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特別はいらない

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 顔を上げた翠は一瞬瞳を曇らせたものの、それを悟られないうちにすぐに表情を切り替える。


 「もうご飯食べた?」
 「…………」


 翠からしたら何の含みもない問いかけだったのだろう。だけど、僕はどう答えるのが正解か悩んで口を噤んでしまう。

 もしかすると、翠がお腹を空かせて帰ってくるかも。そんな思いを消せなくて、冷蔵庫にしまいこんでいる生姜焼き。

 想像もつかないほど、高級なものばかり食べている翠に自分の下手くそな手料理を食べさせるなんてどうかしてる。冷静になった頭がそう詰る。

 なんとかこの場を誤魔化して、さっさとシャワーを浴びてもらおう。その間に冷蔵庫のゴミは捨ててしまえばいい。


 「……食べましたよ」
 「何食べたの?」
 「えと、コンビニの……おにぎり」


 しどろもどろになりながら適当に答えれば、翠の眉間に皺が寄る。怪しまれていることは分かっているけれど、白状する気はさらさらない。


 「もっとちゃんとしたもの食べなきゃ体壊すよ」


 嗜めるようにきゅと僕の鼻を摘んだ翠が立ち上がる。真っ直ぐに向かう先は冷蔵庫。まずいと後を追えば、訝しげに翠が振り返る。


 「陽?」
 「……はい」
 「何か隠してるね」
 「…………」


 すと細められた瞳が僕を射抜く。真剣な瞳と対峙すれば、嫌でもこの人がアルファだということを思い知る。ぶるりと震える体は気のせいじゃない。

 瞳に怯えの色が滲んでいるとすぐに分かったのだろう。翠は苛立ったように頭をかいて、大きく息を吐いた。

 ……帰りたい。
 やっぱり、平凡なベータはアルファ様とは相容れない。

 ぐじぐじと、心が傷んでじんわりと溶けていく。

 どれだけ歩み寄ろうとしたって、僕らの線はきっといつまでも重ならない。この世界の常識がそう告げている。


 「違うんだ、陽」
 「…………」
 「怖がらせたいわけじゃない、悪かった」


 まっすぐに見つめる瞳からは先程の苛立ちがすっかり消えている。出会ったときから変わらない真摯な態度に僕だけが心を揺さぶられてばかり。

 翠が他のアルファみたいにもっと横柄で、失礼なひとだったらよかったのに。そしたら、僕だって何の後腐れもなくこの関係を捨てられたのに。

 彼は世界中から愛されるアイドル。
 僕だけが特別じゃない。
 常に言い聞かせておかないと、浮かれて勘違いしてしまいそうになる。
 
 翠という人間の本質が出来すぎているから。誰に対しても礼儀正しく、優しくて暖かい。昔からきっと、そういう人なのだ。


 「陽、」
 「はい」
 「どうしたらいいんだろう」
 「……、…………」


 その目を見たら抽象的な問いかけに答えることができなくて、声にならない空気が漏れただけだった。


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