スイセイ桜歌

五月萌

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第2章 ローリの歩く世界

29 ルコによるオーケストラ

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 ローリとゴブリン達とネムサヤは地下室に入った。
 オーケストラの位置に並んでいる皆はクーラーがついていないので暑いようだった。
 今や最新式でスポットクーラーというものがある、いわゆる移動式のクーラーだ。

「パース」

 ローリはスポットクーラーを二台、箱から出す。

「涼しー、気が利くじゃない」
 
 美亜はすでに汗ダラダラで顔を真っ赤にしている。
 楽器を代えたゴブリン達も嬉しそうだ。

「階段のところ、スポットクーラー入れない大きさだったので助かります」
「母上は?」
「まだ公務が残っているらしくて。ビオさんが指揮台にあがるそうです」
「母上は仕事人間だからね、仕方ない」
 
 ローリは冷たく言い放った。

「ローリも来ましたので、再び大地から、通しで弾きます」
「「「はい」」」
 
 皆は誰一人違わず、真剣な目をしてビオを見つめる。
(僕のいない間に何があったんだろう)
 ローリは箱からバイオリンと譜面台と楽譜を取り出すと、箱を消した。
 戻ってきたゴブリンとネムサヤは楽器庫に行き新しい楽器を手にして、舞い戻る。

 プロ並みの奏者もいるが、多くの人とゴブリンが焼き付き刃を奏する。
 この曲を弾いているさなか、ファンボと翔斗が階段を下ってきた。
 すると、パーカッションを避けて、トロンボーンの位置に割り込んだ。何事もなかったかのように吹き始めた。構わず進む演奏は終わるところを知らない。大地という曲が弾き終わって一段落つくかと思ったら、水という曲にスムーズに移行した。
 キマリも戻ってきた。ボンの隣の椅子に着席した。ローリの張ったガット弦がバイオリンに音を生む。
 水という曲は暫く続き、いつの間にか太陽という曲が始まっていた。太陽という人の方はパーカッションを手伝っているようだ。大きな音で鐘や木魚を叩いている。
 木琴のしなやかな音から、金管の豪快な音が被さる。バイオリンも煌びやかな音をたてている。
 豪快な曲であった。
 いきなり風という曲に切り替わる。
 人間の太陽はいつの間にかピアノに向き合っている。
 金管の活躍が凄まじい。そう思うと急に静まるような木管の演奏。
 まさに風が吹いているようだ。
 曲が終わった。
「バイオリンのセカンドの音程が悪いのでパート練習を。色々な楽器のピッチが残念でした。一番ひどいのはホルン。ついでユーホ、トランペット、あなた達はリップスラーの練習からしたほうが良さそうですね」
「「「はい」」」
「それでは、パートに分かれて吹きましょう」

 ローリとバイオリン軍は寝室に、金管は中庭で、木管やチェロやチューバやコントラバスやパーカッションやピアノは地下室での練習となった。

「こんな暑い日に中庭で練習にならなくて良かっタ」
「ボン、そういうことは口に出しちゃだめでしょ」
 
 キマリが諭す。

「さあ、始めようか」
「「「はい」」」
「ロングトーンからね」

 バイオリンの音が合わさる。
 ロングトーンで外す人やゴブリンはいないようだ。

「アリア、内股になってる」
 
 キマリが物申す。

「す、すみません」
「大丈夫だよ、続けよう」
 
 ローリは小さく笑うと音を生じさせる。

 音階は皆揃っている。

「演奏に入ろう。大地から弾こうか」

「ずれていますね」
「僕の真似してないかい?」
「そうよボン」

 キマリは横目でみられているのを誤魔化そうとする。

「いや僕じゃないでしょウ、明らかにキマリの方みて言ってますヨ」

 ボンの言葉にキマリは傷ついたようだ。
「キマの演奏のどこがおかしいんでしょうか?」
「録音してみるかい? パース」

 ローリはケータイの録音機能を使う。

「そうしましょウ」
「いくよ」
ピッ

ピッ
 演奏が終了した後、機械音がして録音されていた。

「つけるからよく聞いてくれたまえ」
ピッ


ピッ
 キマリのバイオリンの音が遅れて聞こえる。

「キマ、怖かったんです。すみませんでした。陛下! 嫌わないでください」
「嫌わないよ。……ふむ。どうやらメトロノームが必要だね。パース」
 
 ローリは箱の中から悠然とメトロノームを出した。
カチッカチッ

「テンポは百二十でやってみよう」
「オッケーです、マスター」
「三人は?」
「もちろん平気です」
「キマは自信満々です」
「俺も弾けます」
「このテンポどおり弾けば間違いないから頼むね」
「「「はい」」」

 コンサートマスターの身振り手振りで音を合わせて、弾き出す。

 ボーイングも音も揃っている演奏ができた。

「完璧だね。もう少しテンポを上げてみよう」

 テンポが百四十に切り替わる。
カチッカチッ

 少し無理をしているような仕草をアリアが見せるもなんとか弾く。

「これなら大丈夫だね」

 ローリは途中で音を切るとメトロノームに手を伸ばした。
 テンポが百六十になった。
カチッカチッ
「はやっ」
「失敗したからって何なのだ? 失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか。ウォルト・ディズニー」
「またしてもこの御方はかっこいいことを」
「僕の今の気分ってだけさ、……僕の名言じゃないよ」
「不思議な気持ちにさせていただきありがとうございまス」
「いいからいくよ」

 テンポは早いが皆ついてきている。音程もいい。失敗してもいいということで皆、楽になったようだった。
 大地を、弾ききった。

「やった! 俺達弾ききったんだ! わーい」
 
 ボンはバイオリンを上に掲げて回る。

「ボン、そんなにバイオリン振り回したら危ないでしょ?」
 
 キマリは言動を慎むように言った。

「まだ終わりでもないですしね」
「それじゃあ、次は水を弾いてみよう、テンポは八十八」

「うん、後は音色がもう少し優しくなれるといいね。じゃあ次、太陽だ」
「俺弾けるかな?」
「弾いてみないとなんとも言えないけど?」
「キマリさん、冷たくなイ?」
 
 ボンの言うことに対してキマリは耳打ちする。

「すみませんでしタ」
「何ビビってるの?」
「あははハ」

 ボンはなにか弱みでも握られているのか、愛想笑いでごまかした。

「さあ、始めようか、テンポは四十八」

 ローリはメトロノームに触れる。
カチッカチッ

 ローリは限りなく集中して弾く。遅いと逆に弾きづらかったりするのだ。そして、キマリにまた真似されているかのように感じた。
(僕が速い?)
 ローリはビートを足で刻んだ。
(うーん、あってるのだが)
 曲が終わるまで我慢するローリ。
 曲が終了する。

「キマリ」
「陛下ああ、すみません、これでも必死に弾いてるんです」
「まだ名前呼んだだけじゃないか。君が練習してるのは知ってるよ、真似じゃなくてね、もう少し周りの音を聞いてみたまえ」
「はい」
「キマリ以外は非常に良い。キマリは後で練習だよ。最後は風だ」
「「「はい」」」
「メトロノームのテンポは百三十八」
 
 ローリはメトロノームのネジを巻く。
カチッカチッ

「いくよ」


 ローリは緩急つけて弾く。流れる風のように。バイオリンを弾くとドーパミンが分泌される。この曲も例外ではない。
 演奏が終わった。
 音階もあっており、きれいな演奏だった。

「後はこの演奏に魂を込めるだけだよ。ただ弾くのなら、死ぬ気で練習すれば多くの者が弾けるだろうから、もう一つ武器がほしいところだね」
「魂?」
「息をギリギリのところまで止めて、やっと吐き出して、一息吸う。この我慢の限界の開放までが、魂がこもっているところと言える。ギリギリまで焦らして弾くんだ。そうすれば、最高の演奏ができるだろうね」
「そうですね」
「キマリさん?」

 アリアは喋らず頬を膨らましているキマリに声をかける。

「っぷは、話しかけないでください、魂込めようとしてたのに」
「本当に息を止めろとはいってないよ。そういう経験の中のギリギリまでの感覚でということだよ。例えば腕が痛くてもギリギリまで踏ん張って弾き終えてほしいのだよ」
「「「はい」」」
「はい、それでは、パート練習は終わり。個人練習だね。キマリ、僕は君のこと見るから覚悟しておいてくれたまえ」
「見てくれるんですか? 嬉しい!」
「しっかりしないと君だけオーケストラから外すことになるかもしれないよ」
「ええ? それは嫌です」
「なら、練習あるのみだよ」
「はーい」
「大地と太陽をうまく弾けるようになるまで特訓だよ」
「はい、キマ、頑張ります」
 ローリはメトロノームを探る。
カチッカチッ
「まずは、ロングトーンから。それでは構えて」
 
 ローリも弾くようでバイオリンを肩と顎に挟んで支える。

「四拍だよ」
「はい」

 音が高くなり下りていく。

「音階とボーイングは完璧だね。大地の始めからさらっていこう」
「はい」

「はいここまで。さっきよりいい感じだね? 君にはソロの才能がありそうだ」
「そうですか~えへへ。ありがとうございます」
「次は太陽、終わりまで止めないから弾いてみて」
「はい」

 音が時たま外れる。
 それでもなんとか弾ききった。

「一番最初の頃よりは良くなったけど、ブレる音をなんとかしよう」
「間違えたところをもう一回弾いてみてくれたまえ」

 今度はするっとうまく曲調に入った。

「できるじゃないか」
「キマ、緊張しいだから、えっと」
 
 キマリは両手の人差し指を合わせている。

「皆で合奏始めるらしいヨ」
 ボンは素晴らしいタイミングで入ってきた。

「君には君の役割がある。しっかりこなそう。できるね?」
「はい」
「パース」

 ローリは箱にバイオリンと楽譜、譜面台を入れて小走りで地下へ入る。
キマリはローリにうっとりしてしばらく動けないでいた。

「キマリさん、どうかしたんですか? 早く行きましょう?」
アリアに急かされ意識を取り戻す。

「ありがと、アリア」
「どういたしましてです」

 二人は地下室への階段を降りていった。

「召集かけたのにどうなってるのよ。ちょっとアフロのゴブリン、もう一回皆呼んできなさいよ」
「俺はボンですよ。ぐすん」
 
 ルコはボンを使い皆を集めていた。

「母上、紹介したほうがいいですか?」
「いいわ、自分で言うわよ」
 
 ルコの言葉に安心したローリは椅子に座るとしばしの間まぶたを閉じる。

「ハイ注目ゥーーー!」
 
 ボンの大きな声に皆が注視した。

「はじめましての方ははじめまして、ローレライの母、ルコよ。皇太后様と呼びなさい……返事は?」
「「「はい」」」
「ちなみにビオはハーピストだから、といっても甘く見ないわ、調子乗った奴いたらビシバシ鍛えるからよろしくね」
「「「はい」」」
「ロングトーンやチューニングはできてるわよね! さっそく本題から入るわ、下手だったら止めるから、さあいくわよ!」


「トロンボーンのセカンドの確か翔斗君ね。今の二九から三四までもう一回弾いてみて」

「もう一度」

「まあいいわ。ローレライ、皆のお手本に弾いてみなさい」
「はい、母上」
「この場でそういう名で呼ぶんじゃないわよ。先生と呼びなさい」
「はい、先生」

「リズムはわかったでしょ」

 ルコはおかしいと感じると何度でもソロで吹かせる質の人間であった。
 この日は皆程よい緊張感で一日を過ごした。



 そして二十日を過ぎようとしていた。
 統率がとれている。二週間と中三日でよく訓練されたものだ。
 ローリは二十時になると練習が終わるのを利用して廻り縁でパイプタバコをふかしていた。

「あ。マスター」
 
 声の主はハンであった。

「こんなとこまで何かあったのかい?」
「かくれんぼをしょうしょウ」
「城でやることじゃないと思うのだけれど」
「ですが、全員見つけないと、朝ごはん抜きにされてしまいまス」
「はあ、それはないから安心したまえ」
「ナーに殺されまス。誰か匿っていませんよネ?」
「わかった、僕も見つけるの手伝うよ。パース」
  ローリはパイプタバコを火を消して箱にしまった。

「何体でやってるんだい?」
「俺を含めると四体でス」
「大体の隠れられる場所を見ておこう」

 ローリはハンの手をとって、城内に入っていった。
 調理場に一体、客間に一体、寝室に一体。
 案外、簡単に見つけられた。それもそのはず、ローリには匂いを嗅ぎ分けられる鼻があるのだ。

「もう城でかくれんぼしないでくれたまえ」
「はい、すみませんでしタ」
「別にいいだろウ」
「そうだ、君はこれから辛い食事にしよう。ナー」
「マスター、すみませんでしタ。俺の方から言っておくので許してくださイ」
「はあ、仕方ないね。許すのはこの一回だけだよ。こんど不遜な振る舞いをしたら不敬罪だからね」
「ありがとうございまス」

 ゴブリン達は頭を下げる。ナーだけは知らん顔をしていた。

「では俺達はこれで」
 
 ゴブリン達はいなくなった。
(さて、寝るか)
 ローリは今日も疲れ果てていた。二十時前にゴブリンと交代で御飯と風呂は済ませていた。

「ロー君、今日は抱きしめて眠ってほしいのじゃ」

 寝室に入るなりガウカに捕まった。

「すまないがお断りするね」
「昨日、抱きしめてって言ったら明日って約束したのじゃ!」
「はあ、ほらおいで」
「ろーきゅん!」
 ガウカはローリに一直線にぶつかる。
 ローリはギュッと抱きしめる。

「はいおしまいだよ」
 ローリはガウカをぱっと離すと自分の布団に入った。

「もういいのじゃ。わしが勝手に抱きついて寝る」
「僕の……睡眠の、邪魔に……ならな、ければ」

 ローリは体を楽にするとすぐに眠ってしまった。

「珍しいの、いつもは僕に触れないでくれたまえっていうのじゃが」
 
 ガウカは噛み付いた蛇のようにローリの腕から離れないで眠った。
 夜が更けていった。



次の日、二十一日
「ん?」
 
 ローリは自分の布団から起き上がった。
 腕に張り付くガウカが釣れた。

「ガーさん、僕になにかした?」

 ローリは自分の着ている服が乱れているのが気になった。

「何も?」
 
 ガウカはいたずらっぽく笑ってみせた。

「本当に?」
「べべ別にキスマークなんてつけてないぞい」
「あっ首にキスマークついてるね」
「わしがつけたのは背中じゃ」
「ほおう、それは詳しい事情を教えてもらいたいね、もちろん首にキスマークなんてないよ」
「別にロー君にキスマークついていても誰も不貞したとは思わんのじゃぞ」
「指輪の力を使うまでもないな。これからはキスマークなんてつけないでくれたまえ。もしまたついてたら、どうなるかわかってるね」
「わかったのじゃ」
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