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精霊王と悪鬼
下町で(元)侍従長に絡まれる
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ミルラがいない。あの日朝になってもミルラは姿を現さなかった。ミルラがいなければおかしな夢はみないけれど、お義父様やお義兄様の姿をみられないのが不安だ。
マリアはどうしたかしら?お義兄様は眠れているかしら?あれから学園でお義父様をみていないけれど、ストレスで体を壊したりしていないかしら?
私は学園から帰ると、侯爵夫人とキャルと三人でクッキーやパイ、ときには日持ちする黒いライ麦の入ったパン(ここへきてはじめて知った…ちょっと酸っぱい)などを焼いたり、庭に出て花の世話をしたり、ベリーやラベンダー、バラの花びらを摘んで持ち帰って、蜜と煮てジャムにしたりして過ごす。
時折下町の、あまり品の良いとは言えない場所までレイモンド様と従者の方と一緒に行って、私はできたものを配り、レイモンド様が診察する。
「父様がいれば本当はもっと、診てあげられるんだけど、ね。キンバリー屋敷での騒ぎが終わったら、今度は皇宮に呼び出されたらしくて」
両陛下のどちらかが具合がわるいのかしら?午後の診療を終えて馬車に揺られながら、私は考えた。
だけど、そういうことは口外しちゃいけないんじゃないかな?私は家族だからいいのかな…いや、本当は家族じゃないんだけど。
1日奉仕作業した体は疲れきっていて、段々と瞼が重くなる。
「ついたら起こすから、少し眠ったらいいよ」
レイモンド様は持っていた鞄を私の首の下へ差し込んでくれた。ごめんなさい、こんなに優しくしてくださるのに、貴方の妹をあの公爵邸に置き去りだなんて…できるだけ早く元にもどれるようにします。と、心の中で謝る。
けどミルラがいなければ、私は元に戻れないし、家にも帰れない…すごく帰りたいって訳でもないけど、こういうときとても悪いことをしている気持ちになるわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうこうするうちに二週間ほどが過ぎ、昼間はかなり暑さを感じるようになったころ、私はまた下町でレイモンド様をお手伝いしていた。
「40分並んでもらえるのはこれっぱかしの黒パンとジャムだと!馬鹿馬鹿しい!」
大きな声に聞き覚えがあった。見渡すと、見たことのある小男がぼろぼろのシャツとズボン姿で喚き散らしていた。
「侍従長様がなぜここに?」
私が尋ねると、喚きちらしていた男はこっちに気づいてやってきた。
「なんだ、誰かと思えば貧乏医者の家族ではないか!」
私はその言い方にイラっときたけれど、レイモンド様の手前ぐっと我慢する。マリアはここで怒ったりはしないはずだもの。
「皇子宮の侍従長ともあろう方がどうしてこんな場所で順番待ちを?」
私はたずねた。レイモンド様が心配そうに診察の手をとめてこっちをみているから、大丈夫、と頷いてみせる。
「ふん、あんなところは此方から辞めてやったさ。なんせあのメイド上がりの妾が偉そうにふんぞりかえっているし、第一皇子の癖にキンバリー家の圧力に押し負けて、今じゃ皇宮から出されたからな。幽霊の出そうな古い離宮におしこめられた奴らについて行くなんてまっぴらだからな!」
ええ?と私は首をかしげた。
少し前まで(元)侍従長をはじめ皇子宮の侍従やメイドは皆、ミュシャを我が子のように可愛がっていたのに?
『ミュシャの過ちは私どもの過ち!どうぞ我々全員を罰して下さい!』
と、この(元)侍従長が言ったのは、たしか去年の晩秋。
暖炉の燃え残りの灰を山盛りにしたバケツを持ったミュシャが、私のドレスに向けてぶちまけ、その上濡れた雑巾でそれを生地にすり込んだのだ。
さらに、ミュシャは人が来る前にスカートを拭くからと手にしていた火かき棒を私に手渡した。
馬の頭の飾りのついた、鋼鉄製の立派な火かき棒だった。
そのうえで、スカートにしっかり灰を刷り込まれた私が困って自分の侍女を呼ぼうとすると、ミュシャはとんでもない叫び声をあげて謝りはじめた。
そして飛んできた彼が発したのがさっきの、全員を罰してくれというものだったのだ。
勿論、ルディ殿下はミュシャをはじめとする全員を不問に付した。
むしろ火かき棒でミュシャを殴ろうとしたといって、ルディ殿下に怒鳴られて、平手で殴られたのは私のほうだった……それを満足そうに笑って(元)侍従長も見ていたはずなのに。
「あの、でもミュシャさんとは、皇子宮殿の皆さんはとても懇意にしていらしたのでは?」
「懇意?そんなことはない。あの妾は亡霊の森で殿下が猫の子よろしく拾ってきた…孤児だぞ…私は殿下に、元いたところへ返すよう進言して……その後はあまり覚えておらんが…親しくなどしていないはずだ」
話の途中で何度か(元)侍従長はふらつき、最終的には私の肩に手を伸ばしてきた。目付きはおかしいし、お酒の匂いもする。
私は驚き、とっさに逃げ出すことすらできなかった。きっと私が一人でいたなら、やすやすと肩を捕まれていたに違いない。
でも、その手が私に届くことはなかった。
「具合が悪いなら診ましょう、だから、妹から離れて?」
いつもより低く響く声。言い方は優しいけれど、腕をがっちり掴んでいる手は外れそうにない。
「わ…若先生、大丈夫、ちょっと酔っ払っただけなんで、あの…」
レイモンド様がこんなに力持ちだなんてしらなかった。めいっぱい引っ張られて道に投げ出された(元)侍従長は腕が痛いのか押さえながら後ずさった。
「そう。体を壊すといけないからアルコールは摂りすぎないようにね。帰っていいよ」
にこやかではあるのに、なんというか、冷たい言い方。レイモンド様でも怒るときはあるのね。食べ物も受け取らずそそくさと帰って行く背中を見送って、レイモンド様はまた診察するために席に戻った。
「マリア、だからよね」
なぜかチクチクする胸を押さえて、私はつぶやいた。
マリアはどうしたかしら?お義兄様は眠れているかしら?あれから学園でお義父様をみていないけれど、ストレスで体を壊したりしていないかしら?
私は学園から帰ると、侯爵夫人とキャルと三人でクッキーやパイ、ときには日持ちする黒いライ麦の入ったパン(ここへきてはじめて知った…ちょっと酸っぱい)などを焼いたり、庭に出て花の世話をしたり、ベリーやラベンダー、バラの花びらを摘んで持ち帰って、蜜と煮てジャムにしたりして過ごす。
時折下町の、あまり品の良いとは言えない場所までレイモンド様と従者の方と一緒に行って、私はできたものを配り、レイモンド様が診察する。
「父様がいれば本当はもっと、診てあげられるんだけど、ね。キンバリー屋敷での騒ぎが終わったら、今度は皇宮に呼び出されたらしくて」
両陛下のどちらかが具合がわるいのかしら?午後の診療を終えて馬車に揺られながら、私は考えた。
だけど、そういうことは口外しちゃいけないんじゃないかな?私は家族だからいいのかな…いや、本当は家族じゃないんだけど。
1日奉仕作業した体は疲れきっていて、段々と瞼が重くなる。
「ついたら起こすから、少し眠ったらいいよ」
レイモンド様は持っていた鞄を私の首の下へ差し込んでくれた。ごめんなさい、こんなに優しくしてくださるのに、貴方の妹をあの公爵邸に置き去りだなんて…できるだけ早く元にもどれるようにします。と、心の中で謝る。
けどミルラがいなければ、私は元に戻れないし、家にも帰れない…すごく帰りたいって訳でもないけど、こういうときとても悪いことをしている気持ちになるわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうこうするうちに二週間ほどが過ぎ、昼間はかなり暑さを感じるようになったころ、私はまた下町でレイモンド様をお手伝いしていた。
「40分並んでもらえるのはこれっぱかしの黒パンとジャムだと!馬鹿馬鹿しい!」
大きな声に聞き覚えがあった。見渡すと、見たことのある小男がぼろぼろのシャツとズボン姿で喚き散らしていた。
「侍従長様がなぜここに?」
私が尋ねると、喚きちらしていた男はこっちに気づいてやってきた。
「なんだ、誰かと思えば貧乏医者の家族ではないか!」
私はその言い方にイラっときたけれど、レイモンド様の手前ぐっと我慢する。マリアはここで怒ったりはしないはずだもの。
「皇子宮の侍従長ともあろう方がどうしてこんな場所で順番待ちを?」
私はたずねた。レイモンド様が心配そうに診察の手をとめてこっちをみているから、大丈夫、と頷いてみせる。
「ふん、あんなところは此方から辞めてやったさ。なんせあのメイド上がりの妾が偉そうにふんぞりかえっているし、第一皇子の癖にキンバリー家の圧力に押し負けて、今じゃ皇宮から出されたからな。幽霊の出そうな古い離宮におしこめられた奴らについて行くなんてまっぴらだからな!」
ええ?と私は首をかしげた。
少し前まで(元)侍従長をはじめ皇子宮の侍従やメイドは皆、ミュシャを我が子のように可愛がっていたのに?
『ミュシャの過ちは私どもの過ち!どうぞ我々全員を罰して下さい!』
と、この(元)侍従長が言ったのは、たしか去年の晩秋。
暖炉の燃え残りの灰を山盛りにしたバケツを持ったミュシャが、私のドレスに向けてぶちまけ、その上濡れた雑巾でそれを生地にすり込んだのだ。
さらに、ミュシャは人が来る前にスカートを拭くからと手にしていた火かき棒を私に手渡した。
馬の頭の飾りのついた、鋼鉄製の立派な火かき棒だった。
そのうえで、スカートにしっかり灰を刷り込まれた私が困って自分の侍女を呼ぼうとすると、ミュシャはとんでもない叫び声をあげて謝りはじめた。
そして飛んできた彼が発したのがさっきの、全員を罰してくれというものだったのだ。
勿論、ルディ殿下はミュシャをはじめとする全員を不問に付した。
むしろ火かき棒でミュシャを殴ろうとしたといって、ルディ殿下に怒鳴られて、平手で殴られたのは私のほうだった……それを満足そうに笑って(元)侍従長も見ていたはずなのに。
「あの、でもミュシャさんとは、皇子宮殿の皆さんはとても懇意にしていらしたのでは?」
「懇意?そんなことはない。あの妾は亡霊の森で殿下が猫の子よろしく拾ってきた…孤児だぞ…私は殿下に、元いたところへ返すよう進言して……その後はあまり覚えておらんが…親しくなどしていないはずだ」
話の途中で何度か(元)侍従長はふらつき、最終的には私の肩に手を伸ばしてきた。目付きはおかしいし、お酒の匂いもする。
私は驚き、とっさに逃げ出すことすらできなかった。きっと私が一人でいたなら、やすやすと肩を捕まれていたに違いない。
でも、その手が私に届くことはなかった。
「具合が悪いなら診ましょう、だから、妹から離れて?」
いつもより低く響く声。言い方は優しいけれど、腕をがっちり掴んでいる手は外れそうにない。
「わ…若先生、大丈夫、ちょっと酔っ払っただけなんで、あの…」
レイモンド様がこんなに力持ちだなんてしらなかった。めいっぱい引っ張られて道に投げ出された(元)侍従長は腕が痛いのか押さえながら後ずさった。
「そう。体を壊すといけないからアルコールは摂りすぎないようにね。帰っていいよ」
にこやかではあるのに、なんというか、冷たい言い方。レイモンド様でも怒るときはあるのね。食べ物も受け取らずそそくさと帰って行く背中を見送って、レイモンド様はまた診察するために席に戻った。
「マリア、だからよね」
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