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傀儡
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◇◇
電車をいくつも乗り継いでようやくたどり着いたのは、海と山に囲まれた小さな街。都会とは違う、自然に囲まれた楽園のように見えるここは僕にとって監獄に等しかった。空港も港もあるし、新幹線だって停まるのに、僕はこの街から抜け出す術を持っていないのだ。
聞き慣れない方言、これまでとは少し違う文化。それは僕をホームシックにするには十分すぎるほど異質で、だけど出会う人が誰も彼も親切なことだけが唯一の救いだった。
こじんまりとしたアパートの二階の角部屋。そこが僕の新しいお城になった。
隣人は優しい老夫婦。引越しの挨拶に伺ったとき、つい祖父母を思い出して涙ぐんでしまった僕を家に招き入れて、和菓子と温かい緑茶でもてなしてくれた。引っ越しシーズンでもないのに突然やってきた、いかにも訳ありな若者が気になるだろうに何も事情を聞いてこない、その心遣いがありがたかった。
カーテンを開ければ、港が見える。
キラキラと太陽の光を反射して、水面がゆらゆらと揺れている。フェリーや漁船が行き交っているのは活気がある証拠だった。
船が通った後にできる白線が深い青に時々化粧を施すけれど、少し目を離した隙に気づいたら消えている。それをなんとなく寂しく感じた。
何もする気になれない僕は、いつしかぼーっと海を眺めるのが好きになっていた。寄せては返す波を見つめていれば、それだけで気持ちが凪いた気になって、自然と溢れる涙を拭うのも忘れてしまう。
同時になんとも形容し難い気持ちになった。不快なほど苦くて、チクチクと絶え間なく何かが心に突き刺さる。それを孤独というのだと教えてくれる人は、僕の周りにいなかった。あの人は、もういないのだから。
大型客船が数日停泊している間は特に憂鬱だった。それはきっと、行先があの街だって分かっているから。自分もこの船に乗って、彼に会いに行ければいいのに。嫌でもそんな風に考えてしまって、眠れない夜をいくつも過ごした。
都会の空は星がなかなか見つからなくて、光っているものがあったと思ってもそれは大概飛行機だったりする。だけど、この街は違う。満天の星々が濃紺の空に散りばめられている。それを見るのは心苦しくて、侘しくて。淡白の雲に隠されている間は少しだけ息がしやすかった。
朝日は目に染みるから嫌いだ。夕日よりもずっと、生気を奪っていく気がする。日が沈んだのはついさっきのことなのに、もう新しい一日が始まってしまう。彼の元を離れて、一体どれだけの月日が経ったのだろう。嗚呼、今日も憂鬱だ。
義務のように必要最低限の栄養を摂り、ただ気絶するように眠りにつく毎日。人と会話する機会もほとんどなくなって、表情筋は働くのをやめてしまった。肌は荒れているし、髪だってボサボサ。もう自分がどうやって笑っていたのかすら、思い出せない。
生きる気力を失った人間は、とことん落ちていく。美味しい、楽しい、嬉しい。そんな感情が抜け落ちてしまって、何のために生きているのか分からない日々。こんなの、ただの傀儡だ。
これがあと何十年も続くのかと考えると、もう、ここでこの命を終わらせてもいいんじゃないかとさえ思ってしまう。
海に沈んでしまえば、潮の流れに乗って彼の元までたどり着けないだろうか。たとえこの身が朽ち果てても、最後にたどり着けるのが彼ならばそれもありなのかもしれない。……なんて、静かな夜に似つかわしくないことをいつも考えていた。
正常じゃないメンタルだって、その判断すらできなくなって、浮かんでは消えていく答えのない問題に苦しめられる。自覚していないだけで、限界はもうすぐそこまで来ていた。
電車をいくつも乗り継いでようやくたどり着いたのは、海と山に囲まれた小さな街。都会とは違う、自然に囲まれた楽園のように見えるここは僕にとって監獄に等しかった。空港も港もあるし、新幹線だって停まるのに、僕はこの街から抜け出す術を持っていないのだ。
聞き慣れない方言、これまでとは少し違う文化。それは僕をホームシックにするには十分すぎるほど異質で、だけど出会う人が誰も彼も親切なことだけが唯一の救いだった。
こじんまりとしたアパートの二階の角部屋。そこが僕の新しいお城になった。
隣人は優しい老夫婦。引越しの挨拶に伺ったとき、つい祖父母を思い出して涙ぐんでしまった僕を家に招き入れて、和菓子と温かい緑茶でもてなしてくれた。引っ越しシーズンでもないのに突然やってきた、いかにも訳ありな若者が気になるだろうに何も事情を聞いてこない、その心遣いがありがたかった。
カーテンを開ければ、港が見える。
キラキラと太陽の光を反射して、水面がゆらゆらと揺れている。フェリーや漁船が行き交っているのは活気がある証拠だった。
船が通った後にできる白線が深い青に時々化粧を施すけれど、少し目を離した隙に気づいたら消えている。それをなんとなく寂しく感じた。
何もする気になれない僕は、いつしかぼーっと海を眺めるのが好きになっていた。寄せては返す波を見つめていれば、それだけで気持ちが凪いた気になって、自然と溢れる涙を拭うのも忘れてしまう。
同時になんとも形容し難い気持ちになった。不快なほど苦くて、チクチクと絶え間なく何かが心に突き刺さる。それを孤独というのだと教えてくれる人は、僕の周りにいなかった。あの人は、もういないのだから。
大型客船が数日停泊している間は特に憂鬱だった。それはきっと、行先があの街だって分かっているから。自分もこの船に乗って、彼に会いに行ければいいのに。嫌でもそんな風に考えてしまって、眠れない夜をいくつも過ごした。
都会の空は星がなかなか見つからなくて、光っているものがあったと思ってもそれは大概飛行機だったりする。だけど、この街は違う。満天の星々が濃紺の空に散りばめられている。それを見るのは心苦しくて、侘しくて。淡白の雲に隠されている間は少しだけ息がしやすかった。
朝日は目に染みるから嫌いだ。夕日よりもずっと、生気を奪っていく気がする。日が沈んだのはついさっきのことなのに、もう新しい一日が始まってしまう。彼の元を離れて、一体どれだけの月日が経ったのだろう。嗚呼、今日も憂鬱だ。
義務のように必要最低限の栄養を摂り、ただ気絶するように眠りにつく毎日。人と会話する機会もほとんどなくなって、表情筋は働くのをやめてしまった。肌は荒れているし、髪だってボサボサ。もう自分がどうやって笑っていたのかすら、思い出せない。
生きる気力を失った人間は、とことん落ちていく。美味しい、楽しい、嬉しい。そんな感情が抜け落ちてしまって、何のために生きているのか分からない日々。こんなの、ただの傀儡だ。
これがあと何十年も続くのかと考えると、もう、ここでこの命を終わらせてもいいんじゃないかとさえ思ってしまう。
海に沈んでしまえば、潮の流れに乗って彼の元までたどり着けないだろうか。たとえこの身が朽ち果てても、最後にたどり着けるのが彼ならばそれもありなのかもしれない。……なんて、静かな夜に似つかわしくないことをいつも考えていた。
正常じゃないメンタルだって、その判断すらできなくなって、浮かんでは消えていく答えのない問題に苦しめられる。自覚していないだけで、限界はもうすぐそこまで来ていた。
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