家に帰りたい狩りゲー転移

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3章

(31)憎しみ

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 雨はより酷くなっている。雲間からはカメラのフラッシュのように雷が破裂し、爆音に晒されたせいで鼓膜から目の裏までの神経が引き攣るように痺れた。武器を振い続けた手のひらは、ヤツカバネの鱗を叩くたびに鋭い痛みを発し、『雷光』の治癒能力がなければマメが潰れて血まみれになっていただろう。

 俺は一度ヤツカバネの頭上に逃れると、ふうっと頬を膨らませるようにして息を吐いた。捜索部隊四人だけで戦っていた時と違い、今は大勢の仲間がいるため精神的余裕がある。しかし、仲間を巻き込まないようにヤツカバネの攻撃を誘導するのは意外と骨が折れる。肉体的疲労は全て『雷光』でどうにかなるが、集中力は流石に限界を迎えていた。

「落ち着け……」

 自分に言い聞かせてから、しつこいぐらいに深呼吸をして戦況を見渡す。

 数分前に、居場所が分からなかったドミラスと気絶していたミッサが復帰したのは把握済みだ。二人のおかげで第二班のアンリたちは守られ、いまだに死者は出ていない。

 それにしても、スタン状態になったはずのヤツカバネがアンリたちに反撃した時は流石に肝が冷えた。スタン中は一方的に殴れるというゲーム内の固定観念で、危うく仲間を殺してしまうところだった。

 ドラゴンはプログラムではなく、自我を持って生きている。死に瀕すればあらゆる手段で抗ってきてもおかしくない。

 そして、瀕死に追い込まれたヤツカバネはとんでもなくクソゲーだった。

「ヒュルルルル゛!」

 血に溺れたような大声を上げた途端、ヤツカバネの全身から毒々しい煙が吹き出した。その煙はヤツカバネの黒い鱗まで溶かし、硫黄のような鼻の曲がりそうな匂いが樹海に充満する。

 ヤツカバネは、HPが半分を割り、かつ魂凝結晶に大ダメージを負うと『暴食』状態になり、鱗の隙間から即死性の毒煙を吐き出すようになる。ゲームでは毒煙をスリップダメージとして表現していたが、リアルの俺が毒煙に触れればHPが減るどころではなく、飛膜の効果と同じように黒く溶けてしまうだろう。

 しかもあの毒煙は、敵だけでなくヤツカバネの鱗まで溶かしてしまう諸刃の剣でもあった。鱗を失ったヤツカバネは、どこを攻撃しても大ダメージを与えられる紙装甲だ。そのため毒煙にわざわざ突っ込まずとも、遠隔からちまちま攻撃していればいずれヤツカバネを殺し切れる。

 だが、戦闘が長引けば長引くほど俺たちの完全勝利は遠のいてしまう。

 なぜなら、毒煙で常時全身を爛れさせたヤツカバネは、やがて激痛に耐えかねて発狂し、自分が死ぬまで無差別にブレスを吐いて暴れ回るのだ。もしそのような状態になってしまったら、犠牲者ゼロで討伐を終えるのは確実に不可能になる。誰一人死なせないためには、多少強引にでもカタをつける必要があった。

 俺はヤツカバネの黒煙を回避しながら高度を下げると、ヤツカバネのヘイトを一人で持ち続けるミッサの元へ飛び降りた。

 ミッサはトリガーハッピーに勤しみながらも俺の動きを見ていたようで、隣に来た俺と、ミッサに繋がったゼンの『幻惑』の線を見てこの先の作戦を察したようだ。

「ミッサさん! こっちへ!」
「あいよ!」

 ミッサはヤツカバネを狙い撃ちながら俺の手を取る。瞬間、俺はゼンが描いた『幻惑』の導線に従って、ミッサを空中へ投げ飛ばした。ヤツカバネの視線は自然とミッサを追い、全身からドロドロに溶けた鱗を垂れ流しながら食らいつこうとする。

 ヤツカバネの牙が空中のミッサを捉える直前、真横から紫色の閃光が割り込んできた。『重力操作』で難なくミッサをキャッチしたシャルは、そのまま北西の塔へと滑走した。

 最後の誘導が始まってすぐ、第二班のアークたちがヤツカバネのすぐ後ろに追随し、すでに塔の上に待機していた第三班から氷と炎が雨霰のように襲いかかる。遅れて、第一班のアンリたちはドミラスと共にヤツカバネを迂回しながら北西の塔へ向かった。

 頭上から見ると、ヤツカバネは第二班と第三班に挟撃されている状態だ。第一班は奇襲のために樹海に潜伏しており、ヤツカバネが捕食攻撃をすればいつでもトドメをさせる配置である。

 俺はアークたちと地面を走りながら、北西の塔の天辺へ目を凝らした。雨粒が目に入り込んでぼやけてしまうが、強風に銀髪を靡かせるレブナと、氷の雨を降らし続けるエトロが見える。まもなくシャルに運ばれていたミッサが合流し、ヤツカバネに降り注ぐ菌糸能力はより熾烈なものとなった。

 六名による遠隔能力の雨は、戦艦から放たれるミサイルじみた軌道を描いた。極彩色の閃光は曲線を描きながらヤツカバネに着弾し、柔らかくなった肉を容赦なく抉り削っていく。傷が深くなればなるほどヤツカバネの纏う毒煙はより濃密で激しくなり、北西の塔へ到達する頃には、死神が黒いマントを広げているような悍ましい姿になった。

 もうすぐヤツカバネの捕食攻撃が始まる。ゼンから『幻惑』越しに合図を受けたミッサは、レブナたちに避難するように腕を振った。そして彼女たちが逃げる姿を覆い隠すように、ゼンが再び巨大なドラゴンの幻影を生み出す。

 あとはヤツカバネがアレに食い付いてくれれば終わりだ。魂凝結晶に隠されていた心臓を破壊する。それで何もかも──。

 奥歯を強く噛みながら祈っていた俺は、ふとヤツカバネが捕食攻撃とは別のモーションを取り始めていることに気づいた。

 首を大きく逸らし、純白の飛膜を左右に広げながら胸を膨らませる。

 翼の付け根でスタンを取った際に行う反撃、逆鱗の咆哮だ。

 まさか、HPが半分を切っているのに、咆哮を出す余力はないはず。

 ヤツカバネのハッタリか? しかし顎門に収束するエネルギーは明らかに全盛期と同じ死の気配を孕んでいる。

 逆鱗の咆哮が発動したら、全員殺される。今からではエトロの能力でも第三班しか守れない。ゼンに指示を変えてもらっても、今更ヤツカバネから距離を取ったところで回避は不可能だ。

 今の俺にできるのは、悪あがき程度でしかないバリケードを作ることだけだ。

「だ、めだ……逃げろ! 能力で守りを固めろ! 早く!」

 恐怖で消えそうになる声を強引に張り上げ、全身に『紅炎』を纏いながら第二班の前に出る。次いで『雷光』の武器生成能力を転用し、エトロの氷と同じように巨大な壁を築き上げる。雷属性はヤツカバネの土属性と相性が悪いため、どんなに分厚く作っても耐えられないだろう。だが最悪、俺が肉盾になってでも誰か一人を守れたらいい。

 俺の指示を聞いたアークは、のけ反り続けるヤツカバネの長い首を見て察したらしい。すぐにそのまま突っ込もうとしていた狩人の首根っこを掴んで、俺が作った『雷光』の壁に全員を放り込む。

「なんでもいいからバリケードを作れ!」

 アークはバトルアックスを地面に突き立て、岩で壁を分厚くしてくれたが、守れるのは正面だけだ。ここからではヤツカバネの距離が近すぎるため、真上からも逆鱗の咆哮が襲ってくる。

 俺は『雷光』の壁をドーム状に上まで引き延ばそうとしたが、間に合わなかった。

「ヒュルアアアア゛──ッ!!!」

 長く尾を引くような咆哮は、俺の鼓膜が千切れたせいで最後まで聞くことができなかった。真上から叩き潰されるような衝撃が来て、顎から地面に衝突する。中途半端に曲がった膝が鳩尾を打ち、呼吸が飛んでから猛烈な吐き気で口が濡れた。

 耳鳴りで思考が支配される。目が回りすぎて真っ暗だ。意識は失っていないはずなのに、金縛りのように身体が言うことを聞かない。

 みんなはどうなったのだろう。咆哮にやられて、すでに俺は溶けてしまったのか。だが食われた右足のような喪失感は全くなく、物理的な痛みだけに苛まれている。

 やがて、誰かに抱き起こされてようやく視力が戻ってきた。

「──、──!」

 誰かの口が忙しなく俺に呼びかけている。陶器のように白い肌と、軽装の鎧に張り付く濡れた水色の髪が見えた。瞬きをすると、狭まっていた視界が一気に開け、深い海の瞳が涙を流しながら俺を写していた。
 
「リョーホ!」

 はっと息を吸い込んだ瞬間、激しい頭痛で意識が覚醒する。俺は獣のような唸り声を上げながら、首元の菌糸を光らせて治療に入った。負傷したのは鼓膜と頭部、そして左手から脇腹にかけての打撲だけだ。さっきまで気絶していたらしく、俺はエトロに横抱きにされていた。

「生き、てる……なにがどうなったんだ?」

 俺は起き上がりながら、ゆっくりと周囲を見渡した。逆鱗の咆哮によって、捜索部隊だけで戦っていた時のように樹海は見るも無惨な泥の海に変わっていた。だがあの時と違い、俺たちや塔の周辺、アンリたちがいた方角だけ樹海が綺麗に残っており、俺の近くには気絶した第二班のメンバーと、手当に回る第三班がいる。

 最後に俺は背後を振り返って、言葉を失った。

 鼻の上からつむじまでを消失させた、白衣の男が座ったまま事切れていた。よく見れば遺体の周辺には銀色の糸が長い川を作っており、ちょうどヤツカバネがいた場所と俺たちを隔てるように横たわっていた。

 ヤツカバネのブレスを完璧に防いだのは『傀儡』で作られた銀の壁だけだった。

 つまり、顔半分を失ったこの遺体はドミラスのものだ。

「嘘だろ……」

 誰一人死なせないと約束したのはドミラスだったはずだ。だからこんなところで自ら死にに行くような男ではない。

「リョーホ、待て!」

 エトロが俺の袖を掴んでくるが、それを乱暴に振り払って遺体に駆け寄る。その時、北の方角からヤツカバネの鳴き声が聞こえた気がしたが、そちらを見る余裕はなかった。

 遺体の側に跪いてすぐ、俺は『雷光』の力を振り絞った。まもなくハインキーの時と同じように欠損部が植物のように再生を始める。黒い粘液で包まれた断面が拭われ、骨を包むように肉の組織が持ち上がり、丸い皮膚から頭髪が生える。

 完全に元通りだ。後はヤツカバネから魂を取り返せばいい。ブレスで食われた魂も、魂凝結晶に溜め込まれている。肉体さえあれば必ず生き返る。だから誰も死んでいない。

「リョーホ……魂凝結晶は、先の戦闘でもう……」
「エトロ。他の負傷者は?」

 エトロが何か言っていたが、俺はほとんど耳を貸さずに遮った。

「……レブナの近くに倒れている三人。他はただの擦り傷だ」
「分かった」

 俺はドミラスの顔を確認することなく、倒れている人々の元へ歩いた。その片手間に『雷光』で四つのナイフを生成し、全員を囲えるほど大きな四角形を描くように地面に放り投げる。

 ナイフと自分を起点に、青い燐光を瞬かせ、横殴りの吹雪のように四角の中を満たす。すると倒れて呻いていた狩人たちも、負傷者の姿に真っ青になっていた狩人も、全てが元通りになる。

「おお……」

 誰からともなく感嘆の声が漏れ、次々と狩人が立ち上がっていく。起き上がれない人が残っていないのを確認して、俺は『雷光』を止めて北側へ向き直った。

 俺たちから一キロほど離れた場所では、山火事のような黒煙を上げるヤツカバネと、それと大立ち回りをする幻影のヤツカバネが見える。時折風の音が聞こえるため、おそらく第一班のアンリたちがゼンと行動を共にしているのだろう。

 最低限の戦況を把握して歩き出すと、すぐにまたエトロに腕を掴まれた。

「待てリョーホ。今のお前は冷静じゃない。さっきの『雷光』もやりすぎだ。そのまま戦っていたら途中で間違いなく倒れるぞ!」
「倒れる? 俺の能力なら疲れ知らずだってエトロも知ってるだろ?」
「肉体は治せても精神的なダメージは治らない。お前は一旦戦場から離れるべきだ」
「……はは、言ってることがよく分かんねぇよ。狩人が戦わないで遠くで待ってろって言うのか? 利用できるならなんでも利用するべきだろ。それとも俺は、いてもいなくてもいい雑魚のままなのかよ!」
「ッお前に何かあったら!」

 エトロの気迫に当てられ、俺は思わず黙り込む。すると、遠のいていたはずの雨音が急に鼓膜を騒がしく揺らし始め、肩が震えるほどの寒さを感じた。薄暗く荒れ果てた高冠樹海に、顔を俯けながら立ちすくむエトロは捨てられた子供のように痛々しかった。
 
「……お前に何かあれば、討伐隊も瓦解する。私たちは何度もお前に生かされて、お前がいなければ死んでいたんだ。もっと自分の事を労われ。この馬鹿」

 絞り出された声は弱々しく、雨音でかき消されそうだった。
 俺は沈黙して、さび付いた思考を回しながら足元に視線を落とした。つま先にぬかるんだ泥が張り付いているせいで、出来の悪いピエロの靴のようになっている。右足の感覚は消えたままで、先ほど再生させた左手から脇腹までの上半身が少し怠い。以前の俺ならばすぐに弱音を吐いて誰かに頼ろうとしただろう。

 だが、討伐隊を結成させたのは俺だ。誰かが死ぬ可能性を考えてもなお、ハインキーの魂を取り戻すと決めた。俺も結局、ベアルドルフを殺すためにエラムラの人々を巻き込んだエトロと同類だ。俺から仲間の命を奪い続けるヤツカバネを、憎しみのままに殺したくてたまらない。

 それでも、俺は大義を見失っていない。

 すぅっと息を吸い、俺は俯いたまま震えるエトロに歩み寄った。その時、感覚のない右足がヘタクソに地面を引っ掻いて雨と泥が混ざる音がした。

「エトロ。心配してくれてありがとな。あと、怒鳴ってごめん」
「……リョーホ」
「大丈夫。俺は自棄じゃない。ヤツカバネを倒せば皆帰ってくるから、戦わなきゃいけないだけだ。死にに行くわけじゃない」
「だが……」

 エトロは何か言いたげに顔を上げて、すぐに唇を噛みしめて目を逸らしてしまった。よく見ると、エトロの足は細かく震えており、些細なことで崩れてしまいそうな危うさが垣間見えた。彼女もまた、俺と同じように仲間を失う恐怖に苛まれているのかもしれない。だが、怖気づいて戦えないと言い出すほど、エトロは弱くないと俺は知っている。

 俺は背けられたエトロの青い瞳を見つめ、隠された本心に語り掛けるように続けた。

「頼むよエトロ……俺にも戦わせてくれ」

 北のレビク村跡地ではまだゼンたちが戦い続けている。こうしている間にも誰かが負傷していたら、治療できるのは俺だけだ。そしてヤツカバネのブレスから狩人たちを守れるのも、エトロの『氷晶』だけである。

 空気を抜かれたような息苦しさの中、エトロは薄く唇を開き、徐に俺の腕を掴み取った。そして双眸を青々と輝かせながら、射貫くように俺を見上げた。

「……今度はシャルの代わりに、お前が私を連れていけ」
「俺と飛んだら風邪ひくぞ?」
「寒いのには慣れている」

 冗談を交わしながら俺はエトロの腕を掴み返し、ダンスの相手を引き込むように腕の中に抱える。それから首元の菌糸を光らせながら、最後に残っているメンバーを見渡した。

「みんなはここで待っててくれ。魂を食われて感覚がない人もいるだろうし」

 遠目で見た限り、ヤツカバネはすでに暴走状態に入っており、大勢で向かってもより被害が拡大するだけだ。装甲が弱くなった今のヤツカバネなら、少数精鋭だけでも倒しきることはできるだろう。

 だから、そのまま返事を聞かずに『雷光』で地面を蹴ろうと足を撓める。その時、

「ちょっと、勝手に邪険にしないでよおっさん!」
「おっ……おっさんじゃないっての!」

 不意打ちの罵倒に、俺は思わず目を白黒させながら反論するが、レブナはまるっとこちらを無視して狩人たちへ声を張った。

「みんな十分休んだでしょ! さっさと武器を持って! 守護狩人のくせにへこたれんなー!」
「おいレブナ!」
「黙って! これはリーダー命令だし、討伐隊を結成しただけの採集狩人が口出しすることじゃないの!」

 レブナの発言は傍若無人なように聞こえて、実は全く間違ったことを言っていない。ぐぬぬ、と口惜し気に黙り込むしかない俺に追い打ちをかけるように、アークもバトルアックスをぐるぐると回しながらにっかりと笑った。

「おれも第二班のリーダーだかんな。下っ端のお前の指示に従うわけねーだろ」
「アークまで、悪ノリすんなよ」
「おいおい、そんなもん今に始まったことじゃねーだろ。今日だけお預けって方がナシだぜ」

 アークが歯を見せるように笑みを深めれば、狩人たちは我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。それに応えるようにアークは狩人たちの隊列を一足飛びで越え、ヤツカバネに背を向けながら俺たちの方へ振り返った。

「決着をつけるぞ、野郎ども!」
「「「「「おおおおおおおおおおおお!!」」」」」」

 勇ましい鬨の声が、万雷のごとく戦場に響き渡った。
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