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第九章 アイリスとアイーダ

その13 ガルガンドのスノッリ氏族長

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       13

 高熱を出して寝込んでいたとき、わたし、アイリスは、思い出した。

 かつての「はじめのアイリス」のときは、カルナックお師匠さま人間に愛想をつかして精霊の世界に還ってしまっていたってことを。
 ああ、こんなときにお師匠さまが人間界にとどまっていてくれたらって、何度、思っただろう……。
 今回は、どうか、そんなことになりませんように。心から願う。
 
 さて、幼女の看板を下ろしたいと決意したけど、聖女に認定されるのも、いやだなー。

 聖女はブラック職業なのよ!
 劣悪な環境で休みもなく働かされ続けて。
 家族とも引き離されて過労死寸前だったアイリスを守ろうとしたからって、お母さま、お父さま、エステリオ叔父さまは国に殺された。庇ってくれていたエルナト兄さまとヴィーア・マルファ姉さまもグーリア帝国との戦争にかり出されて戦死してしまった。
 それで「はじめのアイリス」は「全てを諦めた」。
 アイリスを駆り立てたものは憤りだったか絶望だったか、今となってはよくわからないの。それは、わたしであって「わたし」ではない。
 きっと……もう、何もかもどうでもよくなって、エナンデリア大陸ごとぶっ壊しちゃったんだ。
 
 でも、今回は、ちがう。
 瀕死のマクシミリアンくんを蘇生できたのは、白竜さまの加護のおかげだもの。
 繰り返します。加護のおかげなの。
 だから、アイリスは聖女じゃないよね……

 たぶん。(希望的観測)

       ※

 ところで、我がラゼル家の大広間はいま、大がかりな改装が行われています。

 六歳の誕生日に開催した大事なお披露目会に、招待もしていないのに勝手に押しかけてきたヒューゴーお爺さまのせいで、大広間が破壊されてめちゃくちゃになっちゃったから。

 まだどこかに何かしら危険物が仕掛けられているんじゃないかって館じゅうを調べて、床も張り直して元通り以上にきれいにするんだって、お父様が張り切っている。
 魔法的な意味でも、そのほかに物理的な、たとえば軍隊に攻め込まれても持ちこたえられるようにしたいというんだけど……。
 何を目指しているのかしらお父さま。
 あまり目立たない方がよくないかな?
 うちは平民、ただの商人だもの。
 お父さま、くれぐれも処世には気をつけて!
 わたしたち家族は、お父さまのこと、とても大切で、心配しているのだから。

 そして、お爺さまのことで一つ。
 事件のあとになって、壊れた『円環呪』の側に、ひからびたミイラみたいなものが転がっていたの。
 それが、お爺さまだった。

 カルナック様がお調べになって、おっしゃるには。
 おじいさまは、もう、とっくの昔に死んでいたんだ、って。

 ぞっとしたわ。
 じゃあ、確かに会って話したはずの、お爺さまは……?

「邪な魔法の痕跡を嗅ぎ分けることに、そしてそれを排除することにかけてはガルガンドは一流だからね」
 サファイアさんの目が、青みを帯びて艶やかに光を放つ。
 すごくきれいで、すこし、怖い。

「ガルガンド?」

「そうよ。ガルガンド氏族国の民は精霊枝族と呼ばれ、公式にはどの国とも同じように距離を置いているの。他国に赴き、住み着いているガルガンドの民は、かの故郷の国とは関係なく『エルフ』と『ドワーフ』と名乗ることをエルレーン大公によりお墨付きを賜ったってわけ。……遠い昔にね」

 その青い目は、どこかはるか彼方を見ているように思えた。

「アイリスお嬢さま、大広間に行きましょうか。エルフとドワーフの仕事に、興味があるんでしょ?」

 熱を出していたのだからと、サファイアさんはわたしを抱き上げる。

「もう、だいじょうぶなのに」

「念のためですわ、お嬢さま」
 サファイアさんは大股で、いえ、歩幅大きめで、さくさく歩くのです。しかも揺れない。
 書斎を出て廊下を進む。

 家のあちらこちらで作業をしている人がいる。
 我がラゼル家では、かなり大がかりな魔術的検証が行われているの。

 お爺さまがどこに何を仕掛けているかわからないから。
 本人が死んでしまっているから、よけいに。

 長くのばした淡い金髪に明るい色の目、色白でほっそりした人たちが、計器みたいなものを持って、手を壁や床にかざしている。

「あれがエルフ。魔法の痕跡を追うのに長けているの」
 それからふっと笑って。
「ルビー=ティーレもそうでしょう?」

「そうなのね……あの人たち髪や目の色、ルビーさんに似ているみたい」

「ルビー=ティーレはガルガンド国の『エルフ氏族』でしたから。ドワーフと含めて、きわめて精霊に近しい種族で、セ・エレメンティアとも呼ばれる精霊枝族(せいれいしぞく)という区分になります」

 移動しながらサファイアさんは説明してくれた。
 あっという間に、大広間に着いた。

「そして、あれがドワーフ。エルフより身長は低めで、黒髪が多いですね」

 指さしたところにいたのは、あたしがイメージしていたのにそっくりな、黒髪で体型はジャガイモに似てる、おじさんの背中だった。

「おおい! スノッリ・ストゥルルソン! わたしだ!」
 サファイアさんが手をあげて、彼を呼んだ。

 我が家の大広間だったところは、現在、床を全部剥がして土を掘り返している。
 その作業場の入り口に、彼は立っていて、全体の作業を監督しているようだった。
 少し縮れた黒髪が肩から背中にかかるくらい。
 どちらかといえばジャガイモ体型。

「なんじゃい。わしの名前を呼びおるのは。どこの坊主かな」
 振り返り、愛嬌のある顔に、にやりと笑みを浮かべた。

「誰かと思えばリディか。いかんぞ、いくらお仕着せのメイド服など身につけておっっても、その言葉遣いは、ないわい。すぐにボロがでるぞい。思い出すのう。出会った頃は、髪も短いし男の子みたいな格好をしておったの」

「それは護身のためだってば!」

「ははは。なかなか見所のある坊主だと思っとったぞ」

「ああ、いやだな~、おやっさんの前だと昔に戻っちゃうな~。いけない、いけない。気をつけなくっちゃ! いい女はツライわ~」
 サファイア=リドラさんはにっこりと笑顔を作った。

「スノッリの親父さんは古い知り合いだよ。昔、サウダージ共和国で苦労していたときに助けてもらった恩人」

「事情をきいても、いい?」

「お嬢さまの、お望みとあらば」
 少しばかり芝居がかった口調で。
「サウダージは恐ろしい国。魔力持ちだとわかれば捕まる。で、捕まえて処刑するかと言えばそうではない。捕らえて奴隷にし、道具として消費し使い潰すのさ」

 サファイアさんは無表情に言った後、スノッリさんのほうを見やった。
 表情がゆるみ、微笑みを浮かべる。

「スノッリは困ってる人を助ける活動をしているの。仕事の合間にね。カルナックお師匠と一緒にサウダージ共和国を脱出するときに、まあいろいろ、書類偽造とかさ……あ、今のはナシね!」

「それはナイショじゃぞ!」
 スノッリさんは近くにやってきた。
 頭に被っていた毛皮のとんがり帽子を取り、胸に当てて。

「おお。絹糸のような黄金の髪。エスメラルダのような緑の瞳。おとぎ話の姫君かと思いましたぞ。察しますところに、この館のお嬢さまでございますかの。お初にお目にかかりまする、わしは銀細工師スノッリ・ストゥルルソンにございますでな」
 真っ黒な、キラキラした目で見るの。

「はじめまして、スノッリ・ストゥルルソンさん。わたしはアイリス・リデル・ティス・ラゼルです。抱っこのままで、ごめんなさい」

 わたしが身を乗り出すと、スノッリさんは身体を揺すって笑った。

「おおい皆、しばらく休憩じゃ!」
 合図をすると、作業をしていた三十人ほどの人たちが手を止め、思い思いの場所に腰を下ろした。エルフっぽい金髪で白い人も、ドワーフっぽい黒髪の人も。

 スノッリさんはとっても気さくで明るく楽しいおじさんだった。
 ひげ面で、お酒好きそうな赤ら顔をしている。

「ドワーフとエルフという氏族名か。……そうじゃな、何百年前のことになるかのう……エルレーン公国首都シ・イル・リリヤに学院を設立した『影の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)』と呼ばれていた魔法使いに、当時の公女さま、ルーナリシア殿下が嫁ぎなすった」

 うん、知ってる。
 夢の中だったのか、それとも魂だったのか……精霊の白き森に、招かれて。とても美しいお姫さまに会ったことを覚えている。

「披露宴に招待された、わしらガルガンド氏族は、祝いの品を献上したんじゃよ。エルレーン大公殿には天空より降りし鋼を鍛えた星の剣を。ルーナリシア公女様には銀細工にお名前にちなんだ宝石、月晶石(ルーナリシア)をちりばめたティアラを。魔法使いには星を宿したトネリコの枝を。大公様はいたくお気に召して、細工師にはエルフと、鍛冶師にはドワーフと名乗ることを許すと、お墨付きを頂いた」

「エルレーン大公の一存で決めたことではないの。《世界の大いなる意思》が、それを許したと、カルナック師匠から聞いているわ」
 サファイア=リドラさんが、あたしの髪を撫でて笑う。

「ガルガンド氏族国家は、元々、いくつかの氏族の集まりだ。わしらみたいな魔力なしもいるし、ティーレのような『精霊似』のやつらもいる。ドワーフだエルフだ、ごたいそうな氏族名をいただいたもんだが、まぁ、みんな結局は、同じ鍋のスープを食った仲。一声かけりゃ仲間が集まるってもんよ」

 スノッリさんは、にんまりと笑って。

「わしは魔力無しだが、ひとの魔力の多さはわかる。お嬢さまは相当なもんだ。リディやティーレよりも多い。こんなのはカルナック様とコマラパ様以来だ。お嬢さまは《世界の大いなる意思》に愛されている。気に入った!」
 再び、がはは、と身体を揺すって豪快に笑う。
「なんかあったら、一声かけな。ガルガンドの傭兵は皆、わしの号令で動く」

「傭兵?」

 ぴんときてないわたしに、サファイアさんはそっと告げる。

「ガルガンド軍は昔から傭兵としても有名なのだけど、いつでも、何よりもアイリスちゃんの要望を優先して受ける。そう誓ってくれたのよ」

「え! それって、もしかして、すごいことじゃない!?」
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