完璧からはほど遠い

橘しづき

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 指導係を外れてから、ほとんど話すことはなかった。彼女は新しい男性の指導係の元、毎日笑顔で仕事をこなしている。

 頻繁に成瀬さんの元へ行き質問したり助言を求めている。私はなるべく視界に入れないようにはしているが、今泉さん曰く『前よりはやる気あるみたいだが、結局男性社員に媚売ってるのは変わらない』だそう。

 私にとって関わりたくない人ナンバー2だ。

 それでも、私は先輩だし社会人。嫌な顔をするわけにもいかない。ニコリと笑って返事をした。

「何かあった?」

「ふふ、私お祝いを言いたくてぇ」

「え?」

 嫌な予感がする。彼女はすすっと私の隣りに近づいた。香水の匂いがぶわっと鼻をつく。声を潜めるようにして、高橋さんは囁いた。

「結婚おめでとうございます」

 全身に悪寒が走った。ぞぞぞっと、なんとも表現できない気味の悪い感覚。この子が心の底から祝っているなんてありえないと分かっていた、一度は自分が寝取った男とその元カノの結婚。普通わざわざ二人きりで祝うか?

 それに、沙織の話では同期の間でだけ広まっていると思っていた。私と同じ部署のこの子に話が流れるなんて、噂が広がったらどうしてくれる。

 私は冷静を保った。高橋さんに向き直り、なるべく優しい声で否定した。

「それ間違いなの。結婚なんてしないから」

「ええ?」

「誰から聞いたの?」

「富田さんですよ。だから間違いなんかじゃないですよね? 指輪だって、こういうのがいいと思うよーって教えてあげたんですから」

 ブチ切れるかと思った。

 あの男、まさかの浮気相手に指輪を選ばせたのか? そんなにデリカシーのない奴だっただろうか。受け取る気なんて元々なかったけど、さらに嫌になった。触りたくもない。

 もはやあいつと付き合っていた自分を殴りたかった。一年何をしていたんだろう自分は、黒歴史間違いなしだな。

「そうだったの。でも受け取らなかったから、ごめんね。私は大和とヨリ戻すつもりなんてないから」

「えーなんでですかあ? もしかして過去のこと気にしてるんですか? もう、男の人は縛り付けてると逃げ出したくなりますよ。多少は自由に泳がせてあげないと」

 お前が言うなよ。

「だって佐伯さんと富田さん、すっごくお似合いで私の憧れなんです! 応援してます、絶対結婚した方がいいですよ」

 どの口が言うんだよ。

 これはもしかして、また私を怒らせようとしてるんだろうか。そうとしか考えられない暴言ばかりだ。いや、この子がやった内容を知らなければ、別によくある会話に聞こえるだろう。私だけを怒らせる逸材の言葉ばかりを並べてくれる。

 イライラで血管が切れるかと思ったが、もう声を荒げたりなんかしない。せっかく成瀬さんが庇ってくれて大事にならずにすんだのに、ここで同じことを繰り返してなるものか。

「ありがとう。でもこれは私の気持ちだから。もう大和のことは好きじゃないの」

「えーあんなにかっこいいのにですか?」

「あはは、そんなにかっこいいと思うなら高橋さん付き合えば?」

 嫌味を言ったつもりだが、あちらはまるで堪えていない。考えるように顎に指を置く。

「んー富田さんもかっこいいですけど~。やっぱり成瀬さんには適わないっていうか」

 成瀬さんの名が出てきたことで、つい表情を固めた。いつだったか、今泉さんが言っていたことを思い出す。『高橋さんは絶対成瀬さんを狙ってる』……

 私の表情の変化に気づいたのだろうか。高橋さんは目を丸くしたあと、ふふっと笑った。そして面白そうに言った。

「もしかして……前成瀬さんが佐伯さんを庇うみたいなことしたから、成瀬さんに気持ちが傾いちゃってます?」

「ち、ちが」

「あれ、別に佐伯さんを庇ってたわけじゃないですよ? 私が悪かったんですもん。勘違いしない方がいいですよー佐伯さんが辛い目にあってるの見たくないんで! 富田さんを選んだ方がいいです!  成瀬さんはライバルだって多いと思うし、絶対大変ですって」

「……私は別に何とも思ってない。人のプライベートなこと、あまり首を突っ込まない方がいいよ。私は大和と結婚なんてしないから、そこだけは分かっててね、誰かに変なこと言ったりしないで」

 私は念を押すが、高橋さんはどこか不敵な笑みを浮かべている。嫌な予感がした、これ何か企んでるんじゃないだろうか。

「はーい。言わないでおきまーす」

「……ありがとう。私は今から食事に行くから」

「いってらっしゃーい」

 手をひらひら振って見送る。不安に駆られながら、私はその場から立ち去った。

――嫌な感じ。

 相手にしない方がいいと分かってても、やはり気になってしまう。あの子一体何がしたいんだろう。私と大和の仲を壊しておきながら、今度はくっつけようとしてるなんて。そんなに私が嫌いなんだろうか。

 大和のこと、全部成瀬さんに言ってみようか。

 今まで細かなことは黙っていたが、さすがに相談した方がいい気がしてきた。もし、変な形で私と大和の関係が成瀬さんの耳に入ったら。そう考えると、絶対自分の口から説明した方がいいと思える。

 今日、カレーを届けて、全部話してみよう。

 そう心に誓った。



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