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しおりを挟む「撮影、お疲れさまでした」
無事に撮影を終え、安堵の溜息を吐きながら労の言葉をかけてくれたマネージャーに頷くと、一旦着替える為に控え室へ足を向ける。
悠に話せないままでいた事実を打ち明けても和解は望めないだろうと諦めていた伊織だったが、予想に反して悠はそれを受け入れ、そして、互いの誤解を無事に解く事が出来た事は大きな成果だったと思う。
それに伴って、大きく変わった事と言えば、悠サイドのスタッフの対応である。
撮影当初、悠のスタッフからは冷ややかな視線を送られていたのだが、いざ撮影が終わってみれば、最初の対応が嘘のように暖かいものへと変わっていて、あまりの変貌振りに思わず苦笑が漏れてしまった。
それだけ、悠は彼らに愛されているのだろう。
よくよく周囲を見渡せば、険悪な雰囲気の漂っていた両サイドのスタッフ達も、大きな仕事を終えた連帯感からなのか、いつの間にか打ち解けているようで、改めて悠が周囲に与える影響の大きさを思い知り、そして、再び彼の傍にいることを許された事にほっと息を吐き出した。
これからまたゆっくりと時間をかけ、壊してしまった世界を悠と共に一から築き直して行く事を思い描きながら上機嫌で着替えを済ますと、打ち上げの準備に沸いていたスタジオ内へ足を踏み入れる。
忙しなく動き回るスタッフの間を縫って周囲を見渡せば、少し離れた場所に立って彼らを眺めている悠を見つけ、
「悠、随分機嫌がいいな」
穏やかな笑みを浮かべてスタッフ達を見ていた事を指摘すると、悠はそう見えるのかと首を傾げて見せ、その反応に今度は伊織が違うのかと首を傾げれば、僅かな沈黙の後、男二人で首を傾げ見つめ合って何をしているのだろうかと同時に噴出してしまった。
「多分、違わない。仕事も無事に終わったし、伊織と仲直りもできたし……」
「そうだな……」
心底嬉しそうに微笑む悠の言葉に同意して頷けば、それから何を言葉にする訳でもなく、訪れた沈黙だけが二人の間を流れて行く。
昔と変わらない悠の笑顔が、こうしてまた自分へ向けられる日が来るとは思っていなかった。
悠と離れている間、彼は自分とは違う別の人間にそれを向けていて、その人間の手を取っていたのだから。
あの時目にした光景を思い出すと、和解したこの現状にただ満足しているだけではまだ完全に悠を取り戻す事ができないような気がして、急に不安を覚えた伊織が悠の右手を取ると、突然の行動に驚きながらも何か言いたい事があるのかと窺うような悠の顔が見え、けれど、何と切り出して良いのか解らずに、何度も口を開きかけては閉じての繰り返しをするばかりだった。
「伊織?」
「ねえ……、悠……、」
……悠は、またオレの傍にいてくれる?
たったそれだけの一言がどうしても言い出せず、まごついている内に、打ち上げ準備をしていたスタッフが此方の様子に気づき、「二人とも、すっかり仲良くなっちゃって」と繋いだままの手を指摘された事に過剰に反応し慌ててそれを離すと、誤魔化すように声をかけてきたスタッフの背中を押しながら、「また後で、色々な話しよう」と悠に告げ、そそくさと打ち上げ準備中のスタッフの輪に紛れ込んだ。
「久世くん、お疲れ様! 念願叶ってベタ惚れしてた彼方くんと仕事できた感想はどう?」
「カメラマンもディレクターも、二人の関係疑っちゃうくらいにいい表情してたって誉めてたよ」
大量に購入してきたのだろう飲み物や食べ物をテーブルに並べながら、茶化すように話しかけるスタッフ達に「茶化さないで下さいよ」と抗議の声を上げ、準備を手伝うからと手近に置いてある紙コップや紙皿を適当に並べはじめれば、照れているのかと余計に話は盛り上がり、けれど、冗談めかしている彼らは本当の事を何一つとして、知らずにいるのだ。
伊織が、悠をどんな目で見て、どんな気持ちで彼の傍にいたいと願っているのかを。
悠との撮影が始まる前までは誤解を解くだけに留め、目的が達成されればそのまま二度と悠の前には姿を現さないようにするつもりでいたのだけれど、実際に目的を達成し悠に許された事で、伊織の決意は脆くも崩れ去っていた。
本来であれば、その先を望むまいと気持ちに歯止めをかけていたはずなのだが、悠の言動ひとつひとつに全てを掻き乱され、もう一度、悠の傍にありたい……、悠の「特別」でありたいと、そう強く思っている自分に気づかされてしまったからだ。
そして、悠もそうあって欲しいと、願わずにはいられなくなっていた。
つくづく身勝手で貪欲だと、自分でも思う。
けれど、今この機会を逃してしまっては、二度と悠の隣に立つことは出来なくなるような、そんな気がしてならないのだ。
一通り準備を終えた所で、用意されたコップに酒やジュースが注がれ始め、悠にも飲み物を持って行こうかとジュースの注がれたコップを手にしたところで、ふと、一人のスタッフがキョロキョロと何かを探してまわっている姿が見え、一体どうしたのかと訊ねて見れば、先程までスタジオにいたはずの悠の姿が見えなくなったのだと、困ったように眉を下げて見せた。
これから始める打ち上げの主役は伊織と悠なのに、とざわつくスタッフの視線は、当然の事ながら悠のマネージャーへと注がれ、けれど彼は特にそんな視線にも臆することなく、受け取ったお茶を片手に、
「悠なら、少し疲れたみたいなので控え室で休ませてますよ。頃合を見て顔出させますから、先に打ち上げ始めて下さい」
その一声に安堵したスタッフは、それならば心配ないと促された通りに打ち上げを始めた。
しかし、伊織だけはどうにも悠のマネージャーの言葉が信用できずに、じっと視線を送っていれば、
「……スマホ見て飛び出してったんだ。打ち上げが終わる前に連れ戻してくれないか」
周囲には聞こえない小さな声で伊織に耳打ちすると、彼は悠の傍についているから自由にやってくれと打ち上げに盛り上がるスタッフ達へ言い残し、無人であろう悠の控え室へと向かって行った。
(所謂、カムフラージュと言うやつだろう)
本当に、あの人は何を考えているのか全く掴めない。
どんな意図があって自分に悠を連れ戻すように言ったのかはわからないけれど、いずれにしても彼のお陰で騒ぎにならずに済んだのは確かで、(ただ騒ぎにしたくなかっただけかも知れない)伊織も適当な理由をつけマネージャーに声をかけると、打ち上げに騒がしさを増すスタジオを抜け出した。
……とは言え、悠がどこへ行ってしまったかなど皆目検討もつかない伊織には、スタジオ周辺をとにかく走り回って探す事しか出来ない。
考え付く限り悠が足を向けそうな場所を回って見たものの、思うような結果は得られず、上がり始めた息を整えようと立ち止まった所で、ふと、スマホを手にしながら誰かを待っているのか、しきりに周囲を見回している女性の姿が目に入り、そう言えば、悠もスマホを見て飛び出して行ったと彼のマネージャーが言っていた事を思い出し、もしかすると悠も誰かを待っているのではと思い立った伊織は、この辺りに待ち合わせ場所としてよく利用されている広場がある事に気がつき、すぐさまその方角へ向かって走り出した。
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