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番外編
父と子とみなの昼餉
しおりを挟む「あの、父上。ボク父上にお聞きしたいことがあるのですが」
「どうしました? 紅希」
午前の講義を終えたところで、紅希がソルーシュの袖を掴み質問してきた。
ソルーシュの養子となって一ヶ月。ようやくソルーシュは「紅希」と敬称を付けずに呼ぶことに慣れてきたが、紅希は相変わらずソルーシュを「父上」と呼んだ。
養子とはいえ親子なことに代わりはないので、そのままにすることにした。
いずれ、直すことになるだろうが、今ではない。というのが大人たちの見解だった。
その紅希はソルーシュを見上げると目を輝かせて答えた。
「父上はどうやって言葉を覚えたのですか?」
どんな質問が飛び出してくるのかと思ったソルーシュだったが、勉強熱心な紅希らしい質問にソルーシュの頬は緩んだ。
「ああそれは……。ちょっと待っててくださいね」
そう言ってソルーシュは自室の棚から大事そうに螺鈿の文箱を取り出した。
蓋に描かれているのはソルーシュが越えてきたあの高い山で、懐かしさに思わずその峰を撫でた。
ソルーシュが蓋を持ち上げると中には見慣れない姿のものがあったので紅希は首を傾げてからソルーシュに問いかけた。
「これは本、ですか?」
「こちらとは綴り方が違うのですが、ワタシの国の本ですよ」
随分とくたびれてはいるが表紙に使われているのは羊の皮だ。何度もめくったおかげで、装丁は薄くなり色は熟れた赤茶になっている。
めくってみると端は破れはしているものの、文字はしっかりと読める状態だった。
「オーランの父君が書かれたものです。父君は他国の文化の研究をしている学者だったので、こちらの言葉で書かれた物語を翻訳されていたのです」
賢高の文字とトルナヴィエの文字が上下に並び、ところどころにオーランが書いたであろう走り書きが残っている。
「どんなお話なのですか?」
「東の国のお姫様が、異国の王様に嫁ぎ王様としあわせになるお話です」
「父上と同じですね!」
「ワタシはお姫様ではありませんが……。そうですね。同じといえば同じですね」
実際はこのお話の姫はしあわせにはなるが、王との間にあるのは愛情ではなく、信頼だった。
オーランの父はソルーシュに、愛情はなくとも信頼関係を築けるようにとこの本を託したのかもしれない。
ぱらぱらとめくっていた紅希がふと小さな頭をひねった。
「オーランもこの本で言葉を覚えたのですよね? それならなぜオーランの言葉はあんなに乱暴なのですか?」
「それは……」
読み方を教えてくれる際、オーランはソルーシュに姫の言葉遣いを覚えさせた。一方で、オーランは異国の王の喋り方を真似するようになった。
もともと男のように育てられていたオーランからするとそれは当たり前だったのかもしれない。
そのことを紅希に伝えると、紅希は口を尖らせた。
「父上の国は、女性が嫌いなのですか?」
「嫌い、ではないと思いますが女性では出来ないことが多いのですよ。賢高はいいところです。女性でも官吏になれますし、職が持てます。トルナヴィエでは女性や異国の人は職もまともに就けませんし、奴隷のような扱いを受けることがほとんどです」
「なぜですか?」
「紅希はなぜだと思いますか?」
まだ幼い紅希には難しい問題なのだろう。
赤い髪を揺らしながら、上を向いたり下を向いたり忙しい。うんうんと唸りながら、眉間にシワを寄せていた。
「父上、わかりません……」
答えられないことが悔しいのか、眉を下げた顔は今にも泣き出しそうで、ソルーシュは少し胸が痛んだ。
ソルーシュは本を文箱にしまうと、紅希の手を取った。
「ワタシもわからないので、一緒に考えましょう」
雨の月を迎えて、外はさぁさぁと音を立てて霧雨が降り注いでいる。
ソルーシュは雨が好きだ。
昼餉のため院子の四阿へ向かう回廊を、蓮華の池に雨が落ちる様子を眺めながら小さな紅希に合わせてゆっくり歩いた。
「父上もわからないのですか?」
「こうかもしれない、という答えはあるのですがそうじゃないかもしれません。はっきりとした答えがあるのかもわからないです。逆になぜ賢高は女性や異国の人にも開かれているのか、これも絶対の答えがあるわけではないかもしれませんね」
出生率のせいかもしれないし、宗教のせいかもしれない。そんなことは関係なく国民性だったり、王の資質の問題かもしれない。
それらが複合的に合わさった結果、かもしれない。
国というのはひとつではなく、様々な要因によって形成されているのではないだろうか?
ソルーシュとしては、賢高のように開かれた国のほうが民はしあわせだと思うが、それはソルーシュの考えであって紅希に押し付けるつもりはない。
民に寄り添う王であって欲しい。ただそれだけだ。
「じゃあボクが答えが分かったら、父上に教えてあげます!」
「それは楽しみですね」
きっとこの先紅希はこうした問題に悩むことになるのだろう。
そのたびにきっとこの子は強くなる。
そう信じてソルーシュは紅希を抱き上げようとした。
その手が掴む前に、紅希がすり抜けていった。
曇天の空から光が落ちる。
雨粒が弾ける蓮華の池はその光を受けてきらきらと輝き、ソルーシュの目をちらつかせた。
「オーラン!」
紅希の先におぼろげながらも、ここ数日後宮に姿を表さなかったオーランの姿があった。
駆け出した紅希はあっという間にオーランの元に辿り着くと、嫌がるオーランに構いもせずに抱きついていた。
オーランの隣には墨夏が、その手前には峰涼と舜櫂が昼餉の支度をしている様子が見える。
そして、四阿までの回廊をゆっくりと黒い影がゆらめいた。
「ソルーシュ?」
突然近くに聞こえたのは愛する夫の声。
ソルーシュは目をぱちくりと瞬いてから、いつの間にか隣に立っていた夫を見た。
不思議な感覚を覚えて、ソルーシュはもう一度目を閉じた。
――どこかで見た気がする。
どこでだったかもおぼろげだが、覚えているのはとても温かくて、しあわせな記憶だった。
「大丈夫か?」
立ち止まったまま返事のないソルーシュを心配した蒼鷹の手が頬に触れる。
まっすぐソルーシュを見つめる蒼い瞳。
その目に吸い込まれるようにして顔を寄せると、自然と唇を重ねた。
「大丈夫です。なんだかワタシとてもしあわせなんです」
気持ちのままに答えると、蒼鷹も安心したのか今度は蒼鷹から口付けられた。
「ソルーシュが、しあわせなら、私も、しあわせだ」
合間合間に蒼鷹の唇がソルーシュの顔中に触れる。
くすぐったさと照れくささに、クスクスと笑い声が溢れる。
誰も入り込めない二人の世界を破ったのは、ふたりの子どもの声だった。
「父上! 粥が冷めますー!」
紅希の声に、ソルーシュははっとして離れると、ダメ押しとばかりに蒼鷹はもう一度だけと唇に触れた。
「これだけ熱ければ、粥は冷めませんヨ」
「まったくだ」
舜櫂と峰涼の誂う声が四阿から聞こえてきて、ソルーシュは両手で頬を押さえた。
「蒼鷹は、恥ずかしいことをする」
「今日はソルーシュからしてきたのに?」
「それでも、ですっ」
バツが悪くなったソルーシュが足早に四阿へ向かうと蒼鷹がその後を追った。
四阿の卓には人数分の粥と皿がいっぱいに並んでいた。
――夢みたいだ。
ソルーシュが夢見ていた光景がそこにあった。
雲がまた太陽を覆い隠し、院子は薄暗いにもかかわらず、みなで囲んだ卓の眩しさに、ソルーシュはまたしあわせを噛みしめるのだった。
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