君を待つひと

橘しづき

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6.ここに来るまで

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 ワタルとケンゴは店の裏に来ていた。

 実はケンゴはまだ勤務時間中だった。だがこっそりエプロンを外してワタルを連れ出してきた。後で同僚に叱られるかもしれないが、まいいか、と彼は心で呟く。

 細い道は人通りもなく、換気扇から料理のいい匂いが流れてくる。景色はいいものではない、ここではあの広場も見えなかった。だが、今はそれでよかったかもしれない。

 ワタルはふらふらとケンゴについてきたあと、壁にもたれて脱力するように地面に座り込んだ。普段真面目で元気に溢れたワタルのそんな様子を、ケンゴは不憫そうに眺めた。

 ヒサヨの発言を、ケンゴも聞いていた。

 待っている姉が自殺したということ。待ち人は現れないことが分かってしまった。もう一度だけ会いたいという願いは、叶うことはないのだ。

 どう声を掛けていいのかも分からず黙っていると、ワタルの方から口を開いた。

「僕と姉は……施設育ちだったんだ」

「え?」

 ケンゴは慌ててしゃがみ込み、ワタルの方を見た。うつろな目で、ワタルは続ける。

「幼い頃両親が事故で死んで、頼れる親戚もいなくて、二人とも施設で育った。年が離れてる姉は就職して稼ぐようになったあと、僕を引き取った」

「そうだったのか……」

「僕の学費も出そうと頑張って、二人で生きてきた。ボロアパートに貧乏飯、僕のバイト先からもらってきた廃棄予定の弁当がご馳走な、そんな生活だったけど、二人で暮らすのは楽しかった」

 それで姉を待っていたのか、と納得した。

 他に家族がなく二人暮らし。力を合わせて生きてきた唯一の肉親。ワタルが姉を待つのも当然だ。

「仲よかったんだな」

「よく喧嘩もしたけどね。でも姉には頭が上がらなかったよ。若いのに働いて僕を養ってたんだから。感謝しても仕切れない。
 ……予想外のところで別れが来たのは辛かったけど。でも、いずれまたここで会えるはずだ、って、確信してた」

 声が震えていた。膝に置いた手が、強く服を握りしめている。

「ナツミは強い人だったんだよ。いつも笑って明るくて、本当にすごい人だった。いつか再会した日には、あっちはばあちゃんになってて、もしかしたら孫の話とかも聞けたりして、……一人にさせたことを謝ろうって、思ってたんだ」

 思い描いていた自分の待ち人。ワタルはいくらでも待つつもりだった。むしろ、待ち時間は長い方が嬉しいと思っていた。その分、姉が向こうで楽しんでいるなら。

 彼の目から涙がいくつも溢れた。それを拭こうともせず、流したまま唇を噛む。

「だからまさか……! 自分で人生を終わらせるようなそんなこと、想像もしてなかったんだ! 姉がそんな選択をするなんて……馬鹿だ、ナツミは馬鹿だ。頑張ってくれたら、また会えたのに。もう一度、会ってお礼がしたかったのに」

 子供のように泣きじゃくり、顔を真っ赤にさせているワタルに、ケンゴは何も言わず見守った。

「僕のせいだ……! 僕がこんなことにならなければ、きっとナツミは生きていたのに。僕のせいだ!」

 俯いた顔から涙が落ち、地面を濡らす。雨のように溢れるその水滴は、ワタルの足元に次々落ちた。ケンゴは肩に手を置き、ありきたりなことしか言えなかった。

「自分を責めるな。ワタルのせいじゃない」

「僕のせいだ。僕の……」

 しゃくりあげる彼にそんな慰めは意味がないことなんて分かっている。ケンゴは眉を下げたまま、ワタルの涙がおさまるのをただ待つしかなかった。

 ワタルは泣きながら、ポツリポツリと姉との思い出を語り出した。悼む気持ちが大きかったのかもしれない。

 まず一足先に施設を出ることにあった姉は、『必ず迎えに来る』と宣言していったこと。

 ワタルは正直期待していなかったが、生活が落ち着いたあと本当に迎えに来て驚いたこと。

 暮らし始めたアパートは古かったが、さっき会った大家のイノウエさんによくしてもらったこと。

 誕生日にはカットケーキを買って祝ったこと。

 中古でテレビゲームを買い、二人で夜遅くまでハマったこと。

 聞いているだけで、ワタルとナツミの生活の絵が目に浮かぶようだった。ケンゴは会ったこともないナツミの姿を見た気になる。

 たった一人の家族を大事に思い、必死に働きながら暮らしてきた。そんな弟を失って、彼女は耐えられなかった。弟が残した生活用品すら、見るのが辛かったに違いない。

 愛する者の死は、もっとも人を狂わせる。

 そして選んでしまった道は、悲しい道だった。

「ナツミが来ないって分かったなら……もう、ここにはいられないかなあ」

 空を見上げながら、ワタルはポツリと言った。ケンゴは慌てていう。

「そんなこと言うなって」

「だってそれが自然な流れでしょ。今すぐじゃなくても、きっと知らぬ間にいなくなる。目的を失った人は存在していられない」

「せっかく一緒に働いてるんじゃん、もうちょっと頑張ろうぜ」

 そう言ってすぐ、自分が残酷なことを口にしたとケンゴは後悔する。頑張れ、だなんて。

 だがワタルは気分を害した様子はなく、嬉しそうにふにゃりと笑って見せた。涙まみれの顔で。

「ありがとう。
 結果として悲しいけど、でもここでいろんな人たちに会ったのは本当に嬉しかったし、楽しかった。いいところだよ、ここは」

 そう言ったワタルの顔は、嘘偽りのない温かな表情をしていた。





 会いたい人に会うためにそこはある。

 だが、必ず会えるとは限らない。

 ここはそんな場所。





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