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第二章 波乱の軍事訓練前半戦
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しおりを挟む薄情なルームメイトたちは、宿舎を囲う塀の影に隠れながら呂子星が来るのを待っていた。裏切り者たちの姿を見るなり、さっきまで愛猫語りに付き合わされてヘロヘロになっていた体に力が戻って来る。
「この薄情者ども! よくも俺一人置いて逃げやがったな!!」
突撃する先はもちろん、元凶になった呉宇軒だ。彼が猫奴を連れて来なければ呂子星は終わらない猫語りの被害に遭わなかったのだ。
胸ぐらを掴んで激しく揺さぶると、呉宇軒はちっとも悪びれずに謝った。
「悪かったって。俺、もうあいつの猫の話何百回も聞いてるからさ」
「ああいうのは先に言っておけよな! おかげで魂が抜けるかと思ったぞ!」
「猫は可愛かったろ? 俺たち一回会いに行ったんだけど、あの子俺には全然懐かなくって、浩然の方ばっかり行くんだよ」
あまりにも猫奴が会いに来いと煩いので、呉宇軒は幼馴染を伴って彼の家に遊びに行ったことがあった。確かに猫は可愛かったが、蝶よ花よと育てられた彼女は李浩然にはべったりなのに呉宇軒にはほとんど近寄らず、おやつで釣ってひと撫でするのがやっとだった。
「そりゃそうだろうな」
不満げに話す呉宇軒に呂子星は冷ややかな視線を向けた。
猫は静かな人を好む。どう考えても鬱陶しく絡んでくる呉宇軒は猫に嫌われるタイプの人間だ。
宿舎の入り口では教官が鍵を入れた箱を手に生徒たちを待っていた。道中遊んでいた割に意外と早く着いたのか、全員が二◯三号室と書かれた鍵を持ち、建物の中へ荷物を置きに入る。
入ってすぐ目の前に階段があり、上がって行くと左右に鍵付きの分厚い扉があった。右が男子の部屋へ続く扉で左が女子の部屋だ。
案内の紙に従って右の扉を押すと、それは錆びついた音を立てながらゆっくりと開いた。中へ入ると小さな電灯に照らされた廊下は薄暗く、奥まで真っ直ぐに続いている。
「誰か一番奥まで冒険しに行かない?」
肝試しできそうな不気味な雰囲気に冒険心が刺激され、呉宇軒はうずうずしながら提案した。まだ彼のしでかした事を許していない呂子星は、後にしろとムッとした顔で注意する。
二◯三号室の扉を開けると、左右にベッドが六つ置かれただけのシンプルな部屋が現れた。まさに寝るためだけの部屋といった簡素な雰囲気だ。我先にと入っていった王茗が一番手前のベッドを取ったので、呉宇軒はその反対側にそっと荷物を下ろす。真横には李浩然が来た。
「お泊まり会みたいで楽しいな!」
相棒のクマちゃんを呂子星から受け取りながら、王茗が嬉しそうに言った。そしてベッドしかない部屋の中を見渡し、トイレはどこだ?と首を傾げる。
「トイレは廊下の奥じゃないのか?」
呂子星の言葉に、さっきまで楽しそうにしていた王茗の顔がたちまち曇った。
それもそのはず、王茗は怪談話が大の苦手なのだ。あの薄暗い廊下を一人で行くなんて絶対にできない。
廊下を一人で歩いて行く自分の姿を想像してぶるりと身震いすると、王茗は助けを求める目で呂子星を見た。
「子星兄、トイレ行きたくなったら着いて来てくれる?」
「呉宇軒に頼めよ」
甘ったれた声で頼むも冷たくあしらわれた王茗は、それだけは嫌だと全力で拒否した。
「やだ! 絶対なんかしてくるもん!」
「なんてこと言うんだ! 聖母のように優しい俺を信用できないのか?」
どの口が言う、と咎めるように横目で見てくる幼馴染を無視して、呉宇軒は失礼だぞと大袈裟に詰った。その口元は悪巧みするように弧を描き、説得力がまるで無い。
間違いなく何か仕掛けてくると確信した王茗はますます怖がり、ニヤニヤしている呉宇軒を指差して呂子星に泣きついた。
「ほらぁ! あの顔見てよ、絶対脅かしてくるって!」
腰にしがみつかれて延々揺すられた呂子星は、土壇場で頼まれるよりは事前に言われただけましだと思い、うんざりした顔をしながら渋々承諾した。漏らす寸前に駄々を捏ねられたら、それこそ大惨事だ。
いい反応をする王茗に楽しくなった呉宇軒は、怖がる彼を捕まえて軍事訓練の宿舎にまつわる怖い話を聞かせた。
四◯四号室の窓から手を振る人影が見えるとか、夜になると廊下を誰かが歩いている足音がするだとか、面白がって次々に吹き込んでいく。そのどれもがたった今作られた出鱈目な話なのに、怖がりな王茗は全く気付かず恐怖に駆られて呂子星に抱きついた。
縋られた呂子星は堪ったものではない。手を離せともがくも、しがみつく力が強すぎて逃げられないでいる。
ルームメイトたちがワイワイ騒ぐ中、謝桑陽がごほんと咳払いして口を開いた。
「皆さん、そろそろ移動しましょう。食堂が混んでしまいます」
幼馴染コンビはここに来る前におにぎりを食べていたのでそこまでお腹が空いていなかったが、王茗のお腹から大きな音が鳴った。
早く行こうと李浩然にも促され、一同は食堂を目指した。怖がりな王茗はまだ呂子星にしがみついたままで、二人で歩きにくそうにしている。散々脅かされたせいで、日中から廊下を歩くのが怖くなってしまったようだ。
食堂があるのは宿舎の真隣にあり、中へ入ると早くも学生たちが列を成していた。
呉宇軒と李浩然は軽めにお粥だけを頼み、ルームメイトたちは揚げパン付きのものを選ぶ。王茗は呉宇軒の悪戯を警戒して、向かい側の一番遠くの席に座った。
「そんなに怯えることないだろ? こっちに来いよ」
呉宇軒は隣の椅子を引いて呼んだが、王茗はジト目で睨むと呂子星の袖をぎゅっと掴んだ。追い回された後の猫みたいになった王茗に、呉宇軒は腹を抱えて笑い転げる。
「おい、離せよ。食べられないだろ」
「子星兄、俺から離れないでね! 絶対宇軒と二人きりにしないで!」
「分かったからさっさと食え。遅れたら置いて行くからな」
ようやく笑いが収まった呉宇軒はお粥を一口食べ、あまりの味の無さに舌の肥えた幼馴染を心配してちらりと見た。そして、いつもなら手が止まる不味いお粥を黙々と口に運んでいるのを見て、ようやく彼の異変に気付く。
一見いつもと変わらないように見えるが、呉宇軒の目には幼馴染が心ここに在らずでぼんやりしているように見えた。食堂に響く学生たちの楽しそうな話し声すら耳に入っていない様子だ。
思い返すと普段なら悪ふざけが度を超した途端止めに入るのに、今日は無法地帯だった。それに、猫奴を追い回していた時も止めるのが遅かった。いつもの彼らしくない。
呉宇軒は幼馴染が食べている粥の器を爪でトントンと軽く叩いて注意を引き、心配そうに尋ねた。
「大丈夫か? いつもの味変は?」
声をかけられた李浩然は、ようやく自分が味のない粥を食べていることに気付いたようで、ハッとして呉宇軒を見た。
「頼んでもいいか?」
「もちろん」
器を受け取ると、テーブルにあった醤油やラー油などの調味料を回しかけて味を整える。一口食べて幼馴染好みの味になったのを確認すると、器をそっと戻した。
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