僕の名前を

茗荷わさび

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第二章 恋愛と友愛

第一話

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 恋はするものじゃない、落ちるものだ。

 ……と誰かは言うが、

 落ちるというからには崖か何かから飛び降りるのか?
 無事着地できるかどうかが争点なのだろうか。

 それとも飛行機の着陸みたいな?
 きっと本物の飛行機より墜落の確率は高い。
 機体損傷で火だるまになることもある。

 それでも人は抗えなくて落ちてしまうんだって。


 僕は無事に着陸できた人も、そうでなかった人も知らない。
 そんな滑走路もどこにあるのか分からない。

 あるとすれば僕と長政の滑走路はジャングルの中。
 濃い霧が立ち込めてて、木が生い茂ってるんだろう。



『多分、巴のことが好きだからじゃない?』

 半疑問文で告げられた長政の想いは、あのままあの夜に置き去りにした。僕らの制服もすっかり衣替えをした。

 僕には勿体無い言葉だった。

 僕の長政への想いはもっとドス黒くて、生々しい。
 長政を大切にしたいから、あの言葉に返すことはないだろう。

 この家を出るのも、僕ひとりだ。





 満員電車は今日もギチギチ。梅雨入りしてジメジメ。

 僕を潰さないように電車の扉に手を付いてくれている長政の腕の毛を見ていると指先で摘んでしまう。腕の毛も色素が違うんだと感心してしまうんだ。
 そしてつい摘みすぎて長政の腕がピクッっとして、思わず焦って顔を見上げると長政と目が合って、片眉をあげて笑ってる。いつから見られていたんだろうとさらに焦ってしまう。
 腕に視線を戻して指先で撫でてその体毛の毛並みを整える。すると頭上から「くっくっ……」と低い笑い声がする。


 あぁ、好き。

 好きだ、その笑い方。


 絶対揶揄われてるだけ、再婚相手の連れ子への興味とかそういうことだと思う。なのに最近の長政からは僕への気持ちがちゃんと乗せられているように思えてくる。僕がそう感じるのだから仕方ない。それを感じてしまうのは自己都合。つまり幻なんだ。

 なぜなら僕は恋に落ちているから。

 僕はひとり飛行機を操縦していて、ジャングルに突っ込む手前なんだ。

 無償の愛と呼ばれる親からの愛情でさえ貰ってない僕のことなんかに、心を乗せる人なんかこの世に居ない。僕は居ても居なくてもいい存在なんだから。

 長政の幻に恋してる、実に初恋らしい。
 僕は見事に散ってやろう。





「またため息じゃん、お母さんとまた何かあったの?」

 カケルが心配そうに僕に言う。僕はあの雨の日以降、継母の作る弁当を持ってきている。継母の落ち込む顔を見るのがだんだん辛くなってきたからだ。笑っていてほしいとかそんなことは思わないが自分のせいで落ち込んでいるのはやはり嫌だった。

「はぁ……」
「ほらまた、どうしたの?」
「あ、違う、弁当のことじゃない」
「なら、どうしたの?」

 今までずっと僕の感情線は底辺にあって一直線でピクリともしなかったのに、最近ピクンピクンと跳ね上がったり、波がやってきていて、カケルもそれを異変に感じてる。

「じゃぁ、弟?」
「え?」
「弟と、最近仲良いよね」
「ただ一緒ってだけだろ」
「弟、女いるんだろ?」
「……知らない」
「この前学校にまで来てたの見たじゃん」

 カケルはなにが言いたいのだろう。すごく嫌な言い方だ。

「聞いた話だとすげー女遊びしてるらしいじゃん、まぁイケメンだもんね、モテるよね」
「は……?」

 僕は長政が女遊びしているというより、カケルがこんなことを面白おかしく言うことに対して一気に嫌悪感が溢れる。

「モテるやつは良いよね、取っ替え引っ替えできて」
「やめろ」
「え?」

 カケルの顔が引きつる。

「なに、怒ってんの? なんで?」
「おまえがそんなこと言うとは思わなかった」
「……なんだよそれ、あいつは女遊びしてるんだぞ?なのに俺が悪いわけ?」
「あいつは仮にも僕の家族だ」
「家族?」

 引きつりながら口角をあげて呆れるように笑った。

「巴は……、俺よりたった数カ月しか一緒にいないやつを取るのか?」
「時間じゃない」
「あぁ、そうかよ、そうだな。お前はまともな家庭で育ってない、だから少し優しくされて絆されたんだな!」

 ドンっ!!

 気づけば僕は机を拳で思い切り叩いていた。ペットボトルが弾みで倒れ床に落ちる。

「帰れ」

 カケルは自分の荷物を抱えて教室を出ていった。教室にいるクラスメイトが小さい声で何か言っているが構っていられなかった。ジンジンとする拳をずっと収められず、僕は身体を震わせていた。



『おとなしいあいつが怒った』

 その日のうちにそれは高校のスキャンダルと化した。でもそんな噂も一時的で主役が僕となればすぐに収まってしまう。しかし『女遊びがひどい』というもうひとつのスキャンダルはなかなか収まってくれなかった。

 長政はいつもと変わらなかった。今日も昇降口で僕を待ってる。

「火のないところには煙は立たないっていうしね」

 と自虐的に笑うだけだった。

 麻里という女性と関係を解消したと聞いたとき確かにその人以外の人とは関係を持っていなかったと聞いた。

「長政は麻里さんしか……」
「巴は信じてくれてるんだ……? ならそれでいいし、それに……」

 長政ははにかんで僕の頭をぽんと撫でた。そして僕の耳のそばまで顔が近づいてきた。

「巴が怒ってくれたの知ってるから俺はそれでいい」

 そう耳元で囁かれた。

 駅のホームで顔を真っ赤にしてしまう僕。手で仰ぐがなかなかその熱は引かない。長政はまた余裕たっぷりに笑ってる。長政が笑ってる。本当に噂を気にしてないのか。少しだけ僕はホッとしていた。



 その週はカケルは昼休みに顔を出さなかった。



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