ヶケッ

ほづみエイサク

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第2話 そこそこ正常?

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「おめえ、にんじんか?」


 舌足らずな老人の男性に問いかけられて、男はハテナマークを浮べた。

 老人はベッドに寝ていて、しわだらけの顔をゆっくりと動かしている。
 体中の筋肉は衰えていて、ほとんど骨と皮しか残っていない。
 ハッキリ言ってしまえば、今すぐにでもお迎えが来そうな風貌ふうぼうだ。


「人間ですけど。綿貫わたぬきっていう名前もあります」


 無意識に老人のイントネーションを真似て返すと


「おめえがにんげんなわけねえべ」と老人はそっけなく言った。


 そう言われても、男――綿貫には身に覚えがない。
 鏡を見ても、家系図を見ても、子供から記憶を思い起こしても、自分が人間である証拠しか出てこない。

 綿貫は、ギャンブラーの父親とヒステリックな母親の間に生まれた。
 小学校から高校はイジメられながらも、勉学が励む日々だった。

 高校卒業後、隣の県にある発泡スチロール製品の工場に勤めた。

 両親と離れられれば、どこでもよかったのだ。

 初めての一人暮らしは自由で、楽しくて、今までの不幸な人生を取り戻すように謳歌おうかした。


(まさに順風満帆だったなぁ)


 社内恋愛で恋人を作って、婚約までした。
 仕事では同期よりも遅れながらも昇進していった。


(それなのに……)


 そんな人生の絶頂は32歳になって終わりを迎えた。
 同居していた婚約者には結婚資金を持ち逃げされ、終身雇用してくれるはずの会社はあっさりと倒産した。

 特に資格も取得してなければ、武器になる能力も身に着けていなかった綿貫は、あっという間に落ちぶれた。

 それからの記憶はあまりない。職を転々としていたところ、最終的にたどり着いたのが今いる『寮に住み込みで勤務できる老人介護施設』だったはずだ。

 
(何を間違ったんだろうな)


 綿貫が思わずため息をつくと、老人がゆったりと口を開く。


「おまえはりょーすけか?」


 りょーすけとは、老人の息子の名前だ。
 普段だったら「違いますよ」と優しく返していたことだろう。
 だが、この時の綿貫は過去を思い出したせいで気がたっていた。


「あんたの息子は、もう死んだよ」


 ボソリと呟いても、老人の耳には届いていない。

 彼の息子であるりょうすけは、両親の介護のせいで心身ともに疲弊して、心臓病を患って他界した。

 ここはそういう人・・・・・のための施設だ。

 病院にも入ることも、公共の老人ホームに入ることもできない老人達。
 そんな誰も世話する人間がいないを集めて、最期・・まで面倒をみる。


「りょうすけ。まどをあけろ」


 まるで自分の家にでもいるかのように命令する老人。
 その姿を見て、

 黄昏るように窓越しの景色に目をやる。
 青々とした緑と、夕日の中を飛ぶ鳥の姿に、思わず目を細めてしまう。

 この施設の周囲は、大自然しかない。

 窓を開ければ、大量の虫が侵入してくることだろう。
 いや、窓を開けていなくても、しょっちゅう侵入してくるのだが。 

 自然豊かと言えば聞こえはいい。
 だけど自然が好きではない人にとっては、不便以外の感想は抱けないだろう。

 ふと、窓の縁にバッタが止まるのが見えた。
 次の瞬間には小鳥が飛んできていて、たちまちに捕食されていた。


 その光景を見た瞬間――


 脳が激しく揺らされて、とてつもない嘔吐感に襲われた。
 まるで、脳が何かを拒否しているみたいだ。

 
(なんなんだ、一体……!)


 本能的に、捕食行為に拒否感が出ていることは察した。

 だけど、その理由を思い出せない。

 覚えていない。
 だけど、覚えていないことは自覚している。

 それでも『覚えていない記憶の内容』はわからない。

 その現象が気持ち悪く感じて、限界に達する。


「$#&%@$%~~~~!」


 胃がひっくり返るような勢いで、綿貫は吐瀉物としゃぶつをまき散らしていく。

 その様子を見て、老人は動揺したのだろう。


「おめえ、おらをくうのか!?」


 鬼気迫る表情で、叫び始めた。


「たすけてくれ! たすけてくれ! おらころされる!」


 真に迫ったSOSが、施設中に響き渡る。

 だが、同じ部屋にいる他の老人達には、気に留める様子はない。
 マイペースに各々の日常を送っているだけで、見向きもしていない。

 老人がヒステリックに叫ぶことなんて珍しくない。
 
 そんなチグハグな光景の中、胃の内容物をすべて吐き出した。

 すると、今度は吐瀉物の中に血が溜まっていくのが見えた。
 とっさに鼻を抑えると、パッキンが壊れた蛇口みたいな勢いで血が流れ出ている。


(どうなってんだよ……!)


 綿貫の疑問に答えるみたいに、遠くから声が聞こえた。
 

 ヶケッ


 聞いた瞬間、意識が遠のいていく。

 その現象にデジャヴを感じるのに、思い出せない。

 綿貫は自分の吐瀉物と血にまみれながら、気絶するのだった。





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読んでいただきありがとうございます
今回は状況の確認回

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