Waltz(ワルツ)

水沢ながる

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3.confusion(混乱)

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「彼女、悩んでるようですよ」
「朝子さん?」
「君が仕組んだんでしょう、あの役は。河村さんは一見おとなしそうに見えますが、それは環境により身につけたただのペルソナです。死んだ恋人を待ち続ける女なんて、本当は彼女と正反対のキャラクターでしょう。それは君が一番よく知っている筈ですよ」
「まあ、そうだけどね。でもあの程度の役を演じるくらい、出来るでしょ。というより、出来てくれないと困る」
「シビアですね」
「舞台のことではね」
「夢のため、ですか?」
「夢のため、ですよ」

     ☆

 わたしはそっと衣装箱の蓋を開けた。
 純白のウエディングドレス。恋人を待ち続けた女の持ち物。聞く所によると、彼女は時々これをまとっていたという。戻らない恋人と、幻想の中で結婚式を挙げていたのだろうか。もはやこの現実を生きていなかったのかも知れない。
 ……やはり、理解出来ない。
 見たくない現実から逃れる手段として、「待つ」ことを続けていただけじゃないのか。勿論、当時と今とでは、女性の立場と言うものは違うわけだけれど。それでもわたしは、ただ待っているとか逃げるとかで満足したくはない。
「……恨むぞ、木野君」
 わたしは呟いた。どうせこういう状況設定をしたのは、彼に決まっている。

 木野友則を初めて知ったのは、中学三年の頃だ。
 その時、どうして公立中学の文化祭に足を向けたのかはもう忘れてしまった。何の気なしに覗いた体育館での出し物。そこで一人芝居を っていたのが友則だった。
 当時から友則の演技力はずば抜けていた。最初は劇団か何処かに所属している、プロの子役かと思ったものだ。彼は舞台の上で自在に変化した。男、女、老人、子供。わたしは圧倒され、同時にどうしようもなく魅せられてしまった。最初はざわめいていた観客も、声一つ立てずに舞台上のただ一人に注目していた。
 そして、──これはわたしの錯覚かも知れない。舞台が終わって観客に一礼した時、彼とわたしの視線は一瞬交わった。彼はわたしを見て──にやり、と笑った。チェシャキャットの笑みとも言うべき、実に危うく魅力的な笑みだった。
 それが最初だ。
 まもなく彼は星風学園に入学し、部員がいなくて廃部同様だった演劇部を戸田基樹を初めとする仲間達で立て直すことになるのだが、その時に集まったメンバーは例外なく中学の頃のあの舞台を見ていた。後から入って来た大江賢治などもそうだし、顧問の芦田先生も実はそうらしい。
 自分の劇団を立ち上げるのが彼の夢だ。大きな夢の引力に引き寄せられるように集まった連中、それがわたし達──星風学園演劇部なのだ。
 友則は出会った時に既に遠くにいた。例えわたしがこの役を演じきれなくても、彼は自力で舞台を成立させるだろう。彼一人の舞台として。彼がその気になれば、わたしの演技を完全に食ってしまうことなど簡単なのだ。
(いやだ)
 わたしだって、演劇部の一員だ。友則の夢に乗った一人なのだ。追いつくのは無理でも、せめて近くにいたい。何より、これはわたしの舞台だ。あいつの好きにさせてたまるものか。
 頭の中で、子供の天真爛漫さと年経た老人の狡賢さを併せ持つ男が、チェシャキャットの笑みを浮かべた。


 ──道隆さん。
 あなたが行ってしまってから、わたくしは毎日を空虚な想いで暮らしております。
 庭の片隅に咲く名もない花を見ては、その花びらで戻る戻らぬを占いたくなり、空を往く鳥を見ては、あなたの無事な姿を見て来て欲しいと思う毎日です。
 道隆さん。
 あなたは約束してくださいましたね、必ず戻ると。そして、わたくしを妻にしてくださると。その言葉を聞いた時、わたくしは心の内に決心しました。あなたを、いつまでも待つことを。
 その決心は、今でも変わっておりません。
 ですけれど……あなたの好きだったあの音楽を聴くと、あなたがここにいないことを思い知らされて、涙が出そうになります。三拍子のゆったりとしたワルツ。別れの日にも一緒にレコードを聞きましたわね。
 ──いけませんね、これでは。
 わたくしはあなたを待っております。何があっても、ここで。


 ……何をしていたのだろう、わたしは。
 わたしは我に帰って──呆然とした。どうしてこんな格好をしているんだろう。いつの間に着替えたんだろう。覚えがない。
 その時わたしがまとっていたのは、純白のシルク。あのウエディングドレスだった。ドレスはまるであつらえたようにぴったりと私の体に合っていた。
 わたしは……わたくしは、……そうだ、待っているのだ。
 待っている? それは今度の公演の話じゃないか。
 ──違う、待っているのよ、わたくしは。
 おかしい。何だか変だ。今日は……今は、一体いつだったろう?
 私は……。

     ☆

「気がついてます? 木野さん」
「何を?」
「何をって、朝子さんですよ。何だか変じゃないですか、最近。ふさぎ込んでるみたいだし」
「ああ、そのこと。気がつかないわけねえだろ、これでも同じクラスなんだぜ」
「だったら、どうにかしたらどうなんです」
「どうにか? なんで?」
「何でってねえ……心配じゃないんですか? 俺、知りませんよ、朝子さんにふられちゃっても」
「おまえさあ、何言ってんだい。俺と朝子さんは別に付き合ってるわけじゃねーぞ」
「そんな風に思ってんの、あんただけじゃないんですか?」
「おまえが余計な心配しなくてもいーの。フォローはちゃんとするから」
「……え?」
「さあてと、ちょっくら戸田んとこ行って来るか。セット作りサボってねぇだろうな、あの莫迦」
「あっ、ちょっと! ……ホントに考えてんのかな……?」
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