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A:カネに汚い男③

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 真犯人は一体、誰なのか? 狗藤は頭を抱えながら、カノンの姿を捜し求めた。苦しい時の神頼みである。カノンは噴水広場にいたので、メガネ先輩の証言について説明した。

「黒之原が犯人やないことは、うすうすわかってたで」

 カノンの素っ気ない言葉に、狗藤は腰が砕けそうになった。

「だったら、最初からそう言ってよ、カノンさん」
「訊かれてへんからな」
「どういうこと? じゃあ、真犯人は誰なの?」

「さぁな」カノンはそっぽを向いた。

 狗藤はカチンときたが、これぐらいで怒っていては、カノンの相手は務まらない。とりあえず、不平不満は飲み込むことにした。

「もし、見当がついているなら教えてよ。本当に困っているんだ。ねぇ、わかったの? カノンさんは神様なんだから、すべてお見通しなんじゃないの?」

「ノーコメントやな」カノンの反応はそっけなかった。「前々から思っていたことやけど、他力本願野郎にはやすやすと情報をやりたくないんや」
 狗藤には理由はわからないが、カノンが御機嫌ななめであることは確からしい。

「どうして?」

「どうして、やと? わからへんのか? むかつくからに決まっとるやろ! その頭は何のためにあるんや! 自分の頭で少しは考えてみたらどうなんや!」

 そう言われては、狗藤は何も言えない。

「どうして? どうして? どうして? ふん、私はおまえのママやないで。そんな奴の相手をするほど、私は暇やないんやっ!」

 カノンは激昂げっこうした。美女であるだけに、怒った顔はめちゃくちゃ怖かった。

「わかった。よくわかったよ。僕が悪かった。自分でよく考えてみるよ」

 狗藤は深々と頭を下げた。カノンを怒らせた場合、言い争っても、どうせ勝てないのだ。狗藤の謝罪は、ほとんど条件反射のようになっていた。

 カノンは「ふんっ」と鼻を鳴らす。

「頭が切れても決断力が伴わへん奴、決断力はあってもモラルのあらへん奴、モラルがあっても実行でけへん奴。いろんなタイプの人間を見てきたが、おまえって奴はつくづく、日本一みっともなくて、救いようのないサイテー野郎やな」

 ものの見事にろされた。狗藤は、聞き間違いかと思ったほどだ。日頃から罵倒されることには慣れているが、これほど実感をこめて、手ひどく人格を否定された記憶はない。

「頭は悪いわ、決断でけへん、実行もできへん。モラルは一応あるが、おまえのそれは、世間の一般常識に行動をしばられとるだけや。トラブルにあえば腰が引けてもうて、他人に対処法と決断を委ねまくってきたドアホに、一体何ができるんや?」

 不愉快な言われ方だが、狗藤は下僕体質ゆえに、こういう罵倒には慣れている。

「よくわかったから許してよ。これからは自分で考えるようにするからさ」と、作り笑いで言ってのけた。

「ま、結果は見えとんやけどな」カノンは鼻で笑った。「ひとつだけヒントをやろか。おまえが集金に使った例の空き箱な、あの表面にはラミネート加工がされとったんや」

「ラミネート?」
「透明フィルムが箱の表面にコーティングしてあんねん。覚えてへんか? 手触りがツルツルしとったやろ」

 確かに、カノンの言う通りだった。手触りの良さとカラフルな印刷が目立つため、狗藤は集金箱に選んだのだ。

「それって、防水加工ってこと?」
「ラミネート加工を施した理由は防水用なんか、印刷の色落ち防止なんか、この際、そんなことはどっちでもええ。ポイントは、もし誰かが箱に触れれば、指紋がくっきり残るっちゅうことや」

「あ」
「さすがに、指紋は知ってるやろ。刑事ドラマでお馴染みのこれや」

 カノンは、綿毛をつけた耳かきのような道具で、ポンポンとアルミ粉末をふりかける仕草をしてみせる。

「賭けてもええ。おまえが使った集金箱に、犯人の指紋は一つもついてへん。何でやいうたら、犯人は一切触れてへんからや」

「どういうこと? わけがわからないよ」
「おいおい、ホンマにわからへんのか?」

「うん、わからない」と、真顔で答える狗藤。

「何で、わからへんのか、特別に言ってやろう。おまえには経験がないからや。自分の頭で考えて、熟慮に熟慮を重ねて、検討に検討を重ねた末にやっと結論に辿りついたっちゅう成功体験が一度もあらへんからや」

 そう言って、カノンはクルリと背を向ける。

「その性格、いい加減どうにかせぇよ。今、考えを改めておかへんと、一生負け組のままやぞ」

 一度も振り向かずに立ち去っていった。

「何だよ、そんな言い方をしなくたって……」と、狗藤は呟いた。「それにしても、カノンさんの態度は妙だったな」

 弁天様は一体、何に対して苛立っていたのか? その真相が明らかになって、狗藤が知ることになるのは、ずっと後になってからである。もっとも、その時には、すでに取り返しがつかない状況になっているのだが……。
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