倒錯文学入水

ルルオカ

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倒錯手紙墜落・高井

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慰安旅行になんか、行きたくなかった。

担当をしている野田の筆が、殺意を覚えるほど遅いからだ。

あまりに締め切り破りがつづいては、いい加減、出版社も見切りをつけそうなものを。
野田の作品には一定数の愛読者がいて、その数は増えもしなければ減りもしないから、難しいところらしい。

出版社にとっては必要不可欠でなくでも、切り捨てるのが惜しくなくもない箸休め的な作家であって、俺にいわせれば、ごきぶりのような存在だ。

本家並みのしぶとさだけには一目置いているから、担当として仕事を全うするためにも、どうにか締め切りを守らせたかった。

そんな俺の編集者魂を無碍にするように、監視していても野田は筆を弄ぶばかり。
監視がなくなったら、万年筆を手に持とうともしないのは目に見えている。

おまけに山國屋が万年筆を置く口実を与えるように、ちょっかいを出してくるとなれば、たかが三日、されど三日、目を離したくはなかった。

野田事情も、集団旅行には向かない俺の難儀な気性も知っているはずの叔父は、だが「野田君に過保護すぎだよ。作家だけじゃなく、同僚との懇親も深めないと」と諌めてきた。

いつもは断っても、困ったように笑うだけなのに、無理強いをするのも説教臭く言い聞かせるのも叔父らしくなかった。

なんだかんだ俺には弱い叔父が、こうもしつこく粘るなら、慰安以外に旅行の目的があるのかと、考えないでもなかった。

その目的が何にしろ、先日、野田が手篭めにされそうになったことを思えば、俺も譲れなくて、頑として首を縦に振らなかったが「じゃあ、仕方ないな」とやれやれというようにため息を吐かれた。

「慰安旅行にこないのだったら、野田先生から担当を外しちゃうよ」

後半部分が「旅行の間、面倒くさい仕事を押しつけるよ」「旅行中の特別手当をあげないよ」というなら分かる。

比べて、野田どうのこうのと持ちだすのは、突拍子もなく思えるところだが、俺はまんまと、黙りこんでしまった。

同僚や編集長の叔父に作品のことは仕事上、話すことがあっても、野田については、とやかく言うことがない。
誉めもしなければ「あの、原稿料泥棒」「締め切り破りの役立たず」と毒づくこともなかった。

もちろん、他のまっとうな会社への就職が決まっていた関わらず、それを蹴って艶本の編集室に跳びこんだ事情を誰にも打ち明けていないし、叔父に「野田の担当にさせろ」と頼んでもいない。

たまたま野田の担当が一身上の都合で立てつづけに辞めていったから、お鉢が回ってきただけだ。

それとも、そう見せかけて叔父が割り当ててくれたのだろうか。
どこまで叔父が見抜いているのか分からなかったが「野田先生から担当を外しちゃうよ」と脅してきたからには、俺の弁慶の泣き所はお見通しなのだろう。

野田が悪いのだ。
自分を手篭めにしようとした性犯罪者を、いまだに惰性的に下宿先に迎え入れている股の緩い女のような野田が。

徴兵されなかったせいなのか。
男というのは、穴さえあれば、どこにでも突っこみたがる下劣で低俗な生き物だと分かっていない。

そんな、どうしようもない連中に言葉は通じなく「一物をへし折ってやる!」と腹をくくって臨むくらいでないと、拒絶しきれないというのは、十五で志願兵になった俺の教訓だ。
ましてや教訓になった連中より、性欲が歪んだむっつり助平の山國屋は、格段に性質が悪い。

警戒しない野田は馬鹿だ。放っておけない俺はもっと馬鹿だ。

結局、馬鹿な俺は、長い目で見て担当を外されては元も子もないと考え、降参して慰安旅行に参加することとなった。

電車に二時間揺られ、温泉街に訪れたところで叔父から一人の女を紹介された。

叔父の友人の娘さんらしく、齢は二十三。
このごろ、家で塞ぎこんでいるのを心配した親御さんが、友人の叔父に慰安旅行に娘を混ぜてくれないかと、頼んできたのだという。

旅行の道連れに未婚の二十代が俺しかいない状況にあって「気晴らしに混ぜてあげよう」という叔父の提案は白々しいものだった。
まあ、改めて紹介されるまでもなく、女を一目見て、嫌になるほど察しがついたが。

おおよそ、叔父は俺の親に頼みこまれ、俺をはめたのだろう。
事前に女が合流することを知らせなかったことからして明々白々だ。

騙まし討ち、裏切り行為には人一倍、目くじらをたてる俺だが、とはいえ、叔父を責められなかった。
元々は親に心配させている俺が元凶だ。

妹もすでに片付いたというに、艶本の編集者など世間体の悪い職につき、二十五にもなっても浮いた話がなく、持ちかけられる縁談を蹴りつづけているともなれば、目の仇にする叔父に泣きつきたくもなるだろう。

真っ向から縁談をすすめて説得しようとしても馬の耳に念仏とあっては、正攻法を捨て、策略をしかけようとするのも致し方ない。

いくら縁談から逃れようとする俺でも、いざ顔合わせをしたなら、相手に恥をかかせるようなことはできなかった。

旅行の初っ端から相手を置いてきぼりにし、とんぼ帰りできるほど面の皮は厚くない。

案外、融通が利かない気質を見越され、叔父の思い通りになったのは癪だったが、俺は諦めて、旅行の三日を何とかやり過ごそうと決めた。

二十三と、聞いてもいないのに齢を告げられた女、坂田は、齢からして、縁談に前のめりになりそうなところ。

叔父に紹介されたときには、慎ましく笑っただけで、自らのことを語ることなく、寡黙な俺を振り向かせるのに躍起にならなければ、必要もなく、かまおうともしなかった。

叔父の目を気にして愛想をふりまきながら、下手に寄ることも触れることもない。

叔父と結託して、周りが俺らを二人きりにさせたり「若いといいねえ」と囃したててきても、おだてられるまま勘違いしないで「困りましたね」とばかり俺に苦笑してみせたものだ。

坂田は聡く気の回る女だった。もしくは、俺のように、周りから見えない包囲網を敷かれて、坂田も困っているのかもしれない。

器量がよく奥ゆかしい性格からして、縁談がくれば滞りなく成立しそうなものを、二十三にしてまだ未婚なら、やはり俺のように訳ありなのだろう。

どこか俺と通じるものがあり、同情できなくもなかったが「いやあ、お似合いだねえ」と煽ってくるのを受け流しつつ、いちいち俺の顔色を窺ってくるのには、辟易とした。

同情の余地があるからこそ、「やめろ」と邪険にできず、吐きだせない苛立ちを腹の中に溜めこんでいった。

叔父の善意に見せかけた、余計なお世話的な悪意を、それでも、悪気がないからと思い、嫌な顔ができないのだろう。

そういった葛藤を抱えながら、なるべく俺に迷惑をかけまいとし、且つ周りの気が済むようつきあってやっている坂田は、とんだ、お人好しだ。

ただ、あまりに申し訳なさそうにされると、非難がましく被害者面をしているように見えてくる。

叔父がけしかけてくるのに、むしろ健闘している坂田を、目の敵にするのは筋違いと分かっている。
とはいえ、考えずにはいられないのだ。

おそらく同じ状況に置かれても、山國屋なら遠まわしに圧力をかけて縁談を潰そうとするだろう。
野田なんかは、きっと悪びれもなく、とんずらするだろうと。

坂田より二人のほうが、よほど鼻持ちならないとはいえ、物申すのに遠慮しなくていいから、後腐れがない。
同じことをしたら、坂田は泣き崩れるか、さすがに俺を恨むだろう。

いや、あの二人がならず者なのであって、野田は論外として、美麗な笑みを崩さない山國屋は、いかにも善人の皮を被った悪人めいているものだ。

山國屋はもちろん、油断ならない男とはいえ、皮を被っていない根っからの善人というのも、中々、手に負えない。

坂田がしつこく申し訳なさそうにするのに、ろくに太刀打ちできないで、夜に旅館の床に入ったときに憔悴しきっていた。

坂田と同室にはされるのは免れたとはいえ、俺と坂田、それぞれが一人部屋を宛がわれたのは叔父の思惑があってだろう。

残念ながら、俺は失神するように眠りについたし、坂田も気遣い疲れで、とても布団からでられなかったに違いない。

一応、扉には鍵をかけ、叔父が押しかけてきても取り合うまいと決めて、苦しくなく溺れるように眠りに落ちた。





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