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「強盗の仕業ではないんですか?」
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「強盗の仕業ではないんですか?」
ぼくはおそるおそる訊ねた。
「全方位で捜査中だ。おい、テープを潜ろうとするな。テープがなくても敷地に勝手に入ることはまかりならん」
「かっこいい刑事さん、イケメン刑事さん、せっかく来たので、ちょっとだけ覗いちゃだめですか。捜査の邪魔はしません。汚したり触ったりしません。栄養を補給したいだけなんです~」
日比野の笑顔は、さすがに警察には効果がなかった。田西刑事は「連れて帰れ」と目顔でぼくに指示する。ここはおとなしく引き下がったほうが印象がいいはずだ。
必死に食い下がろうとした日比野に声をかけた。
「なんか喉が渇いちゃったね、日比野さん、ジュースでも飲も!」
道路を渡ったところに飲み物の自動販売機が設置されている。さりげなく腕を組んで自販機に引っ張っていこうとしたら、日比野はもう片方の腕をイケメンのジャケットから離さなかった。
「ちょ、おじょうさん……!!」井敬が困惑している。
「イケメン刑事さんもコーヒー一緒に飲みましょうよ~」
「……まあ、それくらいなら、いいけど」
イケメン認定は内心嬉しかったらしく、井敬は自販機まで一緒についてきた。
「コーヒーでいいですか、井敬刑事。田西刑事はブラックかな。これもご縁です、おごらせてください」
ぼくは尻ポケットから財布を出した。
「公務員は賄賂は受け取らないんだよ」
「賄賂だなんて」
「事件が解決したら、これも笑い話になりますよ~」
日比野は屈託がなかった。少しずれてはいるが最悪のムードにならないのは彼女のおかげだろう。
小銭が足りなかったので、千円札を取り出した。折り畳んだ札だ。なんで折り畳んであるんだろう。その瞬間まですっかり忘れていた。
橋本夫人からもらったお小遣いだということを。
開いた札の中から、黄色いものが飛び出して、ひらひらと舞い落ちた。
「うん?」
一センチ四方あるかないかの小さな楕円。中にゴミが入っていたのだろうか。
「これは……!」
井敬が白いハンカチを取り出した。手で触れないようにして、黄色いなにかをつまみあげ、うやうやしくポリ袋の中に入れた。
「……なんで我々がここに足を運んだと思う?」
「いや、わかりませんよ。それより、その黄色いの、なんですか?」
「ここはあくまで遺棄現場。殺されたのは別の場所だ。丹野も言っていただろう。実はな、あいつに言われるまでもなく警察はわかっていたことなんだよ。彼女が履いていた靴のソール部分に工場の土がどれほど付着しているか、すでに鑑識が調べていたからな。警察はバカじゃないんだ。おれは今、現場百遍という言葉を噛みしめている。刑事は基本が大事なんだ」田西は飲み屋の酔っ払いのようにしみじみと語った。「なあ、井敬、おれが言ったとおりだろう。こうやって何度も何度も丹念に足を運ぶと天が味方してくれるんだ」
「はあ、そうですね」井敬はため息に似た返事をした。「ところで丹野はどこまで探ってるんですかね。後を追いかけてるだけだったら時間の無駄じゃないですか?」
「ばーか。あんなやつ信用できるか。上から言われてるからしかたなく同行させてんだ」
ぼくは首を傾げて、「丹野は警察と密に情報交換してるわけではないんですか。けっこう細かいところをよく見てる印象なんですけど」と訊くと、
「あの野郎、お前さんにはべらべらしゃべるんだな。おれたちには黙ってやがるくせに。刑事の勘ってのはバカにできないんだよ。ヤツは怪しいんだ」
田西は眉間の皺を深くした。
丹野の能力を警察が認めたというよりは、知りすぎている丹野が犯人である可能性が高まったとみているようだ。
「まだ舞台に登場していない人物がいるのかもしれんが、我々は愛人説で捜査しているところだ」
「ネイリストがあやしいですね」と、ぼくは促してみた。
「被害者は自宅に愛人を招き入れていた可能性があるんだ。大胆な奥様だよ。二階に彼女の寝室があってな。ダンナの寝室は別にあったんだ。羨ましいことだ。間取りは知ってるかな、野田さん。彼女は自室でペットを飼っていたんだが……」
「ペット……犬とか猫とかは、記憶にありませんね」
ペットを飼っている配達先は多い。とくに犬は注意喚起の意味で、配達員同士で情報を共有している。3年に一回くらいは犬に噛まれただとか猫にひっかかれただとかが話題になる。
橋本宅で犬や猫を見かけた覚えがない。
「彼女は、セキセイインコを飼っていたんだ。ルチノーとかいう真っ黄色のをな」
田西刑事はビニール袋をいれたポケットを軽く叩いた。
「黄色い……インコ……」
「ねえ、野田さん。わたし、ジュースよりコーラのほうがいいかな。……あれ、どうしたの。みんな、こわい顔して」
ぼくは千円札も提出した。『証拠』はポリ袋の牢獄に入れられ、回収された。被害者にもらったものだと経緯を正直に説明したが、彼女の指紋が見つかったところで状況はあまり変わらないだろう。
鳥の羽は軽いので気づかないうちに四つ折り千円札の隙間に入り込んでもおかしくはない。しかし、被害者が用意しておいた札に偶然紛れた、という仮説よりも、彼女の寝室に入った愛人である証拠というほうが、警察にとって魅力的なのは間違いないだろう。
刑事に「科捜研の結果次第では、またお会いすることになりますかねえ」とすごまれ、「楽しかったね」と笑う日比野響子をバス停で見送ったときには、もう日が暮れかけていた。
そして、途方に暮れた足取りで自宅に戻ったぼくを待っていたのは、驚愕の事実だった。
ぼくはおそるおそる訊ねた。
「全方位で捜査中だ。おい、テープを潜ろうとするな。テープがなくても敷地に勝手に入ることはまかりならん」
「かっこいい刑事さん、イケメン刑事さん、せっかく来たので、ちょっとだけ覗いちゃだめですか。捜査の邪魔はしません。汚したり触ったりしません。栄養を補給したいだけなんです~」
日比野の笑顔は、さすがに警察には効果がなかった。田西刑事は「連れて帰れ」と目顔でぼくに指示する。ここはおとなしく引き下がったほうが印象がいいはずだ。
必死に食い下がろうとした日比野に声をかけた。
「なんか喉が渇いちゃったね、日比野さん、ジュースでも飲も!」
道路を渡ったところに飲み物の自動販売機が設置されている。さりげなく腕を組んで自販機に引っ張っていこうとしたら、日比野はもう片方の腕をイケメンのジャケットから離さなかった。
「ちょ、おじょうさん……!!」井敬が困惑している。
「イケメン刑事さんもコーヒー一緒に飲みましょうよ~」
「……まあ、それくらいなら、いいけど」
イケメン認定は内心嬉しかったらしく、井敬は自販機まで一緒についてきた。
「コーヒーでいいですか、井敬刑事。田西刑事はブラックかな。これもご縁です、おごらせてください」
ぼくは尻ポケットから財布を出した。
「公務員は賄賂は受け取らないんだよ」
「賄賂だなんて」
「事件が解決したら、これも笑い話になりますよ~」
日比野は屈託がなかった。少しずれてはいるが最悪のムードにならないのは彼女のおかげだろう。
小銭が足りなかったので、千円札を取り出した。折り畳んだ札だ。なんで折り畳んであるんだろう。その瞬間まですっかり忘れていた。
橋本夫人からもらったお小遣いだということを。
開いた札の中から、黄色いものが飛び出して、ひらひらと舞い落ちた。
「うん?」
一センチ四方あるかないかの小さな楕円。中にゴミが入っていたのだろうか。
「これは……!」
井敬が白いハンカチを取り出した。手で触れないようにして、黄色いなにかをつまみあげ、うやうやしくポリ袋の中に入れた。
「……なんで我々がここに足を運んだと思う?」
「いや、わかりませんよ。それより、その黄色いの、なんですか?」
「ここはあくまで遺棄現場。殺されたのは別の場所だ。丹野も言っていただろう。実はな、あいつに言われるまでもなく警察はわかっていたことなんだよ。彼女が履いていた靴のソール部分に工場の土がどれほど付着しているか、すでに鑑識が調べていたからな。警察はバカじゃないんだ。おれは今、現場百遍という言葉を噛みしめている。刑事は基本が大事なんだ」田西は飲み屋の酔っ払いのようにしみじみと語った。「なあ、井敬、おれが言ったとおりだろう。こうやって何度も何度も丹念に足を運ぶと天が味方してくれるんだ」
「はあ、そうですね」井敬はため息に似た返事をした。「ところで丹野はどこまで探ってるんですかね。後を追いかけてるだけだったら時間の無駄じゃないですか?」
「ばーか。あんなやつ信用できるか。上から言われてるからしかたなく同行させてんだ」
ぼくは首を傾げて、「丹野は警察と密に情報交換してるわけではないんですか。けっこう細かいところをよく見てる印象なんですけど」と訊くと、
「あの野郎、お前さんにはべらべらしゃべるんだな。おれたちには黙ってやがるくせに。刑事の勘ってのはバカにできないんだよ。ヤツは怪しいんだ」
田西は眉間の皺を深くした。
丹野の能力を警察が認めたというよりは、知りすぎている丹野が犯人である可能性が高まったとみているようだ。
「まだ舞台に登場していない人物がいるのかもしれんが、我々は愛人説で捜査しているところだ」
「ネイリストがあやしいですね」と、ぼくは促してみた。
「被害者は自宅に愛人を招き入れていた可能性があるんだ。大胆な奥様だよ。二階に彼女の寝室があってな。ダンナの寝室は別にあったんだ。羨ましいことだ。間取りは知ってるかな、野田さん。彼女は自室でペットを飼っていたんだが……」
「ペット……犬とか猫とかは、記憶にありませんね」
ペットを飼っている配達先は多い。とくに犬は注意喚起の意味で、配達員同士で情報を共有している。3年に一回くらいは犬に噛まれただとか猫にひっかかれただとかが話題になる。
橋本宅で犬や猫を見かけた覚えがない。
「彼女は、セキセイインコを飼っていたんだ。ルチノーとかいう真っ黄色のをな」
田西刑事はビニール袋をいれたポケットを軽く叩いた。
「黄色い……インコ……」
「ねえ、野田さん。わたし、ジュースよりコーラのほうがいいかな。……あれ、どうしたの。みんな、こわい顔して」
ぼくは千円札も提出した。『証拠』はポリ袋の牢獄に入れられ、回収された。被害者にもらったものだと経緯を正直に説明したが、彼女の指紋が見つかったところで状況はあまり変わらないだろう。
鳥の羽は軽いので気づかないうちに四つ折り千円札の隙間に入り込んでもおかしくはない。しかし、被害者が用意しておいた札に偶然紛れた、という仮説よりも、彼女の寝室に入った愛人である証拠というほうが、警察にとって魅力的なのは間違いないだろう。
刑事に「科捜研の結果次第では、またお会いすることになりますかねえ」とすごまれ、「楽しかったね」と笑う日比野響子をバス停で見送ったときには、もう日が暮れかけていた。
そして、途方に暮れた足取りで自宅に戻ったぼくを待っていたのは、驚愕の事実だった。
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