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第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」

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 後ずさりし過ぎたからかベッドから転げ落ち、したたかに腰を打ち付ける。痛みに呻きながら這いつくばる。

 教皇とは思えぬ醜態を晒してしまったが、それどころではなかった。

 ようやく痛みが治まってくると、羞恥心よりも先に再び恐怖が襲ってくる。

 なぜ国王がこの女を守っているのか。それも掌中の珠のように。

 まさかと女を再び凝視する。

 この女がバルテルミ家ゆかりの国王の婚約者だというのか。

 なぜ、どうしてあのイアサントの娘がバルテルミ家を後ろ盾にできた。いまだに魘される悪夢をもたらしたあの男と同じ目を持つ者が――。

 いずれにせよ、これだけはわかっていた。

「ま、魔女だ」

 怯えて国王に縋り付く女を指差す。

「その女は魔女だ‼ すぐさま捕らえよ‼ 火刑に処してしまえ‼」

 騎士たちは国王に戸惑った視線を向けた。

「……」

 一方、国王は女の背を優しく撫で頬にキスすると、騎士の一人に「侍女頭のアンナを呼べ」と命じた。侍女頭が慌ててやってくると、不安そうな女を外に連れて行かせる。

 そして、国王は女の細い背を見送るが早いか、つかつかと部屋を横切り、腕を組んで目の前に立った。

「ひっ……」

「随分飲んだようだな」

 国王はただでさえ長身なのに、こうして見上げることになると、到底敵わないと思わせられる凄みがあった。実際に戦場で刃を交わし、命のやり取りをした者でなければわからない凄みだ。

「な、何をしている! は、早くあの魔女を……!」

 言い終える前に胸倉を掴まれる。

「う、ぐっ……」

 更にそのまま腕一本で高々と持ち上げられ足をバタつかせた。

「な、何をす……」

 先ほどの射殺さんばかりの視線から一変し、感情の感じられない冷え冷えとしたその黒い目にまた息を呑む。

「――教皇猊下がご乱心ゆえ、少々眠っていただいた方がいいだろう」

 直後に、急所に国王の拳がめり込んだ。衝撃で脳天がぐらぐら揺れる。

 アレクサンドル二世は意識が遠のくのを感じながら、国王がらしくもない慇懃無礼な敬語を使うのを聞いていた。

「エイエールの気候に慣れられず、心身ともに不調となられたに違いない。お気の毒に。このまま滞在していただくのも猊下のご健康に悪い。三日後と言わず早々に教皇領に帰っていただくことにしよう――」

☆☆☆

 ――二日酔いなのか頭がズキズキする。

 アレクサンドル二世は額を押さえながら体を起こした。まず、ベッドの絹織りの天蓋が目に入る。

 日がすでに昇っているところからして、もう昼近くになっているのだと思われた。

「ううむ……」

 昨夜この客間で酒を呷ったところまでは覚えていたが、その後何があったのかを思い出せない。

 やけに喉が渇いていたので、枕元の呼び鈴を鳴らすと、すぐに女中がやって来た。

「何かご用でしょうか」

「水を持ってこい」

「かしこまりました」

 三分も経たずに扉が叩かれる。だが、盆を手に現れたのは先ほどの女中ではなかった。

 目が覚めるような銀髪の優美な美青年だ。どこか愁いを帯びたアイスブルーの瞳が美しい。

「教皇猊下、おはようございます。お加減はいかがでしょうか」

 この男はレクトゥール公爵ドミニク、未来の娘婿だと思い出し、少々機嫌がよくなった。

 男でも女でも美しければ美しいほどいい。

「いいとは言えんが、そのうち治るだろう」

 それにしても、頭だけではなくなぜか腹も痛む。手渡された水を飲みながら、昨夜の記憶を手繰り寄せてはっとした。

 陶器の杯を持つ手がブルブルと震える。

「そうだ……そうだった」

 国王がガラティアの長の娘と婚約したのだ。

「冗談ではない……!」

 現国王は前国王の方針を受け継ぎ、多額の寄付金を続けてはいるが、クラルテル教会に好意的とは言いがたい。現に教皇の自分が舐められ、手玉に取られてしまっている。

 更にその国王が妃にと望む女が、この手で滅ぼした魔祓いの一族の生き残り。

 アレクサンドル二世は今後有り得る事態を予想し震え上がった。

 あの女が国王に何を吹き込むのか知れたものではない。エイエール王国の国力をもって復讐されるかもしれない――その恐怖はアレクサンドル二世から再び理性を失わせた。

 コップを手から滑らせ、頭を抱えてガタガタと震える。

「あ、あの女は魔女なのだ! 魔女が王妃になるなど……!」

 しかし、国王がその程度でイアサントの娘を手放すとも思えない。昨夜目にした優しく背を撫でるワンシーンで、あの女をどれほど寵愛しているのかわかってしまった。魔女だと糾弾すれば今度は国王から復讐の刃を向けられる。

 エイエール王国の寄付金は莫大なので、破門をチラつかせて思い通りにすることも難しい。それ以前に破門にも枢機卿の賛同と手続きがいる。シプリアンがいる限り叶うはずもない。

 まさに八方塞がりの状況だった。

 神の代理人の地位に上り詰めれば神のように崇め奉られ、すべてを支配下におけるはずだった。なのに、大司教時代よりずっと不自由だ。どこから何を間違ってこんな状況に陥ってしまったのか。

「猊下、落ち着いてください」

 ドミニクが宥めながらベッドの縁に腰を下ろす。

「猊下、その件についてお聞きしたく参上しました。ソランジュ様が魔女とはどういうことでしょう?」

 過去の悪行を突き付けられ、精神が不安定になっていたからか、アレクサンドル二世はすべてをドミニクに打ち明けてしまった。

 ドミニクは顎に手を当てていたが、やがて「なんということだ」と嘆き、アレクサンドル二世の耳元にこう囁いた。

「陛下には一点の曇りもあってはなりません。……完璧でなければならない。魔女がその妃に相応しいはずがない」

 形のいい唇の端がわずかに上がる。

「私に策がございます。結婚を控えた女が心変わりし、失踪するのはよくある話ですよ」
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