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第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」
(22)
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☆☆☆
――まさか、教皇に襲われるとは思わなかった。
ソランジュはアルフレッドの腕の中で震えながら、その広く厚い胸に顔を埋めていた。
教皇は今朝シプリアンとともに教皇領の教皇庁に旅立った。なのに、まだ昨夜を思い出すと震えが止まらない。
老いていても男の力はあれほど強いのだと思い知らされた。
「ソランジュ」
アルフレッドがソランジュの背に手を回す。
全身を包み込まれるとようやく気持ちが落ち着いてきた。
アルフレッドは二人でベッドの中にいるのに、何もせずにそっと抱き締め、ひたすら「大丈夫だ」と宥めてくれた。
アルフレッドの妃となる身なのに、この程度で動揺するとはと情けなくなってしまう。
だが、それ以上に気になっていることがあった。
「教皇様は……私を魔女だとおっしゃっていました」
なぜ自分を見るなり錯乱し、ああ口走ったのかわからない。だが、腐っても聖職者である。魔祓いをそうだと見抜けるのかもしれなかった。
「アルフレッド様、このままではご迷惑を掛けてしまいます。今からでも婚約破棄を……」
アルフレッドはソランジュの背に回した腕に力を込めた。
「俺はお前が何者でも構わないと言ったはずだ」
――以前アルフレッドに求婚された際、ソランジュは罪悪感に苛まれて隠し切れず、レジスの名は伏せて両親、あるいは父母のいずれかが魔女だったかもしれないと打ち明けた。
しかし、アルフレッドに「断る理由にならん」と一蹴されてしまったのだ。
アルフレッドはアルフレッドで、ソランジュに類を見ない力があると知ったのち、魔祓いについて調査させたのだという。その結果からソランジュは数十年前魔女狩りに遭った魔祓いの末裔ではないかと思い至ったのだとか。だから覚悟し、そのために準備していたとも。
『お前との結婚はすでに枢機卿に許可を取っている』
なんでも晩餐会後ひそかにシプリアンを呼び出し、教皇にはまだ内密にと念を押した上で、ソランジュと結婚するとはっきり告げたのだとか。
シプリアンは「なんと、ソランジュさんが……」と大層驚いていたらしいが、洗礼を施したかつての幼子が王妃になるとは光栄だと喜んでくれたそうだ。自分が第二の後見人になるとも申し出てくれたのだという。
ゆえに、バルテルミ侯爵家とシプリアン枢機卿――つまりは俗世と教会関係の有力者二名から後見を得たソランジュは、現在国内のどの貴族の姫君よりも強い立場にあると。
『神父様、いいえ、枢機卿様が……?』
『枢機卿が洗礼を施したとなれば、教皇も反対できない』
こうして完全に外堀を埋められた形になり、更に「愛している』と繰り返し耳元で囁かれて、脳がすっかり茹だったソランジュは「……はい。アルフレッド様の妻にしてください」と答えるしかなかった――。
――アルフレッドが腕の中にいるソランジュの存在を確かめるかのように髪に頬を埋める。
「それ以前にお前はクラルテル教徒だろう。生みの親が魔女だったところで、お前自身はそうではないという証拠だ」
洗礼を受けた者を魔女扱いはできない。
「だから案ずるな」
「……」
アルフレッドの胸に抱かれ、力強い心臓の鼓動の音を聞いているのに、不安を払拭し切れない自分がもどかしい。
なぜだろうかと首を傾げて襲われた昨夜、国王専用階で立ち入り禁止となっていたあの階に、教皇が乱入してきたからだと気付いた。
衛兵の騎士が見張りに付いていたはずなのに。いくら相手が教皇でも、アルフレッドが命令を解除しない限り、その侵入を留めようとしたはず。
それほど臣下の騎士たちのアルフレッドに対する忠誠は厚い。教皇よりも、神よりも、アルフレッドを信じているのだ。
一体どういうことだと混乱していると、アルフレッドが「明日、安全のためにお前の部屋を移す」と告げた。当分侍女頭のアンナと同じ部屋にいろという。この件についても誰にも言うなと念押しされた。
「どうして……」
「内通者がお前を狙っている可能性がある」
逮捕まではアンナともに大人しくしていろと命じられ、思わずアルフレッドの胸から顔を上げる。
「内通者……一体誰なのですか?」
恐らく自分がしょっ引かれるきっかけにもなった間諜だ。この様子だとすでに逮捕できる証拠は握っているのだろう。現在捕獲のタイミングを見計らっているところなのか。
それにしても、軍事情報などの機密ならともかくとして、なぜモブの自分まで狙われるのかがさっぱりわからなかった。
「まだ言えん」
「えっ、どうして……」
なぜだと尋ねようとしてこのすぐ顔に出る性格上、内通者が誰なのかを教えてもらうと、どうしても内通者に会うと意識してしまい隠し切れず、怪しまれるからだとすぐに悟る。そうなると逮捕するのにも支障が出てしまう。
我ながら情けなくがっくりしつつも、「かしこまりました……」と頷く。
ということは、アルフレッドと過ごすのも当分お預けだ。残念に思いながらポスンと逞しい胸に再び顔を埋める。
アルフレッドが優しく背を撫でてくれると、ようやく訪れた眠気に徐々に意識を奪われていった。
大きな手の平の温かさを感じながら、早く間諜が捕まり、平和な毎日が戻ってくるといいと思う。
その夜はアルフレッドと二人、窓から差し込む半月の光を浴びながら、枕を交わさない穏やかな眠りについた。
☆☆☆
翌朝、ソランジュは迎えにきたアンナとともに使用人用の裏口から外に出た。もちろん、何人もの護衛の騎士に取り囲まれ、守られている。
「アンナ様のお部屋、どんなところか楽しみです」
「お恥ずかしいのですが、この年にして結構な少女趣味でして。どこもかしこも小花柄なんですよ。人形もたくさん飾っているのですが、笑わないでくださいね」
「えっ、可愛い! 私も人形好きです!」
キャッキャウフフと女子トークで盛り上がっていると、後からやって来た騎士の一人が「侍女頭殿」とアンナに声を掛けた。手に革袋に入れた荷物を持っている。
「こちらも一緒に持ってくればよかったでしょうか」
アンナは振り返って荷物に目を向け、「ええ、そうですね」と頷いた。
ほんの数秒だった。
再びソランジュに目をやろうとして、ぎょっとして見開く。
つい先ほどまで隣にいたはずなのにどこにもいない。
慌てて辺りを見回したが、やはりソランジュの姿はなかった。じわりと嫌な汗が滲む。
「――ソランジュ様⁉」
名を呼んだが返事はない。
護衛の騎士たちに「ソランジュ様はどちらへ⁉」と聞いたが、皆同様に動揺して顔を真っ青にしていた。
「わ、わかりません」
そんな馬鹿な。これほど多くの人の目がある中で失踪するなど不可能だ。騎士たちが一斉に捜索を始めたが、ソランジュを見つけることはできなかった。
年若い騎士の一人がアンナのもとにやってきて、「俺、見ました」と額の脂汗を拭いながら打ち明ける。
「ソランジュ様の足下が一瞬ぱっと光ったかと思うと、もういなくなっていたんです……」
――まさか、教皇に襲われるとは思わなかった。
ソランジュはアルフレッドの腕の中で震えながら、その広く厚い胸に顔を埋めていた。
教皇は今朝シプリアンとともに教皇領の教皇庁に旅立った。なのに、まだ昨夜を思い出すと震えが止まらない。
老いていても男の力はあれほど強いのだと思い知らされた。
「ソランジュ」
アルフレッドがソランジュの背に手を回す。
全身を包み込まれるとようやく気持ちが落ち着いてきた。
アルフレッドは二人でベッドの中にいるのに、何もせずにそっと抱き締め、ひたすら「大丈夫だ」と宥めてくれた。
アルフレッドの妃となる身なのに、この程度で動揺するとはと情けなくなってしまう。
だが、それ以上に気になっていることがあった。
「教皇様は……私を魔女だとおっしゃっていました」
なぜ自分を見るなり錯乱し、ああ口走ったのかわからない。だが、腐っても聖職者である。魔祓いをそうだと見抜けるのかもしれなかった。
「アルフレッド様、このままではご迷惑を掛けてしまいます。今からでも婚約破棄を……」
アルフレッドはソランジュの背に回した腕に力を込めた。
「俺はお前が何者でも構わないと言ったはずだ」
――以前アルフレッドに求婚された際、ソランジュは罪悪感に苛まれて隠し切れず、レジスの名は伏せて両親、あるいは父母のいずれかが魔女だったかもしれないと打ち明けた。
しかし、アルフレッドに「断る理由にならん」と一蹴されてしまったのだ。
アルフレッドはアルフレッドで、ソランジュに類を見ない力があると知ったのち、魔祓いについて調査させたのだという。その結果からソランジュは数十年前魔女狩りに遭った魔祓いの末裔ではないかと思い至ったのだとか。だから覚悟し、そのために準備していたとも。
『お前との結婚はすでに枢機卿に許可を取っている』
なんでも晩餐会後ひそかにシプリアンを呼び出し、教皇にはまだ内密にと念を押した上で、ソランジュと結婚するとはっきり告げたのだとか。
シプリアンは「なんと、ソランジュさんが……」と大層驚いていたらしいが、洗礼を施したかつての幼子が王妃になるとは光栄だと喜んでくれたそうだ。自分が第二の後見人になるとも申し出てくれたのだという。
ゆえに、バルテルミ侯爵家とシプリアン枢機卿――つまりは俗世と教会関係の有力者二名から後見を得たソランジュは、現在国内のどの貴族の姫君よりも強い立場にあると。
『神父様、いいえ、枢機卿様が……?』
『枢機卿が洗礼を施したとなれば、教皇も反対できない』
こうして完全に外堀を埋められた形になり、更に「愛している』と繰り返し耳元で囁かれて、脳がすっかり茹だったソランジュは「……はい。アルフレッド様の妻にしてください」と答えるしかなかった――。
――アルフレッドが腕の中にいるソランジュの存在を確かめるかのように髪に頬を埋める。
「それ以前にお前はクラルテル教徒だろう。生みの親が魔女だったところで、お前自身はそうではないという証拠だ」
洗礼を受けた者を魔女扱いはできない。
「だから案ずるな」
「……」
アルフレッドの胸に抱かれ、力強い心臓の鼓動の音を聞いているのに、不安を払拭し切れない自分がもどかしい。
なぜだろうかと首を傾げて襲われた昨夜、国王専用階で立ち入り禁止となっていたあの階に、教皇が乱入してきたからだと気付いた。
衛兵の騎士が見張りに付いていたはずなのに。いくら相手が教皇でも、アルフレッドが命令を解除しない限り、その侵入を留めようとしたはず。
それほど臣下の騎士たちのアルフレッドに対する忠誠は厚い。教皇よりも、神よりも、アルフレッドを信じているのだ。
一体どういうことだと混乱していると、アルフレッドが「明日、安全のためにお前の部屋を移す」と告げた。当分侍女頭のアンナと同じ部屋にいろという。この件についても誰にも言うなと念押しされた。
「どうして……」
「内通者がお前を狙っている可能性がある」
逮捕まではアンナともに大人しくしていろと命じられ、思わずアルフレッドの胸から顔を上げる。
「内通者……一体誰なのですか?」
恐らく自分がしょっ引かれるきっかけにもなった間諜だ。この様子だとすでに逮捕できる証拠は握っているのだろう。現在捕獲のタイミングを見計らっているところなのか。
それにしても、軍事情報などの機密ならともかくとして、なぜモブの自分まで狙われるのかがさっぱりわからなかった。
「まだ言えん」
「えっ、どうして……」
なぜだと尋ねようとしてこのすぐ顔に出る性格上、内通者が誰なのかを教えてもらうと、どうしても内通者に会うと意識してしまい隠し切れず、怪しまれるからだとすぐに悟る。そうなると逮捕するのにも支障が出てしまう。
我ながら情けなくがっくりしつつも、「かしこまりました……」と頷く。
ということは、アルフレッドと過ごすのも当分お預けだ。残念に思いながらポスンと逞しい胸に再び顔を埋める。
アルフレッドが優しく背を撫でてくれると、ようやく訪れた眠気に徐々に意識を奪われていった。
大きな手の平の温かさを感じながら、早く間諜が捕まり、平和な毎日が戻ってくるといいと思う。
その夜はアルフレッドと二人、窓から差し込む半月の光を浴びながら、枕を交わさない穏やかな眠りについた。
☆☆☆
翌朝、ソランジュは迎えにきたアンナとともに使用人用の裏口から外に出た。もちろん、何人もの護衛の騎士に取り囲まれ、守られている。
「アンナ様のお部屋、どんなところか楽しみです」
「お恥ずかしいのですが、この年にして結構な少女趣味でして。どこもかしこも小花柄なんですよ。人形もたくさん飾っているのですが、笑わないでくださいね」
「えっ、可愛い! 私も人形好きです!」
キャッキャウフフと女子トークで盛り上がっていると、後からやって来た騎士の一人が「侍女頭殿」とアンナに声を掛けた。手に革袋に入れた荷物を持っている。
「こちらも一緒に持ってくればよかったでしょうか」
アンナは振り返って荷物に目を向け、「ええ、そうですね」と頷いた。
ほんの数秒だった。
再びソランジュに目をやろうとして、ぎょっとして見開く。
つい先ほどまで隣にいたはずなのにどこにもいない。
慌てて辺りを見回したが、やはりソランジュの姿はなかった。じわりと嫌な汗が滲む。
「――ソランジュ様⁉」
名を呼んだが返事はない。
護衛の騎士たちに「ソランジュ様はどちらへ⁉」と聞いたが、皆同様に動揺して顔を真っ青にしていた。
「わ、わかりません」
そんな馬鹿な。これほど多くの人の目がある中で失踪するなど不可能だ。騎士たちが一斉に捜索を始めたが、ソランジュを見つけることはできなかった。
年若い騎士の一人がアンナのもとにやってきて、「俺、見ました」と額の脂汗を拭いながら打ち明ける。
「ソランジュ様の足下が一瞬ぱっと光ったかと思うと、もういなくなっていたんです……」
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