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夜会と褒め言葉 1
しおりを挟む「それにしても……」
水色のドレスに惜しみなく使われた高級な純白のオーガンジー。
オーガンジーに隠された水色は、まるでおとぎ話に出てくる泉のように幻想的な雰囲気だ。
ウエストを締め付けない代わりにハイウエストで切り替えられたドレスの裾は、美しいドレープ描きながら床に広がっている。
全体的には斬新な印象でありながら、フンワリとした長い袖は、今現在の流行を取り入れている。
「私にはこんなに可憐なドレス似合わないと思うのだけど……」
「そんなことありません!」
侍女のメリアがこぶしを握って力説する。
ゆるい巻き髪は柔らかくまとめられてサイドに流れている。
小さな白い花が髪に飾られているが、その一つ一つは職人の手による貝細工だ。
飾り気が少ないドレス。しかし、それだけに胸元と耳に輝くアリアーナの瞳と同じ色の大きな緑色の宝石が周囲の目を引くだろう。
「……珍しいデザイン。コルセットなしのドレスだなんて本当に受け入れられるかしら」
「奥様はもともとスタイルが良いので、コルセットなどなくても問題ありませんよ」
「そうかしら……」
確かにアリアーナは、メイディン伯爵家での生活を物語るように細く華奢だ。
しかし、現在のドレスはコルセットを強く締めてバストを強調するデザインが一般的なのだ。
このドレスのデザインは、ルドルフのひと言が発端になり決められた。
――それは、夜会参加が決まった翌日の昼の出来事だった。
屋敷に急遽呼びつけられた新進気鋭のデザイナー。部屋に用意されたのは大量の布と宝石、多数の腕利きの針子たち。その用意周到さと豪華さに、まだ若いデザイナーは言葉を失った。
そのあとすぐにアリアーナは次々とデザイナーが持参したドレスの見本を試着した。どれも素晴らしいデザインだった。
そこに早朝から仕事に出ていたはずのルドルフが唐突に現れたのだ。
静まり返った室内で不機嫌そうに眉を寄せたルドルフは、アリアーナをまっすぐに見つめて口を開いた。
「……なんだ、それは」
見本のドレスを試着するためにコルセットを締めていたアリアーナは辛うじてバストやヒップ、太ももは隠れていてもほぼ下着姿だ。
(確かに私は貧相な体型かもしれないけれど、だからって……!!)
羞恥心を感じる前に、完全に否定されてしまったアリアーナは呆然とルドルフを見つめ返す。
アリアーナに視線を向けたままルドルフは歩み寄り、彼女のウエスト部分に視線を向けた。
「……なぜそんなにも非健康的な物をつけている?」
「非健康的って……。コルセット、のことですか?」
「当たり前だ。こんな物つけていたら健康を害するだろうし、速やかな行動に差し障るだろう?」
「え、でもドレスを着るときには……」
「――コルセットのいらない新しいデザインのドレスを作らせろ。君は誰も真似できない姿で夜会に参加するんだ。そのために、最近王都で頭角を現わしてきた若手のデザイナーを登用したのだから」
冷たい表情のままデザイナーを見つめたルドルフは、カツカツと音を立てて彼に近づき、軽く微笑んで口を開く。
「できるかできないか即返答しろ。しかし君は俺が見込んだデザイナーだ。新しいデザインは我が社が総力を挙げ確実に流行の最先端にすると約束しよう。それに加え成功報酬は王都の一等地への出店だ。――つまり、君の返事は一つしかないと確信しているが」
「できます! やらせてください!」
「良い返事だ」
鷹揚な印象で微笑んだルドルフは、やはり美貌が際立ちあまりにも美しい。
彼を見慣れている屋敷の使用人、そして彼の本性を知っているアリアーナ以外、この部屋にいる全員が頬を染めて彼を見つめている。
「さて、そういうことだ。君はずっと図書室に籠もっていたんだ。アイデアの一つや二つはあるのだろう?」
「……それは」
急に意見を求められたアリアーナは軽く動揺した。
今までは、仕事を押しつけられるばかりで、彼女自身の意見を求められたことはなかった。
(でも、本当はいつだって、私……)
ギュッと、目を瞑る。まぶたの裏に浮かぶのは、古代神殿の聖女が着ていた白いドレスだ。
そう、長い服飾史においてコルセットを着けるようになったことなど、ほんの最近のことなのだ。
(……ルドルフ様の言うとおりだわ。コルセットを締めるのが当然だと思っていた。でも、社交界で受け入れられるためには、流行から完全に外れることなく周囲にも受け入れられる必要がある)
目を瞑ったまま思案するアリアーナをルドルフはどこか楽しそうに見つめている。
しばらくして目を開いたアリアーナは、あまりにまっすぐルドルフがこちらを見つめているので一瞬頬を赤らめ、そのあと真顔になって小さく頷いた。
「つまり、アイデアはある、ということだな」
「はい……」
「それはいい。君ならやり遂げるだろう」
部下を褒めるように微笑みを向けられ、アリアーナの心臓は思わず音を立ててはねた。
「だが、一週間後に間に合わせるのであれば、デザインのひな形は今日中。明日にはデザインを完成させ、明後日は布地を選ぶ必要があるな。……それ以降の縫製の管理は間に合うように俺が請け負おう。その間に君は宝石と靴を選ぶように」
「……え?」
「ああ、その合間にドレスを王都の最先端の流行にするため、事業案を検討し提出するようにな」
「……!?!?!?」
ポンッと、軽くアリアーナの頭に手をのせると、言いたいことは全て言い終わったとばかりにルドルフは部屋を去って行った。
部屋には一瞬の静寂が訪れる。そして全員が我に返ったように慌ただしく動き出したのだった。
――そこから先の忙しさは筆舌に尽くし難い。
アリアーナは汗と涙と努力の結晶ともいえるドレスを見つめる。
布地は精霊が住む泉のようにキラキラ輝いている。ルドルフが用意した布は、魔鉱石の中でも宝石のように輝くものだけを選別して一流の職人が総力を挙げて加工したビーズが散りばめられ、王族でもおいそれと手に入れられないものだ。
しかし、このドレスが完成するまでの一週間は想像を絶する日々だった。
『計画の詰めが甘い、やり直し』
『仕入れはどうなっている』
『金に糸目はつけるな。それと同時に採算がとれるか事細かに検討しろ』
明らかに妻に対してのものではない、無表情なまま告げられる言葉。
何度も計画書を書き直し、その度に没になった。
(その横で新進気鋭のデザイナーもデザインの没案の紙で埋もれそうになっていたわ……)
最終的に出来上がったのは、分厚い事業計画とも呼べる代物だった。
『よくやった……。君ならできると思っていた』
急に浮かんだその言葉は、やはり無表情なままのルドルフから計画の受理とともに告げられた。
「……っ、あれだけ頑張ったんだから、少し褒めるくらい当然のことだわ」
それなのにその言葉は、アリアーナの心臓を鷲づかみにしてしまった。
少し上気してしまった頬に、そっと手を当てる。
(だから、このタイミングで、そんな格好をして現れないでほしい……)
アリアーナとルドルフは、王城まで別々の馬車で来た。
つまりアリアーナは、今夜ルドルフがどんな服装で来るのか知らなかった。
(仲の良い夫婦を演出するためなの? まさか、お揃いだなんて……)
ルドルフは水色を差し色にした白い正装に身を包んでいる。
装飾品の宝石は緑色でまとめられて、誰がどう見ても二人はお揃いの衣装だろう。
なぜかルドルフは、アリアーナのことを穴が開くほど見つめ、なかなか口を開かない。
(どうしてそんなに見つめてくるの!? そういえば、完成品を来ている姿をルドルフ様に見せるのは初めてだわ。やっぱり私には着こなせていないのかしら!?)
アリアーナが内心冷や汗をかきながら見つめ返していると、ハッとしたように軽く瞠目しルドルフは視線をそらした。
「……待たせてしまったな」
「いいえ。今来たところです」
ルドルフが視線をそらしたままそっと手を差し出す。まさか、エスコートしてもらえると思っていなかったアリアーナは、手をそっと重ねながら体をこわばらせる。
軽く手が握られて引き寄せられる。今までにない近い距離にアリアーナの心臓がドクドクと大きな音を立てて鼓動を早めていく。
――そして会場に入った二人に、周囲の視線が集中した。
(……話題の悪女と成金)
臆してしまいそうになりながら、必死で前を向くアリアーナの腰にルドルフが手を回した。
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