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叢雲に消ゆ(14話~) ロボットヘテ恋/独自世界観/暴力・流血描写/未定につき地雷注意

叢雲に消ゆ 15

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 軍人の力に敵うはずもなかった。アサギリはまだ男児だと思っていた弟に突き飛ばされ、ベッドに転がった。何故そうなったのか分からないまま、静かに激昂していり弟に跨られる。
「ナギちゃん……どうしたの……」
 アサギリの顔は強張っていた。喧嘩などしたことのない、2人でいるときは周りの大人を困らせたことのない、元首の子として模範的な姉弟であった。
「女に生まれて甘やかされて、あたしも女に生まれたかった」
 片手で首を掴まれている。そしてユウナギはぎらついた目で姉を見下ろす。粗暴な喋り方は、声こそ弟のものだが、知らない響きだった。
「あたしが女だったら……軍人になるのも、結婚しなきゃならなかったのも、あんただったんだからね……!」
 首に置かれた手に力がこもる。アサギリは目を見開いて豹変した弟を見詰めていた。彼女の中にも紙だの枯葉だのをべたときのような黒煙が胸の中で膨らんでいく。アサギリは眼球が転がり落ちそうなほど目蓋を持ち上げていた。
「アンタが男に生まれたせいで……!」
 エンブリオに乗せられたときと同じ怒りが込み上げる。彼女は仲の良かったはずの弟の胸ぐらにしがみついた。形勢が逆転する。ユウナギを転がして、その上に馬乗りになる。着崩れも厭わなかった。
「アンタが男に生まれたせいで、あたしは捨てられたんだ!」
 弟に向けて怒鳴り散らし、唾を撒き散らした。
 弟と仲が良い。弟はかわいい。弟が好き。それらは会えないからこそ誤魔化せていたものだったのだ。会えないからこそ、互いに引け目があるからこそ、保てていたものだったのだ。顔を合わせないでいたからこそ、忘れされていた。そういうことにしておけた。しかし怒声を浴びせられたがさいご、意識的にぐるぐる巻きにした本心はいとも容易く剥き出しにされる。
「アンタのせいで!アンタのせいで!わたしは我慢したんだ!お母さんの傍にいられるクセに!」
「母さんの傍に居られるからって何よ!戦争にも行ったことないんでしょ?ああ、羨ましい!毎日毎日キツい訓練にだって出なくていいんでしょ!好きな服着て、好きなことだけして……!好きな人も選べて!」
「わたしはそれでもお母さんと一緒にいたかった!ヴェネーシアのみんなと一緒がよかった!」
 弟が上になり、姉が上になり、ベッドが軋む。
「じゃあ、代わってよ……姉さん。あたしと代わってよ。あたしがここのパイロットをやるから、姉さんは向こうで軍人をやってよ。エンブリオで人殺してきて。戦車ぶっ放して、民間人虐殺してきてよ。母さんと会えないから何?たまにこうして会えてるじゃない。あたしは姉さんの役目、全然できるんだから……たまのエンブリオの運転がなんなの……」
 ユウナギは落ち着いたかと思うと、またもや目を血走らせ、歯を食い縛り、姉の胸ぐらを掴んだ。
「母さんに会えなくても、母さんは生きてるじゃない。あんたなんか、明日は死んでるかも知れないなんて思ったことないんでしょ!明日死ぬかもって思いながら生きたことないんでしょ!女ってだけで平和の国でのうのうと生きられて……女ってだけで……」
 男の軍人の力に抵抗できるほどの十分な屈強さをアサギリは持っていなかった。それは性による体質の違いもあったが、日々の積み重ねが最早埋め難い差を作っている。見た目の割りに着付けの難しい衣装を、弟は力尽くで剥いだ。背中で結ばれた帯だけはそのまま残り、上は双肌もろはだ脱ぎであったし、下は腿から足袋までが露わになっていた。潮が引いていくように、アサギリの中に煮え滾っていた忿懣もまた引いていく。何故そこまで怒っていたのか、何に対して怒っていたのか、覚えてはいるけれど忘れてしまった。
「そんな甘えていけるならさ、ちょっとは女もツラさ、味わいなさいよ」
 男であるが、彼はその前に弟であった。しかし軍服の前を寛げたとき、それはただの牡だった。濃い親類を前に、上へ仰け反った影が現れたのである。
「ナギちゃん……」
 アサギリは年中全裸のマージャリナ以外のそれを初めて見た。
「あんたが大嫌いよ、姉さん。女ってだけで甘やかされて、守られて、褒められて……」
 衣装用の平たい作りの下着が腿を抜け、膝を抜け、片方の爪先に引っ掛かる。弟は天井を仰ぐものを扱き、アサギリの脚と脚の間に突進した。粘膜が切れる衝撃と内臓を押し上げられる苦しみによって、彼女の顔からは血の気が失せていく。
「あ………ああ………」
「これが戦地の女と、属国の従軍婦が味わってる感覚だよ。ああいうお偉い親の子として守られて、知らなかったでしょ。市中のレイプ事件と同じだなんて思ってる?甘いよ!」
 彼は顔を姉の鼻先に触れそうなほど近付けた。その体重の移動によって、さらに深々と凶器が突き刺さる。
「あ、う!」
「あたしがあんたの代わりに戦地に行ってんだ。あんたもそれ相応の経験しろよ」
 凄むユウナギの顔もまた冷汗をかき、青褪めている。彼は威勢だけで押し通すつもりらしい。
「あたしがこの地でなんちゃって日雇いパイロットやるから、あんたは母さんと一緒に国に帰って軍人やりなさいよ。母さんと一緒にいたいって、何を甘いこと言ってるの?人の母親奪ってみてから同じこと言いなさいよ。わーしは国のみんなをまもってるんですぅ、って、言える?」
 ユウナギは腰を押し付けたまま、ただ顔を青白くして茫然自失としている姉を見下ろした。
「戦争はよくない、軍人は人殺し、人殺しを育てるつもりはない、あんたら側はみんなそう言うんでしょ。やられたら裁判でどうにかなると思ってるほうの人種のクセに!戦争をやめろって言ってるたびにね、あんたらは侵略を許してるのよ。あんたはね、お偉いさんの娘として生まれたんだから、代表して罰を受けなさいよ。こんなの戦争の何万分の一にも満たないでしょ?」
 彼は腰をぶつけた。アサギリの身体に痛みが走る。しかし弟の位置は変わらないというのに、彼女の内部に侵入していたものはゆっくりと抜けていく。圧迫感が和らいでいく。それは慣れだったのか、将又はたまた……
 ユウナギは腰を引いた。アサギリは確かに内部にまだ異物があったことを知る。傷付いた箇所が熱を持ち、疼き、痛みへ変わろうとしている。
軍兵ぐんびょうなんてこんなもんよ。戦地の女を犯せるだなんて期待に胸を躍らせてると思った?本能で勃つだけよ。興奮の前借りでしかない。犯した女を蜂の巣の芋虫にするのは、コーフンしちゃうけどね!」
 彼は突然叫んだ。
「やりたくないなら殺してあげるわよ。あんたを殺して、あたしも死ぬわ。やりたくないことやりながら生きるのはツラいものね?労働も戦争もクソ喰らえだわ。愛の結晶だなんてキラキラ包まれた建前で、実際は母親あのひとの自己実現とお国様の働きアリになるためにあたしたちは生まれたんだからね!これがヴェネーシア水源郷元首の子供の総意だって、示してあげなきゃ」
 アサギリは髪を引っ張られる。すでにヘアセットは崩れていた。目の前で小さな白刃が光る。
「抵抗するのなら、あんたら流で言うところの戦争賛美者よ、あんたも。戦争したくないなら、受け入れなさいよ。降伏ない。詫びてね。そうすれば起こらないんだから……」
 ナイフが首筋に当たる。
「う………うう、」
「素敵なボディーガードさんを呼んだら?なんて言うんでしたっけね。あのかっこいいボディーガードさん」
 銃声が2度響いた。部屋の扉が倒れる。ユウナギは焦るでもなく振り返った。アサギリも静かに涙を溢しながらドアのほうを見る。レーゲン・ランドロックトが銃口を向けていた。
「それは警備の人から奪ったものですね」
 ユウナギの口調も声音も、すべてアサギリの知るものに戻っていた。
「手を上げろ」
 しかしアサギリの弟は不敵に笑うだけで動かない。
「軍法会議にかけられて、奪われた軍人は処罰されますね。しかも他国の一般市民に負けてしまった。残念です。僕が代わってあげます。だからその銃は返してあげてください。家庭や学費の工面で軍に入る子、多いんです」
「手を上げろ」
 レーゲンは静止したまま一度目と同じことを同じ調子で繰り返す。
「誰のでしょうね。何かを守るために誰かから略奪する。規模は違えど方向性ベクトルは戦争ですね。平和の式典が聞いて呆れて憤死します」
「撃たないで……」
 アサギリの喉は引き攣れて、上手く声が出なかった。
「もう遅いです。あなたのボディーガードが、うちの軍人に手を出した。平和の国の彼は厳重注意で済むかもしれませんが、軍人のコのほうはおそらく死罪です。下手すればテロに協力していたかも知れないので。さぁ、撃つことです。あなたを重罪に課す。それが仲間に対するせめてものはなむけです」
「撃たないで……撃たないで!ランドロックトくん!」
 着崩れたまま、アサギリはレーゲンのほうに駆け寄った。銃を持つ腕を下げさせようとするが、彼はアサギリを廊下のほうへ突き飛ばすだけだった。
「撃つといいです。僕は死に、その銃の持主は死罪。あなたはこの安穏な土地の裁判にかけられる。いいですね。ヴェネーシア水源郷の法律じゃなくて。あなたにデメリットはないんですよ。賠償金支払いと懲役がちょっとつくくらいでは?」
 アサギリはレーゲンの背中をぼやけるほど見つめた。そして視界の端で、廊下に倒れる若い軍人の姿を認めた。レーゲンに銃を奪われたのはおそらく彼だろう。軍帽が落ち、赤みがかった髪が俯せになったためひしげている。
「ランドロックトくん……」
「覚悟がつきませんか」
 アサギリからみてレーゲン・ランドロックト・ツキヨノあるいはレーゲン・ツキヨノ・ランドロックトの気性からいえば、おそらく撃つ。彼女は彼の名を呼びながら近付いた。
「大事にしたくないの……お願い。銃を下ろして」
「発砲した時点でムダです。その銃は返してやってください」
 ユウナギが動いた。レーゲンの手にある銃が煙を吹く。身体を大きく波打たせながら、弟はホルダーから抜いた銃をレーゲンの足下へ滑らせる。
「返してやってください…………」
 弟は床に崩れ落ち、這うような体勢になった。絨毯が染まっていく。痛覚に顔を歪め、彼の声は弱くなっていく。
 レーゲンは撃たれたユウナギにまだ銃を構えている。
「やめて!お願い、ランドロックトくん!ナギちゃんは外兵じゃない!」
 アサギリは叫んだ。それからレーゲンに掴みかかった。
「銃を返して!」
 しかしレーゲンはアサギリを突き飛ばした。壁に背中を打ちつけてしまう。だが彼女は跳ね返ったようにもう一度レーゲンに掴みかかった。
「ナギちゃんはもう動けない」
「狙いを外した。彼は動ける」
「やめて。その銃を渡しなさい」
「この銃をあんたに渡せば、あんたも片棒を担ぐことになる」
 銃声を聞きつけて、テンセイ・イセノサキが部屋へと飛び込んできた。彼は室内の惨状を目にすると、大きく目を見開き、毛という毛を逆立てているようだった。殺伐とした静寂が続いていた。レーゲンは何も言わず、アサギリは肋骨が軋むような鼓動に耐えていた。イセノサキはユウナギの傍にひざまずき、呼吸の有無や心拍数を診ている。
「何故……ユウナギ様を撃った?」
「ミナカミ先生に危害を加えようとしたからです」
「銃を下ろせ」
 負傷した若い軍人を向いていた銃口が下がる。しかし金色の双眸は、まだ危険を感知しているのか、銃口同然にユウナギを見下ろしている。
「ちが……くて、ちが………」
 アサギリは言葉が出なかった。息はできているが、酸素が回ってこない。身体の中が空洞になったみたいだった。
「ユウナギ様が……?」
 イセノサキの鋭い視線に射抜かれ、彼女は丸呑みした大きな木の実がり上がってくるような喉のつかえを覚えた。
「ただの………姉弟きょうだい喧嘩で……」
 上司は諦めたようにアサギリから顔を背ける。
「どうしますか、イセノサキ」
 ユウナギは生きていた。意識もある。脂汗をかき、顔は脳貧血を起こしたみたいに青白い。左肩をぐっしょりと濡らし、まだ立ち上がることはできないらしい。イセノサキはベッドからシーツを引っ張り、千切りはじめた。繊維の裂ける乾いた音がする。
「混乱するでしょう。僕は平気ですから、このまま式典は続けてください。ただ、お願いがあります、お願いがあります、イセノサキ」
「何でございますか」
 血塗れの手がイセノサキの手を握る。
「あの人の持っている銃の番号を見てほしいのです」
「ランドロックトくん。銃を渡しなさい」
 イセノサキは佇立しているレーゲン少年へ半分身体を向けた。レーゲンは銃を渡す。受け取ったイセノサキは、番号を告げた。
「ああ……」
 ユウナギは痛みに呻いたのか、何か閃きがあったのか定かでない声を漏らす。
「アークシエルだ。可哀想に……イセノサキ」
 血塗れの手で衣服を摘まむ躊躇いのないユウナギと、それを拒む様子のないイセノサキの関係は、さながら幼い王子と忠実な騎士である。
「はい」
 真っ赤に染まった弱々しくまだ瑞々しい手に、イセノサキはシーツを引き裂く腕を止められていた。
「隠蔽してほしい。アークシエル……トリュイット二等兵。彼を守ってやってほしい。居場所がない人間の気持ち、君になら分かるだろう……?」
「承知しました」
 イセノサキはユウナギに応急処置を施すと立ち上がって、立ち尽くすレーゲンと過剰に息を吸い込むアサギリを見比べる。
「他言無用だ。いいな」
「正気ですか」
 レーゲンは訊ねた。
「他言無用だ」
 レーゲンは浅く俯いたが、首肯に見えないこともなかった。
「ミナカミの介抱をしてやってくれ」
 イセノサキはアサギリを一瞥してからまたレーゲンに向いた。
「イセノ……サキ、さん……」
「酷なことを言うが、何もなかったように振る舞え」
 こわい上司に、これといって怒っている気配はなかった。むしろ、柔らかな……様々なものを諦めたが故の微笑を浮かべていた。口元だけならば。目元はそうではなかった。悲しみを表している。
「ランドロックトくん。君は俺の部屋にいてくれ。すまないが、話が纏まるまでは手足を拘束させてもらう」
「はい」
 アサギリの呼吸が戻ると、破いたシーツで、この部屋では手だけが拘束された。レーゲン・ツキヨノ・ランドロックトあるいはレーゲン・ランドロックト・ツキヨノに抵抗の意思はない。
「ミナカミ、ランドロックトくんを連れていってくれ」
 カードキーを渡され、アサギリは頷いた。夢の中にいるような心地なのは、先程の過剰な呼吸によって酸素不足を起こしているからだけではないだろう。
 彼女はこの場でできることが上司の指示に従うことのみだと判断すると、レーゲンを連れてイセノサキの部屋へと向かった。幸い、ユウナギの借りた部屋はワンフロア貸切らしく人避けされ、そのあともホテルの従業員はいても、軍の者や基地の者とは会わなかった。乱れた衣装と乱れた髪、ジャケットを肩から掛け、後ろ手に組んで歩く女と男を、ホテルの従業員はどのように思ったであろうか。
 イセノサキの部屋はそのまま出ていけるほど、何も触った形跡がなく、荷物もなかった。
 レーゲンをベッドに座らせる。アサギリも少し空けて腰を下ろした。着付け直すことはできない身形に、どうするか考えかけ、結局は茫としていた。
「あり……がとう」
 感謝すべきだ、否、感謝の意をなど微塵も感じない。アサギリは背反した感情を持ちながら、口先だけの礼を言う。
「感謝されるようなことはしていない」
 彼女の複雑で上面の謝意を、レーゲンは撥ね退けた。ジャケットがその肩から滑り落ち、縛られた両手が現れる。
「怪我はしていないのか。そろそろ興奮が冷めて痛くなってくる頃だと思うが」
「平気……どこも怪我していないし」
 突き飛ばされて強打した肘は確かに痛むが、しかしここで言う気にはなれなかった。骨が折れたというほどではない。痣はできるかもしれないが。
 張り詰めた静けさの中で、レーゲンは頻りに身動きをとった。ベッドがわずかに浮沈し、微かに軋る。
「トイレ?」
「いいや」
 彼は一旦落ち着いたかと思えば、またもや頻りに座り直す。アサギリから見て、日常の彼にそういう多動なところはなかった。
「どこか怪我したの?」
「いいや……」
 息遣いも聞こえるほどの寂然とした室内である。レーゲンとの距離は人ひとりあいているかどうかというところで、座っている向きがちがうだけだった。荒れた吐息が後ろから聞こえる。おそるおそるアサギリはレーゲンを振り返った。 
「やっぱり、どこか痛いんでしょう?」
 後ろ手に縛られているため、繊維の食い込んだ手首や、動きを封じられた肘だの肩だのは痛いだろう。
「違う。大丈夫だ。放っておいてくれ」
 そこに、先程銃を構えていた冷徹なボディーガードの姿はなかった。構われすぎて鬱陶しがる少年の姿がそこにある。
「でも……」
「それより、足も縛ったほうがいいんじゃないか。話が纏まるまでは拘束するってイセノサキさんも言っていただろ」
「ああ……うん。でも、」
「いいから、やってくれ。別に逃げたりはしない。俺は俺の務めを果たした。その責任は取る」
 レーゲン少年の声がいくらか上擦っているように、彼女には聞こえた。縛るものがないというと、ユウナギの部屋であったことと同じくシーツを提案される。しかしアサギリは、布を手で引き裂く心得などなかった。彼女は拘束を諦めて、ふたたびベッドに座る。溜息めいた呼吸が背後から聞こえる。苦しそうな息遣いだった。
「ネクタイ、緩めようか」
 彼女はベッドから腰を上げ、レーゲンの目の前に回った。彼はきっちりとネクタイを結んでいる。これが苦しいのかもしれない。ネクタイを緩め、襟元の釦を外す。
「―っ、!」
 指が首に触れたとき、彼はびくりと身を震わせた。
「なに……?」
 歯軋りが聞こえる。
「近付かないでくれ」
 いくらかその物言いはアサギリを傷付ける。おぞましい行いを、おそらく彼は聞いていた。そしてそのために彼は人を撃ち、腕を縛られ、これから査問にかけられる。
「ご……めんなさい」
 彼女はベッドから離れた。その隣のベッドの端に腰を置く。取り返しのつかないことになってしまった。レーゲンの拒否は彼女を現実に引き戻す。しかし弟に暴行されたこと、その弟が撃たれたこと、自分を守るために護衛が異国の軍人に手を出してしまったこと、理解しきれずまた理解したくない経緯に、彼女はまたもやそのことについて考えるのをやめてしまった。
「あんたに言ってもどうしようもないことだ。そういうことだから気にしないでくれ。俺の問題だ」
 彼は唇を噛んだ。
「できることならするよ。巻き込んだんだし……」
「あんたには頼めない。が、ここに誰か呼んでほしいわけでもない。……放っておいてくれ。そうすれば治る」
 金色の瞳はアサギリのいないほうにある。そこにつけこみ、彼の身体を眺め回して気付くのだ。少年の肉体の変化に。何故、普段から臆面もなく物怖じしない彼が突然落ち着きもなく、はっきりしなくなったのかを理解してしまった。それはあまりにもタイミングが悪く、だが自然の流れだったのかもしれない。
「大丈夫……?」
 アサギリは動揺を隠せていなかった。レーゲンの耳と、捻られた首と、形の良いおとがいを見詰めた。
「よくあることだ。ただの身体の反応で……別にどうこうしたいってのはない」
 だが彼は居心地悪そうに身動ぐ。
「しようか」
「は?」
「そうなったのもこうなったのも、わたしが原因なんだし……」
「あんたは傷付いてる。ムリだ」
 その傷が何を意味するのか、アサギリの胸に響くものがある。弟の暴行によって、男の願う女に対しての価値、理想にひびが入ったと言っているのか。それとも、この現状に心を悩ましていると言っているのか。
「そっか……」
「傷をなぞるのは良くない」
 彼は躊躇いがちに目を泳がせながらも首をアサギリのほうに曲げる。
「戦地で手籠にされた女が、その後も暴力的な男に溺れるのはない話じゃない」
 やはりこのボディーガードは知っていた。アサギリの表情が暗くなる。
「助けられなくてすまなかった」
「大丈夫……平気。ランドロックトくんも、色々考えてくれてたんでしょ」
 弟の暴行と、その場面を他者に見られてしまうこと。アサギリにもどちらのほうがどうということは判じられなかった。ただ弟を平然と撃ち、その咎を受けることにも平然としているこの少年にも、人への忖度ができたのだ。
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