琉球お爺いの綺談

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日ノ本が危機

日ノ本が危機 現代“姥捨て山法案”法令化に向かって

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「日本国内に居住するすべての人間は、百歳までに特定介護施設で居住することを推奨する。附則:百歳からは強制執行の対象となる」
 
 これは、「2050年、日本は日ノ本ではなくなりました」で最後に、自殺を選択するお爺ぃの自害理由である。医療介護の限界は、高齢者治療に使うことができる資金の限界、年金支給の限界、介護者の限界が訪れる段階で起きる法令の蔑称である。しかしながら、著者は、これが現実となるような予測しかできなかった。

 介護限界は、現在の介護システムの限界に起因する。現在の介護システムの限界は、介護担当者が介護対象者まで移動するコストの限界にある。人口密集地域では、同一移動コストで、介護対象者の数が多くなるために、介護コストは低下する。しかしながら、人口過疎地域では、同一移動コストで介護対象者が少なくなるために、介護コストは上昇する。これが限界を突破すれば、介護対象者を見捨てる以外の手段が無くなることを意味する。

 今後、介護対象者が増加する数に対して、介護担当者の数はそれほど上昇しない。これは医療担当者全般についても同じである。どこかで限界が発生するのである。結果的には、介護できない高齢者への対策が必要となる。
 介護や医療の限界を超えた対象者は、一定の条件を満たす場所へ移住することを強制執行しなければ、介護や医療を維持管理することができなくなる。これが、未来に生じる“姥捨て山法案”の法令化である。
 こういった状況となれば、安楽死法案と道徳化という流れも生まれることとなろう。自殺の仕方についても様々なことが生まれるかもしれない。

 医療や介護にかかるコストを年齢別に捉えると、魔のスマイルカーブを描く。
資料:「医療給付実態調査報告」(厚生労働省保険局)等 厚生労働省「年齢階級別1人当たり医療費 - 厚生労働省」
 つまりは、妊娠出産でコストがかかり、成長してくと減少し、老化から高齢に向かって上昇していく魔のスマイルカーブである。しかしながら、妊娠出産が減少していけば、スマイルカーブは単調増加に変化することとなる。医療費の支出が単調増加となれば、限界をどこかで規定しなければ、国家の財政は破綻する。

 国民皆保険制度を維持しつつ、高額医療費用のコスト削減を考えれば、現代“姥捨て山法案”は、現実的な選択であるとも言える。
 一旦生じてしまった、少子高齢化の流れは、ちっとやそっとでは修正が効くほどに簡単ではない。特に、ソフトランディングを考えれば考えるほどに、現代“姥捨て山法案”の現実味を帯びていくこととなる。

 結果から言えば、ある程度の抵抗は、元気でなければできないのである。
 継続的な治療が必要となり、一定の施設が無ければ、生きて行くことそのものが困難になってしまえば、そういった施設を一定地域に絞ることで、収容施設のコスト対効果を維持管理することができる。
 コストが上昇すれば、法案年齢が低年齢化するだけである。国家が維持管理する限界そのものに国家予算という枠組みがあり、予算限界は維持管理限界となる。

 国外からの移住を増加させ、社会を活性化しながら、少子高齢化社会のソフトランディングを進めるためには、一定の斬り捨てが必要となる。現代“姥捨て山法案”は、悪法の代名詞となり、多くの反対が出てくるのであろうが、代案を考えることが作者にはできなかった。
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