スイセイ桜歌

五月萌

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第2章 ローリの歩く世界

30 キマリとローリの苦悩

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「じゃあ今僕が言ったこと言ってみてくれたまえ」
「これから僕にキスマークつけたらどうなるかわかってるね」
「うんうん、よしいい子だ。髪が乱れているよ。とかしてあげるからおいで。パース」
 
 ローリは箱からブラシを取り出した。

「ロー君、サンキューじゃ」
 
 ガウカはローリに近づくと後ろを向いた。
 ローリはガウカの髪をとかす。柚子の香りがした。髪の毛はサラサラになった。
 ガウカの髪はローリとは違って直毛なのだ。

「ロー君、待つのじゃ、斜め縛りは嫌なのじゃ」
 
 ガウカに言われて、ローリは意識せずに斜め縛りにしている自分に驚いた。

「あ、ごめん」
「ヘアスタイルはこのままでいいのじゃ」
「そうだね」
「かわいい?」
「うん」
「どのくらいじゃ?」
「うん」

 ローリは服を着替える。

「目に毒じゃ」
 
 ガウカはローリの上半身裸を見て言った。

「うん、僕もすぐ出るから、ゆっくり着替えたまえ」
 
 ローリはシャツを着る。下半身の下着を隠すように白いパンツスタイルに切り替えた。上に金糸や銀糸、多くの絹糸を用いた織柄のウエストコートを羽織り、ベルトを付けて、ネクタイを締める。ダイアモンドがあしらった金色のネクタイピンをつけた。そして、寝室を後にした。



「ネムサヤ、送迎頼むよ」

 廊下に居るネムサヤに日本人の送迎を頼んだ。

「二時間後ですか?」
「さすがだね。そのとおりだよ」
 
 今の時間は六時ちょうどだった。
 ローリは食卓の間につく。
 ルコも何かをすでに食べている。
 白い野菜にぶりのような匂いだ。
「ぶり大根というらしいわね」

 ルコはローリの目線に気づいて言った。

「陛下、お食事お持ちしました」

 御飯とぶり大根、味噌汁、トマトとレタスとコーンのサラダ。

「今日も日本食だね」
「ローレライ、箸の持ち方を見せなさい」
「こうですか?」
「違うわ、こう、三本の指で支えて下の箸は動かさない」
「こうですか?」
「そうね、その癖をつけなさい」
「はい。いただきます」

 ローリは食べにくいが致し方ない。不慣れな持ち方で全部食べきった。

「どうでしょうか?」
 
 板前は出陣していた。

「今日も美味しかったよ。ありがとう」
「ありがたき幸せです」
「さあ、ローレライ、少し休んだらまた練習だわよ。ゴブリン達も起こしてご飯食べさせなさい、イセリ」
「はいー」

 イセリの声と時を同じくしてローリは目が冴えてきた。

「少し外の空気を吸ってきます」
「あら、あたしもいこうと思ってたの」
「ではご一緒に」
「ええ」
 
 ルコは上着を脱ぐとドレスを身にまとっている。

「母上、僕らの演奏はどのくらい完成に近いですか?」
「七割、いや六割くらいね」
「どこの楽器が突っかかってしまっているのでしょうか?」
「どこかって言っても、多分ローレライにはわからないわ」
「僕はコンマスなんですよ。それくらい分かるつもりで弾いてます」
「今晩の練習ではっきりするわ」
「どういう意味ですか? 悪いのはバイオリンなのですか?」
「あたらずもとおからずね」
「それなら今晩の練習の前に完璧にしてみます。待っててください
「完璧にしても無駄。オーケストラはワンフォアオール、オールフォーワンなのよ。皆で作り上げるものなのだから」
「わかりました。急用思い出したので失礼します」
 ローリは今日は皆の演奏を聴くのに徹することになった。





次の日、二十二日
 今日行った合奏は文句のつけようがないくらい上達していた。
 しかし、ローリは寝ずに研究する。

(どこがおかしいのか? どこに濁った音が紛れ込んでいるのか? 完璧とはどういう状態のことなのか?)
 すべての楽器の個人練習と全体練習の演奏を録音したステレオICレコーダーを手にして聴き続ける。
 ローリは呼吸や鼓動が大きく聴こえる。それは自分のものなのか聴いている音源のものかさえわからなくなるほどだ。

「ロー君。そろそろ寝ようかのう」
「すまない、僕は少し出ていくから、先に寝ていてくれたまえ」
「よく寝ないと、良いパフォーマンスができんぞい」
 
 ガウカの言葉を背に受けると、ローリは無言でドアを閉めた。

 廻り縁までまもなくだ。そして合奏が終わるのもまもなくだ。
 ローリはすべてが合わさった時の高揚が弾き終わった自分の吐息に現れていた。

「一体どこで点を落としているのだろうか?」
 
 ローリはまた一から聴き始める。
 バイオリンからビオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、ピッコロ、フルート、オーボエ、バスクラ、クラリネット、ファゴット、ユーフォニアム、ホルン、サックス、トランペット、トロンボーン、チューバ、パーカッション、ハープ。
 すべて一からだ。

「合奏のときに音が一つに聴こえないのはファーストバイオリン。後はトランペットの音が小さい。ホルンもだ」
 
 ファーストバイオリンはキマリとボンとローリ。トランペットは美優とカナ。ホルンはコロとサトル。
 サトルは二年くらい前に入った母上の直属執事だ、威圧感を与える黒い目つきや、声をしていて、髪型は白髪と黒髪が入り混じっていて肩くらいの長さだ。普段は口元は洋服で隠している。

「はっはっは、僕は合わせようとして弾いてなかったんだ。独りよがりの演奏をしていたというわけか、はっはっは」
 ローリは自分を責める言い方をして笑った。その直後だった。かなり近くに知っている匂いを感じた。音に集中していた為、気づくのが遅れた。
 ローリは後ろから手を回されて抱きしめられた。

「ローリ、自分を責めるのをやめてください」

 静かに彼女は述べた。

「ビオ、何故ここに? クライスタルの家に帰ったはずではなかったかね」
「外泊の許可をもらってここに来ました」

 沈黙が続く中、ローリは生きた人の暖かさを久々に感じた気がした。

「離してくれたまえ」
「では、約束してください。もう自分で自分を責めないと」
「約束は、できない」

 ローリは自分の声に合わせて抱きしめる力が強くなるのを感じた。

「一人が悪いのではなく、気がついても何もしない皆が悪いのです。気がついていないのかもしれないけれど。明日の合奏でいいましょう」
「わかったよ、約束する!」

 ローリはビオのあまりの腕力に叫ぶ。

「ああ、良かったです。絞め殺してしまうところでした」

 ビオは手を優しく解いた。

「前にも似た事例があったのかい?」
「いえ、ただ大きな人形を、綿がでるほどに力を加えて破損させました」
「恐ろしいよ」

 ローリはビオに向き直る。
 ビオは低い位置でツインテールの髪型に変えていた。

「もう寝ましょう」
「うん」

 ローリは素直に従うことにした。

次の日、二十三日
「おはよう。今日はファーストバイオリンの音が悪く、トランペットとホルンの音が小さいので徹底的に練習するよ。他の人やゴブリンは基礎練習だよ」
「おはようございます。後中十日、やる気次第です。頑張りましょう」
 挨拶の後ビオはハープを弾いている。
「飯は?」
「用意してあるよ」
「若いゴブリンからダ」
 ハンはゴブリンを束ねた。
五体のゴブリンが出ていった。
「それでは、ファーストバイオリンの方々、通しで弾きます」
ビオが指揮をしてくれた。

 キマリは気を引きしめているのか同じピッチで譜面通り弾いている。
 ローリは右手と弓を使って楽譜をめくる。
(ヴァイオリンを弾くことは自分が生きていると感じる)
 大地から水に曲が変わる。
 キマリの苦手そうな曲だ。
 
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