鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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三章 廻転

四.長尾景虎

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 美濃を後ろ盾としてから、家中の者の密議が増えていた。
特に反信長派は慌てふためいていた。
 それすら気にもせずに、信長は着々と己の計画を立てていく。
 
 そんな、カラッとした良い天気が続くある日。
山で修行をしていた翔隆の下に、烏の風麻呂かざまろがやってきたのだ。
「風麻呂…! もう会えぬかと思っていたぞ!」
翔隆は心の底から喜んで、風麻呂の顔に頬擦りした。
すると風麻呂は、何かを訴えるかのように羽ばたき、東の空に向かって鳴きたてる。
物心付く前から接してきた翔隆には、その行動と目で何を言いたいのかが分かった。
「…武田の戦があるのだな?」
聞くと、風麻呂は頷いた。
「場所を、案内してくれるか?」
『カア』
風麻呂の案内で、翔隆はそのまま駆け出した。
途中、前田犬千代に会ったので
「暫く戻れぬが、来月には出仕します」と言伝を頼んだ。
 
 風を切って向かう先は、信濃の川中島南部。
 
 
三刻後には着いたので、風麻呂かざまろと別れて早速本陣へと飛び込む。
すると驚いてこちらを見る武田晴信、馬場信房、工藤昌豊、飯富おぶ昌景、春日虎綱、山本勘助春幸ら諸将の姿があった。
「翔隆…!」
晴信が言うと、翔隆はすぐ様跪き、にこりと笑った。
「二の君の戦と知り、急ぎ駆け参じました。ご下知を!」
「お主…」
晴信は、戸惑いながらもその律義さに頷いた。
「敵は、越後の龍にござりましょう? ここまで参って何もせずにはおれませぬ」
さらりと笑顔で言うと、重臣達は威圧するように翔隆を見据える。
晴信は、軽く咳払いをしてから口を開いた。
「しかし、今は睨み合いの…」
「では、俺が敵陣を見て参りまする」
「何⁈」
晴信は驚いて言葉を失った。
長尾には〝軒猿のきざる〟という乱破がおり、影優かげゆう義深よしみでさえも、本陣に辿り着けなかった程なのだから…。
その時、馬場信房が意見を具申する。
「これはいい。お屋形さま、行かせてみましょう」
表面上賛成してはいるが、内心は泣きっ面をかいて逃げ戻るだろうと考えての発言だ。
「ふーむ…しかし、危険じゃぞ?」
「いい機です。俺がどれ程役に立つか、とくとご覧下され!」
翔隆はニッと笑って、陣を飛び出して行った。
〈愚かな奴よ〉
そう思った者が、少なくとも三人はいた……。


 そんな武田家臣達の思いをよそに一刻と経たずして、翔隆は既に敵陣の目と鼻の先の木の陰に潜んでいた。
 
〈あれが長尾軍か。本陣は……〉
辺りを見回し、翔隆は真っすぐ本陣に向かった。
翔隆にとって、雑兵の目を誤魔化すなど容易い事だ。
長尾の忍である〝軒猿のきざる〟も居たが、気絶させ己の〝気〟を消して本陣側の木の上で、様子を窺った。
 本陣の陣幕の中では、景虎と思しき人物と武将達が居た。
絵図を広げての状況軍議といった所か…。
「塩田城に籠もったまま、か。晴信も切れ者よ。将も、猛者が揃っているのだろうな…村上義清めが頼ってくるのも頷ける」
「御意。あの春日という武士も勇猛な忠臣と見受けられまする」
宿老らしき人物が言った。
〈春日…虎綱殿の事か。そうか、既に刃は交えているのだな?〉
翔隆は冷静に思った。
「ここまで退かせたのですから、無駄に進撃はしてきますまい。武田晴信は侮れませぬ…。
…いかに信濃将士の要請といえど、こうして陣を敷いての睨み合い。余り長く続いては、上洛に差し支えまする。そろそろ、手を打った方がよろしいかと存ずる」
宿老らしき人物が言うと、景虎はううむと唸って腕を組む。
〈…あの人は、平手政秀殿のような方なのだな。…要請で出陣した…。この方は、義を重んじているのか〉
「―――!」
次の瞬間、景虎は突然 懐剣を抜いて投げた。
〈しまった…っ!〉
考え事をしていたので咄嗟に躱せずに、迂闊にも右肩に刺さった。
翔隆は、体勢を崩し足を滑らせて落ちるも、ヒラリと着地する。
「何奴!」
小姓・近習に刀と槍で包囲され、武将達は刀に手を掛けてこちらを見る。
「何と気味の悪い……」
「…異国の者か?!」
「鬼やもしれんぞ」
懐かしい会話を聞きながら、翔隆は臆する事なくじっと景虎を見据えた。
「貴方が、長尾景虎様にござりまするか?」
「左様…」
景虎も不気味がる事もなく、翔隆を見返した。
そして、ふいに近付く。
〈主、何者ぞ〉
「!」
〈ただの〝忍〟ではあるまい。…〔一族〕、か?〉
明らかに、心で翔隆に語り掛けてきている。
しかも、〔一族〕を知っているとは…。
翔隆は真顔になって景虎を見上げた。
「貴方は――」
翔隆が言い掛けると、
〈そうであるのならば心で語れ!〉
景虎に怒鳴られたので、翔隆は慎重に《思考派》で尋ねる。
⦅俺は、翔隆と申します…貴方の言う〔一族〕です。貴方は一体…⦆
〈狭霧一族とやらを父と兄が重用しておったので、そなたのように変わった者など珍しくはない……が、そなたの容姿は初めて見る〉
⦅狭霧を…っ!⦆
翔隆は一歩後退った。
沈黙の中で、皆は遠巻きに見つめている…。
〈どうした〉
⦅…俺は、不知火一族の嫡子です⦆
馬鹿正直にそう伝えると、景虎の目が変わった。
〈狭霧の宿敵と申す〔不知火〕か! 卑劣な手段を用いて世を乱さんとする不届き者の!〉
宿敵、という事を知っているとは、かなり一族について知っている。
が、世を乱すとはとんだ言い掛かりだ。
などと思っている間に、景虎は刀を抜いて翔隆を真っ向に斬ろうとした。
「まっ…」
翔隆は、言い掛けて《思考派》で叫ぶ。
⦅俺は貴方を殺せません!!⦆
ピタリ。刃が額ギリギリで止められて、景虎は驚いたような目で翔隆を見た。
〈殺せぬ…?〉
⦅我々はそんな卑劣な手段は使いませぬ! 何より…長尾にとって、貴方はなくてはならない存在。そんな方を…狭霧と関わっておられるからといって、俺には刃を向ける事など出来ませぬ! いえ! したくありません!⦆
そう心から《思考派》で叫ぶと、景虎(かげとら)は刀を収めた。
〈―――随分と違うな。清修せいしゅうが申す不知火とは、陰湿な謀略や平気で乗っ取りを行う輩だ、と言っていた。だが、お主は、その逆…〉
 
 清修!!
 同じ不知火でありながら……!
 
翔隆は、込み上げる怒りを抑えて更に続けた。
⦅狭霧の者の言葉に、耳を傾けないで下さい! 国を、民を大事と思うのでしたら、狭霧と縁を切り、己の考えと信念をしかと心にお持ち下され!!⦆
必死にそう訴える翔隆の姿は、とても人をたばかり、嘘偽りを並べ立てるようには見えなかった。
景虎は、真剣に翔隆を見つめる。
〈お主、誰かの家臣か〉
⦅今は、晴信様の⦆
〈晴信!?〉
景虎は、再び刀の柄に手を置く。
それにも動じずに、翔隆は真っすぐに景虎を見続けた。
⦅先程も申し上げました。俺は、私情で貴方方を敵には出来ません。今は、こうして視察に参っておりますが、俺の真の敵は〔狭霧〕……その中でも、良心を持つ者は斬りませぬ⦆
その言葉に、景虎は沈黙した。
⦅…それに、家臣かと問われたら…一の主君は、尾張の織田信長様にござりまする⦆
〈何……⁈〉
主君が二人……益々、訳が分からない。
それでも翔隆は、ずっと真剣に正直に伝え続ける。
⦅俺はただ、一人でも多くの方を狭霧より守りたいだけなのです。だからこそ、美濃の斎藤様や明智殿などとも交流を持ちます。…信じて下さった方々の期待は、決して裏切りませぬ。例え、裏切られようとも、絶対に……!⦆
「………」
その言葉に心動かされたのか、それとも同調したのか、景虎は一瞬笑みを見せた。
〈――いずれ会いに参れ。春日山城におる〉
ね」
長い長い沈黙からの一言。翔隆は、微かに頷いてその場を去った。
「お屋形さま…よろしいのですか?」
「よい、構うな。……そろそろ、潮時だな…字佐美」
「御意に…」
 
 
 武田本陣に戻ると、皆が一様に驚いた。
影優かげゆう義深よしみが寄って来て、心配そうに言う。
「よく戻って…」
「手傷を負うたようだが、本陣には行けたのか?」
工藤昌豊が尋ねると、翔隆はコクリと頷く。
「はっ。重臣方と絵図を前に、軍議をしておられました。景虎公は必要以上に攻めてこないようですが、もしもここで討って出れば、総攻撃を掛けてくる構えでございました。…ここは、引き上げた方がよろしいかと存じまする」
陣幕の様子や隊列から判断して、そう言う。
「何も分からぬくせに具申など…っ」
飯富昌景が言い掛けると、春日虎綱がそれを遮った。
「お屋形、わたくしめもそう思いまする。いたずらに犠牲を出さぬが得策かと…」
「そうであろうな。―――退却じゃ!」
「……!!」
退却の準備に掛かる中で、言葉を遮られた飯富昌景はギリギリと歯噛みしていた。
 
武田晴信が退却と同時に、長尾景虎も退却した。
宿敵となる二人の第一回目の対決は終えた…。

だが、これは始まりでしかない。
晴信が、信濃を制圧しようという野望を抱く限り、対決は避けられないのだ。
 翔隆は、暫く躑躅ヶ崎館で義信や四郎の相手をして過ごした。
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