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第3章 実真の歩く世界
1 いじめのある教室
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20年ローンの新築一戸建てに住んでいるのは、妻の三角漓音、夫の三角伐人、子供の三角実真の3人だ。
専業主夫の伐人は散歩していた。曲がり角で足音とともに姿を見せる実真。
「おかえり、早かったな、うっ何だこの臭い」
伐人は信じられないような顔をして実真をみる。
「小便もら」
「漏らしたんじゃない、かけられたんだ」
実真の制服の下半身は黄色い液を垂らしながらびっしょりと濡れていた。
◇
この破滅の物語は実真が高校にあがって半年経ったところから始まった。
「世の中派手な方がモテるよな」
初めはただの遊びだったはずだ。
「いいじゃん、似合ってるよ。白髪」
そう言ったのは丸村正。正の周りには取り巻きの数人がいる。
そしてチョークの粉まみれになっているのが松井秀明。少しまえに黒板消しを頭に叩かれてそうなった。
「うわー」
実真が気がつくと、2人の女子が、止めに入ろうとしている風神美優を通せんぼしている。
「これはしょうがないの。あんたまでやられたら仲間の皆に顔向けできないのよ」
「そう、理事長の息子に何かしたらただじゃすまない」
竹中美亜と四角沙羅が美優の口を抑えて、羽交い締めにしている。すごくエロい。
「やめてよぉ」
秀明の声は聞き飽きたかのように同じ言葉を繰り返す。
「こいつで遊ぶのもマンネリ化してきたな」
「そうだな」
(頼むから関わらないでくれ)
実真は斜め後ろで起きている惨劇に巻き込まれたくなくて前を向いていた。
黒板には『自習』の文字が書かれている。
「実真」
秀明に名前を呼ばれた。
やはりと思った。
実は実真と秀明は同じ幼稚園、小学校、中学校で腐れ縁のように仲良くしていた。高校に入ってからは話をしなくなった。クラスが一緒になることが今回が初めてだった。高校生になるまで一緒に帰っていた。
しかし実真はいじめられている秀明を避けていた。例外はなく今日も無視だ。
「おいおい、三角くーん、無視は酷いだろぉ?」
「何かな、秀明君」
実真は正に言われて振り向き、他人行儀に言葉を返す。
秀明の直毛の髪はチョークの白で染まっている。さらに眉毛も白くなっていて太く繋がっているように見える。メタボリックシンドロームの体で全体的にもさい印象だ。
「た、たすけ」
「自業自得だろ、もさ男」
実真は小さく舌打ちしながら言い捨てる。
(我ながらひどいと思う。でも今この子を助けたら確実にターゲットが変わる)
実真の髪はスポーツ刈り。部活動では写真部に所属している。筋肉質でも肥満でもない、よくいる普通の男子高校生だ。
「はい、残念でしたー」
正の取り巻きの1人黒白元気が声をあげた。
ちょうどその時、チャイムがなった。
先生はテストに出る英語のプリントを配ると帰りのショートホームルームをしていた。
皆、帰るか、部活動にいく準備をしている。
「ちょっと、三角君。さっきの言い方はないんじゃないかな?」
クラスのマドンナの美優に実真は呼び止められる。
「あ。あっ、えっと、何かな?」
「どもってんじゃないわよ、行こう美優。こんな奴に何か言っても無駄よ」
美亜は犬のように吠えたと思ったら、美優の手を強引に引っ張った。そして教室から出ていった。
「風神さんと何話したんだ?」
実真の周りに人が集まってくる。
(風神さんの人徳ってすごいな)
「何でもないから、俺部活行かなきゃ」
「くぉし!」
何か力を入れたような声が聞こえた。
バシャッバリン!
冷たい水が背中のシャツを浸した。そして足元にはひまわりとブーケのような花達。
「何するんだ」
実真が振り返ると、怒った牛のような秀明の姿があった。手を伸ばして花瓶をなげつけたのだ。
「お前も今日から駒だからな」
パシャ!
元気が楽しそうに実真をケータイで撮っている。
「ふひひ、お前達本当は仲良しなんだろう? 一緒に帰っていくのを見た人がいるぞ」
「知るか、例えそうだとしてもそんな事でいじめられなくちゃならねぇ道理はねぇ」
そういう実真の肩に手を置かれた。
ドッゴゴォ
実真は向き直ろうとするも顔をぶん殴られ、教卓に頭をぶつけた。
「風神さんにチクったら、その10倍顔が腫れるからな。今これみてるやつも告げ口するなよ!」
正がうずくまる実真にタンをはく。
タンは実真の手の甲についた。
「初めから、助けとけば風神さんの力添えで何とかなったかもしれないのにな~、はい残念でしたー」
元気と正と秀明は教室から去っていった。
「大丈夫?」
皆、嵐が去ったような反応をする。
「今日、部活動休みなよ」
「おう、ありがとう、まっつー」
実真に話しかけてきたのは同じ部活動の松浦素多亜だ。
実真はほっと胸を撫で下ろした。
写真部は月、水、金曜日、活動している。
「保健室行きなよ」
「これくらい大丈夫だよ、家で冷やしてくるから」
実真の声には力がこもっていた。
「素多亜、やめようよ。素多亜まで何か言われるよ」
素多亜の隣にいる鏡崎泉があとをひくような声で素多亜にさとす。
「うーん」
「じゃあ俺はこれで」
(俺、ターゲットにされたのかな?)
次の日。
実真は少し寝坊をした。とはいえ、朝のショートホームルームには間に合う。急いで朝食をすませる。
◇
「行ってきます」
「「行ってらっしゃい」」
漓音と伐人の声が合わさる。
学校まで走っていった。10分の距離だ。難なく校門から入り、教室の扉をあけた。
「おはよう」
実真の声だけが響く皆席に座ってじっとしている。パッと目についた見知った顔ぶれが今日は雰囲気が違う。
「風神さん、おはよう」
美優の席の後ろの後ろが実真の席だ。
美優からの返事はなかった。メガネをかけて無表情で前を向いている。
「風神さんってメガネかけてたっけ? ねえ」
実真は果敢にも美優の前に立った。反応のない美優のメガネに違和感を覚えた。
そのメガネの上の縁の部分に三角実真、こっち見んな、と書かれたシールが貼られていた。
実真は周りを見渡す。
全員同じメガネをかけていた。
「なんで……」
「皆お前のエロい目線と小馬鹿にした目線が嫌なんだって」
そう言ったのは秀明だ。ちなみに秀明も同じメガネをかけている。
実真は自分の席の前で立ち尽くしていた。
しばらくしてチャイムがなった。
「おはよう、朝のショートホームルーム始めるぞー」
担任の教師が教室に入ってきた。
「きりーつ、きょーつけー、れい」
「おはようございます」
実真は挨拶しながらビックリした。
担任の教師までもがあの例のメガネをかけていたのだ。
「1限目、現代文だって、宿題やってきた? まっつー」
実真は隣の席の素多亜に話しかけるもことごとく無視された。
「ねぇねぇー、素多亜、帰りカラオケ行こうよ」
「いいね、行こ行こ!」
素多亜は反対隣の泉に笑って応対する。
「こっち見んな!」
泉は実真の視線を感じたのか怒鳴った。
「ええ~」
「こっち見んな」
素多亜も同じ言葉を繰り返した。
◇
最後の授業の数学が終わる時間となった。長い1日も後はやらなくてはならない事をするだけだ。
実真は男子トイレに向かった。
小便器に小便をした。
「ちっちゃ!」
隣で声を発したのは正だ。実真の後をつけてきたらしい。
(俺のイチモツは普通くらいの大きさだ。銭湯などで男の裸をよく見るが、俺のは小さくない)
実真はズボンと下着をしっかり元の位置に戻した。
正は大きなイチモツを見せつけるように出す。すると、正の取り巻き2人が実真の腕をとった。
「なんだよ? 離せよ」
実真は何が起きるかわからなかった。
正は股間に手を添える。
実真はどういう意味か瞬時に理解した。
「やめろ、バカ!」
ジョロロロロ
正は小便小僧かのように小便した。実真の股間周辺のズボンにかかって濡らしてくる。
「うわあああああ」
「よし! 職員室行くぞ、三角は、『トイレ掃除してたら小便漏らしてしまいました』って言えよ」
正は社会の窓を閉めた。
「ぐぅ!」
実真は涙目になりながら、両隣の抑える手を振り払うと、男子トイレから逃げ出した。
「待て!」
正の声が後ろから聞こえる。
実真の特技は走る事だ。中学校では陸上部長距離をやっていた。上履きをシューズに履き替える。呼吸が、鼓動が大きくなる。それでも走った。
運のいいことに実真の制服のズボンは黒いのであまり目立たない。
実真は家の近くまで来て、河川敷に行こうか迷う。
そして冒頭に戻る。
◇
実真は伐人の目を見て言った。
「実は俺、いじめられているんだ。今追われてる、どうしよう」
「川の近くに隠れてろ。多分、私の事を専業主夫だということが知らされてる。河川敷のところでおしっこを消してから帰ると思われてるはず。私が実真のことを頼んでみる」
「父さん、ありがとう」
実真は伐人の手を握り、そして河川敷までひた走った。
橋の影に縮こまっていることにした。
「本当に来てるかな?」
「来てたらマジでウケるんだけど!」
「既に帰った後かもしれないな」
「それなら別に? 明日からあいつのあだ名はおもらし君だ」
(嘘だろ! なんでここに?)
実真の知っている声だった。
元気とそれから正の取り巻きの1人、花丸経だ。正もいる。
実真は彼等が腕を組んでいるのを確認できた。録音もしたかったがケータイは学校にある、リュックの中だ。
「川で遊ぶと危ないよ、君たち」
そこへ、伐人の声が轟いた。
「誰だよ、オッサン?」と元気。
「私は三角家の専業主夫をしている。伐人という者だ。君たちに折りいって頼みがある。実真と仲良くしてくれないか?」
「耳触りが悪いですね、僕達は実真の友達ですよ」
「フヒヒ、そうですよ」
「本当か? それなら誰かにいじめられてるようなんだ、助けてやってくれないか? 頼む」
「はいはい、分かりましたぁ」
「それなら安心だ。私は帰る」
伐人は勘違いしたのか3人に背中を向ける。
「がっくぉ」
ドオオッ
正は伐人の背中を思い切り蹴っ飛ばした。
伐人は前のめりに倒れ込んだ。
「よっしゃ、このオッサン川にダイブさせようぜ!」
「いいね」
「待ってくれ、私は頚椎症性神経根症なんだ」
「大丈夫、この高さと深さなら死にはしないって」
男子高校生3人は意にも介さず、小太りの伐人を力技で川へ投げ入れた。
ドボン!
(助けなきゃ、助けなきゃいけないのに怖くて動けない)
実真は正や正の取り巻きに暴力を振るわれそうで怖くて動けなかった。雛鳥のように口をパクパクさせることしか出来ない。
「ウェーイ」
「おもらし君、チクリやがったな」
「今日のところは帰ろうぜ」
正、元気、経の声は遠ざかって行った。
(大変だ、まだ父さんの無事が確認できてない)
実真は川にうつ伏せで浮かんでいる伐人を見やった。腰まで冷たい川に浸かって、伐人をなんとか引き上げた。
「ハアハア」
実真は肩で息する。だが伐人の方は息をしていなかった。
「助けなきゃ、今度は俺だ」
実真は伐人に心臓マッサージ、人工呼吸を行う。
「誰か呼んでくる!」
実真は駆け足で橋の上まで来ると、車道の真ん中に立った。
それは賭けに近かった。
プップー
しばらくして、1台の白いワゴン車が止まった。
「助けてください、父さんが息をしてないんだ!」
実真は車内の恋人同士のような男女に大声を出した。
「まーちゃん、救急車呼んで、僕が見に行くから」
長身でひょろりとした男性がでてきた。顔から見て20歳すぎくらいだ。
「くー君! 任せて」
もう1人の派手な女性がケータイをいじる。
「どこにいるの?」
「こっちです!」
実真はくー君と呼ばれた男性を案内した。
「心臓マッサージして、人工呼吸して、意識があったら横向きにして、えっと」
実真はパニックに陥っていた。
「落ち着いて、僕は熊野信夫、君とこの人の名前は?」
「俺は三角実真、倒れてる方が僕の父さんの伐人です」
実真は心肺蘇生法をしながら答える。
「僕がかわろう。君のは速いし浅すぎる」
信夫は実真の手をどかすと、伐人に1234と数えながら心臓マッサージをする。
伐人の顔は青白く、顔色が悪い。
5分以上は経過していた。
「父さん、父さん!」
「そうだ、車にAEDがあったはずだ」
信夫はそれだけ言い残して車に戻っていった。
「もういじめられてもいいから、目を開けてくれ、父さん!」
実真の声は涙声だった。腕に涙が降ってくる。もう1回心臓マッサージを30回、人工呼吸を繰り返した。
「畜生! あいつら、絶対、復讐してやる」
実真が心臓マッサージをしている中、信夫がAEDを持って下りてきた。そして、2人でAEDの蓋を開けた。
実真は伐人の服を脱がせる。AEDに入っていたペーパータオルで伐人の身体を拭く。そしてAEDのパッドを貼っていく。
バン!
AEDの電力が流れたが、伐人には反応がない。
もう1回。
バン!
反応はない。
ちょうどその時ピーポーピーポーとサイレンを鳴らした救急車が到着した。
「こっちです」
まーちゃんと呼ばれた女性が救急隊員を呼んできた。
実真は担架に乗せられた伐人を見守った。
「父さん!」
「身内の方ですか? 同行しますか?」
「はい、あ、いや」
実真は腰から下がずぶ濡れなので躊躇した。
「奏状病院に搬送します」
「何分位経過してますか?」
「10分位です」
「状態を見る限り、生存率は低いです、最悪の状況も覚悟しておいて下さい」
実真はどうするか思案して空中を掴んだ手を戻せないままだった。
救急車は遠くへ行ってしまった。
(帰って着替えよう。母さんに電話しないと)
いつの間にか座っていた実真は気を取り直して立ち上がった。
「ケータイがない、走って逃げたからリュックの中だ」
実真は学校にリュックを忘れてきた事に気づく。
「ハックション!」
実真は10月の川がそれなりに寒い事に今頃気がついた。家まで駆け足で帰った。
幸いにも、家の鍵はポケットの中だった。
実真は家に入ると冬服の制服のズボンと夏用の制服のズボンとを履き替えた。下着もタオルで体を拭きながら着替えた。
「丸村正、白黒元気、花丸経、絶対に許せない! 復讐してやる」
専業主夫の伐人は散歩していた。曲がり角で足音とともに姿を見せる実真。
「おかえり、早かったな、うっ何だこの臭い」
伐人は信じられないような顔をして実真をみる。
「小便もら」
「漏らしたんじゃない、かけられたんだ」
実真の制服の下半身は黄色い液を垂らしながらびっしょりと濡れていた。
◇
この破滅の物語は実真が高校にあがって半年経ったところから始まった。
「世の中派手な方がモテるよな」
初めはただの遊びだったはずだ。
「いいじゃん、似合ってるよ。白髪」
そう言ったのは丸村正。正の周りには取り巻きの数人がいる。
そしてチョークの粉まみれになっているのが松井秀明。少しまえに黒板消しを頭に叩かれてそうなった。
「うわー」
実真が気がつくと、2人の女子が、止めに入ろうとしている風神美優を通せんぼしている。
「これはしょうがないの。あんたまでやられたら仲間の皆に顔向けできないのよ」
「そう、理事長の息子に何かしたらただじゃすまない」
竹中美亜と四角沙羅が美優の口を抑えて、羽交い締めにしている。すごくエロい。
「やめてよぉ」
秀明の声は聞き飽きたかのように同じ言葉を繰り返す。
「こいつで遊ぶのもマンネリ化してきたな」
「そうだな」
(頼むから関わらないでくれ)
実真は斜め後ろで起きている惨劇に巻き込まれたくなくて前を向いていた。
黒板には『自習』の文字が書かれている。
「実真」
秀明に名前を呼ばれた。
やはりと思った。
実は実真と秀明は同じ幼稚園、小学校、中学校で腐れ縁のように仲良くしていた。高校に入ってからは話をしなくなった。クラスが一緒になることが今回が初めてだった。高校生になるまで一緒に帰っていた。
しかし実真はいじめられている秀明を避けていた。例外はなく今日も無視だ。
「おいおい、三角くーん、無視は酷いだろぉ?」
「何かな、秀明君」
実真は正に言われて振り向き、他人行儀に言葉を返す。
秀明の直毛の髪はチョークの白で染まっている。さらに眉毛も白くなっていて太く繋がっているように見える。メタボリックシンドロームの体で全体的にもさい印象だ。
「た、たすけ」
「自業自得だろ、もさ男」
実真は小さく舌打ちしながら言い捨てる。
(我ながらひどいと思う。でも今この子を助けたら確実にターゲットが変わる)
実真の髪はスポーツ刈り。部活動では写真部に所属している。筋肉質でも肥満でもない、よくいる普通の男子高校生だ。
「はい、残念でしたー」
正の取り巻きの1人黒白元気が声をあげた。
ちょうどその時、チャイムがなった。
先生はテストに出る英語のプリントを配ると帰りのショートホームルームをしていた。
皆、帰るか、部活動にいく準備をしている。
「ちょっと、三角君。さっきの言い方はないんじゃないかな?」
クラスのマドンナの美優に実真は呼び止められる。
「あ。あっ、えっと、何かな?」
「どもってんじゃないわよ、行こう美優。こんな奴に何か言っても無駄よ」
美亜は犬のように吠えたと思ったら、美優の手を強引に引っ張った。そして教室から出ていった。
「風神さんと何話したんだ?」
実真の周りに人が集まってくる。
(風神さんの人徳ってすごいな)
「何でもないから、俺部活行かなきゃ」
「くぉし!」
何か力を入れたような声が聞こえた。
バシャッバリン!
冷たい水が背中のシャツを浸した。そして足元にはひまわりとブーケのような花達。
「何するんだ」
実真が振り返ると、怒った牛のような秀明の姿があった。手を伸ばして花瓶をなげつけたのだ。
「お前も今日から駒だからな」
パシャ!
元気が楽しそうに実真をケータイで撮っている。
「ふひひ、お前達本当は仲良しなんだろう? 一緒に帰っていくのを見た人がいるぞ」
「知るか、例えそうだとしてもそんな事でいじめられなくちゃならねぇ道理はねぇ」
そういう実真の肩に手を置かれた。
ドッゴゴォ
実真は向き直ろうとするも顔をぶん殴られ、教卓に頭をぶつけた。
「風神さんにチクったら、その10倍顔が腫れるからな。今これみてるやつも告げ口するなよ!」
正がうずくまる実真にタンをはく。
タンは実真の手の甲についた。
「初めから、助けとけば風神さんの力添えで何とかなったかもしれないのにな~、はい残念でしたー」
元気と正と秀明は教室から去っていった。
「大丈夫?」
皆、嵐が去ったような反応をする。
「今日、部活動休みなよ」
「おう、ありがとう、まっつー」
実真に話しかけてきたのは同じ部活動の松浦素多亜だ。
実真はほっと胸を撫で下ろした。
写真部は月、水、金曜日、活動している。
「保健室行きなよ」
「これくらい大丈夫だよ、家で冷やしてくるから」
実真の声には力がこもっていた。
「素多亜、やめようよ。素多亜まで何か言われるよ」
素多亜の隣にいる鏡崎泉があとをひくような声で素多亜にさとす。
「うーん」
「じゃあ俺はこれで」
(俺、ターゲットにされたのかな?)
次の日。
実真は少し寝坊をした。とはいえ、朝のショートホームルームには間に合う。急いで朝食をすませる。
◇
「行ってきます」
「「行ってらっしゃい」」
漓音と伐人の声が合わさる。
学校まで走っていった。10分の距離だ。難なく校門から入り、教室の扉をあけた。
「おはよう」
実真の声だけが響く皆席に座ってじっとしている。パッと目についた見知った顔ぶれが今日は雰囲気が違う。
「風神さん、おはよう」
美優の席の後ろの後ろが実真の席だ。
美優からの返事はなかった。メガネをかけて無表情で前を向いている。
「風神さんってメガネかけてたっけ? ねえ」
実真は果敢にも美優の前に立った。反応のない美優のメガネに違和感を覚えた。
そのメガネの上の縁の部分に三角実真、こっち見んな、と書かれたシールが貼られていた。
実真は周りを見渡す。
全員同じメガネをかけていた。
「なんで……」
「皆お前のエロい目線と小馬鹿にした目線が嫌なんだって」
そう言ったのは秀明だ。ちなみに秀明も同じメガネをかけている。
実真は自分の席の前で立ち尽くしていた。
しばらくしてチャイムがなった。
「おはよう、朝のショートホームルーム始めるぞー」
担任の教師が教室に入ってきた。
「きりーつ、きょーつけー、れい」
「おはようございます」
実真は挨拶しながらビックリした。
担任の教師までもがあの例のメガネをかけていたのだ。
「1限目、現代文だって、宿題やってきた? まっつー」
実真は隣の席の素多亜に話しかけるもことごとく無視された。
「ねぇねぇー、素多亜、帰りカラオケ行こうよ」
「いいね、行こ行こ!」
素多亜は反対隣の泉に笑って応対する。
「こっち見んな!」
泉は実真の視線を感じたのか怒鳴った。
「ええ~」
「こっち見んな」
素多亜も同じ言葉を繰り返した。
◇
最後の授業の数学が終わる時間となった。長い1日も後はやらなくてはならない事をするだけだ。
実真は男子トイレに向かった。
小便器に小便をした。
「ちっちゃ!」
隣で声を発したのは正だ。実真の後をつけてきたらしい。
(俺のイチモツは普通くらいの大きさだ。銭湯などで男の裸をよく見るが、俺のは小さくない)
実真はズボンと下着をしっかり元の位置に戻した。
正は大きなイチモツを見せつけるように出す。すると、正の取り巻き2人が実真の腕をとった。
「なんだよ? 離せよ」
実真は何が起きるかわからなかった。
正は股間に手を添える。
実真はどういう意味か瞬時に理解した。
「やめろ、バカ!」
ジョロロロロ
正は小便小僧かのように小便した。実真の股間周辺のズボンにかかって濡らしてくる。
「うわあああああ」
「よし! 職員室行くぞ、三角は、『トイレ掃除してたら小便漏らしてしまいました』って言えよ」
正は社会の窓を閉めた。
「ぐぅ!」
実真は涙目になりながら、両隣の抑える手を振り払うと、男子トイレから逃げ出した。
「待て!」
正の声が後ろから聞こえる。
実真の特技は走る事だ。中学校では陸上部長距離をやっていた。上履きをシューズに履き替える。呼吸が、鼓動が大きくなる。それでも走った。
運のいいことに実真の制服のズボンは黒いのであまり目立たない。
実真は家の近くまで来て、河川敷に行こうか迷う。
そして冒頭に戻る。
◇
実真は伐人の目を見て言った。
「実は俺、いじめられているんだ。今追われてる、どうしよう」
「川の近くに隠れてろ。多分、私の事を専業主夫だということが知らされてる。河川敷のところでおしっこを消してから帰ると思われてるはず。私が実真のことを頼んでみる」
「父さん、ありがとう」
実真は伐人の手を握り、そして河川敷までひた走った。
橋の影に縮こまっていることにした。
「本当に来てるかな?」
「来てたらマジでウケるんだけど!」
「既に帰った後かもしれないな」
「それなら別に? 明日からあいつのあだ名はおもらし君だ」
(嘘だろ! なんでここに?)
実真の知っている声だった。
元気とそれから正の取り巻きの1人、花丸経だ。正もいる。
実真は彼等が腕を組んでいるのを確認できた。録音もしたかったがケータイは学校にある、リュックの中だ。
「川で遊ぶと危ないよ、君たち」
そこへ、伐人の声が轟いた。
「誰だよ、オッサン?」と元気。
「私は三角家の専業主夫をしている。伐人という者だ。君たちに折りいって頼みがある。実真と仲良くしてくれないか?」
「耳触りが悪いですね、僕達は実真の友達ですよ」
「フヒヒ、そうですよ」
「本当か? それなら誰かにいじめられてるようなんだ、助けてやってくれないか? 頼む」
「はいはい、分かりましたぁ」
「それなら安心だ。私は帰る」
伐人は勘違いしたのか3人に背中を向ける。
「がっくぉ」
ドオオッ
正は伐人の背中を思い切り蹴っ飛ばした。
伐人は前のめりに倒れ込んだ。
「よっしゃ、このオッサン川にダイブさせようぜ!」
「いいね」
「待ってくれ、私は頚椎症性神経根症なんだ」
「大丈夫、この高さと深さなら死にはしないって」
男子高校生3人は意にも介さず、小太りの伐人を力技で川へ投げ入れた。
ドボン!
(助けなきゃ、助けなきゃいけないのに怖くて動けない)
実真は正や正の取り巻きに暴力を振るわれそうで怖くて動けなかった。雛鳥のように口をパクパクさせることしか出来ない。
「ウェーイ」
「おもらし君、チクリやがったな」
「今日のところは帰ろうぜ」
正、元気、経の声は遠ざかって行った。
(大変だ、まだ父さんの無事が確認できてない)
実真は川にうつ伏せで浮かんでいる伐人を見やった。腰まで冷たい川に浸かって、伐人をなんとか引き上げた。
「ハアハア」
実真は肩で息する。だが伐人の方は息をしていなかった。
「助けなきゃ、今度は俺だ」
実真は伐人に心臓マッサージ、人工呼吸を行う。
「誰か呼んでくる!」
実真は駆け足で橋の上まで来ると、車道の真ん中に立った。
それは賭けに近かった。
プップー
しばらくして、1台の白いワゴン車が止まった。
「助けてください、父さんが息をしてないんだ!」
実真は車内の恋人同士のような男女に大声を出した。
「まーちゃん、救急車呼んで、僕が見に行くから」
長身でひょろりとした男性がでてきた。顔から見て20歳すぎくらいだ。
「くー君! 任せて」
もう1人の派手な女性がケータイをいじる。
「どこにいるの?」
「こっちです!」
実真はくー君と呼ばれた男性を案内した。
「心臓マッサージして、人工呼吸して、意識があったら横向きにして、えっと」
実真はパニックに陥っていた。
「落ち着いて、僕は熊野信夫、君とこの人の名前は?」
「俺は三角実真、倒れてる方が僕の父さんの伐人です」
実真は心肺蘇生法をしながら答える。
「僕がかわろう。君のは速いし浅すぎる」
信夫は実真の手をどかすと、伐人に1234と数えながら心臓マッサージをする。
伐人の顔は青白く、顔色が悪い。
5分以上は経過していた。
「父さん、父さん!」
「そうだ、車にAEDがあったはずだ」
信夫はそれだけ言い残して車に戻っていった。
「もういじめられてもいいから、目を開けてくれ、父さん!」
実真の声は涙声だった。腕に涙が降ってくる。もう1回心臓マッサージを30回、人工呼吸を繰り返した。
「畜生! あいつら、絶対、復讐してやる」
実真が心臓マッサージをしている中、信夫がAEDを持って下りてきた。そして、2人でAEDの蓋を開けた。
実真は伐人の服を脱がせる。AEDに入っていたペーパータオルで伐人の身体を拭く。そしてAEDのパッドを貼っていく。
バン!
AEDの電力が流れたが、伐人には反応がない。
もう1回。
バン!
反応はない。
ちょうどその時ピーポーピーポーとサイレンを鳴らした救急車が到着した。
「こっちです」
まーちゃんと呼ばれた女性が救急隊員を呼んできた。
実真は担架に乗せられた伐人を見守った。
「父さん!」
「身内の方ですか? 同行しますか?」
「はい、あ、いや」
実真は腰から下がずぶ濡れなので躊躇した。
「奏状病院に搬送します」
「何分位経過してますか?」
「10分位です」
「状態を見る限り、生存率は低いです、最悪の状況も覚悟しておいて下さい」
実真はどうするか思案して空中を掴んだ手を戻せないままだった。
救急車は遠くへ行ってしまった。
(帰って着替えよう。母さんに電話しないと)
いつの間にか座っていた実真は気を取り直して立ち上がった。
「ケータイがない、走って逃げたからリュックの中だ」
実真は学校にリュックを忘れてきた事に気づく。
「ハックション!」
実真は10月の川がそれなりに寒い事に今頃気がついた。家まで駆け足で帰った。
幸いにも、家の鍵はポケットの中だった。
実真は家に入ると冬服の制服のズボンと夏用の制服のズボンとを履き替えた。下着もタオルで体を拭きながら着替えた。
「丸村正、白黒元気、花丸経、絶対に許せない! 復讐してやる」
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