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愁嘆 2
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枕元から伝わってくる規則正しい振動に沈み込んでいた意識を取り戻すと、玲央は被っていた毛布を跳ね除けて起き上がる。
いつの間に眠っていたのかと半端にとった睡眠のせいで鈍い痛みを訴える頭を押さえながら周囲を見渡せば、とうに陽は暮れていたようで、ぼんやりと家具のシルエットが浮かび上がっていた。
今日もまた一日ムダに過ごしてしまったと苦笑しながら、未だに枕元で振動し続けるスマホに手を伸ばすと、そこに表示されていた珍しい人物の名前に目を丸くしながらも通話ボタンを押し、
「……はぁい、春ちゃん、俺がいなくて寂しくなっちゃった?」
「いつまで腐っているつもりだ、玲央」
いつも通りの調子を装い言葉を発せば、不愉快だと言わんばかりの溜息を吐き出す音と共に辛辣な一言をお返しされてしまい、それに対して返す言葉もないと苦笑していれば、「お前がそれでは彼方も報われないな」と更にトーンの下がった声が聞こえて来る。
けれど、何故悠が報われないと言う言葉が出てきたのかが理解できず、叱られるのを承知でどう言う意味かと尋ねると、
「話を聞かずに彼方から逃げ出して、一方的に連絡を絶つようなお前に教える義理などない」
案の定。
鼓膜が破れるのではないかと思える程の大きな声に肩を竦めていると(絶対にわざとだと思う)、今度は盛大な溜息が漏れ聞こえ、
「……本来ならば、これで電話を切っている所だが……、今回は、彼方の為に特別に教えてやる」
しぶしぶと言う雰囲気を前面に押し出す春夜の話を聞き、家を飛び出したのはそれからすぐの事だ。
『彼方は自分自身の気持ちとお前に向き合う為に、今まで避けていた久世との仕事を請けた』
まさか、久世からの電話に応じた悠がそんな事を思っていたとは考えもせず、向き合おうとしてくれていた彼の事を自分から遠ざけていたなんて。
悠がどんな気持ちで久世との仕事を受ける事を決めたのかも知らず、自分を守る事ばかり考え、電話もLINEも全て無視を決め込んだせいで、彼をどれだけ傷つけてしまっただろうか。
春夜に指摘され、午前中に悠から送られてきたLINEを見れば、そこには話がしたいと言うシンプルな文面に加え、待ち合わせ場所と時間が記載されており、すぐさま時計を見やれば既に指定の時間から三十分以上も経過していた。
急いだとしても、ここから待ち合わせ場所まで最低でも二十分はかかる上に、もしかすると到着した頃には、そこに悠の姿はないかも知れない。
それでも、今ここで行動を起こさなければ、二度と悠に向き合う事が出来なくなるような気がして、玄関先で母親が何か叫んで制止しているのを振り切り、目的地に向かって自転車を走らせた。
途中、一度悠へ連絡を入れるべきだと思い立ってポケットを探り、そしてここでまた自分の不運を嘆く事になる。
ポケットに突っ込んだはずのスマホが見当たらないのだ。
そう言えば家を出る時に玄関先で母親が何か叫んでいた事を思い出し、もしかすると靴を履いた時に落として来たのかも知れないと、一旦家に引き返す事も考えたのだが、既に結構な距離を走っていた為に、今引き返すよりも目的地へ向かう方が良いと考え直し、止まっていたペダルを踏み込んだ。
(道中に公衆電話を見つけたのだが、残念ながら電話番号まで正確に思い出せずに断念してしまった)
既に人も車も疎らな時間帯になっていたお陰で、思っていたよりも早く目的地に到着した玲央は、適当な所に自転車を乗り捨てるように置くと、息を整える間もなく周囲に悠の姿がないかを確認してまわり、けれど、探している姿が見当たらない事に肩を落とすと、傍にあったベンチに座って頭を抱え込む。
……流石に、待ってるわけねーよな。
何の連絡も無く待ち合わせの時間から一時間以上も経過していれば、余程のことがない限り、誰でも相手は来ないものだと判断して帰るに決まっている。
(自分ならばそうするだろう)
しかも、散々悠からの連絡を無視していた上でのこの失態だ……、もう、完全に嫌われてしまったに違いない。
全て自業自得だと情けない自身を嘲笑し、いつまでもここにいても仕方がないと立ち上がればふと、視界の端に明るい色を捉え、薄暗い場所でもやけに目立つそれに何気なく視線を寄越すと、
……久世と……、悠……?
どう言う訳か悠は久世と共にこの場所に居り、何故ここに久世までもがいるのかと言う疑問が浮かぶと同時に、思わずその身を物陰に隠してしまった。
玲央のいる場所からは少し距離がある為に、二人が何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、雰囲気から見てそう険悪なものではないようで、恐らく、自分の知らないところで彼らが無事に和解できたのだろう事は窺える。
悠にとってはきっと喜ばしい事なのだから、心中穏やかとまでは言えないけれど、ここは一旦抑えて心の中で祝ってやるべきだろう。
と、そこまでは、良かったのだ。
悠が何かを懸命に話し、そして久世に和解の握手を求めるかのように右手を差し伸べるのが見えた直後、あろう事か、その手を掴んだ久世は悠の身体をそのまま引き寄せ、両腕の中に閉じ込めたのだ。
抱きしめられる格好となった悠は、特にこれと言って抵抗する素振りも見せず、まるで久世に応えるかのように空いていた腕を彼の背に回し身を預けていた。
あまりにも衝撃的な展開に、玲央はただただ言葉を失い呆然とその光景を眺める事しか出来ず、けれど、早くこの場から離れなければと、竦む足をやっとの思いで動かし踵を返すと、振り返らずに元来た道を全力で走り出す。
二人に背を向ける直前、久世が此方を見て哂った事には気がつかないふりをして。
*
*
*
あの場所から、どうやってここへ向かったのかの記憶は曖昧だ。
久世の勝ち誇ったような視線から逃げる事と、これから受け入れなければならない現実に立ち向かう為に気持ちを奮い立たせる事で、玲央はいっぱいいっぱいだった。
目の前に聳え立つ通い慣れたマンションに足を踏み入れ、エレベーターでいつも通りの階へ降りると、何度も潜った部屋のドアの前に立ち、ポケットにあった鍵を取り出した。
初めてこの鍵を使い、悠の部屋に入った時の緊張感は今でも覚えている。
朝に弱くて中々起きられない悠を起こし、甲斐甲斐しく世話をする事も自分だけの特権だと思っていた。
頑なに弱さを見せようとしなかった悠が、自分に頼ってくれるようになった時は本当に嬉しかった。
悠が望むのなら、いつでも傍にありたいと思っていた。
友人としてではなく、もっと、悠にとって特別な存在でありたいと、思っていた。
……けれど。
「……もう、必要ねーよな」
悠が本当に心から求めていたのは、自分ではなく久世だ。
それは、先程目にした光景が物語っていて、それを思い出す度に視界が生ぬるく歪んで行く。
恨むな、僻むな、諦めろ。
悠の特別になれなかったとしても、友達の一人として、これからも彼を支えてやれば良いだけの話だ。
築き上げた信頼関係を、自分の都合で壊してしまうのはあまりにも身勝手すぎる。
たとえ、悠が久世の元へ戻ってしまっても、彼の友達である事に変わりはないのだから。
彼らの関係が修復された事を、友達として喜び祝ってやらなければ。
明日からは、またいつも通りに笑って何事もなかったように友達として悠と接する事に努めるのだ。
……特別な感情は、この鍵と共に、ここへ置いて。
握り締めていた鍵に口付けドアのポストに押し込めると、心の奥底から湧き上がって来るもの全てを振り切るように、その場から走り出した。
枕元から伝わってくる規則正しい振動に沈み込んでいた意識を取り戻すと、玲央は被っていた毛布を跳ね除けて起き上がる。
いつの間に眠っていたのかと半端にとった睡眠のせいで鈍い痛みを訴える頭を押さえながら周囲を見渡せば、とうに陽は暮れていたようで、ぼんやりと家具のシルエットが浮かび上がっていた。
今日もまた一日ムダに過ごしてしまったと苦笑しながら、未だに枕元で振動し続けるスマホに手を伸ばすと、そこに表示されていた珍しい人物の名前に目を丸くしながらも通話ボタンを押し、
「……はぁい、春ちゃん、俺がいなくて寂しくなっちゃった?」
「いつまで腐っているつもりだ、玲央」
いつも通りの調子を装い言葉を発せば、不愉快だと言わんばかりの溜息を吐き出す音と共に辛辣な一言をお返しされてしまい、それに対して返す言葉もないと苦笑していれば、「お前がそれでは彼方も報われないな」と更にトーンの下がった声が聞こえて来る。
けれど、何故悠が報われないと言う言葉が出てきたのかが理解できず、叱られるのを承知でどう言う意味かと尋ねると、
「話を聞かずに彼方から逃げ出して、一方的に連絡を絶つようなお前に教える義理などない」
案の定。
鼓膜が破れるのではないかと思える程の大きな声に肩を竦めていると(絶対にわざとだと思う)、今度は盛大な溜息が漏れ聞こえ、
「……本来ならば、これで電話を切っている所だが……、今回は、彼方の為に特別に教えてやる」
しぶしぶと言う雰囲気を前面に押し出す春夜の話を聞き、家を飛び出したのはそれからすぐの事だ。
『彼方は自分自身の気持ちとお前に向き合う為に、今まで避けていた久世との仕事を請けた』
まさか、久世からの電話に応じた悠がそんな事を思っていたとは考えもせず、向き合おうとしてくれていた彼の事を自分から遠ざけていたなんて。
悠がどんな気持ちで久世との仕事を受ける事を決めたのかも知らず、自分を守る事ばかり考え、電話もLINEも全て無視を決め込んだせいで、彼をどれだけ傷つけてしまっただろうか。
春夜に指摘され、午前中に悠から送られてきたLINEを見れば、そこには話がしたいと言うシンプルな文面に加え、待ち合わせ場所と時間が記載されており、すぐさま時計を見やれば既に指定の時間から三十分以上も経過していた。
急いだとしても、ここから待ち合わせ場所まで最低でも二十分はかかる上に、もしかすると到着した頃には、そこに悠の姿はないかも知れない。
それでも、今ここで行動を起こさなければ、二度と悠に向き合う事が出来なくなるような気がして、玄関先で母親が何か叫んで制止しているのを振り切り、目的地に向かって自転車を走らせた。
途中、一度悠へ連絡を入れるべきだと思い立ってポケットを探り、そしてここでまた自分の不運を嘆く事になる。
ポケットに突っ込んだはずのスマホが見当たらないのだ。
そう言えば家を出る時に玄関先で母親が何か叫んでいた事を思い出し、もしかすると靴を履いた時に落として来たのかも知れないと、一旦家に引き返す事も考えたのだが、既に結構な距離を走っていた為に、今引き返すよりも目的地へ向かう方が良いと考え直し、止まっていたペダルを踏み込んだ。
(道中に公衆電話を見つけたのだが、残念ながら電話番号まで正確に思い出せずに断念してしまった)
既に人も車も疎らな時間帯になっていたお陰で、思っていたよりも早く目的地に到着した玲央は、適当な所に自転車を乗り捨てるように置くと、息を整える間もなく周囲に悠の姿がないかを確認してまわり、けれど、探している姿が見当たらない事に肩を落とすと、傍にあったベンチに座って頭を抱え込む。
……流石に、待ってるわけねーよな。
何の連絡も無く待ち合わせの時間から一時間以上も経過していれば、余程のことがない限り、誰でも相手は来ないものだと判断して帰るに決まっている。
(自分ならばそうするだろう)
しかも、散々悠からの連絡を無視していた上でのこの失態だ……、もう、完全に嫌われてしまったに違いない。
全て自業自得だと情けない自身を嘲笑し、いつまでもここにいても仕方がないと立ち上がればふと、視界の端に明るい色を捉え、薄暗い場所でもやけに目立つそれに何気なく視線を寄越すと、
……久世と……、悠……?
どう言う訳か悠は久世と共にこの場所に居り、何故ここに久世までもがいるのかと言う疑問が浮かぶと同時に、思わずその身を物陰に隠してしまった。
玲央のいる場所からは少し距離がある為に、二人が何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、雰囲気から見てそう険悪なものではないようで、恐らく、自分の知らないところで彼らが無事に和解できたのだろう事は窺える。
悠にとってはきっと喜ばしい事なのだから、心中穏やかとまでは言えないけれど、ここは一旦抑えて心の中で祝ってやるべきだろう。
と、そこまでは、良かったのだ。
悠が何かを懸命に話し、そして久世に和解の握手を求めるかのように右手を差し伸べるのが見えた直後、あろう事か、その手を掴んだ久世は悠の身体をそのまま引き寄せ、両腕の中に閉じ込めたのだ。
抱きしめられる格好となった悠は、特にこれと言って抵抗する素振りも見せず、まるで久世に応えるかのように空いていた腕を彼の背に回し身を預けていた。
あまりにも衝撃的な展開に、玲央はただただ言葉を失い呆然とその光景を眺める事しか出来ず、けれど、早くこの場から離れなければと、竦む足をやっとの思いで動かし踵を返すと、振り返らずに元来た道を全力で走り出す。
二人に背を向ける直前、久世が此方を見て哂った事には気がつかないふりをして。
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あの場所から、どうやってここへ向かったのかの記憶は曖昧だ。
久世の勝ち誇ったような視線から逃げる事と、これから受け入れなければならない現実に立ち向かう為に気持ちを奮い立たせる事で、玲央はいっぱいいっぱいだった。
目の前に聳え立つ通い慣れたマンションに足を踏み入れ、エレベーターでいつも通りの階へ降りると、何度も潜った部屋のドアの前に立ち、ポケットにあった鍵を取り出した。
初めてこの鍵を使い、悠の部屋に入った時の緊張感は今でも覚えている。
朝に弱くて中々起きられない悠を起こし、甲斐甲斐しく世話をする事も自分だけの特権だと思っていた。
頑なに弱さを見せようとしなかった悠が、自分に頼ってくれるようになった時は本当に嬉しかった。
悠が望むのなら、いつでも傍にありたいと思っていた。
友人としてではなく、もっと、悠にとって特別な存在でありたいと、思っていた。
……けれど。
「……もう、必要ねーよな」
悠が本当に心から求めていたのは、自分ではなく久世だ。
それは、先程目にした光景が物語っていて、それを思い出す度に視界が生ぬるく歪んで行く。
恨むな、僻むな、諦めろ。
悠の特別になれなかったとしても、友達の一人として、これからも彼を支えてやれば良いだけの話だ。
築き上げた信頼関係を、自分の都合で壊してしまうのはあまりにも身勝手すぎる。
たとえ、悠が久世の元へ戻ってしまっても、彼の友達である事に変わりはないのだから。
彼らの関係が修復された事を、友達として喜び祝ってやらなければ。
明日からは、またいつも通りに笑って何事もなかったように友達として悠と接する事に努めるのだ。
……特別な感情は、この鍵と共に、ここへ置いて。
握り締めていた鍵に口付けドアのポストに押し込めると、心の奥底から湧き上がって来るもの全てを振り切るように、その場から走り出した。
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