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4章
(42)瞋恚
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「リョーホ! シャル! 大丈夫か!?」
よく通る凛然とした声が聞こえ、沈んでいた意識が漫然と浮上してくる。鉛を吊るしたような重い瞼を持ち上げると、霞む視界の向こうで心配そうにこちらを覗き込むエトロが見えた。
ぐっと背中に力を入れながら起き上がると、エトロの横にはシャルとトルメンダルクから切り落とされた肉片が転がっていた。どうやらニヴィの魂を取り出した後、シャルと二人で気を失っていたらしい。氷の足場の上で倒れていたにも関わらず、それほど手足が冷えていないことから、あれからあまり時間は経っていないようだ。
俺は投げ出していた足を折りたたんで胡座をかくと、ヤツカバネの力を発動して自分の身体を見下ろした。すると、皮膚の下で三種類の菌糸能力を繋ぐように根を張る『支配』の菌糸模様が見える。ニヴィの力は確と俺の中に継承されたらしい。
俺がほっと胸を撫で下ろした瞬間、航空機が至近距離を掠めたような爆音が空を揺るがした。軽く頬を打つような衝撃でさっきまで気絶していたシャルも勢いよく飛び起き、俺たちの視線も吸い込まれるように空へと集中した。
音の発生源では、レオハニーに止めを刺されたはずのトルメンダルクが、頭部の半分を失ったまま大空の中をのたうち回っていた。体内まで溶岩で焼き焦がされたからか出血は止まっているようだが、それがなおの事トルメンダルクの異常な生命力を裏付けていた。
「あいつ……まだ生きてるのか」
「ああ。決着をつけないとな」
俺はエトロの手を借りながら立ち上がると、自分の太刀を生成しようとして動きを止めた。
「……エトロ。試したいことがあるんだがいいか?」
「何をする気だ?」
「まぁ見てろって」
右手の拳を左手に押し当て不敵に笑い、自分の全身を巡る菌糸に意識を向ける。
ニヴィの菌糸能力のお陰で、俺はいかに自分の身体を使いこなせていないのかを悟ることが出来た。ヤツカバネの菌糸能力は、魂の形を感知し、同時に魂を操ることが出来る力――『瞋恚(しんい)』だ。無数の人生を歩み、多くの菌糸を抱えた俺の身体は、『瞋恚』を使えば魂に蓄積された経験の数だけ変幻自在となる。
俺はニヴィから譲り受けた『支配』の力を発動し、己の肉体を完全に制御下に置いた。『紅炎』も『雷光』もすべて俺の意識と同化し、属性で区分けされていた菌糸能力が統合される。そして『瞋恚』は俺のイメージを正確に汲み取り、魂の造形を組み替えていった。
空を飛ぶ力を。
トルメンダルクを超える速度を。
仲間を連れていく大きな身体を。
青白い光が俺の全身を包み込み、視点が一気に高くなる。いつしか俺の背中からは青い葉鱗を纏った白い巨木が生え、青い葉鱗が全身を覆い隠していく。俺と白い巨木が同化すると、今度は粘土のように引き延ばされムカデじみた長い骨格を形成する。手足の感覚が人間とは全く別の構造に置き換わった時、四つに分かれた視界が俺の脳と繋がった。
元の数十倍にも膨れ上がった体で、氷の足場を蹴り上げる。
『クルルルアアアアアアアッ!』
笛を鳴らすような凛然とした鳴き声が俺の喉から高らかに響き渡り、全身を覆い隠していた青い葉鱗が内側から吹き散らされた。青い葉鱗は雪のような燐光を振りまきながら燃え尽き、その間を縫うように、俺は長い体で空気の流れをつかみ取る。
――蒼天を泳ぐ骨がいた。
タツノオトシゴにムカデの胴体を装着させたような白い躯体が、真っ青な空中の海を自在にうねり回る。九本に枝分かれした鹿の角の先端からは、青白い雷が空気を燃やしながら激しく瞬く。
白雷竜、またの名をクラトネール。
神速を冠した上位ドラゴンが、エトロとシャルの頭上で踊るようにくるりと回った。骨を模した胴体部には、通常個体と明らかに違う紅色の菌糸模様が所々に浮かんでおり、背中には青い葉鱗が分厚い翼をはためかせていた。
完全にドラゴンの姿となった俺を見て、シャルは氷の足場をぴょんぴょん飛び跳ねながら歓声を上げた。
「うわー! リョーホすげー!」
「リョーホ……」
エトロは驚きに目を見開いた後、柔らかく目を細めながらクラトネールに両手を伸ばした。それはまるで抱っこをねだる子供のように無邪気で、普段の彼女とは想像もつかぬほど無防備だった。
『クルルルル』
クラトネールは楽し気に喉を鳴らすと、エトロたちの元へ急降下していった。稲光のような光と共に着地すれば、氷の足場ががくんと落ちながら砕ける。足場が残っている間にエトロとシャルが急いで飛び乗ると、クラトネールはとぐろを巻きながら身を撓め、力強く翼で空気を蹴り飛ばした。
その時、視界が放射状に引き延ばされた。乾ききっていない絵の具の中心に空気を吹き付けたように景色が吹っ飛び、後から雷鳴に似た轟音が追いかけてくる。不思議なことにこれだけの高速移動をしてもエトロたちは風を感じなかった。
エトロたちを乗せて一気に空へと駆けあがったクラトネールは、そのまま凱旋するようにトルメンダルクの尾から頭部を走破した。風に靡きながら翼から振りまかれた青い燐光はひらひらとトルメンダルクの鱗へ付着すると、そこから焼けるような音を立てて菌糸を消滅させた。
『ギャアアアアアアアアアア!』
風を操る菌糸を『支配』の能力で殺され、トルメンダルクが激痛に絶叫する。さらに菌糸が減ったことで巨体を飛ばす力も失い、トルメンダルクの高度が下がり始める。
「いいぞリョーホ! オラガイアより上を飛べなくなってしまえば都市の被害を止められる!」
『クルルルッ!』
クラトネールが短く返事をしながらトルメンダルクの中腹に差し掛かったところで、下からハイテンションな声が聞こえてきた。
「おい、おいおいおいおい!」
今にも踊り出しそうなほど声を弾ませながら、とてつもなく目を輝かせたドミラスがクラトネールの背に飛び乗った。
「マジかよ、お前リョーホか!? どういう原理だ!? 魂だけでこうも完璧にクラトネールを再現できるものなのか!?」
「うるさいぞ。真面目にやれドミラス!」
「真面目にやってられるか! データが欲しい! 会話できんのか!? なぜ自我が消えない!? なぜ別の肉体なのに魂に拒絶反応が起きない!? まるで謎だ! この世にまだこんなものがあったとはな!!」
「ドミラス、ちょっとうるさいし!」
シャルに怒鳴られ、ドミラスは愕然と口を開けて崩れ落ち、その場でダンゴムシになった。相変わらずの研究馬鹿っぷりにエトロは半ば軽蔑するような目つきになった後、気持ちを切り替えるように深々とため息を吐いた。
「落ち込んでいるところ悪いが、師匠はいまどこにいる?」
「……グレンと共にトルメンダルクの首を落としにかかっている。それで死ぬとも思えんがな」
「なら他のドラゴンと同じように核を破壊すればいいだろう?」
「核の場所が分かればそれでいいんだが、散々レオハニーが切り刻んでも見当たらなかったんだ。これ以上戦闘が長引くのもまずい」
ちらり、とドミラスがオラガイアを見やれば、トルメンダルクが手当たり次第にまき散らした竜巻のせいで、オラガイアが一回り小さくなっているのが見えた。クラトネールがトルメンダルクの菌糸を削ってくれたおかげで制空権を取られることはないだろうが、真下から竜巻を起こされれば地下に避難しているオラガイアの住民にも危険が及ぶ。そのためこれ以上の被害が及ばぬよう確実に止めを刺したかった。
『グルルッ』
ふと、クラトネールが低く鳴き声を発し、トルメンダルクの背へと着地した。それから顎でしゃくるような仕草で降りるように促され、エトロたちは強風に飛ばされぬよう気を付けながら飛び降りる。すると、青い燐光を振りまきながらクラトネールの身体が溶けていき、中心からすとんと人間の身体が落ちてきた。
自分の意識がドラゴンから人間の身体とリンクした瞬間、俺は四つん這いになりながらげぇっと舌を伸ばした。
「めっっっっちゃ疲れるドラゴンの身体!」
巨大な身体で落下の恐怖を気にせずに飛び回れるのは最高だったが、少しでも気を抜けば意識が人間から外れそうになり、逆に人間であろうとすると身体が崩れそうになってかなり精神を削られた。爆撃感覚で広範囲に『雷光』に混ぜ込んだ『支配』を振りまいてトルメンダルクの菌糸を破壊できたが、使いどころは見極めた方がいい代物である。
ぜえはあと呼吸を整えていると、エトロからぽすっと背中を叩かれた。
「助かったぞリョーホ。すごく便利だった」
「そりゃよかったよ。乗り物役は楽じゃないけどな!」
「休憩が終わったらもう一回やれ」
「鬼かよドクター!」
無茶ぶりをかましてくるドミラスに叫んだあと、俺はよろよろと立ち上がって作戦を口にしようとした。
「ドクター。俺はついさっき、ニヴィから『支配』の能力を譲ってもらった」
「なるほど、『支配』の力を使って核を見つけ出すと言うわけだな?」
「お、おう。話が早いな。つーわけで、俺はしばらく動けなくなるから周りを守ってほしい」
「了解した。エトロはレオハニーに伝えてこい。シャルは浦敷が振り落とされないように『重力操作』で支えてやれ」
代わりにドミラスが的確な指示を出している間、俺は掌から太刀を引き抜いてトルメンダルクの半分融解した鱗へ突き刺した。トルメンダルクの巨体すべてを『支配』で死滅させるのは体力的に無理だ。核を探し出してその部位だけを破壊した方が早く終わる。そのためにはまず、トルメンダルクの核がどこにあるのかを把握しなければならない。
俺は太刀越しに『支配』の力をトルメンダルクに流し込み、核の居場所を探り当てようとした。頭部には確実にない。心臓にはなかった。尾は崩れているのであると思えない。では魂が収束しているところか?
思考を巡らせながら瞳に『瞋恚』を発動させれば、肉が削られたおかげか、最初よりも遥かにトルメンダルクの全身を包む魂の密度が下がっていた。お陰で無数の魂たちが何を目指して流れ続けていたのかようやく把握することが出来た。
「見つけたぞ……!」
トルメンダルクの胴体部には心臓が二つあった。一つは生物として当たり前に持っている筋肉で形作られたもの。もう一つは臍のあたりにあり、血管ではなく無数の菌糸と繋がって作られたただの肉の塊だった。あの不気味な心臓こそが、頭を失ってもなおトルメンダルクが動ける理由なのだろう。通常の心臓はすでに停止しているので、今のトルメンダルクは死体のまま動き回っているようだった。
俺は胸糞悪いものを覚えながら、心臓の代わりを担っている肉の塊へ『支配』の力を集中させた。すると身の危険を感じたのか、トルメンダルクがより激しく身体をくねらせ、欠けた身体のあちこちから濁った竜巻を縦横無尽に吐き散らした。
「来るぞ!」
ドミラスが警戒を促すと同時に、シャルが『重力操作』でトルメンダルクの鱗を剥ぎ取り、竜巻の中心へと蹴り飛ばした。異物が入り込んだことで竜巻の気流が乱れるが、完全に消える前に鱗が風に耐え切れず粉々に消し飛んだ。
「あれ、触ったらヤバいし!?」
「シャルは浦敷を守れ!」
即座に場所を入れ替えながらドミラスが蜘蛛糸のような壁を作り上げる。だが、津波のように一塊となった竜巻はシュレッダーのように糸を食いちぎり、勢いを止めることなく俺たちの元まで押し寄せてきた。
「くそっ」
ドミラスが珍しく焦ったように毒を吐くと、俺たちの周囲が突然暗くなり、代わりに遥か上空で強烈な光が収束した。身の危険が迫っていることも忘れて振り返ると、天にも届きそうなほどの溶岩の大剣が高々と振り上げられていくところだった。
「え、ちょっとレオハニーさんやりすぎだって──」
ぶわっと冷や汗を掻きながら俺は手を伸ばしたが、当然止められるわけがなかった。
ごうっ! と噴火を連想させるような轟音を立てながら、まるで介錯人のように大剣が振り下ろされる。それはギロチンのように竜巻を上から叩き潰し、風の津波に飲み込まれそうになっていた俺たちを見事に守り切った。
「熱っつい!」
大剣から迸る火の粉に多少炙られたが、竜巻に警戒する必要がなくなったのは大きい。俺は火傷した頬を乱暴に擦った後、すでに『支配』の能力で包み込んでいたトルメンダルクの核をつかみ取った。菌糸を死滅させても、外周から流れ込んでくる魂のせいでキリがない。やはり外へ引きずり出して直接破壊した方がいいだろう。
「ドクター、シャル! 核は臍だ! 俺はもう大丈夫だから行ってくれ!」
血が滲むほど強く太刀を握りしめながら叫ぶと、ドミラスは無言で頷いて走り出した。だがシャルだけは未練がましく俺の傍から離れようとしない。
「シャル!」
「でも、また竜巻が来たら……」
「ニヴィの仇を取るんだろ?」
「……~ッ!」
シャルは歯を食いしばりながら地団太を踏むと、足首に紫色の菌糸模様を光らせて飛び出していった。
「さて……送り出したのはいいけどな……」
苦笑しながら俺が顔を上げた先には、レオハニーの斬撃で残された炎をかき消してしまうほど巨大な竜巻が迫ってきていた。竜巻の大きさは三十階建てのビルまるまる一つ分だろうか。とても一人の人間で対処できる規模ではない。
『雷光』でとんずらしたいところだが、今は『支配』でトルメンダルクの核を身体の表面に引きずり出すので手一杯だ。この場を離れたらせっかくのチャンスが無駄になってしまう。いくらレオハニーでも、トルメンダルクの胴を輪切りにできるほどの力が残されていると思えないのだから。
俺は必死に打開策を探しながら、ミキサーのように凶悪な音を立てる竜巻を睨みつけた。
瞬間、吐息が白く染まるほどの冷気が俺の足元から吹き荒れた。それは次第に大粒の雪を伴うほどの大吹雪となり、真っ向から竜巻を丸呑みにした。
「うお!?」
吹雪で形を崩された竜巻は凍っていく自分の身体を削りながら抵抗を続けていたが、風に紛れ込んだ氷の破片で見る見るうちに勢いを削がれていき、やがて完全に無害な雲になって沈黙した。吹雪で押し流されていく雲を眺めながらあんぐりと口を開けていると、槍をくるくると回しながらすぐ近くにエトロが飛び降りてきた。
「何でも一人でやろうとするな。リョーホ」
「……はは。お前武器だけで強くなりすぎだろ。ずるいっつの」
照れ隠しのついでに笑いかけると、臍の方から『支配』を伝って現況が送られてきた。表に引きずり出されたトルメンダルクの核の周辺で、白く変色した肉たちがひとりでに動き出しドラゴンのような口を作りながらドミラス達に抵抗しているようだ。
「くっ、しつこいなこいつ!」
『支配』を使って白いドラゴンたちを無力化させようとするが、今度は核が肉の中に潜り込もうと暴れ始める。二進も三進もいかない状況に俺は舌打ちした。
「レオハニーさんは!?」
「今向かってるはずだ!」
俺の問いにエトロが即座に答えつつ、槍を大上段に構える。エトロの視線の先には先ほどと同じ規模の竜巻が生まれつつあった。何が何でも生き残ってやろうというトルメンダルクの──いや、白いキメラたちの執念が伝わってくる。
死体にへばりついてまで生き残ろうとする無数の魂たちに自我はあるのだろうか。俺には理性を失い本能だけとなった亡者共の行進にしか思えなかった。
「さっさと、大人しく死ね!」
俺はより強く太刀の柄を握りしめ、トルメンダルクの臍から露出していた核を『支配』で引きはがそうとした。すると、『瞋恚』で見える魂の流れが加速し、肉体と核との繋がりを強めようと菌糸の根を生やし始める。
「ぐ、おおおおお!」
ついに俺の『支配』と魂たちの抵抗が拮抗した時、紅と青の閃光が核の根元を刺し貫いた。
「!?」
散々抵抗していた魂たちの力が消え、あっさりと核がトルメンダルクの肉体から離れる。菌糸と核の繋がりを絶ったのはグレンの『雷嵐』だった。『支配』ですら死滅させられなかった菌糸を、たった一太刀で切り飛ばしてしまうとは。
空中に放り出されたトルメンダルクの核は、肉体に戻ろうと再び菌糸を伸ばそうとする。しかしグレンはその上に飛び乗ると、目にもとまらぬ速さで手甲剣を振るい、核を取り巻く菌糸を片っ端から四散させた。さらに『重力操作』で加速したシャルが核を上空へ蹴り上げ、オラガイアとは反対側の方角へと移動させる。
誰も巻き込まない角度と高度は、トルメンダルクの背にいる俺からでもよく見えた。そして、打ち上げられた核から百メートルほど離れた場所から業火が渦巻く。その渦は秒を刻むほどに精彩を極め、目を見張るほど巨大なレールガンを作り上げた。
レオハニーはレールガンを繰り角度を調整すると、左手を真っすぐと頭上に振り上げ、砲撃指示を飛ばした。
瞬間、レールガンの根元から大砲が発射された。自らを破壊するほどの高威力の射撃は、レールガンの残骸を連れてトルメンダルクの核を貫通し、遅れて大爆発を引き起こした。
吹き荒らされた大気が、逃げ出すついでに俺たちを突き飛ばす。遅れて、けたたましい音が鼓膜をつんざいた。
思わず目をつぶると、風に乗った灼熱が皮膚を掠め、上着がバタバタと背後で暴れた。
数秒かけて熱と光が弱まるのを待った後、俺は恐る恐る目を開いた。トルメンダルクに引き裂かれながらも辛うじて残っていた雲は今や一つも残っていない。トルメンダルクの核は影も形もなく、溶岩の破片が赤々と燃えながら花火のように空中へ溶けていった。
「……もうあの人だけでいいんじゃないか?」
あれほどの威力を出せるなら、一撃でトルメンダルクを消滅させられるはずだ。オラガイアや俺たちのような足手まといがいなければ、きっとレオハニーはそれを実行していただろう。
何とも言えない気分で晴れ渡った空を見上げていると、足場にしていたトルメンダルクの身体がウナギのように暴れ出した。危うく振り落とされそうになり、刺していたままの太刀に縋りつきながら落ちかけたエトロを掴む。
「大丈夫か、エトロ!」
「ああ! でもまだこいつ生きてるぞ!」
エトロが声を張り上げると同時に、トルメンダルクが急角度で旋回しオラガイアに向けて突進する。『瞋恚』を使うとトルメンダルクの肉体に残った魂が体当たりで巨体を操っている様子が見えた。最後の力を振り絞ってまで、トルメンダルクは予言書の通りにオラガイアを滅ぼしたいらしい。
「こいつら、地下の心臓部を破壊する気か!」
「どうやって止める!?」
「そんなの──」
途中で俺は口をつぐみ、即座に『瞋恚』でクラトネールに変化しエトロを口にくわえた。
「うわっリョーホ!?」
驚愕するエトロをできるだけ揺らさないよう、しかし全速力でトルメンダルクの臍へ向かう。そして鱗にしがみ付いているドミラス達の周囲をぐるりと回って全員を回収し、その場から離脱した。
その数秒後、がむしゃらにオラガイアへ猛進していたトルメンダルクが、上から落ちた西区画の大地によって叩き潰された。ぐしゃりと肉と骨が砕け散る音が、瓦礫の山に押されるようにして遥か彼方の大地へ落下していく。トルメンダルクは重さと重力に逆らうこともできず、そのまま雲海の向こう側へ姿を消していった。
「西区画だと? 当初の予定通りだが、一体誰が……」
困惑するエトロと共に、俺はクラトネールの翼をはためかせてオラガイアを目指す。ドラゴンの中でも速さが随一なだけあり、クラトネールはほんの数秒でオラガイアの中央区の上へ辿り着いた。
いくら瀕死だったとはいえ、巨大なトルメンダルクが力任せにオラガイアに追突していたら今度こそ危なかったかもしれない。しかしオラガイアに残った狩人たちはスタンピードの対処で忙しく、西区画を落とすどころではなかったはずだが……。
状況を確認するために、大聖堂の周りを旋回してみる。すると、見覚えのあるポニーテールの男が淡い黄緑色の大弓を背負いながらこちらに手を振っていた。男の後ろでは、西区画と中央区との断面に並ぶようにして狩人たちが集まっている。おそらく狩人たちが手分けして西区画と中央区を分断し、トルメンダルクの上に落としてくれたのだろう。
狩人の何人かはクラトネールを警戒しているようだが、弓使いの狩人が事前に何か言ったのか、いきなり襲い掛かってくるようなことはなさそうだった。
俺は速度を落としながら弓使い──アンリの前に着陸し、青い燐光を振りまきながら人間に戻った。俺の背後でエトロたちが地面に降り立つ足音を聞きながら、俺は笑顔でこちらの到着を待っていたアンリに駆け寄った。
「アンリ! さっきのお前がやったのか!?」
「ああ。作戦通りに西区画を落としただけなんだけど、余計なお世話だったかい?」
しれっと宣うアンリに、俺は笑いながら言葉を詰まらせ、最終的に堪え切れずに爆笑した。
「はははは! おっまえマジで、頼りになりすぎだっつの!」
顔を真っ赤にしながらアンリの背中をバシバシ叩いて、それでも興奮を発散しきれず肩を組んだ。アンリは面倒くさそうに笑っていたが、俺の手を払いのけようとしなかった。すると俺とアンリの間にエトロが飛び込んできて、不意を突かれた俺たちは勢いよくその場でひっくり返った。
「うぎゃ!」
「あはは! 珍しいね、エトロはこういうの嫌いじゃなかったっけ?」
「うるさい! 全くお前は、最後の最後においしいところを思っていくなんて!」
「シャルもハグするー!」
三人で団子になっているところにシャルまで飛び込んできて、地面に寝転がったままもみくちゃになる。誰かが立ち上がろうとすれば他の誰かが引きずり込んで、ただそれだけのことなの笑いが込み上げてきて止まらない。ひーひーと声を上げながら四人で笑っていると、狩人たちの方からどよめきが上がった。
笑いすぎて滲んだ涙を拭きながら四人でそちらを振り返ると、丁度一仕事終えたレオハニーがふわふわと降りてくるところだった。
「師匠!」
一足早く団子から抜け出したエトロが、埃を払いながらレオハニーの傍に駆け寄る。他の狩人たちの尊敬や興奮を滲ませた面持ちでレオハニーを囲った。地面に寝転がっていた俺たちも立ち上がって居住まいを正し、自然とレオハニーの言葉を待ちわびる。
レオハニーの派手な戦いぶりはオラガイアからでも存分に見守ることが出来ただろう。グレンも浮遊器官のほとんどを破壊してニヴィ救出に貢献してくれたのだが、最後の締めはやはり、最強の討滅者にこそふさわしい。
レオハニーはほんの少しだけ困ったように目を伏せた後、毅然と顔を上げて朗々と語り上げた。
「ここにいる皆、命をかけた者たちのお陰で、トルメンダルクは倒され、無事にスタンピードを乗り越えることが出来た。……私たちの勝利だ。勝鬨をあげよう」
「「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」」
足元がびりびりと震えるほどの雄たけびが響き、傷だらけの拳が空へ掲げられる。長く苦しい戦いは晴れ晴れとした達成感によって幕を引いたのだ。
心地よい勝鬨を聞きながら勝利の爽快感を味わっていると、エトロが俺の隣に来て悪戯っぽく笑った。
「リョーホ。これで私たちも守護狩人になれるな」
「……ああ。ようやくだ」
故郷の正体を知ってしまった俺には、もう守護狩人を目指す理由はない。だが、故郷に帰るためだけに守護狩人を目指していた過去の自分が、遠い場所から手を振っているような気がした。
よく通る凛然とした声が聞こえ、沈んでいた意識が漫然と浮上してくる。鉛を吊るしたような重い瞼を持ち上げると、霞む視界の向こうで心配そうにこちらを覗き込むエトロが見えた。
ぐっと背中に力を入れながら起き上がると、エトロの横にはシャルとトルメンダルクから切り落とされた肉片が転がっていた。どうやらニヴィの魂を取り出した後、シャルと二人で気を失っていたらしい。氷の足場の上で倒れていたにも関わらず、それほど手足が冷えていないことから、あれからあまり時間は経っていないようだ。
俺は投げ出していた足を折りたたんで胡座をかくと、ヤツカバネの力を発動して自分の身体を見下ろした。すると、皮膚の下で三種類の菌糸能力を繋ぐように根を張る『支配』の菌糸模様が見える。ニヴィの力は確と俺の中に継承されたらしい。
俺がほっと胸を撫で下ろした瞬間、航空機が至近距離を掠めたような爆音が空を揺るがした。軽く頬を打つような衝撃でさっきまで気絶していたシャルも勢いよく飛び起き、俺たちの視線も吸い込まれるように空へと集中した。
音の発生源では、レオハニーに止めを刺されたはずのトルメンダルクが、頭部の半分を失ったまま大空の中をのたうち回っていた。体内まで溶岩で焼き焦がされたからか出血は止まっているようだが、それがなおの事トルメンダルクの異常な生命力を裏付けていた。
「あいつ……まだ生きてるのか」
「ああ。決着をつけないとな」
俺はエトロの手を借りながら立ち上がると、自分の太刀を生成しようとして動きを止めた。
「……エトロ。試したいことがあるんだがいいか?」
「何をする気だ?」
「まぁ見てろって」
右手の拳を左手に押し当て不敵に笑い、自分の全身を巡る菌糸に意識を向ける。
ニヴィの菌糸能力のお陰で、俺はいかに自分の身体を使いこなせていないのかを悟ることが出来た。ヤツカバネの菌糸能力は、魂の形を感知し、同時に魂を操ることが出来る力――『瞋恚(しんい)』だ。無数の人生を歩み、多くの菌糸を抱えた俺の身体は、『瞋恚』を使えば魂に蓄積された経験の数だけ変幻自在となる。
俺はニヴィから譲り受けた『支配』の力を発動し、己の肉体を完全に制御下に置いた。『紅炎』も『雷光』もすべて俺の意識と同化し、属性で区分けされていた菌糸能力が統合される。そして『瞋恚』は俺のイメージを正確に汲み取り、魂の造形を組み替えていった。
空を飛ぶ力を。
トルメンダルクを超える速度を。
仲間を連れていく大きな身体を。
青白い光が俺の全身を包み込み、視点が一気に高くなる。いつしか俺の背中からは青い葉鱗を纏った白い巨木が生え、青い葉鱗が全身を覆い隠していく。俺と白い巨木が同化すると、今度は粘土のように引き延ばされムカデじみた長い骨格を形成する。手足の感覚が人間とは全く別の構造に置き換わった時、四つに分かれた視界が俺の脳と繋がった。
元の数十倍にも膨れ上がった体で、氷の足場を蹴り上げる。
『クルルルアアアアアアアッ!』
笛を鳴らすような凛然とした鳴き声が俺の喉から高らかに響き渡り、全身を覆い隠していた青い葉鱗が内側から吹き散らされた。青い葉鱗は雪のような燐光を振りまきながら燃え尽き、その間を縫うように、俺は長い体で空気の流れをつかみ取る。
――蒼天を泳ぐ骨がいた。
タツノオトシゴにムカデの胴体を装着させたような白い躯体が、真っ青な空中の海を自在にうねり回る。九本に枝分かれした鹿の角の先端からは、青白い雷が空気を燃やしながら激しく瞬く。
白雷竜、またの名をクラトネール。
神速を冠した上位ドラゴンが、エトロとシャルの頭上で踊るようにくるりと回った。骨を模した胴体部には、通常個体と明らかに違う紅色の菌糸模様が所々に浮かんでおり、背中には青い葉鱗が分厚い翼をはためかせていた。
完全にドラゴンの姿となった俺を見て、シャルは氷の足場をぴょんぴょん飛び跳ねながら歓声を上げた。
「うわー! リョーホすげー!」
「リョーホ……」
エトロは驚きに目を見開いた後、柔らかく目を細めながらクラトネールに両手を伸ばした。それはまるで抱っこをねだる子供のように無邪気で、普段の彼女とは想像もつかぬほど無防備だった。
『クルルルル』
クラトネールは楽し気に喉を鳴らすと、エトロたちの元へ急降下していった。稲光のような光と共に着地すれば、氷の足場ががくんと落ちながら砕ける。足場が残っている間にエトロとシャルが急いで飛び乗ると、クラトネールはとぐろを巻きながら身を撓め、力強く翼で空気を蹴り飛ばした。
その時、視界が放射状に引き延ばされた。乾ききっていない絵の具の中心に空気を吹き付けたように景色が吹っ飛び、後から雷鳴に似た轟音が追いかけてくる。不思議なことにこれだけの高速移動をしてもエトロたちは風を感じなかった。
エトロたちを乗せて一気に空へと駆けあがったクラトネールは、そのまま凱旋するようにトルメンダルクの尾から頭部を走破した。風に靡きながら翼から振りまかれた青い燐光はひらひらとトルメンダルクの鱗へ付着すると、そこから焼けるような音を立てて菌糸を消滅させた。
『ギャアアアアアアアアアア!』
風を操る菌糸を『支配』の能力で殺され、トルメンダルクが激痛に絶叫する。さらに菌糸が減ったことで巨体を飛ばす力も失い、トルメンダルクの高度が下がり始める。
「いいぞリョーホ! オラガイアより上を飛べなくなってしまえば都市の被害を止められる!」
『クルルルッ!』
クラトネールが短く返事をしながらトルメンダルクの中腹に差し掛かったところで、下からハイテンションな声が聞こえてきた。
「おい、おいおいおいおい!」
今にも踊り出しそうなほど声を弾ませながら、とてつもなく目を輝かせたドミラスがクラトネールの背に飛び乗った。
「マジかよ、お前リョーホか!? どういう原理だ!? 魂だけでこうも完璧にクラトネールを再現できるものなのか!?」
「うるさいぞ。真面目にやれドミラス!」
「真面目にやってられるか! データが欲しい! 会話できんのか!? なぜ自我が消えない!? なぜ別の肉体なのに魂に拒絶反応が起きない!? まるで謎だ! この世にまだこんなものがあったとはな!!」
「ドミラス、ちょっとうるさいし!」
シャルに怒鳴られ、ドミラスは愕然と口を開けて崩れ落ち、その場でダンゴムシになった。相変わらずの研究馬鹿っぷりにエトロは半ば軽蔑するような目つきになった後、気持ちを切り替えるように深々とため息を吐いた。
「落ち込んでいるところ悪いが、師匠はいまどこにいる?」
「……グレンと共にトルメンダルクの首を落としにかかっている。それで死ぬとも思えんがな」
「なら他のドラゴンと同じように核を破壊すればいいだろう?」
「核の場所が分かればそれでいいんだが、散々レオハニーが切り刻んでも見当たらなかったんだ。これ以上戦闘が長引くのもまずい」
ちらり、とドミラスがオラガイアを見やれば、トルメンダルクが手当たり次第にまき散らした竜巻のせいで、オラガイアが一回り小さくなっているのが見えた。クラトネールがトルメンダルクの菌糸を削ってくれたおかげで制空権を取られることはないだろうが、真下から竜巻を起こされれば地下に避難しているオラガイアの住民にも危険が及ぶ。そのためこれ以上の被害が及ばぬよう確実に止めを刺したかった。
『グルルッ』
ふと、クラトネールが低く鳴き声を発し、トルメンダルクの背へと着地した。それから顎でしゃくるような仕草で降りるように促され、エトロたちは強風に飛ばされぬよう気を付けながら飛び降りる。すると、青い燐光を振りまきながらクラトネールの身体が溶けていき、中心からすとんと人間の身体が落ちてきた。
自分の意識がドラゴンから人間の身体とリンクした瞬間、俺は四つん這いになりながらげぇっと舌を伸ばした。
「めっっっっちゃ疲れるドラゴンの身体!」
巨大な身体で落下の恐怖を気にせずに飛び回れるのは最高だったが、少しでも気を抜けば意識が人間から外れそうになり、逆に人間であろうとすると身体が崩れそうになってかなり精神を削られた。爆撃感覚で広範囲に『雷光』に混ぜ込んだ『支配』を振りまいてトルメンダルクの菌糸を破壊できたが、使いどころは見極めた方がいい代物である。
ぜえはあと呼吸を整えていると、エトロからぽすっと背中を叩かれた。
「助かったぞリョーホ。すごく便利だった」
「そりゃよかったよ。乗り物役は楽じゃないけどな!」
「休憩が終わったらもう一回やれ」
「鬼かよドクター!」
無茶ぶりをかましてくるドミラスに叫んだあと、俺はよろよろと立ち上がって作戦を口にしようとした。
「ドクター。俺はついさっき、ニヴィから『支配』の能力を譲ってもらった」
「なるほど、『支配』の力を使って核を見つけ出すと言うわけだな?」
「お、おう。話が早いな。つーわけで、俺はしばらく動けなくなるから周りを守ってほしい」
「了解した。エトロはレオハニーに伝えてこい。シャルは浦敷が振り落とされないように『重力操作』で支えてやれ」
代わりにドミラスが的確な指示を出している間、俺は掌から太刀を引き抜いてトルメンダルクの半分融解した鱗へ突き刺した。トルメンダルクの巨体すべてを『支配』で死滅させるのは体力的に無理だ。核を探し出してその部位だけを破壊した方が早く終わる。そのためにはまず、トルメンダルクの核がどこにあるのかを把握しなければならない。
俺は太刀越しに『支配』の力をトルメンダルクに流し込み、核の居場所を探り当てようとした。頭部には確実にない。心臓にはなかった。尾は崩れているのであると思えない。では魂が収束しているところか?
思考を巡らせながら瞳に『瞋恚』を発動させれば、肉が削られたおかげか、最初よりも遥かにトルメンダルクの全身を包む魂の密度が下がっていた。お陰で無数の魂たちが何を目指して流れ続けていたのかようやく把握することが出来た。
「見つけたぞ……!」
トルメンダルクの胴体部には心臓が二つあった。一つは生物として当たり前に持っている筋肉で形作られたもの。もう一つは臍のあたりにあり、血管ではなく無数の菌糸と繋がって作られたただの肉の塊だった。あの不気味な心臓こそが、頭を失ってもなおトルメンダルクが動ける理由なのだろう。通常の心臓はすでに停止しているので、今のトルメンダルクは死体のまま動き回っているようだった。
俺は胸糞悪いものを覚えながら、心臓の代わりを担っている肉の塊へ『支配』の力を集中させた。すると身の危険を感じたのか、トルメンダルクがより激しく身体をくねらせ、欠けた身体のあちこちから濁った竜巻を縦横無尽に吐き散らした。
「来るぞ!」
ドミラスが警戒を促すと同時に、シャルが『重力操作』でトルメンダルクの鱗を剥ぎ取り、竜巻の中心へと蹴り飛ばした。異物が入り込んだことで竜巻の気流が乱れるが、完全に消える前に鱗が風に耐え切れず粉々に消し飛んだ。
「あれ、触ったらヤバいし!?」
「シャルは浦敷を守れ!」
即座に場所を入れ替えながらドミラスが蜘蛛糸のような壁を作り上げる。だが、津波のように一塊となった竜巻はシュレッダーのように糸を食いちぎり、勢いを止めることなく俺たちの元まで押し寄せてきた。
「くそっ」
ドミラスが珍しく焦ったように毒を吐くと、俺たちの周囲が突然暗くなり、代わりに遥か上空で強烈な光が収束した。身の危険が迫っていることも忘れて振り返ると、天にも届きそうなほどの溶岩の大剣が高々と振り上げられていくところだった。
「え、ちょっとレオハニーさんやりすぎだって──」
ぶわっと冷や汗を掻きながら俺は手を伸ばしたが、当然止められるわけがなかった。
ごうっ! と噴火を連想させるような轟音を立てながら、まるで介錯人のように大剣が振り下ろされる。それはギロチンのように竜巻を上から叩き潰し、風の津波に飲み込まれそうになっていた俺たちを見事に守り切った。
「熱っつい!」
大剣から迸る火の粉に多少炙られたが、竜巻に警戒する必要がなくなったのは大きい。俺は火傷した頬を乱暴に擦った後、すでに『支配』の能力で包み込んでいたトルメンダルクの核をつかみ取った。菌糸を死滅させても、外周から流れ込んでくる魂のせいでキリがない。やはり外へ引きずり出して直接破壊した方がいいだろう。
「ドクター、シャル! 核は臍だ! 俺はもう大丈夫だから行ってくれ!」
血が滲むほど強く太刀を握りしめながら叫ぶと、ドミラスは無言で頷いて走り出した。だがシャルだけは未練がましく俺の傍から離れようとしない。
「シャル!」
「でも、また竜巻が来たら……」
「ニヴィの仇を取るんだろ?」
「……~ッ!」
シャルは歯を食いしばりながら地団太を踏むと、足首に紫色の菌糸模様を光らせて飛び出していった。
「さて……送り出したのはいいけどな……」
苦笑しながら俺が顔を上げた先には、レオハニーの斬撃で残された炎をかき消してしまうほど巨大な竜巻が迫ってきていた。竜巻の大きさは三十階建てのビルまるまる一つ分だろうか。とても一人の人間で対処できる規模ではない。
『雷光』でとんずらしたいところだが、今は『支配』でトルメンダルクの核を身体の表面に引きずり出すので手一杯だ。この場を離れたらせっかくのチャンスが無駄になってしまう。いくらレオハニーでも、トルメンダルクの胴を輪切りにできるほどの力が残されていると思えないのだから。
俺は必死に打開策を探しながら、ミキサーのように凶悪な音を立てる竜巻を睨みつけた。
瞬間、吐息が白く染まるほどの冷気が俺の足元から吹き荒れた。それは次第に大粒の雪を伴うほどの大吹雪となり、真っ向から竜巻を丸呑みにした。
「うお!?」
吹雪で形を崩された竜巻は凍っていく自分の身体を削りながら抵抗を続けていたが、風に紛れ込んだ氷の破片で見る見るうちに勢いを削がれていき、やがて完全に無害な雲になって沈黙した。吹雪で押し流されていく雲を眺めながらあんぐりと口を開けていると、槍をくるくると回しながらすぐ近くにエトロが飛び降りてきた。
「何でも一人でやろうとするな。リョーホ」
「……はは。お前武器だけで強くなりすぎだろ。ずるいっつの」
照れ隠しのついでに笑いかけると、臍の方から『支配』を伝って現況が送られてきた。表に引きずり出されたトルメンダルクの核の周辺で、白く変色した肉たちがひとりでに動き出しドラゴンのような口を作りながらドミラス達に抵抗しているようだ。
「くっ、しつこいなこいつ!」
『支配』を使って白いドラゴンたちを無力化させようとするが、今度は核が肉の中に潜り込もうと暴れ始める。二進も三進もいかない状況に俺は舌打ちした。
「レオハニーさんは!?」
「今向かってるはずだ!」
俺の問いにエトロが即座に答えつつ、槍を大上段に構える。エトロの視線の先には先ほどと同じ規模の竜巻が生まれつつあった。何が何でも生き残ってやろうというトルメンダルクの──いや、白いキメラたちの執念が伝わってくる。
死体にへばりついてまで生き残ろうとする無数の魂たちに自我はあるのだろうか。俺には理性を失い本能だけとなった亡者共の行進にしか思えなかった。
「さっさと、大人しく死ね!」
俺はより強く太刀の柄を握りしめ、トルメンダルクの臍から露出していた核を『支配』で引きはがそうとした。すると、『瞋恚』で見える魂の流れが加速し、肉体と核との繋がりを強めようと菌糸の根を生やし始める。
「ぐ、おおおおお!」
ついに俺の『支配』と魂たちの抵抗が拮抗した時、紅と青の閃光が核の根元を刺し貫いた。
「!?」
散々抵抗していた魂たちの力が消え、あっさりと核がトルメンダルクの肉体から離れる。菌糸と核の繋がりを絶ったのはグレンの『雷嵐』だった。『支配』ですら死滅させられなかった菌糸を、たった一太刀で切り飛ばしてしまうとは。
空中に放り出されたトルメンダルクの核は、肉体に戻ろうと再び菌糸を伸ばそうとする。しかしグレンはその上に飛び乗ると、目にもとまらぬ速さで手甲剣を振るい、核を取り巻く菌糸を片っ端から四散させた。さらに『重力操作』で加速したシャルが核を上空へ蹴り上げ、オラガイアとは反対側の方角へと移動させる。
誰も巻き込まない角度と高度は、トルメンダルクの背にいる俺からでもよく見えた。そして、打ち上げられた核から百メートルほど離れた場所から業火が渦巻く。その渦は秒を刻むほどに精彩を極め、目を見張るほど巨大なレールガンを作り上げた。
レオハニーはレールガンを繰り角度を調整すると、左手を真っすぐと頭上に振り上げ、砲撃指示を飛ばした。
瞬間、レールガンの根元から大砲が発射された。自らを破壊するほどの高威力の射撃は、レールガンの残骸を連れてトルメンダルクの核を貫通し、遅れて大爆発を引き起こした。
吹き荒らされた大気が、逃げ出すついでに俺たちを突き飛ばす。遅れて、けたたましい音が鼓膜をつんざいた。
思わず目をつぶると、風に乗った灼熱が皮膚を掠め、上着がバタバタと背後で暴れた。
数秒かけて熱と光が弱まるのを待った後、俺は恐る恐る目を開いた。トルメンダルクに引き裂かれながらも辛うじて残っていた雲は今や一つも残っていない。トルメンダルクの核は影も形もなく、溶岩の破片が赤々と燃えながら花火のように空中へ溶けていった。
「……もうあの人だけでいいんじゃないか?」
あれほどの威力を出せるなら、一撃でトルメンダルクを消滅させられるはずだ。オラガイアや俺たちのような足手まといがいなければ、きっとレオハニーはそれを実行していただろう。
何とも言えない気分で晴れ渡った空を見上げていると、足場にしていたトルメンダルクの身体がウナギのように暴れ出した。危うく振り落とされそうになり、刺していたままの太刀に縋りつきながら落ちかけたエトロを掴む。
「大丈夫か、エトロ!」
「ああ! でもまだこいつ生きてるぞ!」
エトロが声を張り上げると同時に、トルメンダルクが急角度で旋回しオラガイアに向けて突進する。『瞋恚』を使うとトルメンダルクの肉体に残った魂が体当たりで巨体を操っている様子が見えた。最後の力を振り絞ってまで、トルメンダルクは予言書の通りにオラガイアを滅ぼしたいらしい。
「こいつら、地下の心臓部を破壊する気か!」
「どうやって止める!?」
「そんなの──」
途中で俺は口をつぐみ、即座に『瞋恚』でクラトネールに変化しエトロを口にくわえた。
「うわっリョーホ!?」
驚愕するエトロをできるだけ揺らさないよう、しかし全速力でトルメンダルクの臍へ向かう。そして鱗にしがみ付いているドミラス達の周囲をぐるりと回って全員を回収し、その場から離脱した。
その数秒後、がむしゃらにオラガイアへ猛進していたトルメンダルクが、上から落ちた西区画の大地によって叩き潰された。ぐしゃりと肉と骨が砕け散る音が、瓦礫の山に押されるようにして遥か彼方の大地へ落下していく。トルメンダルクは重さと重力に逆らうこともできず、そのまま雲海の向こう側へ姿を消していった。
「西区画だと? 当初の予定通りだが、一体誰が……」
困惑するエトロと共に、俺はクラトネールの翼をはためかせてオラガイアを目指す。ドラゴンの中でも速さが随一なだけあり、クラトネールはほんの数秒でオラガイアの中央区の上へ辿り着いた。
いくら瀕死だったとはいえ、巨大なトルメンダルクが力任せにオラガイアに追突していたら今度こそ危なかったかもしれない。しかしオラガイアに残った狩人たちはスタンピードの対処で忙しく、西区画を落とすどころではなかったはずだが……。
状況を確認するために、大聖堂の周りを旋回してみる。すると、見覚えのあるポニーテールの男が淡い黄緑色の大弓を背負いながらこちらに手を振っていた。男の後ろでは、西区画と中央区との断面に並ぶようにして狩人たちが集まっている。おそらく狩人たちが手分けして西区画と中央区を分断し、トルメンダルクの上に落としてくれたのだろう。
狩人の何人かはクラトネールを警戒しているようだが、弓使いの狩人が事前に何か言ったのか、いきなり襲い掛かってくるようなことはなさそうだった。
俺は速度を落としながら弓使い──アンリの前に着陸し、青い燐光を振りまきながら人間に戻った。俺の背後でエトロたちが地面に降り立つ足音を聞きながら、俺は笑顔でこちらの到着を待っていたアンリに駆け寄った。
「アンリ! さっきのお前がやったのか!?」
「ああ。作戦通りに西区画を落としただけなんだけど、余計なお世話だったかい?」
しれっと宣うアンリに、俺は笑いながら言葉を詰まらせ、最終的に堪え切れずに爆笑した。
「はははは! おっまえマジで、頼りになりすぎだっつの!」
顔を真っ赤にしながらアンリの背中をバシバシ叩いて、それでも興奮を発散しきれず肩を組んだ。アンリは面倒くさそうに笑っていたが、俺の手を払いのけようとしなかった。すると俺とアンリの間にエトロが飛び込んできて、不意を突かれた俺たちは勢いよくその場でひっくり返った。
「うぎゃ!」
「あはは! 珍しいね、エトロはこういうの嫌いじゃなかったっけ?」
「うるさい! 全くお前は、最後の最後においしいところを思っていくなんて!」
「シャルもハグするー!」
三人で団子になっているところにシャルまで飛び込んできて、地面に寝転がったままもみくちゃになる。誰かが立ち上がろうとすれば他の誰かが引きずり込んで、ただそれだけのことなの笑いが込み上げてきて止まらない。ひーひーと声を上げながら四人で笑っていると、狩人たちの方からどよめきが上がった。
笑いすぎて滲んだ涙を拭きながら四人でそちらを振り返ると、丁度一仕事終えたレオハニーがふわふわと降りてくるところだった。
「師匠!」
一足早く団子から抜け出したエトロが、埃を払いながらレオハニーの傍に駆け寄る。他の狩人たちの尊敬や興奮を滲ませた面持ちでレオハニーを囲った。地面に寝転がっていた俺たちも立ち上がって居住まいを正し、自然とレオハニーの言葉を待ちわびる。
レオハニーの派手な戦いぶりはオラガイアからでも存分に見守ることが出来ただろう。グレンも浮遊器官のほとんどを破壊してニヴィ救出に貢献してくれたのだが、最後の締めはやはり、最強の討滅者にこそふさわしい。
レオハニーはほんの少しだけ困ったように目を伏せた後、毅然と顔を上げて朗々と語り上げた。
「ここにいる皆、命をかけた者たちのお陰で、トルメンダルクは倒され、無事にスタンピードを乗り越えることが出来た。……私たちの勝利だ。勝鬨をあげよう」
「「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」」
足元がびりびりと震えるほどの雄たけびが響き、傷だらけの拳が空へ掲げられる。長く苦しい戦いは晴れ晴れとした達成感によって幕を引いたのだ。
心地よい勝鬨を聞きながら勝利の爽快感を味わっていると、エトロが俺の隣に来て悪戯っぽく笑った。
「リョーホ。これで私たちも守護狩人になれるな」
「……ああ。ようやくだ」
故郷の正体を知ってしまった俺には、もう守護狩人を目指す理由はない。だが、故郷に帰るためだけに守護狩人を目指していた過去の自分が、遠い場所から手を振っているような気がした。
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