琉球お爺いの綺談

Ittoh

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お爺の一考

百姓というのは、農民のことだけでは無い

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  百姓とは、様々な利権を保有する集団であるとされる。土地を耕して農耕を行う者もいれば、漁をして糧を得る者もいる。商売をするもの、鍛治をする者、薬を作る、病を治す、踊りを踊る者など、様々な土地で、様々なビジネスが生まれ、百姓と呼ばれるようになっていったのだと考えられるそうだ。鉱山の利権もあれば、水利というのも利権である。河川航行も利権ならば、海を行く航路もまた利権なのである。
  こういったイメージは、かなり新しい感覚のようで、「百姓」という存在について、今迄のイメージとは、異なるのだということを認識してほしい。


  日本では、歴史について少しづつとは言え、様々な考え方や理が生まれることが許容されるようになったのは、事実としてあるのだと思う。
  だからといって、自由に語れるのかというと、そういうわけでは無い。



  困ったことに、理性というものは、あると言う程になくなっていくようなところがある。冷静にというのは、冷静に話せないからこそ存在するのだと思う。学術というのは、客観的にというのがあるとは思うが、社会情勢から自由で居られるわけでは無いし、過去の人間における常識というものが、現在の人間にとって非常識である場合、現在の常識で、非常識扱いするというのも、客観的な判断とはとても思えないのである。
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