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3.君はともだち
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しおりを挟むある日、ワタルは時間が出来たので一人街を遊び回っていた。ケンゴも休みが一緒ならどこかへ二人で行ったのになあ、なんて思いながらあてもなくブラブラと歩き回っている。
さてこれからどうしようか。そう悩んでいるとき、背後から声が掛かったのだ。
「おーい兄ちゃん!」
ギョッとして振り返る。かなり大きな声だったからだ。いたのはエンドウだった。彼はアルコールのせいか、赤ら顔でワタルに駆け寄ってくる。
「あ、エンドウさん!」
「おーおー、休みかい?」
「はい、ちょっとぶらぶらしてただけで」
「そうなんか! 一緒に酒でも飲まねえか? 一向に消える気配もないもんでよ、一人では飲み飽きてて。
ちょっとでいいから付き合ってくれ」
顔の前で手を合わせられ困る。一緒にお酒を飲むという誘いを、こんなに懇願する人初めて見た。ワタルは酒が好きではなかったが、いつも断っていた罪悪感もあり、仕方なく頷いてしまった。
「じゃあ、少しだけ」
「おお、じゃあさーあんたの働いてるところじゃ気まずいかもしれんし、あそこの店に入ろう」
嬉しそうにエンドウが指した先には、小さなバーがあった。ワタルは入ったことがない場所だ。背中を押されながらそこへ向かわされる。
ガラス製の扉を開けると、薄暗い店内が見えた。カウンターのみの小さな店だ。客は他に誰もいなかった。店員と思しき三十代ぐらいの男性が微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「座れ座れ。えー俺は何でもいいからおすすめを作ってくれ。兄ちゃんもそれでいいか?」
「あ! 僕アルコールは……すみませんが、ノンアルコールで」
「かしこまりました」
初めて来る場所にキョロキョロしてしまう。働くレストランとはだいぶ違う場所だ。でも、大人はこういうところの方がいいのかもな。エンドウさんみたいに、待ち人もいないという人なら特に。
少ししてドリンクが運ばれた。エンドウには淡いブルーの、ワタルは桃色をした美しい飲み物だった。少し飲んでみると、あっさりとした果実の酸味を感じて唸る。うちのレストランにはないものだなあ。
エンドウはやけに嬉しそうに笑顔でいた。
「誰かと飲むなんてどれくらいかなあ。ここに来る前もよ、仕事上はあってもプライベートは全く無かったわ。寂しい人生だったねえ」
「ええと、お仕事を頑張られていたんですね」
「働かなきゃ生きていけないからな。それだけだよ。やりがいもない。上司には叱られ部下には疎まれた。まあ、俺が不器用だったんだよ」
その発言をきいて、ワタルは何となく想像がつくな、と思った。エンドウさんは昔ながらのおじさん、という感じがする。若者は打ち解けるのが難しいかもしれない、と。
悪い人じゃない、だが、不器用なんだ。
エンドウは大きくため息をついた。
「前もあんたには言っちゃったけど、つまらん人生でな。善人でもなかったし悪人でもなかった。仕事に追われていただけの人生。これが結婚して子供でもいればよかったのになあ、女にはモテなかったし。生きがいの趣味や友達でもいればよかったけど、そんなものも見つからなくて」
恥ずかしそうに言うエンドウの横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「ある日ポックリいっちまって。健康診断でも引っかかってたし、体もガタが来てたのかな。情けない」
そう言って彼は酒を飲んだ。ワタルも一口飲む。どう返答すればいいのかわからないデリケートな話題で、少し困ってしまった。
だがエンドウはどんどん自分の半生の話を始める。誰かに聞いてほしいのだろう。
「俺は結婚したかったのよ、子供だって欲しかったし。んで、モテないけど一度結婚の約束までした女ができたわけ!」
「そうなんですか」
「はは、料理上手な明るい子でよ。それがさー結婚に向けて進んでいこう、って時に俺の友達と浮気してよ」
「え!」
「いやあ、あれは引きずったねえ。だってそんな恐ろしいことする子に見えなかったんだもん。それ以来、女が恐ろしくてね。初めに好きになった女を間違えた。友達も同時になくしちゃったんだが、その後は二人結婚して幸せに暮らしてるみたいだ」
「そ、それは……災難でしたね」
ワタルは顔を歪めて答えた。自身もあまり恋愛経験が多い方ではないが、そんな体験をしたら立ち直れない自信はある。結婚できなかった、っていうのも、その過去のせいもありそうだ。
「おお災難よ。
んで仕事はさーまあ俺なりに頑張ってやってきて、年も重ねりゃ少しは昇進するだろ? 部下もできてさ。ある日、部下がえらい大変なミスやっちゃって、でもここは俺の出番とばかりに庇ってやったのよ。
しかし後になって、『説教が偉そうだった』って陰口を叩かれるわ、上司にも叱られるわ、もう散々」
エンドウは酒を飲み干した。すぐにバーテンダーが新しいものを作って差し出す。ワタルは不憫に思った。
「それもまた……辛いですね」
「会社選びも失敗したなあ。ブラックだったしな」
そんな悲しいことを言いながらエンドウは笑う。笑うしかなかったのかもしれない。新しく来た酒を少し口に含むと、ふうと息を吐いた。
その後も、彼の悲しい半生の話は続いた。満員電車では何もしてないのに女子高生に睨まれたりする。置引きにあったり、住んでるアパートの隣の部屋が火事になったり。彼の口から出てくるエピソードは、ワタルが経験したことのない話ばかりだった。
彼がクソみたいな人生、と呼んだことに、どこか納得してしまう自分がいた。せめてその後、好きな女性が出来ていたら。打ち込める趣味と出会っていたら。遅くまで飲んで語れる友人ができていたら、何かが違ったのかもしれない。
一通り話し終えたエンドウは、喉の渇きを潤すように一気に酒を飲んだ。そして、ぼんやりとどこか遠くを眺める。低い声で、ポツリと言った。
「ここはいい場所だよ。綺麗だし、穏やかで、いい人ばっかりだ。嬉しそうな人間が大勢いる。だがそれと同時に、自分があまりに虚しくなる。
俺は待ちたい人間も、待ってくれる人間もいない。俺の人生は一体なんだったんだろう、ってね。早く消えていなくなりたいとすら思う」
悲壮感のある声だった。ワタルは返事を返さなかった。
エンドウのような人は意外と多いのかも知れない、と思った。人生は一度きりで、時間も限られている。誰しもが大切な人や生きがいを見つけられるわけではない。ただそれでも、人が人生を生き抜くということは尊いことだとワタルは思う。
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