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第三章 へたっぴ歌唱狂騒曲

第二十二話 化け物退治 in 夜の校舎③

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 声が近づくたびに恐怖心が膨れ上がっていく。

 いや、正確には陸達が声の主に近づいているのだが、音流に引きずられている陸にとっては、大差ない認識だった。

「同志。ふと疑問が湧いたんですけど、化け物はなんでずっと声を上げているんでしょうか」
「どういうこと!?」
「だって、そこにいるだけなら声を上げる必要はないじゃないですか。ウチみたいな人をひきよせることになります。いや、ウチはおびき出されているのかもしれませんね。それとも他の目的があるのでしょうか」
「そそそんなの、ばけぇものしかわからないいぃぃ」

 音流は化け物の習性を考察するのが楽しいのだろうが、恐怖に震える陸にそんなことを考える余裕はない。

「確かにそうかもしれません。ですが、何か引っかかるんです。よくよく聞くと、この音は聞いたことがあるような」
「聞いたことがある……?」

 音流の言葉が気になって、つい化け物の声に耳を澄ましてしまう。

 化け物の声は断続的に鳴っている。一瞬だけ聞けば不気味なだけの音だが、よくよく聞くと音の正体が見え始める。

「違う音がふたつある……?」
「そうなんですよね。もう少し近づけばもっとわかると思います」

 化け物の居場所まで、あとほんの数メートルのところまで近づくと、一つ目の音の正体がわかる。

「鳥が羽ばたいている音ですね」

 音流の答えに、陸はコクンと頷いて同意した。一つ目の音は明らかに羽音だった。しかもかなり激しく羽ばたいていることがわかる。

 しかし問題はもう一つの音だった。

「もう一つは、ちょっとリズムがありますね。音程もあるかも……?」

 羽音を除くと、不可解な音が鮮明になる。それにはリズムや音程がわずかに見られ、何かの意図が込められているのは明白だった。つまり、この音はただ垂れ流しているものではなく、誰かに何かを伝えるために発している音だと推察できる。

 それを理解した陸は、さらに強く音流に抱き着いた。

「まあ、羽音が聞こえる時点で昨日の化け物と一緒みたいですね。だったらそんなに怖くないです」

 音流が昨日見た化け物の頭部には羽が生えていた。羽音はそれを羽ばたかせているだけだろう。

 話している間に化け物がいる音楽準備室の前に到着した。

 ドアについたガラスからはわずかに光が漏れ出ている。しかしそれは天井の電灯の光ではなく、地面に置かれた小さい何かから発せられている光だった。

 音流達は誘導灯にかすかに照らされた一角で立ち止まった。わずかに明るいため、陸の体の震えが和らいだ。そして音流の顔を見て、ホッと息をついた。

「よし、着きましたよ同志。覚悟はいいですか。大捕り物になる予感がビンビンです」
「もう十分でしょ!? これ以上は危険だって」

 音流は慣れた手つきでポケットから光り物を取り出して器用に操り始めた。

 突然目の前で刃物を振り回されたことに驚き、陸は「うわっ」と素っ頓狂な悲鳴を上げた。

「パパの部屋から盗んできました」

 音流は茶目っ気を込めて、バラフライナイフを見せつけた。

 バタフライナイフとは、折り畳みナイフの一種だ。グリップが二つに分かれていて、回転させることでグリップ内に刃を収納することができる。片手で開閉することもでき、開閉アクションの見栄えの良さから愛好家が多いナイフだ。

 音流は華麗な開閉アクションを披露しはじめた。

「危ない!」と陸が叫ぶと「これは練習用なので切れませんよ」と音流が舌を出しながら補足した。

「切れませんけど、脅しには使えると思います」
「いや怖いからやめて。お願いだから……。せめて振り回さないで」

 陸の懇願を受けて、音流はしぶしぶながらバタフライナイフをしまった。

「……最悪投げて使います」

 音流は苦し紛れに言うのを見て、陸はあることが気になった。

「そういえば、どうやって化け物を倒すつもりなの?」
「清めの塩です!」

 音流はポーチからポリ袋に詰まった塩を取り出して、得意げな顔で見せびらかした。

「ちょっとかける練習をしてみますか」
「うわ、口の中に入った」

 突然、音流は陸の顔面めがけて一掴みの塩をかけた。

(もしかして結構鬱憤うっぷんたまってる?)

 謝罪の一つでもした方がいいだろうか、と考えたのだが、すぐに口の中の違和感に気づいたことで、音流に向けた視線は申し訳なさそうなものから憐れむものへと変わっていった。

「これ塩じゃなくて砂糖だよ。すごく甘い」
「またまたー。さすがのウチでも塩と砂糖を間違えませんよ」

 そう言いながらも音流は確認にために一口なめた。一瞬甘さに口角を上げた後、徐々に顔が青ざめていく。

「甘い、甘いです! 塩が甘いなんて、これは化け物の仕業でしょうか!?」
「塩と砂糖を間違えただけでしょ!?」

 音流はなるほどと手を叩いた後、頬をひきつらせ始めた。

「砂糖で化け物を退治できませんよね」
「糖尿病で死ぬかもな」
「それ、何年後の話になるんですかぁ」

 自分の失態を自覚した途端、音流は膝を抱えて落ち込んだ。

「……なんでこんなドジばっかりするのでしょう、ウチ」

 化け物が目と鼻の先にいる状況なのだから落ち込んでいる余裕はないだろうに、音流は膝を抱えて項垂うなだれてしまった。

「別にドジでもいいじゃん。ほら、僕が塩持ってきてあるから」

 陸はズボンのポケットに忍ばせていた塩を手渡した。少量だけだがラップに包んで持ってきていたのだ。

「ありがとうございます。同志も考えること一緒だったんですね」
「倒すつもりはなかったけど。逃げる時に使えるかな、ぐらいの考えで持ってきた」

 音流は受け取った塩をじっと見てから、陸の顔に視線を移した。

「一緒に来てもらえてよかったです。いざって時は頼りになりますね」

 素直に褒められたことで照れくさくなり、陸は顔を背けた。
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