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4.messenger(使者)
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「河村さん」
声をかけられ、私は顔を上げた。眼鏡をかけた見上げるほど背の高い青年が、こちらに向かってにこにこと笑いかけている。誰だったろう。確かに知っている顔なのだけれど。……私を知っているということは、多分「あのひと」の知り合いなのだろう。
「何でしょう?」
私は努めて明るく応えた。相手は少し意外そうな反応を見せた。きっと「あのひと」を待っている私が、思いがけず平然としているからだろう。
「大丈夫……ですか?」
「何がです?」
「いえ……気に病んでいないかと心配だったものですから」
「ありがとうございます。でも、ご心配には及びませんわ」
私は微笑んだ。待ち続けるのは確かに辛いけれど、だからと言って沈んでばかりいるわけには行かない。気丈にしていなければ、「あのひと」にも申し訳ない。
「そうですか? それならいいんですが」
と、青年はふと何事かに思い当たったように、わずかに目を見開いた。続いて記憶を手繰り寄せるべく、額に手を当てる。
「……つかぬことをお訊きしますが、河村さん。あなたの下のお名前は何でしたっけ?」
最近物忘れがひどくて、と青年は付け加え、あはは、と笑った。つられて私も少しだけ笑った。相手の名前を忘れていることに関しては、私も他人のことは言えない。
「私は──」
私は、私自身の名前を口にした。
「──小夜子。河村小夜子です」
☆
「よお、戸田。作業進んでっかぁ?」
「なんだよ、てめえまた邪魔しに来たのか?」
「別に邪魔しねえよ。おまえの大事なお仕事中に」
「どうだか」
「いや、マジで頼りにしてんだぜ、俺は。大道具の魔術師、戸田基樹。おまえがいるからうちの芝居は引き立つってもんだ」
「その厨二っぽい二つ名はやめろ。ていうか気色悪ィな。おだてたって何も出ねえぞ」
「別に出してもらおうとは思ってねえよ。ただもーちょい作業スピードアップさせてくれりゃ、なーんも言うことありません」
「結局それか。なんかやたら急かせてねえか?」
「んー……早いうちに済ましときたいことがあってな」
「なんだそりゃ。……ところでおまえ、どうする気だよ」
「何を?」
「河村のことだよ」
「……たは。賢とおんなじことを言ってくれるね、おまえは」
「あったりめーだろ」
「俺は俺にやれることをやるだけさ。そのために今おまえに働いてもらっている」
「あん?」
「ま、うまく行くかどうか判らねえがな」
「……自分で信じてもねえこと言ってんじゃねぇよ」
「──ああ、ここにいたんですね、木野君。探しましたよ」
「あ、あっしー。どうだった?」
「冬季公演の予行演習ってことで借りることが出来ました。それと、これ。『小夜子』という女性について、河村さんのお母さんに色々訊いてみました」
「どーも。──なんかすっかりパシリにしちまったな」
「いえ、いいんですよ。こちらも君のお手並みを拝見したいですから」
「……おい、何の話してんだ?」
「ま、それは後でのお楽しみってことで」
☆
夕方。黄昏時だ。道往く人の姿を見ていると、その中からふいっと「あのひと」が現れそうな気がする。「あのひと」の姿を探してしまう。こんな所にいるわけがないと判っていても。
「もし」
誰かに呼ばれた気がして、私は振り返った。
黄昏の薄暮の中からにじみ出るように、黒い服をまとった人物が現れた。闇を切り取ったような黒づくめの人物は、目深に被っていた帽子を上げて顔を見せた。少年のような少女のような、白く整った顔。その人物は私を見て、わずかに微笑んだように見えた。
「河村──小夜子さんですね?」
「はい」
私は少年──なのだろう、声からすると──に答えた。彼の言葉には不思議な強制力があった。
「あなたに会いたいと言われる方から、ご伝言を承っております」
「伝言……ですか?」
「今夜零時、誰にも知られずご自宅の前でお待ちください。こちらからお迎えに参ります。なお……」
少年はしばらく言葉を切った。
「あなたの想い出の──ウエディングドレスをご着用ください。それが条件です」
その言葉は私を驚かせるのに充分だった。ウエディングドレスのことを知っているのは、私の家族と「あのひと」だけだ。それを着て来いということは……。
「それでは、私はこれで」
黒の少年は再び帽子を目深に被り、宵闇の中へ消えようとする。私は少年を呼び止めた。
「待ってください。……私に会いたいとおっしゃる方は、何処のどなたなのです」
「──それは……今は申し上げられません。ただ、私の伝言を聞くとお判りになるだろう、と」
そのまま、黒の少年は宵闇の中に紛れて行った。現れた時と同じように、黄昏の中にかき消えるように。私は彼の後ろ姿を探そうとしたが、もはや夜の帳の向こうにその姿を見付けることは出来なかった。
声をかけられ、私は顔を上げた。眼鏡をかけた見上げるほど背の高い青年が、こちらに向かってにこにこと笑いかけている。誰だったろう。確かに知っている顔なのだけれど。……私を知っているということは、多分「あのひと」の知り合いなのだろう。
「何でしょう?」
私は努めて明るく応えた。相手は少し意外そうな反応を見せた。きっと「あのひと」を待っている私が、思いがけず平然としているからだろう。
「大丈夫……ですか?」
「何がです?」
「いえ……気に病んでいないかと心配だったものですから」
「ありがとうございます。でも、ご心配には及びませんわ」
私は微笑んだ。待ち続けるのは確かに辛いけれど、だからと言って沈んでばかりいるわけには行かない。気丈にしていなければ、「あのひと」にも申し訳ない。
「そうですか? それならいいんですが」
と、青年はふと何事かに思い当たったように、わずかに目を見開いた。続いて記憶を手繰り寄せるべく、額に手を当てる。
「……つかぬことをお訊きしますが、河村さん。あなたの下のお名前は何でしたっけ?」
最近物忘れがひどくて、と青年は付け加え、あはは、と笑った。つられて私も少しだけ笑った。相手の名前を忘れていることに関しては、私も他人のことは言えない。
「私は──」
私は、私自身の名前を口にした。
「──小夜子。河村小夜子です」
☆
「よお、戸田。作業進んでっかぁ?」
「なんだよ、てめえまた邪魔しに来たのか?」
「別に邪魔しねえよ。おまえの大事なお仕事中に」
「どうだか」
「いや、マジで頼りにしてんだぜ、俺は。大道具の魔術師、戸田基樹。おまえがいるからうちの芝居は引き立つってもんだ」
「その厨二っぽい二つ名はやめろ。ていうか気色悪ィな。おだてたって何も出ねえぞ」
「別に出してもらおうとは思ってねえよ。ただもーちょい作業スピードアップさせてくれりゃ、なーんも言うことありません」
「結局それか。なんかやたら急かせてねえか?」
「んー……早いうちに済ましときたいことがあってな」
「なんだそりゃ。……ところでおまえ、どうする気だよ」
「何を?」
「河村のことだよ」
「……たは。賢とおんなじことを言ってくれるね、おまえは」
「あったりめーだろ」
「俺は俺にやれることをやるだけさ。そのために今おまえに働いてもらっている」
「あん?」
「ま、うまく行くかどうか判らねえがな」
「……自分で信じてもねえこと言ってんじゃねぇよ」
「──ああ、ここにいたんですね、木野君。探しましたよ」
「あ、あっしー。どうだった?」
「冬季公演の予行演習ってことで借りることが出来ました。それと、これ。『小夜子』という女性について、河村さんのお母さんに色々訊いてみました」
「どーも。──なんかすっかりパシリにしちまったな」
「いえ、いいんですよ。こちらも君のお手並みを拝見したいですから」
「……おい、何の話してんだ?」
「ま、それは後でのお楽しみってことで」
☆
夕方。黄昏時だ。道往く人の姿を見ていると、その中からふいっと「あのひと」が現れそうな気がする。「あのひと」の姿を探してしまう。こんな所にいるわけがないと判っていても。
「もし」
誰かに呼ばれた気がして、私は振り返った。
黄昏の薄暮の中からにじみ出るように、黒い服をまとった人物が現れた。闇を切り取ったような黒づくめの人物は、目深に被っていた帽子を上げて顔を見せた。少年のような少女のような、白く整った顔。その人物は私を見て、わずかに微笑んだように見えた。
「河村──小夜子さんですね?」
「はい」
私は少年──なのだろう、声からすると──に答えた。彼の言葉には不思議な強制力があった。
「あなたに会いたいと言われる方から、ご伝言を承っております」
「伝言……ですか?」
「今夜零時、誰にも知られずご自宅の前でお待ちください。こちらからお迎えに参ります。なお……」
少年はしばらく言葉を切った。
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その言葉は私を驚かせるのに充分だった。ウエディングドレスのことを知っているのは、私の家族と「あのひと」だけだ。それを着て来いということは……。
「それでは、私はこれで」
黒の少年は再び帽子を目深に被り、宵闇の中へ消えようとする。私は少年を呼び止めた。
「待ってください。……私に会いたいとおっしゃる方は、何処のどなたなのです」
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