小悪魔男子に恋してる!

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<7・対抗心を燃やす少女>

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 日本の小学生がタイムを図るのならば、50m走が基本だ。
 50mを何秒で走ることができるのか。運動が得意な生徒とそうでない生徒で大きな差が生まれるのは必至だろう。あかるは勿論運動に自信がある方だからアレだが、そうでないならば高学年でも二桁の秒数になることはけして珍しいものではない。

「あちゃぁぁ!」

 ユイが大げさに崩れ落ちるのをあかるは聞いていた。現在並んで順番にタイムを測っている真っ最中である。秋の運動会には“クラス選抜リレー”がある。クラスの中から男女合わせて三人ずつ選抜を選び、クラス対抗で競うのだ。これは赤組白組とは別に計算され、優勝したクラスは表彰されることになる。毎年どの学年も大いに盛り上がることで知られているのだった。
 つまりこの計測も、最終的に“リレーの選抜に入りたいなら頑張りましょうね”という目安となるものなのだった。当然選手は、タイムが早い順に選ばれるのだから。

「お疲れ様、ユイ」

 走り終わった友人の背中をぽんぽんと叩くあかる。ユイはがばっと顔を上げて“聞いちゃってあかるちゃん!”と叫んだ。

「記録更新!十二秒台入った!」
「き、記録更新とは?」
「最低記録更新したの!すごくない!?」
「あ、はは……」

 太ってるわけでもないのに足がとっても遅いユイである。はっきり言って走り方が失敗してるんじゃないかなぁ、と思うあかるだった。足首をぺったんぱったんしながらよいしょよいしょと走っている印象なのがユイである。そりゃスピードが出るはずもない。
 と、いう指摘を以前にもしたことがあるのだが。ユイ結局教えたとおりにできなくてそのままだったりするのである。まあ本人が運動なんかできなくてもいい!と本気で思っているようなので無理強いはできない。少なくともユイの成績があかるよりマシなのは間違いないのだから。
 ちなみにいつも仲良しの麻乃は確か、前回図った時九秒ちょいくらいのタイムであったと記憶している。彼女の方は運動神経も平均的だ。

「で、あかるちゃんさ。今日は気合入っちゃってるけどどうしたの?」

 あかるの番はもうすぐだ。本来走り終わった生徒は所定の位置で待っていなくてはいけないのだが、先生が忙しくて見ていないのをいいことにこっそり並んでいるあかるに近づき、おしゃべりしてくるユイである。

「なんとなく察してるけどさ。青海君に対抗心燃やしちゃってるアレ?」
「エスパーかよ」
「や、バレバレだからね?青海君本人が気づいてるかわからないけど、少なくとも麻乃ちゃんは気づいてたし」
「マジですか」
「マジデス」

 ああ、そんなに自分はわかりやすいのか。脱力するあかるである。

「だってさー、あかるちゃん空回り凄いんだもん。青海君が問題に答えたりするたび、すごい目で睨んでるしさぁ。そりゃ、あんな噂が立って怒ってるのはわかるけど」

 ちらり、と刹那がいる列の方を見るユイ。男子の列と女子の列が交互に進み、先生がタイムを測っているのだった。このクラスは男女の数がぴったり同じである。刹那が来るまで女子が一人多かったためだ。順番はランダムだが(多分先生が、生徒を名前の順に並べる手間を惜しんだためと思われる)、普通に考えるなら先に走り始めた男子が終わり、女子が最後に一人で走って終了となるだろう。二人同時に図らないのは配慮のつもりなのか、図るのが難しいからなのかは定かではないが。
 もうすぐ刹那の番だ。彼のタイムを何が何でも超えてやると思ってるあかるとしては、見逃せない一走である。

「噂流したの、ほんとに青海君本人じゃないっぽいよ?本人にそう怒っても仕方無くない?それに私から見ると、青海君も噂流されて満更じゃなさそうに見えちゃうし?」
「そ、そう?」
「うん、脈はあるんじゃないかなぁ……って」

 ユイはそこまで口にしたところで、にやり、と口角を持ち上げた。なんぞ、と思ってあかるは自らの失策に気付く。

「なんだなんだー、あかるちゃんも本気で嫌がってないじゃない!青海君に好かれてるかも?って聞いて今ちょっと喜んだでしょー」
「よ、喜んでない!別に嬉しくなんかないから!」
「ええっ、なんで否定するの?私だったら超うれしーけどなあ。だって可愛いじゃん、青海君」
「う」

 それはまあ、否定しないけれど。スタート位置に向かう刹那を見ながら、あかるは呻く。
 はっきり言えば。容姿だけ見れば、青海刹那は100点満点中200点と言っても過言ではなかった。もとより女顔の男子は嫌いどころかかなり好きなタイプだし、お洒落に気を使ってる系男子はポイントが高い。先日の電車の出来事を踏まえるなら、自分に似合う服というものを完璧にわかっていて、そのために必要経費を惜しまないタイプなのだろうとも想像できる。センスがいい男は相当印象がいい。長髪も本人に似合っているから全然悪くない、と思う。
 ついでに言えば、中身にだっていいところがないわけではないのだ、彼は。見知らぬ他人のために、危険を顧みず痴漢の犯人を捕まえに行ける少年。みんなが見て見ぬ振りするようなところで、迷わず声を上げられる――それはまさに、あかるがなりたいと思っていた理想像に、限りなく近いものでもあった。
 勇敢な男、口より何より行動で示せる男は滅茶苦茶カッコイイ。そう、だから自分も少しこう、勘違いしたような気持ちになってしまったわけだが。

「……あいつ、私で遊んでるだけだもん。反応が面白いからでしょ、きっと」

 もし本当に彼の方もあかるに気があるというのなら。あんな風に人をおちょくったりするものだろうか。




『そうかもしれないなーってちょっと思ったんだよね!あんたさ、あの日俺に一目惚れしたんでしょー?』



『本当に違うなら、もっとはーっきり違うって言って?ほら、視線逸らさないで、ちゃんと真正面から俺の眼を見て、お前のことなんか嫌いだーって……』



 いっそ露骨に悪口でも言われたら、“好きな子ほど虐めちゃう小学生男子の心理”と誤解できなくもなかったかもしれないというのに。

――デートだなんて、軽々しく口にするなっての。……私だって一応は、女のコなんだから。余計な勘違いなんかしたくないんだっつーの……。

 自分のことを、都合のいい玩具か遊び相手としか思ってなさそうな相手のことなんか、好きになんてなりたくもないのだ。期待してしまえばそれだけ、裏切られた時の絶望も大きくなるものなのだから。

「……まあ、男子って素直じゃないからねー」

 何を思ったのか、仕方ないかなー、とユイはよくわからない結論を出したようだった。一体何が仕方ないんだ、と思った瞬間、甲高い笛の音が鳴り響く。スタートの合図だ、と慌てて見れば、刹那が颯爽と彼方へ走り去っていくところだった。
 両手を大きく振り、地面を押し出すように蹴っている。姿勢を低くして、風の抵抗を避けて――思っていたよりずっと綺麗なフォームだ。

――やばい、あいつ結構速くない!?

 自分の手元にはタイムウォッチもないし、彼がゴールした瞬間をはっきり確認はできないので、正確なタイムはわからない。ただ少なくとも、8秒台に入るのは間違いなさそうだった。下手したら、前半に食い込んできているかもしれない。自分のベストタイムにも迫る勢いだ。

――こ、これは……気合入れないと……!

「あ、先生睨んでる」

 ここでようやく、うっかり列に紛れて駄弁っているユイの存在に気づかれたらしい。彼女はそっと立ち上がると、じゃあね!とあかるに手を振った。

「まー頑張っちゃってよ、それはもういろんな意味で!」

 一体どういう意味なんだそれ、と思ったがあかるはツッコミを控えた。今はユイに構っている場合でもない。自分のベストタイムを出すのが先決なのだから。

「力入っちゃってるですかー?あかるちゃん」

 列が少しずつ進み、あかるよりちょっと前に走った麻乃が戻ってきた。

「ベストタイム出せるように頑張ってくださいね。少なくともリレーの選手、あかるちゃんはほぼ当確でしょーし?」
「そうとも限らないけど……まあ、やれるだけやってみるよ」
「そうそうその調子!」

 彼女はこっそりあかるの耳元に口を寄せて、囁いた。

「スポーツできるヤツはモテますからねー、男女問わず」
「あ、あのねぇ!」

 まったく、どいつもこいつも余計なことばかり。まあ応援してもらっているのは確かなのだろうし、ここは全力のあかる様を奴に見せつけてやろうではないか。

「よしっ!」

 あかるの番がくる。スタート位置に立って、大きく深呼吸をした。向こうの待機場所から、こちらを見る刹那の視線を感じる。見てろよな、と思いながらすっと身を屈めて準備体制へ。負けられない、小さな小さな自分の戦い。そして、意地。

――おおおおおおお!

 笛の音とともに、あかるは力強く大事を蹴り、気合一閃走り始めていたのだった。



 ***



「8秒32!」

 凄いね!と思い切り拍手を受けた。ぽかーん、としたのはあかるの方である。
 自己ベスト更新。これは刹那も超えられんだろ!と自信を持って突きつけてやった結果、なんと普通に称賛されてしまって今に至るのである。

「俺は8秒5ピッタリだったよー。こっちも自己ベストだったんだけど、あんたには勝てなかったね!」
「…………」
「どしたの?」

 きっと、今の自分は相当可愛くない顔をしていることだろう。勝負には勝った。勝ったはずなのに、なんだかすごく微妙な気持ちである。悔しがらせてやりたかったはずの相手が、まったく悔しがってくれなかったのだからそんな顔にもなろうというものだ。

「……悔しくないの?私、露骨にお前にマウント取りに行ってんだけど?」

 確かに、勝負とはいったがほぼ一方的にあかるの方が対抗心を燃やしていただけだったのは事実。向こうはきっと、そんなことにも気づかず、普通に一日過ごしていたたけだったのだろう。
 だとしても、だ。仮にも男子が、女子に短距離走のタイムで負けて、悔しいとは思わないのだろうか。こっちがまかりやすく悔しがらせようとしていることにも気づいてなかったりするのだろうか。

「え、なんで?」

 あかるの心情をよそに、刹那は目を丸くする。

「だって、クラスに速い奴がいてくれたほうがいいじゃん?」
「え」
「対抗リレーで勝てるんでしょ?え、クラス対抗リレーがあるって聞いたんだけど、違うの?」
「そ、そりゃそう、だけど」
「ならいいじゃん!」

 少年は破顔する。

「うちのクラスのためによろしく!さっきは凄いカッコ良かったよ!」

 何だろう。個人がどうとか、タイムで勝って悔しがらせてやろうとか。そんなことに拘って意地を張っていた自分が、とてもちっぽけなものに思えてしまうではないか。
 確かに、クラスからすれば足が速い人間が多いのはいいことなのだ。自分は己のプライドに拘ったがために、そんな簡単なことさえ見失っていた。しかも。

――何で、そんなにあっさり褒めんの。

 マウント取ろうとしたんだと、自分でもはっきりそう言った。それなのに。

――嫌じゃなかったの?クラスのためだから?それとも……私が相手だから?

 ああ、またドキドキしてる自分がいる。カッコいいと言われて、喜んでしまった自分が。
 人のことをからかって遊ぶ小悪魔な少年と、素直に誰かの功績を喜び称える少年。一体どちらが彼の本当の顔なのか。あるいは、そのどちらも彼の真実なのか。

「……そうやって褒めたって、なんも出ないっつーの」

 残念ながら。あかるが返すことができたのは、そんな素直さも可愛げもない言葉だけなのだった。
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