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A:カネに汚い男②
しおりを挟む迷っている時間はない。狗藤は直ちに、猿渡助手に報告した。彼女の動きは素早かった。被害者であるゼミ生たちから詳しい話を聞きとり、出品アイテムが間違いなく研究室から盗まれたものだ、という裏づけをとった。
しばらくして猿渡助手の連絡を受けて、比企田教授がやってきた。狗藤は猿渡助手と一緒に、事の経緯を説明する。
これは明らかな犯罪である。黒之原は報いを受けなければならない。
しかし、一連の事件は予想以上の大問題になった。そのきっかけを自分が作ったことに、狗藤は少々ブルーな気分になる。
比企田教授と猿渡助手は、迅速に対処し、問題の収拾に乗り出した。ネットオークション業者に対して、出品取り消しを申請するのは、盗まれたPCの製品番号や保証書などの資料がそろってからになるらしい。
「狗藤くん、黒之原くんが顔を見せたら、会議室に来るように伝えて」
そう言って、猿渡助手と比企田教授は、学部の会議室に向かった。
研究室に居合わせたゼミ生たちは、口々に噂した。
「黒之原のヤツ、終わったな」
「賭けてもいいが、退学だね」
「いつかはやると思ってたよ」
やがて、帳本人である黒之原が仏頂面で、研究室にやってきた。狗藤から猿渡助手の伝言を聞いても、ゼミ生たちから冷たい視線を受けても、彼の表情に変化はなかった。
いや、それ以前に顔色が悪く、酒くさい。黒之原は大きなゲップをすると、何も言わずに背を向けた。気だるそうに、足をズルズルと引きずりながら、会議室に向かう。
狗藤は黒之原の背中から、ひどく投げやりな印象を受けた。
その後、会議室の中でどんなやりとりがあったのか? 黒之原は容疑をあっさり認めたのか? それとも否定したけれど、無理やり断罪されたのか?
狗藤にはわからない。わかるのは、黒之原が手早く荷物をまとめ、研究室を後にしたことだけだ。結局、黒之原は一言も発しなかった。
比企田教授と猿渡助手はゼミ生一同に、結論を伝えただけで、詳細に関しては触れなかった。数日後、経済学部の掲示板に、告知の文書が貼られていた。それによると、黒之原の処分は「大学の秩序を乱し、学生の本分に反した行為をおかしたため、処分が決定するまで自宅謹慎とする」ということだった。
こうして、黒之原はキャンパスから姿を消した。
ゼミ研究室窃盗事件は一件落着だったが、飲み会の17万5000円盗難事件に関しては、まったく進展が見られなかった。
狗藤は当然、黒之原が怪しいと睨んでいる。心証は真っ黒だし、容疑者は他に一人も浮かんでいないのだ。彼以外には絶対にありえない、と確信していた。
ところが、である。
「いや、黒之原は絶対に犯人じゃないよ」と、同じ比企田ゼミのメガネ先輩が、黒之原の無罪を主張したのである。
「どうしてですか? だったら、誰が犯人なんですか? 黒之原先輩以外にありえないでしょう」
ゼミ研究室で彼と二人きりだった狗藤は、無罪の理由について追及した。
「確かに、これまでの彼の行動から考えて、誰もが『黒之原=犯人』だと思うだろうけど、実は違うんだよね」
「何か根拠があるんですか?」
「もちろん、あるよ」メガネ先輩は力強く頷いた。「ほら、黒之原には、募金箱からおカネを抜いた前科があるでしょ。だから、彼が遅れてやってきた時、僕はさりげなくマークしていたんだ。ずっと見張っていたんだよ。だから、断言できる。黒之原は集金箱には指一本ふれてないよ」
自信たっぷりに、眼鏡をクイッと押し上げる。
「マジですか?」
「ああ、マジだ。大マジだよ。そもそも、上着をかぶせただけで、集金箱を放置するなんて、狗藤くんにも原因の一端はあるよ」
メガネ先輩は非難がましく目を細める。盗難の誘因に関しては、確かに狗藤の責任である。
「すいません。それに関しては反省しています。すいませんでした。いや、それよりも、黒之原さんは指一本ふれてないって?」
「ああ、僕は最初から最後まで、黒之原をマークしていたんだ。きっとまたやらかすぞ。そう思って警戒していたんだよ。あいつが大広間に入ってきた時から、ずっと目を光らせていたんだから、間違いはない。黒之原は集金箱にも、かぶせてあった上着にもさわらなかったよ。ちなみに、上着が外れたのは、酔っぱらったゼミ生が転びかけて、会費の箱を蹴飛ばしたせいだ」
「……そうだったんですか」
「黒之原は来たと思ったら、すぐに帰っただろ。大広間にいたのは、正味十分ぐらいかな。僕が目を離した瞬間は1秒もなかったと言い切れるね」
「それじゃ、黒之原さんは犯人じゃありえない?」
「ありえないね。可能性は0%だ」メガネ先輩は断言した。
17万5000円の盗難に関しては、黒之原はシロなのか?
日頃からの素行不良から、狗藤は黒之原の仕業と考えていた。だが、冷静に考えてみれば、思い当たる節がある。
狗藤が集金を始めたのは、大広間で宴会が始まってからだ。その時点で、黒之原は不在だった。彼は大幅に遅刻してきたのだ。狗藤がコピー用紙の空き箱に会費を入れていた事実を、遅刻してきた先輩が知っているはずがない。
こうして、メガネ先輩の証言で、事件はふりだしに戻ってしまった。
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