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外伝 男爵令嬢はやり直したくはない

令嬢の密談

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紅茶を飲み干し、アイリスは難しい表情で
「あれをそのまま信じろと?」
と尋ねる。私はその声に以前の記憶を呼び覚まされて、手が震えた。何をされるかわからない恐怖に、思わず椅子を下げてアイリスから距離をとる。

「私がなんとよばれているかご存知?」

冷ややかなアイリスの声に、私は口元を押さえた。忘れたわけではない。その恐怖で震えてしまった。
ふう、とアイリスはふう、とため息をつき、手元にあった手紙を放り投げた。

「なんて、貴方と私はこの間の夜会が初対面ですもの。何の恨みもない代わり、何の関係もない筈ね、そうでしょ?」
そう言って笑いかけてくる。やはり、と私は俯いた。クロードと私は、ここでは全く無関係なのね…私はがっかりしたような、しかし、ほっとしたような気分になった。


確かに、彼を愛していた。一途に私を思ってくれた彼を。でも、最期のときになってクロードは私のことなど見向きもせず、自分の名誉のために死んだ。残された私がどうなるかなんて考えもせずに。

可愛そうな私を構うことで、自分を英雄だと思い込んでいたに過ぎないクロード。ヒーローになりたかった彼は、レンブラントに騙されて利用されてしまった。

そして私は、クロードが王としての重い責務から逃れるためだけに私を選んだのだと、彼が見ていたのは私ではなかったのだと、気付いてしまった。
結局彼が愛したのは、ヒーローである自分自身だったのだわ。

二度と、私はクロードとは関わりたくない。レンブラントに権力を握らせないためにも。


私はもの思いに沈みそうになる自分をおさえて、両手をにぎりしめた。
「……ええ、私とレイノルズ公爵令嬢様とは今までは何の関わりもありません。ですが、この手紙に書いたとおり、貴方の家にいる従僕、レンブラントは私の実の父です」
それはきっと、今のアイリスにはとてもおぞましい告白に感じたと思う。とくに、レイノルズ翁に大切に育てられ、クロードに愛され護られている今のアイリスには。

「貴方は自分が、何を言っているかわかっているの?こんな、証拠まで残して。わたくしがもし、これを悪用しようと思えば……」
アイリスは困りきったようにガタ、と椅子を動かして少し後ろへ下がった。

そうだろう。アイリスに送った手紙には、はっきりと私が不貞の子であり、平民の娘だと書かれていたのだから。

「ええ、ですが、このことは、手紙に書いたとおり、レイノルズ邸にとって必ずしも無関係ではございません…私の実の父レンブラントは、レイノルズ翁と王家に少なからぬ怨恨を抱いておりますので」
アイリスの顔色は、今や紙のように真っ白だった。

「レイノルズ令嬢様、レンブラントは危険な男です」
私が話しかけると
「存じております、わたくしは幼い頃から、身をもってあの男とその一味の暴力を受けておりましたから」

アイリスは早口でまくしたてた。

「あの家で、私の味方はあのトリスだけだったのですもの。貴方は想像もしないでしょう、空腹を満たすために使用人の目を盗んで食料庫へ忍び込み、かびの生えた固いチーズを齧ったり、人前に出るために洗濯用の石鹸で髪をあらったり、侍女に投げつけられたボタンのとれたワンピースを自分で着る、幼い子供のことなんて」
そう言って、両手で顔を覆った。

泣いてはいないけれど、取り乱した自分を抑えようとしているのだとわかった。

「…………レンブラントが、令嬢様を……」
以前の私ならきっと信じられなかった。父は優しく思いやりがあると思わされていたから。全てはまやかしだったけれど。

「お詫びのしようもございません。先ほど話したような出自のものですので、レイノルズ公爵様といえど、無下にできずにいるのかもしれませんが」
そうして、頭を下げる。どうあっても彼女を私の味方につけなくてはならない。
レイノルズ公爵家や王家に対して、今の私が使えるカードはとても少ないのだから。

「お願いです、公爵令嬢様。手紙に書きましたとおり、私はしがない平民の娘。令嬢様を脅かす力はございません。令嬢様のお力添えで、南領に反乱の兆しありと殿下へ進言してはいただけますよう……それがすめば、その手紙をもって、王家を謀ったクララベル家とレンブラントにどんな罰をお与えになっても構いません。勿論、裁判となれば証言も致します」

立ち上がり、アイリスのそばに跪こうとして、アイリスに止められた。
「それには及びませんわ。わたくしも、南領のクララベル家の領地で怪しい動きがあるのを見ました」
え、と私は彼女を見た。
「クララベル男爵領に、私の命の恩人、クララベル子爵が身を寄せている農家がありますの。その近辺では、野菜や穀物を作る代わりに、農民に硝石や木炭の製造や硫黄の採掘をさせていました。確認したところ、領主であるクララベル男爵が指示しているとのこと……ご存知かと思っておりましたが」

私は首をふった。
「義父は、レンブラントに盲従しているとばかり……」
もし、アイリスが言うのが正しいなら、あの戦争の火種をつくったのは、義父ということになる。
だから、あのとき南領の子爵について尋ねてきたのだ。私の母親やレンブラントに従うとみせかけて、義父は彼らを追い落とす好機を狙っているのだわ。

王家が上位貴族の傀儡となったとき、その利権や領地を我が物にするために。


「先ずはあなたの足下を調べてみた方がよさそうね」
アイリスに言われて私は、ハッと顔をあげた。外をみると、日がだいぶ傾いてきている。
「わたくしが差し上げた手紙の差出人は、貴方の親戚でもあります。会えば、力になってくれるはず……但し、彼にはあなた方に少なからぬ思うところがあります。それでもよければ、紹介しますが」
同じ名字である以上、それはおりこみ済みだ。私がうなづくと、アイリスはすうっと目を細め、
「わかりました。でも、くれぐれも身辺に気を付けるようになさって」

『くれぐれも身辺に気を付けるようになさって』
同じ言葉を聞くのは二度め。一度めは、脅迫だった。

でも、今回の彼女の声にはどこか固く、あきらかに私の身を案じる響きが混じっていた。
「はい、お会いできて本当によかったです」
今度こそ私は、絶対に間違えるつもりなんてない。

私は立ち上がり、彼女に深々と頭をさげた。王族…王妃にするように、丁寧に。
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