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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 5

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 夫からみて長弟にまさぐられた部分が、夜になって疼きはじめた。茉世は爪先を擦り合わせたり、頻りに寝返りをうったりと落ち着かない様子だった。正体の分からないもどかしさに苛まれている。
「茉世ちゃん……?寒い?」
 隣の布団に入った蘭が身を起こす。
「いいえ……ごめんなさい。うるさくしてしまって……」
「それは大丈夫だけど。なんかあったら言ってね」
 茉世は布団の中で小さく蹲った。胸の先端と下腹部に弱い電流が渦巻いているみたいだった。触れることで誤魔化してみたくなる。けれど人のいる空間でそれは憚られた。いいや、人がいようといなかろうと、彼女は自身でそれをやることも恥じた。
「茉世ちゃんは、今日は何してたの?」
「お部屋におりました」
「そうなんだ。蓮くんといたのかと思ってた」
 茉世は暗い視界の中で目を伏せる。
「少しだけ……ほんの少しだけ、具合を悪くしてしまって、蓮さんに様子を看ていてもらったのです」
 幾許いくばくかの沈黙が流れる。
「……今はもう大丈夫なの?」
「はい」
「熱っぽかった……とか?」
「ちょっと、熱中症になりかけてたくらいでしょうか」
 蘭の喋り口はぎこちなかった。
「そうなんだ。ごめんね、傍にいられなくて……あとでおでからも蓮くんにお礼言っておくよ。茉世ちゃんを助けてくれてありがとうって」
 それで会話は終わり、寝入るのかと思ったが、夫はまだ、肘を張って半分ほど上体を起こしていた。
「お茶、飲んだじゃん」
 声がひとつ下がると、しかつめらしく聞こえる。地声を爛漫な性質によって高くして話していたはずだ。
「はい……」
 茶なら飲んだが、どれを指しているのかは分からなかった。だが蘭と共にいたときに飲んだものといえば限られている。今日は朝以外ほとんど離れていた。
「あれ、ちょっと傷んでるから、出されても飲まないほうがいいよ。飲まなくていいからね。逃げてきちゃいなさい。冷蔵庫の麦茶飲みなよ。あの水出しの緑茶は美味しくない」
 よほど眠れず、よほど話題に窮したとみえる。そうでなければ朝に飲んだ茶に悪態を吐こうなどとは思わない
「そ、そうでしたか……?」
「うん。冷蔵庫の麦茶か……ペットボトルのお茶飲みなよ。っていうか名札つけておいてあげる。飲みづらいもんね」
 茉世はその茶に大した思い入れはなかった。横からこの夫が2人分飲んでしまったことに驚いて、かろうじて印象に残っているくらいだった。その後の出来事があまりにも鮮烈であった。だが今放った夫の言を鑑みると、あの行動の意図に思い当たる。彼は今日の大半を自室で過ごしていた。
「傷んでいたということは、お腹を壊されたのでは」
「うーん。でももう平気」
「庇ってくださったんですね。ありがとうございます」
「茉世ちゃんも一口飲んじゃったでしょ。大丈夫だった?」
「はい」
 夫はえへえへと情けなく笑っていた。
「よかった」
 いつのまにか彼の声は高いものに戻っている。そして、身体を起こした。静寂。クーラーが唸っているのはいつものこと。吐き出される冷気は少し寒いが、布団の温かさとちょうど良い。だがそれとは別に空気が急に張り詰めるのを茉世は感じた。夫は上半身を起こしていた。座った体勢にもかかわらず、わずかに背伸びをしているようだった。
「蘭さん……?」
「ごめんね、茉世ちゃん。おでの布団か、茉世ちゃんの布団か、一緒に入ってくれる?」
「え……?」
「寒くなっちゃって。ごめんね。こっち来なよ。おいで」
 夫の腕が布団の中に伸びた。強い力で引き寄せられる。咄嗟のことで、すぐには応じられなかった。
「蘭さん……」
「ごめんね、茉世ちゃん。ごめんね」
 彼はそうとう焦っていた。自身の布団に妻を引き入れるつもりだったらしい。だが彼女はまごついた。何かから逃げて隠れるように、妻の布団に入り込む。腕立て伏せでもするかのように彼女の上へ覆い被さり、布団の中の温かな空気が逃げていく。
 茉世はびっくりして目を見開き、真上にある夫の顔を凝らしていた。だが表情を読み取るには視界不良だ。
 夫と同衾するなど、そう珍しいことではない。だがあまりにも一方的で急であった。しかし嫁の扱いについて古風な家である。妻の身体の自由については夫が握っているのであろう。
「蘭さん……」
 夫の顔が降りてくる。耳元に唇が寄せられた。毛先が頬に触れる。茉世は身を竦めた。
「茉世ちゃん……ごめんね。時々こうしなきゃいけないんだ」
 それはほぼ吐息だった。夫は四つ這いの姿勢で前後に揺れた。
「蘭さ……」
 開いた唇を塞がれる。自身で温めた空気が、夫の律動に合わせて出ていった。冷えていく。大袈裟な衣擦れによって煽られた風はまだほのかに温かかった。
「茉世ちゃん……、茉世ちゃん………好き」
 彼は身体を揺らしたまま突然、天井を仰ぎ、間延びして、媚びた声を出した。茉世は夫の奇行が怖かった。何かしら問題のある人物のもとに嫁いでしまったのでは……
「蘭さん……」
 夫が身を伏せた。上半身同士が重なる。
「ごめん、ちょっと抱き締めさせて」
 声のない声で彼は囁いた。茉世は抱擁される。その体勢で少し経った。やがて、夫が身を剥がす。彼は寝るとき和装であった。襟だの帯だのを整えながら隣の布団に戻っていく。
「茉世ちゃん……ごめんね」
「何か、あったんですか……」
 茉世は夫へ背を向けた。
「……う~ん。おでたちが夫婦なのかなって、見に来たんだと思うな」
 彼女は布団の中で戦慄いた。すぐさま思い当たる人物に辿り着く。蓮だろう。蓮に違いなかった。
「最初に言っておけばよかったよね。ごめん。ショックだったよね」
 しかしそのような状況下を知り、ひとり隠蔽に走ったのはこの夫だ。知らされていれば、彼女は意識するあまり、到底、合わせることはできなかったように思う。
「いいえ……いいんです」
「寝よっか。寝られるかな」
 蘭は軽く笑っている。茉世は暗い視界の中を見回した。
「あの……」
「うん?どしたん」
 彼女は逡巡していた。
「蘭さんは、いいんですか?その……あの、」
 喋っている途中で気付くのである。男とはいつなんどきも女を求め、どのような女でも問わないわけではないということを。夫婦として肉体の契りを求めないのであれば、つまりはそれが夫の意思なのである。互いに好き合い、想い合って結ばれたわけではなかった。この家は古風な価値観の残っているようだ。その家の長男で、主導権を握った夫が求めてこないということは、茉世は好みの女でなかったどころか肉体的に訴えられるところのない相性だったのだ。察することだ。口にさせることではない。
「おでは、平気……その、茉世ちゃんは、したい?その、今日は最後までできないけど、茉世ちゃんに、尽くすよ……」
 一瞬にして彼女は頬を熱くした。夫の声も、平生へいぜいより艶っぽい。
「そ、そういうわけではなくて……すみません。出過ぎた真似を」
「出過ぎてないよ……まだ早いかな、とか色々考えちゃって。来たばかりでしょ。もうちょっと慣れてからさ……ね」
 夫は嫌味な人物ではなかった。少しぼんやりしていて変わっているのだ。
「ありがとうございます……」
 長男と次男で足並みが揃っていないのだ。次男は三男のようにはしていられないらしい。
「茉世ちゃん」
 夫婦の営みについての話は一段落ついたらしい。声音があっさりしたものに切り替わる。
「はい」
「ヘビの出てくる夢を見たら、人に言っちゃダメだよ。お金が貯まるらしいからね。じゃあ、おやすみなさい」
 その言葉を聞き終えるか否かというところで、彼女はすとんと眠りに落ちた。エレベーターで降りていくような感覚と共に。





 寒さで目が覚めた。隣ではまだ夫が寝ている。肩で捲れた隣の掛布団を直してから、冷房で痛んだ喉を潤しに台所へと向かった。時刻は6時の少し前だが、夏場となるとすでに明るかった。
 台所にはすでに人がいた。調味料だの常温保管のものだのが置かれた長脚の大きなテーブルに人が突っ伏している。黒い髪に、黒いシャツの袖からは夏だというのに白い腕が伸びている。前には褐色の液体が入った洋酒の瓶と、少量の水が入ったグラスが置かれている。後ろには扇風機が立ち、左右に首を振って嫌がっているように見えた。
 寝ているらしい。神経質な雰囲気とは裏腹に、だらしない人なのかもしれない。茉世は音を殺して冷蔵庫へと近付いた。麦茶をもらうにも肝を冷やさねばならないのか。
「んあ、」
 間抜けな声を漏らして、テーブルと腕を枕にしていたこの家の次男が頭を上げた。茉世はぎくりとした。振り返ると、機嫌が悪いのか、ただ眠いだけなのか分からない昏い双眸とち合う。
「おはようございます……」
 白い手が濡れたように艶やかな黒髪を掻いた。
「昨日は、旦那と寝たのか」
「あなたには関係ありません」
 茉世は構わず冷蔵庫を開けた。すでに下手な字で茉世のものと示す手書きの札が未開栓の麦茶のペットボトルに貼られていた。彼女はそれをもらうことにした。
「何度言っても理解できないか」
 それは挑発だったのか、独り言だったのか。蓮は知っているのではないか。夫婦の寝ている部屋へ探りに来たのではなかったか。あれの正体は蓮ではないというのか。
 茉世は逡巡しないでもなかった。だが夫の健気な隠蔽を思い出す。
「しました」
 蓮は不機嫌そうに彼女を睨み、氷が溶けたらしいグラスの水を飲み干す。そして音をたてて置いた。威圧に聞こえる。
「嘘だな」
「嘘ではありません」
 だが嘘であった。冷淡な唇がいやらしく吊り上がった。嗤っている。
「堂々と、嘘を嘘ではないと言いきる嫁か。恐ろしいな。これだから女は侮れない」
「それこそ、どうして嘘だと、そう言いきれるのです」
 彼は立ち上がった。勢いのあまり丸椅子が倒れそうだったが、どうにか持ち直す。茉世は傍にやってくる義長弟に怯えをみせる。彼はまた嗤った。人を蔑んだ笑みだった。酒臭さを纏っている。
「水を取るだけだ。別に何もしない」
 冷蔵庫が開き、大型のペットボトルが取り出され、グラスに注がれていく。茉世はペットボトルを開けるのも忘れて、握り締めていた。冷蔵庫がまた開いて、すぐに閉まった。彼がグラスを呷る場面を、彼女は見上げていた。それは警戒だった。喉元の浮沈ふちん一回、一回を恐れた。とても喉を潤していられそうにない。
「取って食われるとでも思ったのか」
「い、いいえ……」
 茉世は慌ててペットボトルのキャップを捻った。そして茶を飲む。冷たいことだけが分かった。甘い風味を感じているゆとりはなかった。すぐ傍にいる義弟が怖かった。しかし呑気にグラスの水を舐めている男に朝から一体何をされるのだ。ここは台所である。家族共有の場所である。
 茉世はペットボトルのキャップを閉めた。そして冷蔵庫の扉を開ける。ペットボトルをしまい、扉を閉めた。後ろから腕が伸びてきた。左右からだ。気付けば閉じ込められている。真後ろに体温を感じた。冷蔵庫の装甲に映る陰は濃い。
「まだ答えてなかったな、義姉さん」
 何の話だか、彼女はすぐに思い当たらなかった。不気味で不遜なこの男の挙動に意識のほとんどを持っていかれていた。
「男の機能的に、旦那はあんたを抱かなかった……いいや、抱けなかった」
 耳の裏側に息が当たる。茉世は腰骨の辺りがむず痒くなった。首がくすぐったい。背筋が張ってしまう。
「ぅ……っ」
「イかせてはもらえたのか?」
 耳殻に当たるのではない。当てられているらしい。息を吹きかけられたことで彼女は確信した。しかし適当にあしらうすべを知らなかった。俯いてしまう。うなじを無防備に晒した。そこに生温かく濡れたものが這う。茉世はその場で屈み込みたくなってしまった。背筋から腰から、力が抜ける。
「ぁぅぅ……何、して……」
「妻を抱けなくても、イかせることくらいはできたはずだ」
 冷蔵庫についていた腕が、茉世へと絡みつく。そして何もつけていない、就寝用に着ているタンクトップと夏用の寝間着に覆われただけの胸に触れられてしまう。
「蓮さん……酔っていらっしゃるんですか………?」
「いいや。昨晩は、触れてすらもらえなかったのだろう?」
 下から持ち上げるように、彼は掌で脂肪の膨らみを支えていた。
「あ………」
 昨日触られた小さな場所を長く節くれだった指が車のワイパーみたいに左右を行き来した。もどかしい感覚が起こる。訳の分からない焦りだった。
「硬くなってきたぞ」
 ほんの少し2枚の布を押し上げていたものが、明確に張り詰めて天幕を作っている。
「ぁ……う………」
「感度がいいな。旦那も喜ぶんじゃないか」
 指で轢かれようとも、潰れることなく勃ち上がる。
「ふ………ぅう………」
「小さいのに、自己主張の強いやつだ」
 示指が上から突起を捉えて揺さぶった。柔らかな乳房の中に芯があるような気がした。そこに微弱な電流が通っているような痺れが生まれ、脳と下腹部へ分岐しているみたいだった。
 茉世は冷蔵庫に縋りついて、項垂れた。だが晒した白い頸には、赤い濡れ花が這うのだった。彼女はただ首を隠すがために天井を見上げた。
「あぁ……!放し、て……」
「俺が燃やしたことだ。それを旦那は消してくれやしなかった。俺が始末すべきだろう?」
 痛みには及ばない力で、彼は小さな部位を摘んだ。ぼんやりした甘い痺れが全身に広がっていく。
「ん、あ!ぃや……っ」
「胸はこんなに柔らかくて、ここは硬いんだな」
「だ、め………ゃあんっ」
 口を閉じられず、さらさらとした水に近くなった唾液が滴り落ちていく。膝と膝が擦り合わされていく。腰が揺れた。尻に男の身体が当たる。
「俺を誘ってどうする。相手が違うだろう」
「くすぐったい………くすぐったい、から………はなして……………はなして………っ、あぁ、」
 彼の指遣いに、茉世は嬌声を漏らす。硬く凝ってしまっても、弾力を確かめられるたびに、彼女は尻を突き出し、しかし後ろにある義長弟に押し戻される。接したところに熱い膨らみを感じる。
「胸だけでイくか?」
「ふ、ぁあ………っんん………」
 右の耳殻が湿った。温かかった。その瞬間に、彼の指が器用に胸の先端を捕まえてった。朦朧とした中に茉世は閃光を見た。身体が痙攣する。
「あああ……!」
 全身が泥になるようだった。足元がふらついた。
「気を付けろ」
 腋の下から腕が回る。涎を垂らした口に、胸の先で暴君みたいに振る舞っていた手が突き入れられた。
「ん、ふぅ……」
 唾液でぬるつく舌を指で挟まれ、引っ張られた。
「旦那を誘え」
「い………ぁ、あ………」
「旦那のほうに、またあの茶を飲ませる。誘え。あれには精力剤が入っている。旦那は断らないだろうさ」
 兄弟で茶の話ばかりしているような気がした。
「は……ぅ、う……」
 すでに彼女には意思がなかった。抱き上げられたみたいに猫みたいに、ぐでりと白い腕に吊り下がっていた。
「いいな」
「い………や、です…………」
「そうか」
 蓮は兄嫁の身体を向き合うように回した。冷蔵庫に押し付ける。
「戻ります……」
「旦那が心配するか?」
 気にした様子もなかった。兄嫁の薄いつくりの寝間着を飛び越え、ショートの中へ手を入れる。
「なんで……っ」
「物足りないだろう。旦那に抱かれる悦びを知ればいい」
「あなたは、蘭さんじゃな………っ、ひ、」
 義長弟の手が秘所を摩った。粘こく潤っているのが彼女は自身で分かった。
「それでも男に抱かれる悦びは、分かるはずだ」
 行動だけでなく、彼の言動、それを露わにできる人格を彼女は侮蔑した。女に自由はなく、男の支配下にあるべきだと考えているらしい。
「やめ、て!最低。最低!」
 彼女は喚いた。白い前腕に走る瘡蓋に、爪が引っ掛かる。
「朝からなんですか。騒々しい」
 台所にりんがやってくる。品の良い、襟付きのグレーのパジャマがよく似合っていた。まるでファッション雑誌の写真の一枚みたいだ。
「嫁いびりですか。恐ろしいな。おお、怖い。―すみません、茉世義姉さん。冷蔵庫、開けますね」
 霖は物怖じせず、長兄の嫁と次兄の傍へやってきた。
「ごめんなさい……」
 朝だが義次弟は爽やかだった。少し跳ねた寝癖も年相応で可愛らしい。
「朝一番にやることが嫁いびりだなんて、そんなにカリカリしているのはカルシウムが足りないんじゃないんですか。お酒ばかり飲んでいないで、牛乳でも飲めばよろしい」
 そう言って、彼が飲むのも牛乳だった。グラスに半分ほど注いだ。そしてテーブルを回り、冷蔵庫の反対側へ移動してからちびちび飲んでいる。蓮には似ていない丸い目が、兄嫁と次兄のやりとりを観察している。
「ああ、そうだ、茉世義姉さん。使ったコップはわざわざ洗わなくて大丈夫ですよ。水場に置いておいてくれれば。お手伝いさんが洗ってくれますから。遠慮なく水分補給してください。倒れたら大変ですからね」
 昨日のことを揶揄しているものと思った。
「ありがとうございます……」
「うふふ。―なんですか、蓮兄さん。義姉さんと距離が近くないですか。そんなに人懐っこい人でしたっけ」
 霖はシマエナガみたいなかわいい顔に勝ち誇った笑みを添えた。蓮はすんとして、使ったグラスを水場へ戻すと台所を去っていってしまった。
「災難でしたね。あの人、ああ見えてすぐ考え込んじゃうので、台所を寝床にしているんですよ。怒りと後悔と反省の繰り返しが趣味なんですよ。生き甲斐なんです。三度の飯より好きなんだから、巻き込まれたほうは迷惑ですよね。だから飲み物とか、お部屋に持って帰ったほうがいいですよ。あ、水筒買いに行きません?」
「あ……あの、でも……」
「ああ、お金とかの心配ならなさらないでください。義姉さんはもう三途賽川の人ですから。それに夏場に水筒の2、3本買ったからといって、一体何のお咎めがあるというんです。そんなバカ者はいくら身内でも世のために干涸びておくべきだと思います」
 嫌味のない笑みだった。霖は無邪気だ。彼は三男だ。この古風な家で、三男はどれほどの立ち位置なのであろうか。
「それはありがたい話ですが……」
「蓮兄さんのことでしたら無視で大丈夫です。あの人、多分茉世義姉さんじゃなくてもああなんですよ。支配的で保守的なんだな。僕も禅も、結婚するなら婿入りしたほうがいいんですよ。妻が大切ならね。茉世義姉さんは長男のお嫁さんなので大変ですけれど……」
 いくらかの安堵があった。自身の不甲斐なさについて。そしてこれからやって来るのかもしれない義弟たちの嫁について。
「買い物行きましょう。いとこに連絡をしますね。車を出してもらえるので。必要なものをリストアップしておいてください」
 茉世は少し考えた。霖の上目遣いに覗き込まれる。頷いてしまった。


 年若く美しい2番目の小舅に恥はかかせられなかった。久々に化粧をして、六道月路ろくどうがつじに居た頃買ってもらったワンピースを身に纏う。白地に小振りな赤い花と細く入った緑色の柄がある。髪も普段より丁寧に梳かして巻いた。周りの女性に憧れて、養父には秘密で買ったアイロンがある。夏にクーラーもなく、扇風機も使えない環境で使うのは暑かった。だがまだそう日の当たる時間帯ではなかった。
 すぱん、と襖が開いた。何の合図もなかった。着替えているのかいないのか定かでないが、多少袖の感じからかろうじて違うものだと分かる黒いシャツに、下はサンドかカーキー色のカーゴパンツを穿いている男が我が物顔で部屋を覗いた。確かに少し前ならば彼の家の一部屋であったのだからそういう顔をしていてもおかしくはなかった。蓮だ。彼は茉世を視界の真ん中に捉えると、一瞬、目を大きく開けた。だがすぐに眉根を寄せて視界から外す。
「明日この部屋にエアコンを入れる。隣に荷物をやっていい。部屋を開け渡せ」
「え……」
「狭いこの部屋で夫婦よろしくやっていれば、そのうち旦那もその気になるだろうさ」
 茉世は姿勢を正して悄然と身を小さくした。顔もまともに見なかった。鼻で嗤うのが聞こえる。
「どんなに着飾っても下着があれじゃ、な。精々救急車に運ばれないことを祈るよ」
 またすぱんと襖が閉じた。膝の上で拳を握り締めた。怒りを堪える。無駄な汗をかきたくない。これから霖と出掛けるのだった。
 茶の間を覗くと、すでに戻っていた腹立たしい男が紫煙をくゆらせ、新聞を眺めていた。あまりそういう匂いはしなかったが、彼は喫煙者らしかった。テーブルの奥に寝転んでいた蘭が飛び起き、讃辞を送る。霖は後ろからやってきた。
「いつにも増して素敵です。隣歩くの、緊張しちゃうな」
 彼もさっぱりとした服装をしていた。
「義姉さんとお出掛けが嬉しくて、ちょっとおめかししちゃいました」
 さらさらとした髪を今日は掻き上げて、形の良い額が晒されている。
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