18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-4

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
6 / 16
ネイキッドと翼(74話~) ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 79

しおりを挟む

 朝、6時を少し過ぎた三途賽川さんずさいかわ家の廊下からは粘着質な水音が聞こえてきた。
「は………ぁん、」
 義弟に弁当を作るのも忘れ、茉世まつよは壁に背中を擦り寄せ甘く鳴いた。身動ぐと額を接し合わせた鏡花辺津きょうげべつつきの前髪が砂利よろしい軋みをたてて転がる。
「茉世奥様、オーガズムに達するのは恥ずかしいことではございません。私ども分家など、石ころも同然。さぁ、心置きなくオーガズムに達してくださいませ」
 彼女は耐えていた。敏感な花肉を扱かれ、内部から淫門を叩かれている。爪先を丸め、スリッパを踏み締める。
「あ………ぅん……」
 指を噛んだ。この家には子供がいる。聞かせても、見せてもならない。内腿が震え、月の指を食い締めた。関節の膨らみを感じる。
「茉世奥様、タオルが落ちてしまっています。辜礫築つみいしづくせがれかぐわしい残り香を嗅がなくては……」
 淫芽を摘んで揉んでいた手を外し、月はタオルを小指で拾った。
「匂いは記憶と結びつくそうですから。よく嗅いでおくことです……辜礫築の倅が死んでも、思い出すことができますから」
 茉世は横に首を倒し、力無く壁に張り付いていた。快楽に身を委ね、抗うことをやむようとしていた。
「永世さん……」
 それは例え話であるはずだ。

――"キボク"

 蘭を責めるかのように使われ、そのたびに蘭は情緒を乱す単語。そしてこの語句に、永世が深く関わっている。
 否、人とは致死率100%。生き物とは必ず死ぬのだ。特別な意味はない。この男は、ただ嗅覚、匂いに関連づけて気の利いたことを言いたいだけなのだ。
 茉世の動揺を察したのか、月は微笑する。
「ああ………茉世奥様。私の指に集中してください。こんなにクリトリスを勃起させておいて、オーガズムに達せないだなんておつらいでしょう?」
 せせら笑いの直後、月は茉世を快落させにかかった。今までの手淫は戯れに過ぎなかったのだ。外側と内側から確実なポイントを突かれる。
「あッ、んん……!」 
 背筋がしなる。大切なことを考えなければならない気がしたが、忘れてしまった。
「茉世奥様……オーガズムに達するときは、"イく"ですよ。これはセックスでの鉄則です」
「おかしくなる………っ」
 口水を溢し、まもなく訪れる絶頂に身構えた。足の裏が、スリッパの繊維と擦れ合い、スリッパのアウトソールが床をにじる。
「いいですよ、おかしくなってください。裏の裏は表。茉世奥様も正気に戻らなくては」
 ところがそこに、猫の低い呻き声が混ざる。飼猫るんが、禅に腋から持ち上げられ、溶けたモッツァレラチーズよろしく伸びていた。
 聞こえよがしの溜息は猫が吐いたのではない。
「マジ?」 
 るんは降ろせとばかりに鳴き、禅は応えた。大きな吊り目は茉世を睨んだまま。茉世は思わず、自身の寝間着の胸元を握ってしまった。
 月は茉世から身体を離し、禅の正面へ歩み寄る。
「これは、これは禅さん。茉世奥様は、大旦那様とセックスをするための準備中でございます。これはすべて、大旦那様とセックスをするためなのでございます。茉世奥様は大旦那様とセックスをなさらなければならないのでございます。そのためには膣に指を入れ、大旦那様の陰茎に見立て、膣粘膜が切れてしまわないよう、支度が必要なのでございます。そういう理由があるのです。誤解のなきよう」
 眉を顰める面構えは次兄に似ていた。
「やめろよ!」
 茉世は理解するのに時間を要した。何故この場に禅がいるのか。鏡花辺津月は中学生男子に何を言ったのか。
「蘭兄ちゃんのこと好きじゃないんだろ? 蘭兄ちゃんのこと好きじゃないくせにキモいことするわけないじゃん」
 強い眼差しを浴びてもなお、茉世は石のごとく固まっていた。
「末旦那様。セックスは好きな人同士でするだけのものではございません。セックスは子供を作るためにするのです。好き合っていなくとも、子供を作るためにセックスをすることがあるのです。末旦那様は中学校に通っておられないようですが、小学校の保健体育でも習ったのではありませんか」
 茉世はやっと、どこかで叩き斬られた思考回路を繋ぎ直せた。そして禅を向いた月の腕におそるおそる手を添えた。
「相手は、子供ですし……」
「その子供に、あんたは襲いかかってきたわけ?」
「……え?」
 何のことを言われているのか、彼女は皆目見当がつかない。
「さっき、俺の寝込み、襲ったよね?」
 月の反応は速かった。涙袋を膨らませ、孤状の隧道を二つ、目元に作っている。厭な笑みであった。心理作用に訴えかける、不安定で作為的な笑顔であった。
「茉世奥様にお稚児趣味が!」
「男なら何でもいいんだろ。月、あんたのこともきっとすぐ好きになるんじゃない」
 侮蔑の一瞥をくれ、禅は顔を背けた。
「茉世奥様が、私のことを!」
「そのときは相手しろよ。蘭兄ちゃんに色目使う前に」  
「違います……!」
 喉がつかえた。声が震える。
「違くないだろ」
 禅は飼猫を抱え、茉世の前を通っていった。立ち尽くす。批難の言葉がこだまする。あの子供は父親代わりの兄を慕っているのだ。嫁の裏切りが赦せないのも無理はない。
「ごめんなさい、月さん。一人にしてください。家のなかでこういったことは困ります……」
 茉世は乱れた寝間着を直した。




「あんまり食欲ないカンジ?」
 御園生みそのう瑠璃は朝からよく食べる。昔から常に元気だった印象がある。その食いっぷりは気持ちがいい。茉世は彼を見ているだけで、自身も食事を終えた気になっていた。だが茶碗にはまだ五目飯が残っている。
「あ……ううん。ちょっとぼーっとしてただけ」
「そ? 久遠きゅんの風邪うつっちまったのかと思った」 
 茉世は面食らった。含みはないのだろう。しかし勘繰ってしまう。御園生瑠璃におそらくそのつもりはないにせよ、茉世は確かに永世との接触があった。濃密な接触があった。互いの口腔を貪り合うほど接触した。ところがそれを、御園生瑠璃が知るよしはない。
「そんなんじゃないよ。だとしたら、わたしがちゃんと風邪予防しなかっただけだし……わたしにうつして、元気になればいいのに」
 本音を織り交ぜ、戯けて見せた。そうすれば御園生瑠璃は笑って同意し、この話題は通り抜けるはずなのだ。
「久遠きゅんの看病はおれもできるからいいけどよ、まっちゃんのはおれ、ノータッチだろ。それは心配だな。がはは! ふつーに」
 しかつめらしい顔をして話すかと思えば、彼はふざけた笑みを見せる。
「なに、それ」
「ま、風邪じゃないならいいってことよ。今日の飯、めっちゃ美味いぜ」
「うん」
 根菜の漬物をを噛み潰す小気味よい音が、2人だけの部屋に響き渡る。
「秋だな~。炊き込みご飯、好きなんだよな。白米も好きなんだけど」  
 茉世は彼のアルバイト先の話を振った。季節の野菜。最近の惣菜。秋の果物。霖の弁当には、できるだけ旬のものを詰めたかった。それが哀れな家に生まれてしまった子供への、ささやかな慰めになればいい。
 昔馴染みとの会話で、少しずつ気持ちが凪いでいく。憂鬱が矮小化されている。成長によって声は低くなったが、喋り方は変わっていない。
 朝食を終えると、茉世は永世の部屋の前に立っていた。鏡花辺津月の言葉の綾が気に掛かっていた。気にし過ぎである。分かってはいるが、不安を取り除けなかった。本人から、その不安を払拭できる返答がほしい。ところがそのために投げかける問いが形にならない。シミュレーションしてみるが、鮮明なビジョンは浮かばない。
『なぁん』
 襖の向こう側で"黒ちゃん"が鳴いた。上貼りで爪研ぎをしているようだ。
『蓮さん、やめてください。襖に瑕がついてしまいます』
 茉世の胸も、黒猫に爪研ぎにされた。風船のようだった。些細な棘で、破裂してしまう。
 茉世は目を伏せた。赦されない恋は、猫に代役を押し付け、束の間の慰めとしている。公の場では呼べない名を口にし、心を安らがせているのだ。
『なぁん……なぁん………』
 猫が襖を引っ掻き、渋々とばかりに開く。這うような姿勢の永世が隙間から見えた。
「えっ!」
 断固として布団に下半身を残し、面倒臭そうに上体と腕を伸ばして畳に傾く永世と、視線がぶつかる。しかし黒い猫が隙間から器用に駆け抜けていって、茉世の脚に縋りついた。
「んなぁん……んなん。ふるる……」
 喉を鳴らし、金色の双眸を細め、撫でろとばかりに頭突きする。
「いつからそちらに……? いや、あの……どうもすみません、こんなかっこうで……」
 永世は照れ笑いを浮かべる。その顔を見た途端、並べた語句もシミュレーションも白紙に戻るどころか飛んでいってしまった。訊く必要さえ感じられなかった。
「わたしが勝手に来ただけで……」
 つまらない問いによって、彼の表情を曇らせるべきではない。
「朝食は、食べられましたか?」
「はい。美味しくいただきました。茉世さんは?」
「わたしもです……」
 抱き上げた猫が、胸元に寄り添う。まるで毛皮のコートだ。
「何か、ご用ですか」
 爽やかな微笑から、茉世は目を逸らした。目的を失ってしまった。
「く、黒ちゃんを連れ戻しに、来ただけです……」
 嘘である。艷やかな獣毛を一撫でした。苦い熱汁を飲み下したようだ。まだ、この小動物を許されざる想い人に見立て、戯れていたいのではあるまいか。この獣を回収することは、まるで妬み嫉みのようだ。しかしそういうつもりはなかったのだ。
 弁解と言い訳と状況説明が巡る。
「そうでしたか。そういえば、傷はどうなったんです?」
 手の甲の3本線は赤みを帯びてわずかに腫れている。朝飯時に御園生瑠璃からも指摘されたが忘れていた。
「月くんは、手当てをしてくれませんでしたか」
「ちょっと、ばたついちゃって……」
 彼女はたじりぎ、目を泳がせる。
「室内飼いの猫でも、引っ掻き傷は危ないですから。消毒しましょう」
 永世は布団から立ち上がった。掛布団が翻る。彼の匂いを乗せて、微かな風圧があった。
「昨日、お風呂入られたんですか」
 訊ねてしまってから、彼女は後悔した。この問いの意味を、相手はどう捉えたか。
「あはは。入りましたよ。どうも汗が気持ち悪くて……だから、そこまで汚くはないと思うんですけど……でも、また汗かいちゃいました」
 茉世は首を振る。食い気味に、髪がしゃらしゃら鳴るほど。
「ち、違うんです! そういう意味ではなくて……入浴剤の匂いがしたものですから………体調は大丈夫なのかと思って……」
 否定の勢いは凄まじかったが、彼女は咲きすぎた花のように萎んでしまった。
「茉世さんに心配してもらえるなら、体調不良も悪くありませんね」
 体調不良を案じていたのではなかった。他に訊きたいことがある。しかし訊き方が分からず、聞きたくもなかった。その先に、都合の良い、穏やかでいられる、甘く優しい答えがあるとは限らない。もし求めてる内容と違っていたら。おそらく上手く立ち回れない。彼女は自身の臆病ぶりをよく心得ていた。
「わたしはいつでも、心配しています。永世さんのこと……」
 だが、期待してしまう。この場に、この男を繋ぎ止めておけるのではあるまいか。わずかな棘となって、彼が三途賽川邸に、或いは気安く会える場所に留まってくれるのではないか。
「……やっぱり茉世さんはお優しいですね」
「優しくなんか、ないです」
「じゃあ、ぼくは嬉しいです。人に心配かけちゃいけないって思っていたのに……茉世さんに心配かけるの、趣味になっちゃうかもしれないですよ」
 永世が襖を開ける。茉世は考えも無しに、その様を目で追っていた。
「そんな見つめないでください」
 睫毛を伏せ、俯き、しかし垣間見える横面の口元は緩んでいる。
「み、見つめてなんか……救急箱なら、わたしが持ってきます……!」
 永世の脇を通り抜けたとき、手首に温もりが絡まった。硬い皮膚感。胼胝たこのかさつき。少し熱い。
「ぼくもリビングに用がありますし……。介護してもらえますか?」
 水を張ったボウルに素手を突き入れ、力任せに掻き回すようなものであった。その水面よろしく、茉世は目を回す。視界には星が飛び散り、呼吸もまともにできない。
「……っ」
 高い体温は手首をなぞり、掌へ滑り落ちる。引っ掻き傷も忘れた。ところが傷などない箇所が疼きはじめた。心臓の鼓動が臍の下のほうまで響いている。自身の手と握られた体温がならされていく。しかし指先にも、鼓動が行き届いてしまった。肌を接したこの相手は気付いているのだろうか。
 永世の部屋から茶の間までが一瞬だった。空間が捻じ曲げられ、三途賽川邸が縮められていたのかもしれない。手を放された寒さで気付く。
 茶の間には、蘭と月がいた。蘭はローテーブルの脇、窓辺で新聞を広げ、テレビの前のケージに閉じ込められた猫に文句をつけられている。月は朝飯を食っていた。2人の視線と一匹の青い眼差しを受ける。
「んなぁん……」
 遅れて黒い猫も茶の間にやってくる。
「どうしたの?」
 蘭が訊ねた。
「茉世さんの手に甲に引っ掻き傷があるんです」
 永世は茉世を目で差した。
「じゃあ、消毒しなきゃだね」
 蘭が膝を立てた。
「ぼくがやります」
 茉世は刹那、うなじに形のない針で刺された気分になった。テーブルを振り向くと、月がこちらを見ていた。マナーの手本ビデオを彷彿とさせる挙措きょそ動作であった。顔を突き合わせると、月から逸らされた。鏡花辺津月の第一印象を一気に拭うことになった薄ら笑いもなく、まるで互いに知りもしない相手だと錯覚させる態度であった。食事の時間だけは、三途賽川の任からは解かれるということなのだろうか。
「うん。じゃあよろしく。ごめんね、茉世ちゃん」
 蘭は再び新聞を読む。妻が他の男と睦まじげにしていても、興味などなさそうであった。その男というのはいとこだからだ。分家だからだ。否、形式的な夫婦であるからだ。
「あ……い、いいえ……」
 肺のなかで風船を膨らましているかのようだった。月は食器の音ひとつさせず、新聞紙のはためく音はガラスの砕ける音に似ていた。そして黄ばんだ猫は不平不満の鳴き声を漏らす。
 永世が何を考えているのか分からない。
「座ってください」
 茉世は促されるまま、フローリングに腰を下ろす。当然のように、膝には猫が乗った。顔を上げられない。蘭にも月にも見られたくなかった。新聞と食事、彼等にもやることがある。けれども勝手に視線を想像してしまうのだった。
「お手を」
 傷のある手を掬われる。
「滲みたらごめんなさい」
 消毒液の容器が手の甲の上で傾く。透明な液体が流れ出て、つんとした匂いが鼻腔を突く。傷は滲みなかった。液体は拭き取られ、次に軟膏が塗られていく。硬い掌が台になり、硬い指が傷を這う。永世の身体を知っているが、それでは知り得なかった鮮やかな感触を与える。
 大した出血はない。しかし軟膏の上にガーゼが張られ、包帯が2回ほど回っていった。
「なんだか、大袈裟です……」
「跡が残ってしまいますから」
 ガーゼと包帯の上から、軟膏を塗っていた手が重なった。他人の体温に挟まれている。身体の奥に熱串が生まれる。冷めていなければならない。有りもしない視線を茉世は作り上げた。身体の火照りを鎮めるべきなのだ。
「ありがとうございます……」
 手を引き抜こうとした。けれども指が絡んだ。手に重みが増す。胸が締め付けられる。傷が火を噴く。
「あ……っ」
「では、ぼくはこれで」
 永世は救急箱を片付け、茶の間を出ていく。茉世は宙に残る自身の手を凝らしていた。まだ彼の温もりと肌合いの影が纏わりついている。包帯を眺めながら自室へと戻った。黒い猫の存在も忘れ、転がり落ちた毛尨は彼女の後を追う。
 茉世は自室の襖を後ろ手に閉めた途端、その場に座り込んでしまった。顔を覆う。臍の奥が疼く。掻痒感とはまた違うざわめきが渦を巻いている。初めてあの男の肉体に包まれたときのことが甦った。布を隔て、日に焼けかかった肌や、淑やかな容貌にそぐわない野性的な足の形。小さなくせグミと大差のない耳朶。首筋の凹凸に揺蕩うほくろ。彼に迫られて交わしたキス。粘こく輝く焦げ茶色の瞳。秘められた箇所が淫らに膿んでいく。
 茉世は指を咥えた。唇が寂しい。荒々しく吸われたときのことが思い返され、切なくなった。動けず、慄える。
「永世さん……」
 曖昧な吐息が漏れる。
 襖が彼女に応じた。頬を張ったような開き方をした。弛緩していた身体は間髪入れず緊張する。
「そない保湿が大切なら、手袋貸したるわ」
 鏡花辺津月であった。あたかも今まで誰かと会話をしていたその途中といった風情ふぜいで、茉世の部屋に踏み入る。
「な、なんですか……」
「茉世奥様、失礼します」
 入室の合図はなく、許可を取るにはすでに入っている。弧を描く目元と口元が迫り、茉世は戦慄いた。
「あの……」
 月は茉世の前に腰を落とす。
「こちらは未使用の、私が使っている手袋です。保湿にも適しておりますので、是非お使いください」
 差し出された白い掌には、同じ手袋が掛けられている。
「だ、大丈夫です……」
「保湿せなあかんわ、言われとったやん。言われとったやろ?」
 月は包帯の巻かれた茉世の手を取った。白い布に包まれた親指が包帯を押す。傷は大して痛まなかったけれども骨に響いた。
「い、痛いです……」
「保湿せなあかんわ、言われとったな? なんで言うこと聞かへんねん」 
 目元は弧を描いたまま、親指に力が加わっていく。ガーゼの繊維が皮膚に喰い込む。中手骨がひしげそうだ。
「月さん……」
「遠慮なさらないでください。予備はたくさんありますので。手の乾燥は老けてみえます。男というものは繁殖のために、女性の若さに惹かれるもの。それは本能でございます。大旦那様もそれは変わりません。老けて見えるのは魅力の減退を意味します。魅力の減退はセックスレスの素でございます。茉世奥様、私が入れて差し上げます」
 茉世の掌を潰す力加減で押さえつけ、月は彼女の手に白い手袋を被せた。薄手の綿の手袋で、肌の色が透けていた。
「ああ、茉世奥様が"入って"います……ああ………」
 月は首を仰け反らせ、喉元の隆起を晒し、上擦った呻き声を漏らし、陶然とした表情を見せる。
「こちらにも、入れさせてください………」
 もう片方の手も、同じように月の介助を以って手袋を嵌める。
「ああ…………茉世奥様の手が、私の手袋に入っている………ああ…………」
 それはもはや、低く掠れただけの嬌声であった。茉世の手は震えた。自身の手を取り返し、圧迫されたことで痛むところを撫で摩る。
「ですがこれではプールに入れませんね。今日はダンスフィットネスのプログラムに出てください」
「え……?」
「ジムに行きますから支度なさってくださいませ。プールの用意は要りません。スポーツウェアとお着替えと、シューズとタオル、それから会員カードをお忘れなく。飲み物はなければ途中で買いますが?」
「行くんですか、ジム……?」
 動く気分ではなかった。
「はい。茉世奥様はまず、大旦那様とセックスをするための体力を作らなければなりません。そして大旦那様が勃起する魅力的な女性になっていただかなくては。今現在でも十分魅力的ではございますが、大旦那様がセックスをなさらない、つまり勃起しないということは、大旦那様は茉世奥様にシックスパックをお望みなのではありませんか」
「シックスパックって、腹筋を割るってことですか……?」
「はい。頑張っていきましょう」
 永世も蓮もだんも、あの青山藍も、そしてこの月も、多少の形や深浅に差異はあれど腹筋が割れていた。容易なことなのであろうか。しかし男女では必要な体脂肪率が違う。
「でも、そんな自信ないです……」
「目標に向かって直走ひたはしる女性というのは素敵です」
 彼女の拒否は届かなかった。荷物を纏め、スポーツジムへと連行される。
 半ば強いられたダンスフィットネスの行われるスタジオに入ったはいいが、茉世は隅に縮こまっていた。平日の昼少し前。年齢層は高く、女性が多い。鏡張りの部屋で、茉世は一人、居づらそうにしている自身の姿に気付いた。隣に誰かいる。黒い影が映っていた。咄嗟に振り返る。周りに人はいなかったはずだ。フロントで取った番号札に従い、場所が決まっている。プログラムの参加者は、すでに自分の位置についているか、壁の際で他の参加者と談笑していたが、部屋の隅で萎縮しているのは茉世だけだった。実際、彼女の近くに人はいなかった。
 5分前に入室するルールがあるようだが、その5分間はインスタントの蕎麦やうどんを待つよりも長く感じられた。
 スタジオの扉が閉まり、インストラクターが入ってきた。炎天下による自然な日焼けとは違う、浅黒い肌に後頭部で丸められた黒い髪。ハーフアップにされているために、肩に垂れた毛先がスタジオの照明を浴びて白く揺れる。小さな頭に鼻柱と眼窩が深く彫られ、不敵な笑みを携えている。スタジオを見回し、それから茉世を捉えた。このスポーツジムの店長兼インストラクターの阿波奈あばな清谺きよかである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

シチュボ(女性向け)

身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。 アドリブ、改変、なんでもOKです。 他人を害することだけはお止め下さい。 使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。 Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...