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授かりもの顛末
願いの縦糸 其の二
しおりを挟むまだ夜明け前、くるみは布団の上で子を抱きながら、ほ、と息を吐いた。
お糸がようやく眠ったのである。腕に抱くこの世に生まれて数日しか経たない命は、小さく温かい。
「……ああ、くるみとおんなじ顔して眠っているよ。天女の寝顔だねえ……。さ、こっちへ」
傍らの足は手をのべ、娘を抱いてにっこり笑った。起こさないよう布団に寝かせる。くるみの隣に敷かれた赤ん坊の布団は、小さくてもふくふく柔らかい。上にも薄い浴衣を掛けてやる仕草が、尊い宝物を扱うようだ。
赤ん坊は泣くのが仕事。
腹が減って泣く、おむつが濡れたと泣くのはまだいい方だ。どうしてだか泣いて泣いて泣き止まない、なんて時は困ってしまう。気持ちは読み取れそうな気もするものの、おぼろげ過ぎて今ひとつはっきりしない。体と同じように、心も育つ途中なのだろう。
育つ途中といえばくるみも同じ。周りに教わりながら、なんとか母になろうとしている。
父親の方はどうかというと、足も娘を抱える姿が様になりはじめた。膝に粗相をされても、胸元をよだれで汚されても「可愛いなぁ」とデレデレだ。
お七夜まであと三日。
赤子は、産まれて七日の間に儚くなりやすいという。まだまだ油断はできないが、身内を呼んでささやかに祝う日を楽しみに、くるみたち夫婦は寄りそって子の面倒をみていた。
こうして今も、起きるかな? と赤ん坊をふたりで見つめ、くうくう無心に寝ているのを確かめる。どうやら大丈夫らしい。顔を見合わせ笑顔になる。
「くるみも、またひと眠りおし。ゆっくり休んで体を癒しとくれ。俺もね、もうちょっとばかり休ませてもらうから」
足は、くるみが横になるのを側で見守り、顔の側にかかる髪を指で整えてくれた。その指も声も眼差しも、くるみが愛おしくてたまらない、と伝えてくる。最近は慣れていたはずなのに、それでも嬉しくて気恥ずかしくて、やっぱりくるみは照れてしまう。
それも足にはお見通しなのだろう。髪を直してくれた指が、少し赤くなった頬をこちょこちょ、とくすぐってくる。くすぐったさに首をすくめると、今度は知らずに上がった口角をなぞられた。
「くるみ、くるみ、大事なくるみ。お前さんの笑顔が一番の薬だよ。疲れもすぐに吹っ飛んじまう。お前さんの可愛い笑顔のお陰で、半刻でも、いい夢が見られそうだねえ」
そう笑う足に疲れはみられない。
子を産めるほどひとに近くなったとはいえ、お山の質がまだ強い妻のくるみ、それを半分受けついだ娘と寝起きを共にすることで、少々木霊の質を持つ足は、むしろ元気になっているらしい。
夜中にお糸が泣けば、くるみと一緒に足も起き出し、ふたりがかりで世話をする。乳母もつけてくれたから、くるみは昼間横になって出産の疲れを癒すこともできるが、足は仕事があるのだ。
足へ疲れがたまりはしないかと心配していたくるみに、これは嬉しい驚きだった。
子を挟み、川の字になって家族で眠るのが夢だったという足。赤ん坊を起こすまいと、そっと自分の布団に入った夫は、早々に寝息を立てはじめている。
くるみは子ども越しに、その寝顔を眺めた。
職人の妻たちに以前、夫婦仲について「ずっと新婚気分なのも、子どもがおらんからでしょ。産んだら少しは変わるんじゃないかい」と、からかわれた事がある。
そんなものかもしれない、子どもと自分とで、足の愛情が半分ずつになっても仕方ないだろう……なんて、くるみだって覚悟をしていたのだ。
しかし、子が生まれて足の愛情は倍になった。増えた愛情をくるみと子にたっぷり注いでくる。以前と同じどころか、心遣いは前より細やかになったくらいである。
日々、泣く子に翻弄されつつも、くるみは足の優しさにぬくぬくとくるまっている。
お糸、お糸、可愛いお糸。
お前のお父さんは本当に、優しくてあったかいひと。嬉しいね。
眠る娘に、呼びかける。
涼しい風がひとすじ、くるみの額を撫でていった。あんなに暑かったのが嘘のようだ。
お糸が生まれた日から暑さが和らいできたため、おさよは「おじょうさまが、あきをつれてきなった!」とはしゃいでいた。
お糸を大事に思い、その誕生を喜んでくれているひとの、なんと多いことか―――。
もう一度、お糸にひとへ届かぬ声で話しかけようとしたくるみは、目を見開いた。眠る赤子の肩口に、小さな影法師が見えたのだ。
おさよを守るこぼしさまではない。蜂蜜色した子守の精だ。眠るお糸をまじまじと見つめると、頭を横に振ってから消えていく。
ああ、まただ。
お糸が生まれてしばらく、何度も見ている光景である。
お糸が身に付けているおくるみや産着、おむつはくるみが縫ったものだ。
今着せている産着の背には、子を守る魔除けの刺繍、背守りをつけた。祈りを込めて一針一針縫った麻の葉紋には、自分にもさせてほしいと望んだ足の一針もある。
両親が関わって祈りが強くなったものか。そこから呼ばれ来る子守の精は、みな格が高い。しかし、こうしてお糸を眺めては、自分には無理だと帰っていってしまうのだ。
なぜだろう。片親がひとではないためだろうか。
案じるくるみの目の前に、またひとつ、小さい人影が現れた。翡翠のような、淡い緑の影法師だ。さるぼぼに似た体をちょこちょこ動かし、赤子の肩の辺りに寄って、眠る顔をじっと見つめる。
小法師、影法師。
お前はこの子を守ってくれる?
なぜかみな、この子を眺めると、諦めたように消えてしまうの。
そっと声をかけると、小さな人影は無貌の顔をこちらに向けた。
座敷童、座敷童。
この子はとっても難しい。
ひとであってひとでない。
ひとならぬものから好かれるために、ひとの暮らしから外れやすい。周りがこの子に願うのは、平穏な日々でしょう? それを守れる力が、子守の精にも必要になる。
くるみへ呼びかける、涼やかな声にも力があった。
(ああ。これは、神だ)
場所でなく、ひとにつくようになった元産土神だろう。以前によほど守りたい相手がいたとみえる。
ひとの命は短い。
守ろうとした者も、いつしか身罷る。そうなれば、おのれの役割を果たすべく、こうして守る相手を新しく探さねばならない。
守る土地を離れてでも、神の立場を捨ててでも、寿命ある誰かを守ろうとしたこの精は、情の深い、心の強い精に違いない。
座敷童、座敷童。
この子を守るのに、私の力は心許ない。けれどこのまま待っていても、お七夜までに強い精が来るかは判らない。
座敷童、座敷童。
私でいいというのなら、名前を頂戴。
この子を守れるだけの力を持った、名前を頂戴。
翡翠色の精の声を聞きながら、くるみの心はすぐに決まった。
―――こだちさま。
浮かんだ名を口にする。
木立の葉、芽吹く新緑の色を持つ影法師よ。あなたが我が子の、守りの小太刀となってくれますように。
お糸をよろしくお願いいたします。
武士の家では、悪しきものが寄りつかぬよう、産まれた娘に破邪の小太刀を与えるのだという。破邪の小太刀として、お糸と共にあってほしい。くるみの願いに、小さな精は居住まいを正して立ち、頷いた。
承る。
小さな体に似合わぬ、重々しく短い返答。
母が持つ、娘への語り尽くせぬ愛情と願いを知っているがゆえの、言葉の少なさと思われた。
◇
この日、胡桃堂へひとならぬものの仲間が増えた。
うわーん! また、おいらより凄い名前の名持ちがきたぁー!
金の鼠が一匹うるさい以外は、みな、穏やかに新しい仲間を迎えたという。
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