。さすがに風邪をひくぞ……」
竜次は前髪から雫が垂れている。草原を進む際、川に落ちたのだ。竜次は自身の状況よりも、カバンの中身が気になっているようだ。
「あとでカバンの中を見ないと。買い足したばかりだったのに、何かやられてなければいいのですが」
竜次を気遣うのはミティアだ。微力と知りながら、ハンカチで顔を拭っては絞っている。責任を感じているようだ。
「うぅっ、先生、ごめんなさい、わたしのせいで……」
この状況になったのは理由がある。思いのほか素早かったワニは、ミティアの持っていたカバンを狙った。竜次が払い除けようとミティアを庇いに入ったが、ジェフリーの方が先だった。
ただそれだけだった。竜次は勢い余って川に落ちた。これこそ見事な空回り。
一同は急いで竜次を引き上げたが、全身ずぶ濡れ。撃退自体は難しくはなかったが、空回りして自分から川に飛び込み、溺れかけたことをずっと引きずっている。
「いえ、まぁ、ミティアさんがずぶ濡れになったら、それこそ、大変でしょう? 誰かが変な属性に目覚めては困ります……」
竜次はあとづけでごもっともみたいな理由を述べるが、空回りが絶好調だ。
レストの街を探索する。以前訪れた際に宿泊した大きな宿へ向かった。だが、温泉の出た場所に移転したらしく、改装工事中だった。この街に大きな変化があるのだろうか。
宿が取れるか心配だったが、食事つきで男女の二部屋連泊がすんなりと取れた。しかもフィラノスなどの大きな都市で宿泊するよりも安価で、何と言っても天然温泉。
チェックインしてまず温泉を堪能しようと意見がまとまった。
荷物を置いて、男女で行動を開始する。
皆が注目し、楽しみにしていた温泉は最近掘り出されたばかりのようだ。近隣でも周知がされていない様子。看板の文字が手書きで書かれているくらいなので、街の住民も本当に驚いたであろう。
ギルドで情報がなかったら、今日も明日もフィラノスを拠点にしていた。問題はこの街は一度、寂れてしまった。それゆえに、活気がなかった状態から品揃えは変わってはいない。道具などの買い物は難しかった。フィラノスで買い物をしておいて正解だった。
宿には貸し出しの洗濯乾燥機もあった。旅をしている者にはいたれり尽くせりである。忙しくないところほどサービスが充実しているのはなぜだろうか。
今日は天気が持ってくれてよかった。空の月に曇がかかって来たのが気になっていたが、何とか露天風呂を堪能できそうだ。
湯煙漂う宿の一角、温泉とヒノキの香りが緊張を解き、疲れを癒す。
異様な盛り上がりを見せたのは女性陣だった。
「きゃあっ、キッドぉぉぉ」
「スキンシップよ、スキンシップ!」
「わーん、キッドの方が大きいのにぃ!」
親友同士でちょっとしたからかいが発生していた。日常的なもの。今回はたまたま露天風呂というだけで。
ミティアとキッドのじゃれ合いを見流し、ローズも声を上げる。
「んわぁぁ、気持ちいいネ! コーディもコッチに来るといいデス」
少し熱めのお湯らしく、湯けむりも多い。浸かるとじんじんと痛くなるくらいに身に染みわたる。
浴槽の外の洗面器では恵子がおとなしく浸かって堪能していた。ウサギも温泉に入って大丈夫なのかという指摘はともかく、彼女も癒されているようだ。
コーディは少し離れていた。手拭いで長い髪を軽く巻いて上げ、やたらと胸を気にしながら湯船に身を投じている。
「……みんな立派過ぎじゃない?」
腕っぷしもいいが、立派な巨乳のキッド、しなやかながらも形の整った美乳のミティア、モデル体型で胸だけではなくスタイルもいいローズ。
反則だと思っていた。コーディだけ年頃の十六歳なのに幼児体系。種族の壁がある以上は仕方ないが、妙に落ち込んでしまう。
体型の話になり、キッドがローズに指摘を入れる。
「ローズさん、どうしてそんなにスタイルがいいの? 何かやってる?」
「何もしていないデス」
「ウエスト細いし、足もすらっとして綺麗だし……」
キッドがローズのスタイルのよさを注目した。こういう人が決まって言うのが『何もしていない』である。納得がいかない。
湯けむりの向こうで男性三人が縮こまっていた。手書きの看板で予想はしていたが、簡単な木の板で仕切られているだけの露天風呂だ。
あまりいい環境ではない。だが、露天風呂も入りたい。
簡単な木の板で仕切られている。つまり、女性陣のはしゃいでいる声が聞こえている。
長髪を手拭いで上げた竜次が小声で言う。
「何でしょうか、この背徳感……」
存在を知られると誤解を招きそうだ。ジェフリーは竜次を黙らせようと威圧した。
「とりあえず兄貴は黙ってろ」
波風を立てず、おとなしくしているべきだ。姿が見えるわけではないが、薄い板一枚では騒ぐだろう。だが、黙っていられない者もいた。
「えぇっ、覗きって男のロマンじゃないの!? しないの!?」
圭馬が余計なことを言うので、竜次が触発された。
「ウサギさんはいつでもどこでもドスケベですね。ウサギって年中発情期らしいじゃないですか」
「異性の体で欲情するのは、人間として、生き物として自然じゃない?」
「確かに人間の三大欲求と言われていますよ? ですが、誰にでもというのはまだまだですね。好きな人のかそうでないかで大きく意味が違って来ますよ?」
「好きじゃない人の裸で欲情するのはオカズじゃなくて?」
圭馬と竜次だけで、どうしようもない話が始まってしまった。
あまりに白熱するので、ジェフリーは注意することもなく呆れてしまった。それよりも、気になっていることがある。浴槽の外の洗面器でショコラが足湯にだけ浸かっている。猫が温泉に入っても大丈夫なのかは疑問だ。
「ばあさんはどうして女湯じゃないんだ? コンプライアンス的にアウトじゃないか?」
「わしは老人なのでセーフではなかろうかのぉん?」
「それだと、コーディがこっちに入ってもいい理屈になるんだが……」
ショコラとの会話を聞いていた竜次と圭馬が、じっとジェフリーを見ている。何だか嫌な予感がするのでサキに助けを求めようとする。だが、サキはぼんやりと空を眺めていた。
圭馬がわざと聞こえる声量で女湯に向かって言い放った。
「ねぇねぇ、ジェフリーお兄ちゃんが、コーディお姉ちゃんと一緒に入りたいって言ってるよーっ!!」
湯けむりの向こうからただならぬ殺気を感じた。ジェフリーは温泉に浸かっているにも限らず、悪寒を感じた。お得意の『逃げ』を試みる。
「さ、サキ、のぼせてるよな? 中のぬる湯でも浸かるか? な?」
「ほあ~……ジェフリーさぁ~ん、おんせんってきもちいいですねぇ~」
完全にのぼせている。ジェフリーはサキを何とかしようと手を引いた。その頃合いで板の向こうから罵声が飛んで来た。
「信じらんないわね!! どこまで気色悪いのかしら」
「ジェフリーお兄ちゃん最低!!」
「このロリコン野郎!!」
キッドとコーディの声だ。以前ならここで言い争ったが、いつしか面倒くさくなってしまった。ジェフリーにもスルースキルがついたのかもしれない。
面倒なのであとでいくらでも苦情を受けよう。ぼんやりと思っていたそのとき、一番聞きたくない声を耳にした。
「そんな! ジェフリーはわたしが嫌いになったのかな……」
ミティアの悲しげな声に、一瞬で静まり返った。顔を見なくても、叱られた子犬のようにしょんぼりしているに違いない。
これにはさすがにジェフリーも声を荒上げる。
「冗談で済むレベルをよく考えてくれ」
ミティアにだけではなく、皆に対してでもある。悪ふざけが過ぎるという注意だった。それでもジェフリーはまるで逃げるように中へ入った。
ぬる湯で火照った体を休ませる。
今までぼうっとしていたサキは苦言を呈した。少し落ち着いたようだ。
「ジェフリーさんがしっかりしないと、ミティアさんが可愛そうじゃないですか」
「まるで都合のいい奴が言うセリフだな」
「何でしたっけ、もっと人間の汚い部分を理解しないと?」
そんな話があった。ミティアは冗談が通じなくて、真に受けるのが多々見受けられる。ある程度の許容範囲でもできれば、もっと笑えるのかもしれないとは思った。
それでも、簡単には改善しない。
「僕は純粋なミティアさんも好きですけどね」
「ずいぶんと意味深な言い方をするんだな」
「ジェフリーさんがヘタレなだけじゃないですか? 僕が一からちゃんと教えてもいいですよ?」
最近のサキは控えめな性格を改善したのだろうか。特にミティアが絡むと、たとえジェフリーであっても容赦はしない。
賢い人間を敵に回すのは避けたい。ジェフリーはどうせのぼせているだろうと適当に流すことにした。
「ちゃんと話せる時間があれば……だな」
「時間、ほしいですか?」
サキの悪巧みをする微笑み。一皮も二皮も剥けて一段といい性格になったとは思ったが、この顔は暗黒微笑とでも言うべきだろうか。ジェフリーは恐怖を感じた。
「どうしたんだ、お前……」
「条件次第で……」
さすがにただ無条件ではないようだ。ただ、今は『親友』として、協力をしようという態度のようだ。
そのサキの狙いとは何だろうか……?
魔法が存在する時点で異世界なのだろうが、回復の治癒魔法は存在しないに等しい。
あるにはあるが、現代には擦り傷や切り傷と言った簡単なものを治療する程度。生命の倫理に大きく背く魔法はそれだけのハイリスクがあり、犠牲魔法と言ってもいい。
現場で医者が活躍するファンタジーがどこにあろうか?
該当の一人、竜次は道具の買い足しを試みていた。
荷物を増やすということは、素早い行動が取りづらくなる。それを仲間のキッドが指摘した。
「先生、そんなに買ったらまたカバンが重くなりますよ?」
竜次が持っているカゴの中に液体が多い。塗り薬、精製水も入っていた。細々と買い足しては、古いものや封を切っているものは廃棄してしまう。常に買い物をしているイメージだが、生傷が絶えない旅なのだから消費サイクルは早い。
「しばらく買い出しをしていませんでしたからね。フィラノスは品揃えがいいので、これは買っておいて損はないです」
あれ程注意していた、無駄遣いではないと竜次は主張した。籠の中に包帯やガーゼの買い足しも見られた。彼のカバンはいつも重いが、その中身は実用品しか入っていない。
すでに会計を終え、店の外で賑やかにしている者もいた。
サキに買い物を終えていたのはサキだ。ジェフリーとやり取りをしている。
「ジェフリーさん。これ、使っちゃった分も含めて少し多めに入っています」
サキは買ったものの中から、『お徳セット』とシールが貼ってある巾着袋を渡す。袋の中には、魔石がたくさん入っている。
ジェフリーは首を傾げた。
「俺、魔法使いじゃないからこんなに持っててもしょうがないんだけどな」
何でもないやり取りだ。ジェフリーは剣を使う。魔法学校に通っていたこともあったが、事実上は中退となるのだろうか。魔導士狩りで剣士に転身した。基礎は身についているが、魔法は得意ではない。
それでもサキはジェフリーを認めていた。人並み以上であることは間違いない。
「素質があるんですから。いざってときは頼りにしますよ? 昨日みたいに……」
サキは買ったものを分配してカバンにしまおうとする。カバンの中に昨日の晩に地下で拾った数枚の紙と床に散らばっていた怪しい薬がある。まだ出していなかったのを思い出した。これを渡す人は、サキの中で決まっている。
「あ、ローズさん、ちょっといいですか?」
ローズは手に持っていたタブレット端末を胸ポケットにしまって向き直った。
「ほい?」
「ローズさんなら見てわかるかもしれないと思って。あの、これ」
黄ばんだ紙と使い古しの巾着袋を渡した。
巾着袋の中身の錠剤やカプセルを見て、ローズが顔をしかめる。何事かとジェフリーも覗き込んだが、彼は把握していた。
「あの研究所の床に散らばってた怪しい薬か。よく拾おうと思ったな。生きてるんだか死んでるんだかわからない生きモノがいたってのに……」
「僕もあそこから出るのを優先したので、拾おうとは思いませんでした。けど、あんな場所にこんなのが落ちてるなんておかしいじゃないですか」
ローズがやり取りを聞きながら渡された紙に目を通したが、よくないものなのはすぐにわかった。彼女のルージュを引いた唇が噛み締められた。
圭馬がカバンからローズを見上げる。
「ローズちゃん、学者さんの顔をしているねぇ」
ローズは真剣な眼差しで一通り目を通し終えると、深くため息をついた。
「コレ、人間を少しずつ壊す薬だと思います。カプセルは精神、錠剤は体。その壊す式と作用の比率が実験のレポートとして書かれてあります」
ふざけた語尾がない。ローズがそれだけ真剣になっているとわかる。
さすがに笑えないとジェフリーとサキは顔を見合わせる。
「そんなにまずい物だったのか、これ……」
「残念ながら何の助けにもならなさそうですね。でも、それでよかったのかもしれません。ローズさんから適当に処分してもらえると助かります」
サキはこの適切な処理を知らない。拾って持ち帰った薬は劇薬と言ってもいい。そんなものをそこらのごみ箱に適当に捨てるわけにはいかないだろう。
ローズは紙を観察している。触って指に異常はない。
「しかし妙デス。字は新しいのに、紙が変質しすぎているというか……ネ?」
ローズは紙の端を擦ったり、引っかいたりしている。紙が破れることもなく、形を留めている。あまりにも真剣に観察するものだから、ローズは周りが見えなくなっていた。
そのローズの背後から、買い物を終えた竜次が顔を覗かせる。
「その様子だと、薬品にでも浸かったんじゃないですか?」
竜次たちが店から出て来た。買い物を終えた女性陣三人も一緒だ。仲間が揃った。
皆が揃ったのを確認し、ローズは我に返った。
「フーム、それはあり得ますネ」
ローズは難しい表情を解いた。劣化しているのではない点を不審には思う。
サキはこれを拾ったときの状況を思い出した。
「薬品……」
心当たりがないか思い起こしてみるが、液体に浸かった標本のようなものが並ぶ棚を思い出し気分を悪くした。前屈みになり、胸を押さえた。
ジェフリーはサキの背中をさすった。彼も何を見たのか知っている。
「気持ちはわかるが、胃に突っ込んだから、堪えろ」
ジェフリーが代わりに何を見たのかを説明した。思えばこのことはまだきちんと話していない。
「生き物が液体に浸かったガラスのケースがあった。サキはそこにいたんだ。気が狂いそうになっていたが、その気持ちは俺にもわかる。見て気分のいいものじゃなかった」
一応医者の竜次は、聞いて気分が悪くなったようだ。嫌悪感を露にする。
「あぁ、私が嫌いなものですね。二人がいなくなってから皆さんで何となくの話はしていたのですけれど、やはりあの場所は地下に種の研究所があったのですね?」
竜次もサキを落ち着かせようと顔を覗いた。
「深く考えちゃいけません。あなたは今を生きているのですから……ね?」
サキは怯えながら深く頷いた。気落ちしそうだったが、何とか持ち堪えてくれたようだ。
どちらにしろ、もうフィラノスの地下は立ち入りを制限している。調査するのなら、相応の者が派遣されるか、ギルドで依頼がかかるだろう。
コーディが違う視点の意見を言う。
「ローズ、私も種の研究所に監禁されていたから予想なんだけど、フィラノスが『壊す』なら、フィリップスの地下にあったのは『創る』なのかもしれないよ」
コーディの言葉にローズが反応する。
「フムム、だからフィリップスの研究所には邪神龍の繭があった、と……」
話し込んでしまったが、『種の研究所』の意図が見えて来たかもしれない。
コーディは小難しい表情をしている。この表情がどうも見た目と一致していなくてギャップを感じる。
「フィリップスの研究所も『壊す』ところだったら、私はここにいないかもしれないね」
ローズは薬の入った巾着と紙を白衣のポケットにしまい込んだ。あまり外で広げていいものではないだろう。
「いずれ、フィリップスの研究所はもう一度行かなくてはいけませんデス。『壊す』を撒いた可能性がありマス……」
ローズは自分なりの考えと可能性を述べ、この場での話は区切った。
買い物を終えて戻ろうという流れだが、ミティアが手を組んで何か言いたそうにしている。タイミングを見計らっているのか、それともお得意のおとぼけが飛び出すのかと思ったが、本当に真剣な話らしい。
キッドはそれを悟ったようだ。声をかけて背中を押すような発言をする。
「どうしたの? ミティアには関係ない話だと思ったけど?」
「んー、そうかもしれないけど……」
キッドが気を利かせ、ミティアを後押しする。ミティアはもじもじとしていて落ち着きがない。
「何て言ったらいいのかわからないけど、あのメルシィって子、もしかしたらサキもわたしたちも何をしていたのか、細かく話してくれたんじゃない? だから、魔法学校から認められたのかなって」
あまりいい話ではなかった。蒸し返すようになり、険悪な空気になる。
「さっきのおじいさんって校長先生なのかな? 秘密を暴く形になったのに、何で感謝されたんだろうって」
ミティアは、言ってから悪い考えかと、眉を下げて情けない顔をしている。
コーディは何か気がついたらしい。
「あっ……」
吐いてしまったのだから、言わないといけないと思いつつも、皆の顔色をうかがっている。
ジェフリーは呆れながら、言うように催促をした。
「何かあるなら、言っちまえ」
コーディは特にサキの顔色をうかがいつつ、観念して言う。
「憶測でものを言うのはどうかと思ったんだけど、魔法学校も地下研究所を知っていて国からかなりの圧力でもかかっていたなら、あの感謝状の意味ってそうなのかなって思っただけ。むしろ、開放してくれてありがとう、みたいな」
言ってからコーディはトランクをぶんぶんと振って慌てている。
「ご、ごめん。変な自覚はあるから忘れて!」
変ではない。憶測とはいえ、その線はかなり有力だ。今までずっとそうだったなら、これから魔法学校はそんなものに怯えないで済む。なぜなら、悪事の一部が暴かれ、明るみになったことで魔法学校は一つの膿を出したのかもしれない。
微妙な空気になってしまった。サキが気を落としている。
「もしそうだったら、僕はメルに悪いことをしたかもしれない……」
正直そこまでの意味を考えていなかった。再び暗くなってしまいそうなサキを、竜次がフォローする。
「今度会ったら、ちゃんと話してあげなさい。それでいいじゃないですか」
それでもサキは落ち込んだままだった。
それを見たミティアまで落ち込んでしまった。
「や、やっぱりわたし、余計なことを言っちゃったかな……」
確かにミティアがこの流れを作った。だが、気づかされたものもあった。ときどき彼女は冴えたことを言うのだが、もう少しはっきりと自信を持って発言しないと、説得力がない。
何かが足りないのが、今のミティアであり、それも魅力なのかもしれないが。
宿の大部屋に戻るなり、皆して荷物をまとめはじめた。かなり急な行動だ。ゆっくりとフィラノスで過ごすことも可能なはずなのに予定が変わった。
なぜなら、竜次とコーディがギルドで入手した情報に『天然温泉』があると報告したからだ。
少し暗い影を落としていたサキも天然温泉に入った経験がないらしく、修学旅行でも行くかのようにはしゃいでいる。厳密には、ノックスで人の手が加わった、調整された温泉なら入った。あれで気持ちよかったのだ。天然など機運が高まる。
情報に一番乗り気だったのは竜次だ。
「やりながらでかまわないので、これからの予定を手短にまとめますよー!」
カバンの中身を一度全部取り出し、整理をしている竜次が皆に呼びかける。これでは本当に引率の先生みたいだ。
「まず、レストの街を今日これからと明日の拠点にします。明後日のお昼にはフィラノスに戻る予定です。皆さんいいですね?」
まず、日程を強調した。明後日はフィラノスに戻る。これが意味するのは、そこまでに試験を受けるかを考える猶予がある。
始めに日程を聞くことで、サキは意識が高まった。
温泉だけが目的ではない。竜次は主な目的を打ち出した。
「残りの材料、オリハルコンはミグミ火山で採取。これには半日、行って帰って来る時間を考えています。幸いにも、さっき地図が買えましたので、そう手こずることはないでしょう。問題は火山という点です」
ミティアの腕輪を再び作る。その計画は一行の中では優先度が高い。その材料の一つが火山にあるという情報は掴んでいる。この世界に火山は限られている。だた、今も入山することができる火山はレストの街の近く、ミグミ火山だ。
火山を歩くなど、当然ながら誰も経験がない。手探りだが、頻発する地震にさえ気をつければ助け合って何とかなると誰もが考えていた。
だが、自然の話となってはキッドが黙っていない。
「歩くの暑いと思うけど、厚手のマントとかコートを羽織っていた方がいいかもしれないわ。できればフードつきの。前に、悪天候でひどい目に遭ってるし……」
以前、自然を甘く見るな、などの苦言を申したキッドだ。加えて彼女もあの山道を抜けた経験がある。人一倍警戒していた。
買い物の話でコーディが首を傾げる。
「マントとかは行きがけにフィラノスで買った方がいいかな。レストの街ってあんまり賑わってなかったような気がするし。さっき買ってもよかったけど、あの時点では行くと決まってなかったからね」
コーディがトランクのロックをかけ、身支度を完了させた。どうせ彼女のトランクの中は整頓されていない。
皆が身支度を整えたところで、なぜかジェフリーが包囲される。まるで悪者だ。
「な、何だよ?」
特に視線が厳しいのは、昨日大図書館に向かった者だ。実はジェフリーはその話をまだ知らない。
竜次がずいずいとジェフリーに迫った。
「で、ジェフにもちゃんと言っておきませんとね」
突然の囲みにジェフリーが困惑する。なぜかというと、心当たりがないから。
何かやらかしたのだろうか? それにしては皆、どこか呆れているようにも諦めているようにも見える。
ミティアだけは、申し訳なさそうにもじもじとしながら上目遣いをしている。内容を知っているようだ。
サキが思い出したように話を切り出した。やはりどこか腑に落ちないようだが、納得しようとはしている。
「大図書館で得た情報の中に天空の民がどうやって延命しているのか、こと細かに記したものがありましたね……」
コーディもため息混じりに、いよいよあの話をするのかと恨めしい顔をしている。
「命懸けで大図書館に挑んだのに、これとはねー……」
大図書館で調べた情報を知らないのはジェフリーだけだ。大図書館から持ち帰った情報は共有されていた。
コーディの横では、キッドが蔑む視線を浴びせてていた。
何もしていないのに、この悪者にされる包囲網。慣れたが、今回は少し殺気も感じ、温厚ではない。ジェフリーは気分が悪かった。
「な、何かしたか、俺……?」
一同は、なぜか呆れているようにも見える。竜次が決め台詞を言うようにビシッと人差し指を立てた。
「仕方がないとはいえ、私も解せませんが心得てください」
解せませんと言いつつ、その意見はサキも同じのようだ。サキの表情も渋い。
「お幸せに……」
サキに冷めた眼差しがキッドよりも強烈に思える。漫画のように言うと、ジト目だ。しかも感情なく、棒読みのようだ。
友だちと信じていたサキにまでこの対応をされるのは心外だ。ジェフリーは噛みつくように言う。誰か説明してほしい。
「だから、何なんだよ!?」
さすがに苛立ちが隠せない。理由がわからないので、いつもの包囲網より悪質だ。
ローズがヒントを提示した。
「ジェフ君、ミティアちゃんのママンに言われていませんデス?」
「博士まで、なぞなぞを出すようになったのか?」
本当に何が言いたいのかわからない。ジェフリーのそんな態度に、サキがようやく説明を施した。
「天空の民はこの世界ではかなり特殊な人種です。天空都市には獣人と女性しかいないと、ここまでは覚えていますね?」
「それがどうした? ミティアと何の関係がある?」
「鈍いのもいい加減にしてもらえますか?」
「はぁ?」
あのサキに突然悪態をつかれ、ジェフリーが気の抜けた声を発している。
「アホくさ。先に行くわよ。温泉温泉っと……」
「売店にコートかマントないかなー?」
キッドとコーディが先に出て行った。
「えっちな行為をするなら、ボクが超絶テクニックを教えて……わーん、お兄ちゃん先生ぇ!!」
お得意の下ネタを言い出した圭馬を、竜次が摘まみ上げて一緒に出て行った。圭馬はじたばたともがいているが、もしかしたらこのエロウサギが一番わかりやすかったかもしれない。
この場に残ったのは、ジェフリー、サキ、ローズ、ミティアだ。
混乱の中でヒントをくれるのはいつもローズだ。
「天空の民は人一倍『感情』に対して敏感なようデス。ときめいたり、幸せを感じたり。詳細なデータを残した変態がいたみたいデスケド」
「まさかそれって……」
ローズが差し出したメモ書きに身体的な特徴が書かれてあった。基本的には質素な生活をしているため、味覚音痴。刺激的なものが好き。天空都市には男性が存在しないため、少し優しくした程度でもときめいてしまう夢見がちな気質。
極めつけは著者。ケーシス・レイヴィノ・セーノルズとあって脱力した。こんな情報でも、一生懸命メモしてくれたのかと思うと、申し訳ない気持ちだ。
感情に対して敏感という点から、禁忌の魔法の発動条件である『絶望』というキーワードがここでつながった。今さら知っても、もう遅いが。
サキも自分でメモとして残していたようだ。ローズの続きになるが、調べたものを述べる。
「天空都市とそこに暮らしていた人の素性は聞き取りですが、埋もれていた情報としてありました。質素な生活だったので、そんなに長生きではないです。ですがそれは、天空都市で『普通に暮らしていれば』の話です。寿命は地上の人間よりは長め。天空の民は特殊なので。それでも、ときめきとか幸せとか多く感じられたら、人間だって長生きしますよね?」
ふざけているのかと思ったが、サキは真剣だった。
「ミティアさんは器とされ、負荷をかけられています。かけられてしまった負荷によって、魔力は増大し、人並み以上の力をお持ちでした。禁忌の魔法を使えるようになるほどです。体はそれで適合してしまった。ですが、もうミティアさんはその力を持っていない。腕輪を再び作ろうとしているのだって、ミティアさんが必要以上に魔力を消費して体に負担をかけないようにし、衰退のスピードを遅くする作用のためです。魂さえ戻れば、ざっと計算すると普通の人間くらいの寿命は望めると思います」
サキは長々とした説明を終えて一息ついた。
ミティアが茶色い巾着袋をポーチから取り出した。
「これ、クディフさんが採って来てくれたの。サキから聞いたって言ってました」
黄金のバネ草、コガネスプリングの花粉だ。
「もう少しでミティアちゃんが普通の女の子になれるデス。腕輪ができれば、これ以上寿命が縮まることはないかと思われますネ」
ローズも両手を組んで背伸びをしながら部屋を出て行った。彼女も陰ながら支えてくれている大切な仲間だ。
ローズが行ったのを確認して気まずくなった。
ミティアがジェフリーの腕を掴む。
サキにとっては見せつけられている気分だ。それを見て含みのある笑みを浮かべる。
「ジェフリーさんは大切な仲間です。僕の大切な友だちでもあり親友です。そしてライバルでもあります。忘れていないですよね?」
挑戦状でも叩きつけているのだろうか。サキは高圧的だ。ジェフリーはライバルとして今話すのかと警戒した。
「いつからライバルになったんだ……」
「ぼ、僕の方がミティアさんとの出会いはラブコメ要素たっぷりでした!! 告白したのだって僕が先なのに……」
「そういう意味ならライバルかもな……」
「えへへ……」
サキは一段といい性格になったかもしれない。しかも、ミティアもいるのにライバルと公言している。
忘れ物の確認をして部屋を出た。難なく合流かと思ったが、外では言い合いが発生していた。
ぶつかっているのはキッドと竜次だが、その理由が至極くだらない。
「どうしてコーディちゃんに子どもサイズなんて買ったんですか!」
「だって、女性Sサイズでも長いでしょう? 可哀そうじゃないですか、歩けなくなってしまいます」
「こういうときは子ども扱いするんですか!? コーディちゃんは立派なレディですよ」
あまりにくだらない言い合いだ。渦中のコーディですら唖然としている。
先ほど話したフードのついたコートを買った。人数分。だが、問題は買ったサイズ。
コーディ本人はどっちでもいいらしい。まだ、パッケージを開いていないが、大きかったら切るか飛ぶかで調整は利くだろう。
皆で些細なぶつかり合いを仲裁して、フィラノスの外に出た。本当にこの二人は仲がいいのか悪いのかわからない。
キッドはジェフリーともぶつかるのだから、竜次とぶつかってもおかしくはない。だが、ここまでくだらない言い合いをしているのは珍しい。
竜次とキッドの関係には進展がない。現状維持といったところだ。
一行はフィラノスからレストへ向かう。平原を南下すればいいだけ。途中に川がある。
日は傾き、夕暮れだ。街の外は危険を覚悟していたが、さっそくだった。先頭を歩く竜次は、すっかり引率の先生だ。だが、ギルドで請けた依頼も忘れていない。
ざっくりとした説明はしてあった。
「さーて、ちょっと予定と違いますが、頑張っちゃいますよ」
外の世界となると、途端に剣術の腕が光る。竜次が柄に手をかけた。『予定とは違う』と言ったが、具体的な内容を知るコーディが不満の声を上げる。
「お兄ちゃん先生、依頼ってワニの大群じゃないっけ?」
「小手調べってところでしょうか。ワニよりも厄介な気がしますけどね」
ライオンの群れだ。いつからフィラノス近辺は、サバンナになったのだろうか。夕暮れで助かったかもしれない。夜だったら厄介な動物だ。
コーディと竜次の会話を聞いて、ジェフリーが前に出ようとする。
「金稼ぎなら、俺も参加したい」
ジェフリーの横を疾風が駆け抜けた。正体を確かめる前に、一匹の頭に矢が突き刺さっている。一行の中で矢を使うのはキッドしかいない。
「はっ? キッドお前……」
「動いたらあんたをぶち抜くわよ」
「俺を盾にするな!」
ジェフリーを盾にしている件に触れず、キッドはしゃがんで低く弓を構えた。獲物を射止める態勢だ。
内輪もめをしている二人の背後から青白い光の矢が放たれた。放たれた矢がライオンの群れを抜ける。サキの魔法だ。
「フロステッド・アロー!」
放たれたのは二本。矢が青白く光る尾を引く。やけに綺麗だが、通ったところが冷気を帯びる。広範囲に凍りつき、ライオンを含めて凍りつき、軋む音を立てる。荒れかけの草原を抜け、川の一部にまで差しかかっていた。
見事な氷づけに、皆が武器を構えようにも、サキが総取りしてしまった。
キッドが構えを解いて呆れている。
「あ、あのさぁ……?」
武力行使のジェフリーも竜次もいいところがない。
サキは片手にフェアリーライトを持って笑っていた。
「僕は早く天然温泉に入りたいだけです!!」
手柄の取り合いみたいになって笑うに笑えない。だが、早く温泉に入りたいには揃って同意する。
ローズが川沿いに何か影が見えると指摘した。
「おっ、あれはコーディが言っていた本番じゃないですかネ?」
ローズは特に前線に立つ様子はない。アドバイスが主な戦力なのだから立ち位置はそうかもしれない。
ローズの横ではミティアがおろおろとしている。彼女は人数分のコートが入ったカバンを、地面に置いて援護しようか迷っていた。
「わ、わたしも頑張った方がいいかな?」
ミティアは自分の足元に何かいるとに気がつき、悲鳴を上げた。
「きゃあぁっ!!」
ミティアの悲鳴に一段と俊敏な反応を見せるのがジェフリーだ。俊足で駆けつけ、足元を確認すると、まだ子どもだが蛇がうろついていたので首を掴んだ。だらしなく口が開かれるが牙も小さい。
「毒はない奴か」
小ぶりな上、襲ってきたところで大した害はないが、ミティアを襲ったのは少々困った。いつまでも掴んでいても仕方ないので、川の方に向かって投げる。
ザバンッ!!
川の水が大きく跳ねた。辺りに緊張が走る。
川から大きなワニが上がって来た。大きな口には先ほど投げた蛇の尻尾が見える。竜次が再び構えた。
「前に見たものよりずっと大きいですね。いったい何人食べたのやら……」
その背後のサキが凍りついた道の果てを指さす。
「ま、前にもいます!」
やはり川から大きな影が上がって来た。
キッドが大声で気迫をかける。
「さっさと片付けて温泉よ、温泉っ!!」
仲間の士気が上昇した。温泉という単語に過剰な反応を示す一同。今の原動力だ。
レストの街に到着した。夜になったばかりだった。深夜にいたることもなく、手こずることもなかった。それだけ個々の自力と一同のチームワークが上昇している証だ。
この街は簡略な柵に囲まれている。だが荒らされた様子はない。この環境を整理すると、火山を含めた外が充実しているせいで街に襲撃はないようだ。
以前より街中に明かりが多い気がする。
コーディは街を見渡している。
「私、この街は通りかかっただけでちゃんと来たことないんだよね」
とある看板を見て、ミティアが驚きの声を上げる。
「本当だぁ、温泉出ました! って書いてありますよ、先生!」
ミティアが話を振った先生は落ち込んでいた。そう、先生とは竜次を指す。その竜次は全身ずぶ濡れである。
ジェフリーがまず目的を述べた。
「兄貴のためにも早く宿を取ろう。さすがに風邪をひくぞ……」
竜次は前髪から雫が垂れている。草原を進む際、川に落ちたのだ。竜次は自身の状況よりも、カバンの中身が気になっているようだ。
「あとでカバンの中を見ないと。買い足したばかりだったのに、何かやられてなければいいのですが」
竜次を気遣うのはミティアだ。微力と知りながら、ハンカチで顔を拭っては絞っている。責任を感じているようだ。
「うぅっ、先生、ごめんなさい、わたしのせいで……」
この状況になったのは理由がある。思いのほか素早かったワニは、ミティアの持っていたカバンを狙った。竜次が払い除けようとミティアを庇いに入ったが、ジェフリーの方が先だった。
ただそれだけだった。竜次は勢い余って川に落ちた。これこそ見事な空回り。
一同は急いで竜次を引き上げたが、全身ずぶ濡れ。撃退自体は難しくはなかったが、空回りして自分から川に飛び込み、溺れかけたことをずっと引きずっている。
「いえ、まぁ、ミティアさんがずぶ濡れになったら、それこそ、大変でしょう? 誰かが変な属性に目覚めては困ります……」
竜次はあとづけでごもっともみたいな理由を述べるが、空回りが絶好調だ。
レストの街を探索する。以前訪れた際に宿泊した大きな宿へ向かった。だが、温泉の出た場所に移転したらしく、改装工事中だった。この街に大きな変化があるのだろうか。
宿が取れるか心配だったが、食事つきで男女の二部屋連泊がすんなりと取れた。しかもフィラノスなどの大きな都市で宿泊するよりも安価で、何と言っても天然温泉。
チェックインしてまず温泉を堪能しようと意見がまとまった。
荷物を置いて、男女で行動を開始する。
皆が注目し、楽しみにしていた温泉は最近掘り出されたばかりのようだ。近隣でも周知がされていない様子。看板の文字が手書きで書かれているくらいなので、街の住民も本当に驚いたであろう。
ギルドで情報がなかったら、今日も明日もフィラノスを拠点にしていた。問題はこの街は一度、寂れてしまった。それゆえに、活気がなかった状態から品揃えは変わってはいない。道具などの買い物は難しかった。フィラノスで買い物をしておいて正解だった。
宿には貸し出しの洗濯乾燥機もあった。旅をしている者にはいたれり尽くせりである。忙しくないところほどサービスが充実しているのはなぜだろうか。
今日は天気が持ってくれてよかった。空の月に曇がかかって来たのが気になっていたが、何とか露天風呂を堪能できそうだ。
湯煙漂う宿の一角、温泉とヒノキの香りが緊張を解き、疲れを癒す。
異様な盛り上がりを見せたのは女性陣だった。
「きゃあっ、キッドぉぉぉ」
「スキンシップよ、スキンシップ!」
「わーん、キッドの方が大きいのにぃ!」
親友同士でちょっとしたからかいが発生していた。日常的なもの。今回はたまたま露天風呂というだけで。
ミティアとキッドのじゃれ合いを見流し、ローズも声を上げる。
「んわぁぁ、気持ちいいネ! コーディもコッチに来るといいデス」
少し熱めのお湯らしく、湯けむりも多い。浸かるとじんじんと痛くなるくらいに身に染みわたる。
浴槽の外の洗面器では恵子がおとなしく浸かって堪能していた。ウサギも温泉に入って大丈夫なのかという指摘はともかく、彼女も癒されているようだ。
コーディは少し離れていた。手拭いで長い髪を軽く巻いて上げ、やたらと胸を気にしながら湯船に身を投じている。
「……みんな立派過ぎじゃない?」
腕っぷしもいいが、立派な巨乳のキッド、しなやかながらも形の整った美乳のミティア、モデル体型で胸だけではなくスタイルもいいローズ。
反則だと思っていた。コーディだけ年頃の十六歳なのに幼児体系。種族の壁がある以上は仕方ないが、妙に落ち込んでしまう。
体型の話になり、キッドがローズに指摘を入れる。
「ローズさん、どうしてそんなにスタイルがいいの? 何かやってる?」
「何もしていないデス」
「ウエスト細いし、足もすらっとして綺麗だし……」
キッドがローズのスタイルのよさを注目した。こういう人が決まって言うのが『何もしていない』である。納得がいかない。
湯けむりの向こうで男性三人が縮こまっていた。手書きの看板で予想はしていたが、簡単な木の板で仕切られているだけの露天風呂だ。
あまりいい環境ではない。だが、露天風呂も入りたい。
簡単な木の板で仕切られている。つまり、女性陣のはしゃいでいる声が聞こえている。
長髪を手拭いで上げた竜次が小声で言う。
「何でしょうか、この背徳感……」
存在を知られると誤解を招きそうだ。ジェフリーは竜次を黙らせようと威圧した。
「とりあえず兄貴は黙ってろ」
波風を立てず、おとなしくしているべきだ。姿が見えるわけではないが、薄い板一枚では騒ぐだろう。だが、黙っていられない者もいた。
「えぇっ、覗きって男のロマンじゃないの!? しないの!?」
圭馬が余計なことを言うので、竜次が触発された。
「ウサギさんはいつでもどこでもドスケベですね。ウサギって年中発情期らしいじゃないですか」
「異性の体で欲情するのは、人間として、生き物として自然じゃない?」
「確かに人間の三大欲求と言われていますよ? ですが、誰にでもというのはまだまだですね。好きな人のかそうでないかで大きく意味が違って来ますよ?」
「好きじゃない人の裸で欲情するのはオカズじゃなくて?」
圭馬と竜次だけで、どうしようもない話が始まってしまった。
あまりに白熱するので、ジェフリーは注意することもなく呆れてしまった。それよりも、気になっていることがある。浴槽の外の洗面器でショコラが足湯にだけ浸かっている。猫が温泉に入っても大丈夫なのかは疑問だ。
「ばあさんはどうして女湯じゃないんだ? コンプライアンス的にアウトじゃないか?」
「わしは老人なのでセーフではなかろうかのぉん?」
「それだと、コーディがこっちに入ってもいい理屈になるんだが……」
ショコラとの会話を聞いていた竜次と圭馬が、じっとジェフリーを見ている。何だか嫌な予感がするのでサキに助けを求めようとする。だが、サキはぼんやりと空を眺めていた。
圭馬がわざと聞こえる声量で女湯に向かって言い放った。
「ねぇねぇ、ジェフリーお兄ちゃんが、コーディお姉ちゃんと一緒に入りたいって言ってるよーっ!!」
湯けむりの向こうからただならぬ殺気を感じた。ジェフリーは温泉に浸かっているにも限らず、悪寒を感じた。お得意の『逃げ』を試みる。
「さ、サキ、のぼせてるよな? 中のぬる湯でも浸かるか? な?」
「ほあ~……ジェフリーさぁ~ん、おんせんってきもちいいですねぇ~」
完全にのぼせている。ジェフリーはサキを何とかしようと手を引いた。その頃合いで板の向こうから罵声が飛んで来た。
「信じらんないわね!! どこまで気色悪いのかしら」
「ジェフリーお兄ちゃん最低!!」
「このロリコン野郎!!」
キッドとコーディの声だ。以前ならここで言い争ったが、いつしか面倒くさくなってしまった。ジェフリーにもスルースキルがついたのかもしれない。
面倒なのであとでいくらでも苦情を受けよう。ぼんやりと思っていたそのとき、一番聞きたくない声を耳にした。
「そんな! ジェフリーはわたしが嫌いになったのかな……」
ミティアの悲しげな声に、一瞬で静まり返った。顔を見なくても、叱られた子犬のようにしょんぼりしているに違いない。
これにはさすがにジェフリーも声を荒上げる。
「冗談で済むレベルをよく考えてくれ」
ミティアにだけではなく、皆に対してでもある。悪ふざけが過ぎるという注意だった。それでもジェフリーはまるで逃げるように中へ入った。
ぬる湯で火照った体を休ませる。
今までぼうっとしていたサキは苦言を呈した。少し落ち着いたようだ。
「ジェフリーさんがしっかりしないと、ミティアさんが可愛そうじゃないですか」
「まるで都合のいい奴が言うセリフだな」
「何でしたっけ、もっと人間の汚い部分を理解しないと?」
そんな話があった。ミティアは冗談が通じなくて、真に受けるのが多々見受けられる。ある程度の許容範囲でもできれば、もっと笑えるのかもしれないとは思った。
それでも、簡単には改善しない。
「僕は純粋なミティアさんも好きですけどね」
「ずいぶんと意味深な言い方をするんだな」
「ジェフリーさんがヘタレなだけじゃないですか? 僕が一からちゃんと教えてもいいですよ?」
最近のサキは控えめな性格を改善したのだろうか。特にミティアが絡むと、たとえジェフリーであっても容赦はしない。
賢い人間を敵に回すのは避けたい。ジェフリーはどうせのぼせているだろうと適当に流すことにした。
「ちゃんと話せる時間があれば……だな」
「時間、ほしいですか?」
サキの悪巧みをする微笑み。一皮も二皮も剥けて一段といい性格になったとは思ったが、この顔は暗黒微笑とでも言うべきだろうか。ジェフリーは恐怖を感じた。
「どうしたんだ、お前……」
「条件次第で……」
さすがにただ無条件ではないようだ。ただ、今は『親友』として、協力をしようという態度のようだ。
そのサキの狙いとは何だろうか……?
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