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第1話『お礼と称賛』

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 夜。
 夕食を食べ終わった俺は、自分の部屋で今日の授業で出された課題に取り組んでいる。授業でやった内容なので、どの教科の課題も特に難しくは感じない。
 また、課題をやっている中で、

『ありがとう、白石君』

 ナンパから助けた後、お礼を言われたときの藤原さんの可愛い笑顔が頭に思い浮かんで。ああいう笑顔を見るのは初めてだからだろうか。藤原さんの笑顔を思い出すと、ナンパから助けることができて良かったなって思う。
 今日の授業で出た課題を全て終わらせて、明日の授業の予習をしているときだった。
 ――コンコン。
 部屋の扉がノックされる。この時間だと、お風呂が空いたって伝えに来たのかな。
 はい、と返事して、部屋の扉を開けると、そこにはノートや筆記用具を持った妹の結菜ゆいなが立っていた。お風呂に入ったようで、結菜は桃色の寝間着姿になっており、ショートボブの金色の髪がいつも以上に艶やかだ。

「どうした?」
「数学の宿題で分からないところがあって。だから、お兄ちゃんに教えてほしいんだ。今って大丈夫?」

 俺を見上げながら結菜が問いかけてくる。結菜が宿題の分からないところを訊きに来ることはよくある。

「ああ、大丈夫だぞ。ローテーブルでやるか」
「うんっ」

 俺に教えてもらえることになったからか、結菜はニコッとした笑顔で返事した。
 その後、ローテーブルの周りに置いたクッションに結菜と隣同士に座り、結菜が分からない数学の宿題を見ていく。
 数学は中学時代から好きだし、中学2年生の内容だから答えはすぐに分かった。なので、さっそく解説していく。
 結菜は真剣な様子で途中式をノートに書いたり、分からないところを俺に質問してきたりする。

「……だから、これが答えになるんだ」
「なるほどね。そういうことなんだ」
「これで分かったか?」
「うんっ! 教えてくれてありがとう、お兄ちゃん!」

 結菜はニッコリとした笑顔を向けて、俺にお礼を言ってくれる。この可愛い笑顔でお礼を言われると、勉強を教えて良かったなぁと思えるし、これからも助けを求められたら力になりたいとも思えるのだ。

「これで宿題終わったよ」
「そうか。ちゃんと終わらせて偉いな」

 結菜の頭を優しく撫でる。それが嬉しかったのか、結菜は「えへへっ」と声に出して笑って。結菜は本当に可愛い妹だ。今日の学校やバイトや課題をしたことの疲れが取れていくよ。

「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「今日は何かいいことあった? いつも以上にいい笑顔だなぁって」

 クリッとした大きな目で見つめながら、結菜はそう言ってくる。
 今日、特別に何かあったといえば、バイト帰りに藤原さんをナンパから助けたことだろう。助けられて良かったし、いつもとは違った可愛い雰囲気の笑顔を見られたのも良かった。その思いが顔に出ているのだろう。

「クラスメイトの女の子を助けて、笑顔にできたことかな」
「そうだったんだ! どんなことがあったの?」
「バイト帰りにその女の子をナンパから助けたんだ」
「そうだったんだ。きっと、その子はお兄ちゃんに助けてもらって嬉しかったんじゃないかな」
「ああ。その子も嬉しかったって言ってた」
「そっか! お兄ちゃん、女の子を助けてえらいえらい!」

 結菜は持ち前の明るい笑顔でそう言うと、俺の頭を優しく撫でてくれた。まさか、妹の結菜から頭を撫でられるとは思わなかったな。だから、とても嬉しい気持ちになった。



 4月23日、火曜日。
 晴天の中、俺は通学している東京都立洲中すちゅう高等学校に向けて家を出発する。
 都立洲中高校は、校名通りここ洲中市にある都立高校だ。偏差値がそれなりに高く進学率もいい進学校で、自宅からは徒歩7、8分と近い。なので、この高校を受験し、合格した。
 地元の高校だから、琢磨のように同じ中学出身の友達が何人もいるし、高校に入学してからも友達ができた。勉強も今のところついていけているし、いい高校生活を送ることができている。毎日、ゆっくりと家を出発できるのも大きい。
 洲中駅南口やバイト先のゾソールの前を通り過ぎると、高校まであと少し。だから、周りにいる人のほとんどが、洲中高校の制服を着た人だ。
 昨日の帰り際に藤原さんをナンパから助けたから、つい彼女がいるかどうか見てしまうが……いない。既に登校しているのか、ゆっくりと登校するのか。駅の北側に住んでいると言っていたし。
 それから程なくして、洲中高校の校門を通る。
 俺が在籍する2年3組の教室がある教室A棟へ向かおうとしたときだった。

「あ、あのっ。白石先輩!」

 女性の可愛らしい声に呼び止められる。
 立ち止まって、声がした方に視線を向けると、目の前にセミロングの焦げ茶色の髪の女子生徒が立っていた。見覚えのない生徒だ。ただ、俺を先輩呼びするし、ジャケットのフラワーホールに付けられている校章バッジの色が赤だから1年生なのは分かった。ちなみに、2年生の俺は青、3年生は緑である。
 茶髪の女子生徒の横には黒髪の女子生徒もいる。黒髪の子は緊張した様子の茶髪の子に「頑張って」とエールを送る。

「俺に何か?」
「は、はいっ。その……白石先輩のことが好きです! 入学した直後に一目惚れしました。私と付き合ってくれませんか?」

 茶髪の子は顔を真っ赤にしながら俺に告白してきた。2人の様子からして見当はついていたけど、やっぱり告白だったか。
 茶髪の子の告白が聞こえたのか、周辺にいる生徒の多くが立ち止まり、こちらを見ている。

「この子、顔が可愛くて性格も明るくていい子なんですよっ」

 黒髪の子が後ろから茶髪の子の両肩を掴み、笑顔でそう言ってくる。告白を成功させたくてフォローしているのか。
 茶髪の子の顔を見ると……確かに可愛い。
 ただ、妹の結菜の方がもっと可愛いし、昨日……ナンパから助けたことのお礼を言ってくれたときの藤原さんの笑顔の方が可愛かった。……って、あまり顔の可愛さを比べちゃいけないか。
 好きだって言われても、特に心は動かされない。だから、

「……ごめんなさい。今は恋愛をする気はないんだ」

 茶髪の子の目を見ながら、告白を断った。こうやって断る返事をしたのはもう何度目だろう。
 茶髪の子は目を潤ませて、

「……そうですか。分かりました。私の気持ちを聞いてくれてありがとうございました」

 微笑みながらそう言うと、俺に軽く頭を下げて、黒髪の子と一緒に1年生の教室がある教室B棟に向かって歩き始めた。

「白石、また断ったな」
「滅茶苦茶イケメンだから選び放題だろうに。誰とも付き合ったことないみたいだし、やっぱり変人だぜ」

「あんなに可愛い女子からの告白を断るなんて」
「もったいないぜ。ただ、あいつは中学生の妹がいるから、妹にしか興味ないんじゃないか?」
「シスコンか。それなら納得だぜ」

 などと、男子生徒中心に俺が「変人」とか「シスコン」という言葉を言ってくる。
 これまで、何度も女子から告白されては断ってきた。それもあり、中学時代から一部の人間が俺を「変人」とか「シスコン」と称するようになった。
 俺はただ、告白されても付き合おうと思えないから、その気持ちに従って正直に断っているだけなんだけどな。それでも、俺を変だと思う人もいる。それは仕方のないことだと思っている。
 シスコンについては……妹の結菜は凄く可愛いし大切に思っているからな。昨日の夜みたいに、結菜から助けを求められたら、兄としてできるだけ力になりたいし。だから、シスコンと言われることは別に嫌だとは思わない。……こういう考えも、変人と呼ばれる一つの理由なのかもしれないなぁ。
 まあ、「変人」とか「シスコン」といったことで嫌がらせやいじめを受けたこともないし、琢磨や吉岡さんなどの友達が離れたこともない。結菜も俺が原因で嫌な目には遭っていないそうだし。だから、変人とかシスコンって呼ばれることは特に気にしていない。
 教室A棟に入り、昇降口でローファーから上履きに履き替え、階段を使って教室がある4階まで上がっていく。
 4階に到着し、廊下にいる友達に「おはよう」と朝の挨拶を交わしながら、2年3組の教室に入った。

「おっ、洋平来たな! おはよう!」
「おはよう、白石君!」

 教室に入った直後、琢磨と吉岡さんが元気良く挨拶してくれ、俺のところまでやってくる。いつもなら琢磨の席にいるのに。珍しいな。

「藤原から聞いたぞ。洋平、昨日の夜に藤原をナンパから助けたんだってな」
「千弦が嬉しそうに話してたよ」
「そっか」

 藤原さんに昨日の一件を聞いたから、俺のところに来たのか。
 藤原さんも関わっていることだし、特に自慢するようなことでもないので、ナンパの件については結菜にしか話していなかった。

「昨日のバイト帰りにタイミング良く駅前を歩いていたから、藤原さんを助けられたんだ」
「なるほどなぁ。さすがは洋平だぜ!」
「白石君、落ち着いているもんね。凄いね」
「そうだな! よくやったな! かっこいいぞ、洋平!」

 琢磨と吉岡さんは笑顔で賞賛してくれる。琢磨は俺の背中をバシバシと叩いてきて。結菜だけじゃなくて、琢磨と吉岡さんも褒めてくれるとは。嬉しいものだ。

「ありがとう。……あと、琢磨。痛い。痛い。気持ちは受け取ったから止めてくれ」
「おっと、これはすまねえ。誇らしいから、つい勢い良く叩いちまった」

 すまんすまん、と笑いながら、琢磨は俺の背中を優しくさすった。
 当の本人である藤原さんの方を見ると……女子達に囲まれている藤原さんと目が合う。また、昨日の夜のことを話したからか、藤原さんと一緒にいる女子達は全員俺の方を見ていて。
 藤原さんは王子様らしい落ち着いた笑顔を俺に向けると、こちらに向かって歩いてくる。

「おはよう、白石君」
「おはよう、藤原さん。昨日はあれから無事に帰れた?」
「うん。特に何事もなく家に帰れたよ。改めて、昨日はありがとう。本当に助かったよ」
「いえいえ。無事で良かった」

 俺がそう言うと、藤原さんの口角がさらに上がった。お礼の言葉は何度言われてもいいものだ。

「昨日のことが嬉しくて友達中心に話しちゃったんだけど、大丈夫だったかな?」
「全然かまわないぞ」
「良かった」

 藤原さんはほっと胸を撫で下ろす。
 そういえば、教室にいる大多数の生徒がこちらに視線を向けている。笑顔でいる生徒が多い。友達中心に話したと藤原さんは言うけど、きっと昨日の一件のことが教室中に広まったのだろう。

「千弦ちゃんを助けてくれてありがとう、白石君」
「白石ってやっぱりいい男子ね!」

 そう言って、おさげの茶髪の女子生徒と、水色のシュシュでワンサイドにまとめた金髪の女子生徒が俺達のところにやってくる。えっと、おさげの女子が星野彩葉ほしのいろはさんで、サイドテールの女子が神崎玲央かんざきれおさんだったかな。
 星野さんは幼げな顔立ちと小柄なところが、神崎さんは整った顔立ちと目つきが少しつり目なところが特徴的だ。星野さんは可愛らしく、神崎さんは明るい印象がある。
 2人は特に藤原さんと一緒にいて、仲がいい印象がある。俺がバイトしているときに3人が来たこともあったし。星野さんは1年の頃も藤原さんと一緒に来ることがあった。
 また、神崎さんは俺と琢磨と同じ掃除当番の班だ。2週間前に掃除当番だったときにちょっと話したことがある。

「いえいえ。タイミングが合ったというか。藤原さんを助けられて良かったよ」
「ナンパに遭ったって聞いたときは心配したけど、白石君の話を聞いてほっとしたよ」
「昨日、彩葉は家の用事があったから、学校が終わったらすぐに別れたもんね。彩葉とは小学生のときからの親友だから、一緒にいることが多くて」
「そうなんだ」

 一緒にいることの多い親友が、たまたま自分のいないタイミングでナンパに遭ったことを知ったらそりゃ心配になるか。
 あと、星野さんは藤原さんと小学校時代からの親友なんだ。それなら、藤原さんと特に一緒にいて、仲が良さそうなのも納得だ。

「あたしは今年初めて同じクラスになって友達になったけど、千弦が心配だったわ」
「ありがとう、玲央」

 微笑みながらお礼を言い、藤原さんは神崎さんの頭を撫でる。それが嬉しいのか、神崎さんはニッコリと明るい笑みを浮かべる。
 神崎さんは友達になってから日が浅いのか。意外だ。それでも、特に仲が良さそうなのは、神崎さんの快活さや笑顔があってのことなのだろう。

「千弦もそうだけど、彩葉もナンパには気をつけなさいね。彩葉は凄く可愛いし、胸もかなり大きいから。男が寄ってきそう」
「う、うん。分かったよ」

 星野さんは笑顔でそう言うけど、胸のことを言われたからか頬がほんのりと赤くなっている。
 神崎さんの言葉もあって、星野さんの胸をつい見てしまう。……かなり大きいな。ここまで大きな胸はなかなか見たことがない。……女子の胸を見続けちゃいけないな。

「ところで、白石君。明日か明後日の放課後って予定は空いてる?」
「明日なら空いてるよ」
「良かった。昨日のお礼に、駅前のお店で何か美味しいものでも奢りたいなって思って。どうかな?」

 藤原さんは俺の目を見つめながらそう言ってくる。
 昨日も今日もありがとうと言ってくれたことで十分だと思っている。ただ、お礼をしたいという藤原さんの思いを無碍にはしたくない。

「分かった。じゃあ、ご厚意に甘えさせてもらうよ」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」

 そう言い、藤原さんはニコッと笑う。

「明日の放課後までに奢ってほしいものを考えておいてくれるかな?」
「分かった。考えておく」
「あと……連絡先を交換してもいい?」
「ああ、いいぞ」
「あたしとも交換して、白石」
「私とも交換してもらってもいいかな? 白石君」
「もちろん」

 その後、俺は藤原さんと星野さん、神崎さんと連絡先を交換する。また、俺の親友である琢磨とも。
 藤原さんは俺と連絡先を交換したとき、ちょっと嬉しそうで。昨日、ナンパを助けたときほどではないけど、可愛く感じられた。
 連絡先を交換し終わった直後に朝礼の時間を知らせるチャイムが鳴り、

「みんな、自分の席に着いて」

 担任教師の山本飛鳥やまもとあすか先生が教室に入ってきた。山本先生は国語科目を担当しており、俺にとっては去年から連続して担任の先生だ。
 山本先生はハーフアップの長い黒髪が特徴的なクールな雰囲気の美人教師であり、スタイルも抜群。ただ、楽しいときや面白いと思ったときには普通に笑うので、男女ともに人気が高い。
 今日も学校生活が始まる。
 ただ、藤原さん達と連絡を交換したことで、今までより確かな繋がりを持って。藤原さんと明日の放課後に約束して。だから、昨日までとは違う日々が始まったような感じがした。
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